「権限」と「権力」の違い

「権限」と「権力」は、よく混同される言葉です。様々な場面で使われるものですが、ここでは組織における仕事の分野に限定し、ドラッカーの考えを基に結論を導きたいと思います。

(なお、一般的な意味での違いについては、「『権力』、『権威』、『権限』の違い」を参照してください)。

「権力」とは属人的な能力を指します。

「権限」とは、マネジメントの職務上の責任を果たすために必要な意思決定権です。職務に応じて、行使できる範囲が客観的に限定されます。

「権限」はなすべき仕事そのものですから、果たすべき義務でもあります。「権限があるから、それを行使しないのも権限のうちである」という言い方はできません。それは責任の放棄です。

このように「権限」と「権力」は指しているものが違いますが、「権限」を行使するのは人ですから、行使する過程で「権力」が伴わざるを得ません。

ただし、「権限」の範囲を逸脱した「権力」は不当であり、許されざるものとなります。

マネジメントは「もともと権力をもたない」と自戒し、仕事として、責任としての「権限」を持つと理解すべきです。

「権限」と「権力」の定義

経営の用語として両者の意味を調べてみると、次のとおりです(出典:岡本康雄『現代経営学辞典 改訂増補版』(同文館)

  • 権限
    • 一定の自由裁量をもって行動する職務担当者に承認された権利。合法性のオーソリティ。
  • 権力
    • その行使者の能力の問題。個人の権力とは、自由裁量によって現存の状況を保持または変更させていく能力。

合法性のオーソリティ

「権限」の意味の中に「合法性のオーソリティ」という言葉があります。

「オーソリティ(authority)」は、「権威」や「権限」と訳されることが多いようですが、経営用語としては、「権限」は「オーソリティ」の一部であるとされているようです。

同出典から「オーソリティ」を引用すると、

  • オーソリティ
    • 他者の行為を左右するような意思決定を行う力

となります。オーソリティのうち、合法的に認められた(正式に承認された)ものが「権限」です。内容は「意思決定」とされています。

「権限」とは何か?

「権限」という言葉を、もう少し掘り下げて考えてみます。

まず、「権」とは、「他を支配する力、権力、物事を行う資格、他に対して物事を主張・要求する資格、権利」といった意味があります。

次に「限」とは、「範囲を定めること、区切り」といった意味があります。

要するに、「権限」は「範囲が決められた権利」ということです。

経営用語としての意味を含めて総合的に考えると、「権限」とは、職務担当者に承認され、行使できる範囲が限定された意思決定権であると言えます。

職務に付随したものであり、客観的で限定された仕事です。属人的なものではありません。

「権力」とは何か?

一方の「権力」は、属人的な能力を指しています。英語で言うと「power」に相当すると思います。正式な承認の有無は関係ありません。

承認が関係ないとは言っても、人が「権力」を持つ場合、他の人が従うということが前提になります。誰も従わないのであれば、「権力」を持つとは言えません。

では、なぜ他の人が従うのか? その根拠があるはずです。

「権力」の根拠

原始的には、肉体的な力があります。その人に従わないと肉体的に危害を加えられるということになれば、その人は「権力」を持ち得ます。

その他にも「権力」の根拠には様々なものが考えられます。

アメリカの社会心理学者であるジョン・フレンチとバートラム・ラーベンは、次の5つをあげています。

  • 正当性(正式な権限)
  • 報酬
  • 強制(処罰)
  • 専門性(専門的な知識やノウハウ)
  • 準拠(尊敬)

上記のようなものを持つ人は、他の人に対して影響力を持つことができ、それに応じた「権力」を持つことができると言えます。

「権限」と「権力」の関係

以上のように、「権限」と「権力」は指しているものが違います。

ただし、「正当性(正式な権限)」もまた「権力」の根拠となり得ること、「権限」を実際に行使するのは人であることを考えると、「権限」の行使には「権力」が伴うと考えることができます。

実際のところ、「権限」を根拠とする「権力」の行使には、「報酬」(報酬を決めることができる)、「強制」(従わない場合に罰を与えることができる)、「専門性」(その人の専門性が高い)、「準拠」(その人が尊敬できる)といった根拠が同時に働いている場合も考えられます。

逆に言うと、職務上「権限」が与えられていたとしても、その上司が「権力」を持ち得るその他の根拠を何も持たなければ、「権限」を行使しても、部下は事実上無視するということが起こり得ます。

そのように、「権限」に「権力」が伴うことは一般的であり、「権力」が伴わない「権限」は効力を持たない場合もあり得るということが言えます。

「権限」に付随する「権力」の問題

「権限」に「権力」が伴うこと自体、特に問題ではありません。

問題は、「権力」が属人的な力であることに伴って生じます。

「権限」は範囲が限定されているものですから、それに付随する「権力」も、当然に「権限」の範囲内で行使されなければなりません。

しかしながら、往々にして「権限を逸脱した権力」、すなわち「不当な権力」が行使されることがあるということが問題になるわけです。

「権限」を逸脱した「権力」の行使

あなたの職場で、こんなことはないでしょうか?

  • 人事部長や部門長でもなく、ましてや社長でもないのに、関係ない部門の人事に影響力を持つ人がいる。
  • 取引先など特定の人や組織に接触するときには、特定の人を通さなければいけない(その人はまったく無関係の仕事をしているのに)。
  • 上司が部下に私用を言いつける。
  • 上司から、仕事でもない飲み会に参加を強制される。
  • 上司から、仕事とは関係ないことでいろいろと注意されたり、性格の是非にまで立ち入った干渉をされる。

このような例は、「権限を逸脱した権力」、すなわち「不当な権力」を行使していると言えましょう。部下も不当であることを感じていながら、従わざるを得ない状況に置かれているわけです。

なぜ従わざるを得ないのでしょうか?

「従わないと報復を受けるのではないか」と恐れるからです。

このような場合の報復は、「権限の範囲内に見える方法で不当な権力を行使する」形で行われます。例えば、人事評価で不当に低い評価をされる、無理な仕事を押し付けられる、仕事に必要な情報を与えない、などです。報復もまた不当な権力の行使です。

権力者が直属の上司でなくても、その権力者が直属の上司に圧力をかけることで、直属の上司に「不当な権力」を行使させる場合もあります。これも報復です。

しかしながら、部下の立場で、権力の不当性を主張することは難しく、泣き寝入りせざるを得ないということが起こりがちです。

もし、このような状況が野放しになっているとすれば、当然、経営者の責任が問われるべきです。

「権限を行使しない」という「権限」はあるか?

ところで、「権限」があっても行使しないという場合もあります。

例えば、「参加型経営」とか「民主的経営」と称して、本来上司の権限である意思決定を部下にさせるような場合です。

これについて、「権限を行使しないのも上司の権限だ」という言い方もできるかもしれません。

しかし、その結果、部門の目標が達成できず、組織全体の目標に貢献できなかった場合、さらには組織に害をなした場合、当然、その上司は責任を問われることになります。

「権限」とは仕事ですから、その立場に就いた以上、当然負わなければならない義務でもあります。

「権限」には「権力」が伴いますが、必然的に相応の「義務」も伴うということです。

マネジメントはもともと「権力」をもたない

ドラッカーは、『マネジメント』の中で、次のように言っています。

マネジメントはもともと権力をもたない。責任はもつ。その責任を果たすために権限を必要とし、現実に権限をもつ。それ以上の何ものでもない。

アメリカでは、マネジメントがいまだに経営特権なる言葉を使っている。特に労組の要求に対応して使う。しかし特権とは呆れて貧しい言葉というべきである。特権とは身分による特別の権利である。マネジメントにそのような権利はない。

マネジメントとは、果たすべき役割を果たすための存在に過ぎない、その仕事は、寄託された資源を生産的なものにすることである。

働く者一人ひとりのなすべき仕事が何であり、それらの目標が何であり、仕事の基準がいかなるものであるかを決定するのは、マネジメントである。必要な情報を提供するのは、仕事を行う者自身である。しかし決定するのはマネジメントである。

「マネジメントはもともと権力をもたない」と言い切っています。

上記の引用を解釈すれば、「マネジメントは身分ではないのだから、特権的な属人的権力をもっていると考えてはならない」ということだと思います。

「権限」が与えられると、特権的階級に成り上がったかのような錯覚に陥り、制限されるべき「権力」を必要以上に行使したいという誘惑に駆られてしまいがちではないでしょうか。

「権限」には実質的に「権力」が伴います。人によって構成される組織で仕事をする以上、人と人との間に権力関係が生じることを避けることはできません(参考:「働くことの力学」)。

権限を越えた権力を行使したい誘惑に駆られやすいからこそ、自戒として「マネジメントはもともと権力をもたない」と自分に言い聞かせなければならないと思います。

「権限」とは、マネジメントの責任を果たすために必要とされる仕事であるということです。

「権限を行使しないという権限」はない

「権限」の目的は「責任を果たすこと」です。

上記の引用の最後で「必要な情報を提供するのは、仕事を行う者自身である。しかし決定するのはマネジメントである。」と言っています。

要するに、「権限を行使しないという権限」はないということです。それは責任の放棄です。

「部下が決めた」ではなく、「部下の意見をもとに私が決めた」と言わなければなりません。

部下の「権限」を上司が行使するのも「権限を逸脱した権力の行使」である

「定められた権限を行使しない」のは責任の放棄ですが、正式に部下の仕事として定められた権限は、当然に部下が行使すべきものです。

その権限を上司が取り上げて行使することは、「権限を逸脱した権力の行使」となり、不当な権力の行使です。

例えば、社長が「事業部長に権限を委譲している」と言いながら、事業部長のオフィスに入り浸り、「事業部長を手伝っている」と称して、事業部長の権限を自ら行使しているといったことはよくあります。

そういう社長が行う事業部長の評価は、成果をあげているかどうかではなく、社長の言うとおりにやっているかどうかです。