「Y理論」とは何か? − 「X理論」と「Y理論」④

人事管理・労務管理において大きな進歩があり、人間問題が経営者の主要関心事になりました。

経営者は人道主義的なものの見方をするようになりました。従業員に対して公平で寛大な措置をとるように努力し、従業員の処遇を向上させました。

それにもかかわらず、経営に関する基本理論は旧態依然としていました。X理論が依然として支配的なままで、専制主義が駄目だからといって権限をかなぐり捨てても、役に立ちませんでした。

従業員の満足感と生産性の間には、直接的な相関関係はないことが分かりました。従業員の不満・不和・衝突を取り除いても、自動的に企業が健全になることはありませんでした。

理論自体を大幅に修正しなければならないことは明らかでした。

取るべき新理論を、マグレガーは「Y理論」と呼びました。要するに、人間は生来仕事が嫌いではなく、条件次第で自ら進んで仕事に打ち込むものであると考えるものです。

Y理論の考え方

人事管理に関する新理論は次のような内容です。マグレガーはこれを「Y理論」と称しました。

  1. 仕事で心身を使うのはごく当たり前のことであり、遊びや休憩の場合と変わりない。
  2. 外から統制したり脅かしたりすることだけが、企業目標達成に努力させる手段ではない。人は自分が進んで身を委ねた目標のためには、自分にムチ打って働くものである。
  3. 献身的に目標達成に尽くすかどうかは、それを達成して得る報酬次第である。
  4. 普通の人間は、条件次第で責任を引き受けるばかりか、自ら進ん責任を取ろうとする。
  5. 企業内の問題を解決しようと比較的高度の想像力を駆使し、手練を尽くし、創意工夫を凝らす能力は、大抵の人に備わっている。
  6. 現代の企業においては、日常、従業員の知的能力はほんの一部しか生かされていない。

普通の人間にとって仕事は、条件次第で満足感の源になり、その場合、自発的に仕事をします。逆に、懲罰の源と受け取られることもあり、その場合、できれば仕事を避けようとします。

人間にとって最も重要な仕事の報酬は、現代においては、自我の欲求や自己実現の欲求の満足であり、企業目標に向かって努力すれば直ちにこの報酬を手に入れることも可能です。仕事そのものが、満足という報酬の源になります。

一方の金銭的報酬は、仕事以外で満足を手に入れるために使われるものですから、それのみを報酬と考えると、仕事は満足を得るための懲罰的代償になり得るものでした。仕事に対する認識が全く異なることになります。

Y理論は、人間が成長し、発展する可能性を与えます。統制には唯一絶対の形はなく、その場その場に即応したやり方をとる必要があることを強調します。

人間は元々能力を持った人材であることを前提としていますので、企業内の人間がうまく協調できないとすれば、人間の能力を引き出す手腕が経営者に足りないことを意味します。

統合の原則

X理論による組織づくりの中心原則は、階層原則であり、権限行使による命令統制です。

Y理論では、従業員が企業の繁栄のために努力することを通して、各自の目標を最高に成し遂げられるような条件を作ろうとします。

「個人の目標達成と企業の繁栄が一致するように条件付けようとする」という意味で、マグレガーは「統合の原則」と呼びます。

X理論が深く根づいている経営者は、雇用契約によって従業員に賃金を支払う代わりに経営者の命令統制に服することを約束しているから、当然、企業の要求が従業員の要求に優先すると考えます。

昇進や転勤についても、X理論からすれば、企業の要請が自動的に優先するので、一方的に命令できるとされます。従業員には、月給や地位の面で配慮すれば足りると思われています。

このような考え方を捨てない限り、「統合の原則」を受け入れることはできません。

雇用契約によって、賃金を払って一定の能力を買っていることは事実ですが、従業員の心を買っているわけではありません。購入した能力を活用して企業の目的を達成したいと考えるなら、能力を発揮してもらうためにどうするかが問題です。

能力の発揮は従業員のやる気にかかっています。企業が従業員個人の欲求や都合を無視すると、従業員のやる気を削ぎ、能力の発揮を妨げるため、企業自体が損害を被ることになります。

要するに、Y理論の主張は、命令統制による経営では従業員の献身的態度を創り出すことができず、従業員は全力を発揮しませんから、結果的に企業が損をするということです。

「統合の原則」に基づく統制は、従業員の「自己統制」を基本とします。従業員自身のやる気であり能力ですから、従業員自らにコントロールを委ねるほうがよいということです。

経営者ができることは、そのための条件を整備することです。それによって企業目標と従業員個々人の欲求や目標とをうまく調整できれば、企業はもっと能率的に目標を達成できるのです。

ただし、Y理論は、企業の要求よりも従業員の要求を絶対的に優先することを求めるわけではありません。それをするなら、企業という組織を作ることに意味がなくなるからです。

大切なことは、経営者と従業員が協力し、双方にとって望ましい統合的解決策を得ようと真剣に努力することです。

なお、従業員教育に力を入れることをもって「統合の原則」に配慮しているという主張があります。しかし、重要なのは根本にある考え方であって、特定の施策ではありません。

従業員教育は重要ですが、X理論とY理論のどちらに基づいて行うかで、やり方も結果も違います。

会社の目標に向かって真っ直ぐに努力することが、従業員の夢を実現するいちばんよい方法であると強調し、その経営者の考えに従業員を従わせようとしているのであれば、X理論に基づいた教育です。

X理論には、企業の要求は従業員個人の要求に優先するという前提があり、かつ、それに従うことが従業員にとってもよいことだという主張があるからです。

「従業員のため」を主張しても、それが経営者から見た「従業員のため」であり、従業員自身が考える「従業員のため」よりも望ましいと考えているなら、それは従業員の愚民化です。

従業員は無責任であり、従業員に任せたら混乱し、利己的な争いとなり、秩序が保てないという発想が、その根底にあります。

Y理論の適用

Y理論は、文字どおり理論であって一種の理想形です。純粋にY理論に基づいた非の打ち所のない組織を作ることができるというわけではありません。

しかし、より良い組織に近づいていくための方向づけとして、理想的な理論があることは重要です。

マグレガーは、まず限られた範囲で条件を選び、試行的にY理論を適用することを勧めます。管理者や専門家を統制するためであれば、Y理論を積極的に適用することができるといいます。

これらの試行によって、様々な手法や技術も編み出され、知識も豊富になっていくので、労働者層に大規模に適用する場合でも失敗が少なくなるはずです。

管理者や専門家の仕事に対する満足・不満足について、ハーズバーグの重要な研究があります。

仕事に満足して高い業績を上げるためには「自己実現」の機会が基本的要件であるといいます。

さらに、従業員の欲求は2つに分かれることを明らかにしました。一つは、自己の成長を図るために仕事の面で向上していきたいという欲求であり、もう一つは、給料・監督・作業環境・管理の仕方に不当な差別待遇を望まないという欲求です。

前者の欲求は、満たされると満足を感じ、やる気を高めます。後者の欲求は、満たされなければ不満であり、やる気を落としますが、満たしたからといって満足感とやる気を高めるとは言えません。

従業員はこのような異なる二種類の欲求を持つことから、「二要因論」と呼ばれます。前者の要求を「満足要因」あるいは「動機づけ要因」と呼び、後者の要求を「不満足要因」あるいは「衛生要因」と呼びます。

統合の理論は、企業の要求と従業員の要求とを一致させることを求めますが、これも努力の方向性であり、完全に実現できるものではありません。

どの程度の統合を図れば、従業員が企業の繁栄のために努力しながら、自分の目標を最もよく実現できるかを見い出そうとすることが大切です。従業員にとって、 少なくとも命令統制に比べて魅力的であると思ってもらえるような方法を見い出せるはずです。

従業員の個人的な目標は様々であるとしても、自我の欲求や自己実現の欲求の満足という面で言えば、自発的に自分の能力・知識・技術・手腕を高められる機会があるというのは、魅力的なはずです。

しかも、そのような能力等を実地に活かすことによって企業の繁栄に貢献できるのであれば、従業員のやる気を引き出すことは可能であると考えられます。

Y理論を採用することが、経営の放棄につながったり、単純な「恩情主義」や「なあなあ主義」につながったりするわけではありません。このような発想は、権限による弊害を緩和しようとする考え方であり、X理論が前提にあります。

Y理論では、従業員は、企業目標を納得している程度に応じて自発的に自分を統制しながらその達成に努力すると考えます。経営者が人間の自己統制能力を高く評価することができれば、権限以外の方法にもっと多く頼ることができるようになるはずです。

従業員の納得の程度を決めるのは、経営方針や施策です。納得させることが難しいような場合は、権限による統制も併用せざるを得ません。

Y理論は、権限による統制を完全に否定するものではなく、あくまで様々な統制方法の中の一つに過ぎず、あらゆる場面で通用するものではないという考え方です。