「権力」、「権威」、「権限」の違い

「権力」、「権威」、「権限」は混同して使われることも多いようですが、どのように違うのでしょうか。

ここでは、アメリカの社会心理学者であるジョン・フレンチとバートラム・ラーベンの説を基に、それらの違いを説明してみます。非常に有名で、よく引用されているので、一定の客観性はあると考えています。

「権力」は、背景となる一定の根拠をもって「他人を強制し、服従させる力」のことです。「権」という語が、力の根拠としての「資格」をもっていることを意味しています。

「権力」の根拠には様々なものがあり、強制的なものもあれば、自発的なものもあります。様々な根拠をもって行使される力を総称して「権力」と言います。「権力」は属人的な力です。

「権威」と「権限」は、「権力」の一部に位置づけることができます。根拠の違いが「権威」と「権限」を分けます。

「権威」とは、自発を促す根拠をもった力です。ある分野に詳しいこと、人格的に優れていることなどを根拠として、他の人に「自発的に従おう」と思わせる力です。その人自身がもつ能力を根拠としているため、完全にその人だけで完結した力です。

「権限」とは、「正当性」を根拠とする力です。「正当性」とは「正式に認められたもの」という意味であり、法令や職務分掌などに客観的に記述されているような場合を指します。「限」という語がついているように、「力を行使できる範囲があらかじめ限定的に決められている」という点が特徴です。

なお、「権限」の根拠は「外部の客観的記述」ですから、非属人的です。そのため、根拠となる客観的記述そのものを「権限」とみなして、「権力」(属人的力)とは一線を画す考え方もあります。ドラッカーがそうです。

以上を図示すると、次のようになります。

「権」とは何か

「権力」、「権限」、「権威」に共通する語として、「権」があります。

この意味を調べてみると、「他を支配する力、権力」、「物事を行う資格」、「他に対して物事を主張・要求する資格、権利」などが出てきます。

これらは、「権限」や「権威」を含めた総合的な意味にも取れますが、中心的な意味としては、「力」や「資格」が見て取れます。

つまり、「背後に何らかの根拠(資格)をもった力」と言えるのではないでしょうか。

「権力」とは何か

「権力」は、「他人を強制し、服従させる力」、「自由裁量によって現存の状況を保持または変更させていく能力」などの意味があります。

「権」だけでは、その人の一方的な主張、要求、行動だけに着眼があるように見えますが、「権力」になると、他人に対する影響、他人を従わせるという一定の「強制力」が伴っていることが見て取れます。

「権力」は、単なる「力」ではなく、「権」と一体化することで、明らかに他人を従わせる根拠を背景にもつと言えそうです。

「権力の根拠」については、アメリカの社会心理学者であるジョン・フレンチとバートラム・ラーベンの説が有名で、よく引用されています。

  1. 正当性(法令、職務分掌等)
  2. 報酬
  3. 強制(処罰)
  4. 専門性(専門的な知識やノウハウ)
  5. 準拠(尊敬)

これらの根拠のいずれかをもって他人を従わせることができる力が、「権力」ということになります。

「権威」とは何か

「権威」について調べると、「自発的に同意・服従を促すような能力や関係」、「すぐれた者として、他人を威圧して自分に従わせる威力」、「万人が認めて従わなければならないような価値の力」といった意味が出てきます。

あるいは、「専門の知識・技術について、その方面で最高の人だと一般に認められている人」、「大家」といった意味もあり、人そのもの指す言葉としても使われます。

さらに、「威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される」と明言されています。「自発的」がキーワードです。

「権力」の背景には様々な根拠があり、強制的に従わせるような背景をもった「権力」もあります。先に述べたフレンチとラーベンによる5つの根拠で言うと、「強制」を根拠とする「権力」です。従わなければ処罰を伴い、力づくで従わせようとする場合です。

「報酬」を根拠とする「権力」は、「強制」とまでは言えませんが、「従わざるを得なくする」という意味では、自発的とは言い難いかもしれません。

「権威」は自発的に従うことを促すような力ですから、フレンチとラーベンの説に基づけば、「専門性」や「準拠」を根拠とする「権力」が相当します。

「専門性」や「準拠」は、その人自身が持つ専門的能力や人格的能力ですから、その人自身の中ですべて完結しています。完全に属人的です。ですから、客観性がありません。その人の権威に従う人もいれば、従わない人もいます。

なお、「威」という語には、「自然に人を従わせるような厳かさ」、「人を恐れさせる強大な勢力」、「厳かで犯しがたい力のあること」といった意味があり、必ずしも「自発的に従う」という意味ばかりではありません。「威嚇」といった意味もあるように、暴力を伴っている場合も含まれています。

ただし、「権威」に限っては、「自発的に従う」という意味に限られているようです。

「権威」に関する異なる見解

現代政治学では、上に述べたように、「権威」の特徴は「自発性」にあると言われていますが、異論もありますので、参考として簡単に触れておきたいと思います。

典型的には、「権威主義」という言葉で表現されるような場合です。

例えば、ハンナ・アーレントは、「それに従うように求められた者が疑問を差し挟むことなくそれを承認すること」が「権威」の特徴だと言っています。要するに、自発的でなく、極端な場合は「疑いを差し挟むことは冒涜である」かのような言い方をされる場合もあるわけです。社会心理学者のアドルノは,権威主義をファシズム的兆候とさえ言いました。

「権限」とは何か

「権限」について調べてみると、「合法的に認められた、他者の行為を左右するような意思決定を行う力」、「職務担当者に承認され、行使できる範囲が限定された意思決定権」などの意味があります。

フレンチとラーベンによる権力の根拠でいうと、「正当性」に相当します。「法令や職務分掌などであらかじめ決められている」ということが「正当性」を意味しています。

「限」という語がついていますが、「限」には「範囲を定めること」や「区切り」といった意味があることから、「力を行使する範囲があらかじめ限定的に決められている」ということになるわけです。

要するに、フレンチとラーベンの説に基づけば、「権限」もまた「権力」の一部です。

なお、「権限」の根拠は「正当性」ですが、「正当性の根拠は何か」ということも実は問題になります。「あらかじめ決められているもの」があるわけですが、本人が勝手に決めてよいわけではないはずです。そんなものに他人が従う理由はないからです。

あらかじめ決められたものに皆が従おうとする前提があるから、「正当性」があるわけです。

例えば、「法令」が根拠であれば、国民が選出した国会議員によって審議され、決定されることによって「正当性」が出てきます。

「職務分掌」であれば、さらに上位の権限者(あるいは社長)が決めることによって「正当性」が出てきます。皆で議論し、合意して決めることによって「正当性」が出てくる場合もあるでしょう。

以上のように、フレンチとラーベンの説に基づくと、「権力」、「権威」、「権限」の関係が非常にすっきりと整理されることが分かります。ただし、あくまで一つの説明方法です。

「権限」の特異性

「権限」に関しては、「権力」や「権威」とは少し違う観点で使われることがありますので、その点を補足しておきます。

「権威」を含む「権力」は、人の能力に着目しています。属人的な能力を指しているわけです。

一方、「権限」は、法令や職務分掌のような客観的な根拠があります。明文化していることが原則だと思いますが、慣習的な場合もあるでしょう。

つまり、一義的には属人性がないわけです。法令が根拠になる場合、法令で決められている条件に合致する人には「権限」が与えられます。職務分掌が根拠になる場合、その職務に就いた人に「権限」が与えられます。

ですから、「権限」については、「権力の一部である」という言い方をするのではなく、「権力の根拠の一つである『正統性』の基になるもの」という言い方をする場合もあるわけです。この場合、「法令や職務分掌などに記述されている事項」そのものを「権限」と考えます。

職務の関係に限っていうと、「職務分掌に記述されている意思決定権」を「権限」ととらえます。属人性は全くありません。その職務に就いた人は、誰であってもその権限を付与されます。

「権限を付与する」と言うと、何か力が与えられたように感じてしまうので、「権限がある人は権力がある」と考えがちなのですが、ドラッカーは、その点を強く戒めています。

ドラッカーは、「権限と権力は関係ない」と断言しています。

要するに、「権限」は属人性のない職務記述であって、「その職務に就いた人はその権限を行使しなければならない」、つまり「権限」とは「仕事であり、義務であり、責任である」ということです。

「権限」とは、「意思決定」という重い責任を伴った仕事です。そのような自覚が必要であるということをドラッカーは示唆しています。

(参考:「『権限』と『権力』の違い」