人と仕事の関係

マネジメントの第2の役割は、生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげてもらうことです。ここには、とても大きな問題が立ちはだかっています。

「仕事(work)」と「働くこと(working)」には根本的な違いがあります。仕事は客観的で論理的なものですが、働くことは人の行為であり、個人の心理や生理などに影響されます。知識労働者の増大が、その問題をさらに複雑にします。

現代社会は経済的に豊かになりました。だからこそ、ますます大きな豊かさが求められています。それは仕事に対する期待です。単なる生計の資ではなく、人生そのものになることへの期待、自己実現の期待です。

マネジメントには、「仕事」と「働くこと」の違いを理解し、統合する役割が求められます。仕事を一層生産的なものとし、働く人に成果をあげてもらわなければなりません。

「仕事」と「働くこと」の違い

仕事は常に人が働くことによって行われます。

しかし、「仕事(work)」と「働くこと(working)」とは根本的に違います。仕事の生産性をあげるうえで必要なものと、人が生き生きと働くうえで必要なものは全く違うものです。

両者の違いをよく知ってマネジメントしない限り、働く人たちに成果をあげてもらうことはできません。

仕事

仕事は客観的な存在です。誰が行うかにかかわらず、一定の成果が要求されます。成果は働く人のものではなく、成果を使う人のものです。使う人のニーズと利用できる資源をもとに、論理的に組み立てなければなりません。

仕事の生産性について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

働くこと

働くことは人の活動です。働く人自身の問題ですから、個人の生理、心理、絆、生計、権力に関わります。働くことは論理的ではなく、感情的です。

働くことの問題とマネジメントの方法について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

肉体労働者と労働組合の危機

労働力人口の重心は、肉体労働者から知識労働者に移っています。知識労働者とは、知識、理論、コンセプトを使って働く人たちのことです。ドラッカーは、この変化が肉体労働者と労働組合に危機をもたらしていると指摘します。

先進社会では、肉体労働者はドロップアウトされた存在であり、自分が虐げられていると感じていると言います。その結果、拒絶された者、失敗した者という感覚をもって社会に参入してくることになります。

多くの有能で意欲ある若者は大学に進学し、スペシャリストやマネジメントを目指します。自らを労働者階級とは位置づけません。その結果、労働組合のリーダーには、挫折によって動かされた自信のない者が就くことになり、労働組合が弱体化します。

さらに悪いことに、若い組合員は自信が持てないため、自分たちが選んだリーダーに従うことができないと言います。リーダーの地位に就いた者はマネジメントの側と付き合うことになり、体制側と見られます。組合リーダーの権威はますます失われます。

ドラッカーは、産業界にとって最悪の状況であると指摘します。労働組合の弱さがマネジメントの強さにつながると考えるのは、完全な錯覚であると言います。なぜなら、役割、機能、権威のない労働組合、強力で確固たる成果をあげるリーダーシップのない労働組合は、紛争、扇動、無責任、対立、緊張を生むだけだからです。

マネジメントは、企業の中だけでなく、社会に対しても影響力を行使できる力を持っています。企業にとっても、社会にとっても、その力に拮抗し、制御できる存在が必要です。労働組合がその役割を果たす必要があります。

ですから、ドラッカーは、マネジメントの側から、労働組合のあり方、役割、機能、位置づけを検討する必要があると言います。これは、社会的責任であると同時に、事業上の責任でもあります。

労働組合のあり方について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

期待が増大する社会

今日の先進社会では、以前のような飢えに苦しむ状況はなくなりました。ところが、多くの人たちは、経済的な豊かさに関心を失ったわけではなく、さらに多くのものを求めています。

ドラッカーは、仕事が経済的な報酬を超えたものをもたらすこと、生計の資だけでなく人生そのものになることを求めていると指摘します。仕事に心理的、社会的満足を求めるようになったと言います。

働く人に仕事を通して満足を与えるためには、マネジメントはますます仕事を生産的なものにし、成果をあげられるものにしなければなりません。併せて、働く人を資産ととらえて、強みが成果に結びつくように人を配置しなければなりません。その方法について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

知識労働者の増加

知識労働者の増加は「仕事」と「働くこと」の問題を一層複雑にします。肉体労働者とは根本的に異なるマネジメントが求められるからです。

知識労働のほとんどは、生産性の測定はおろか、定義すらできません。直接の成果(アウトプット)が物ではなく、他者への貢献、他者へのインプットだからです。他の者に利用してもらって成果につながってこそ、自分の成果になります。最終の成果から順次遡ってみなければ、知識労働者の成果は分かりません。

また、仕事の多くは自らの頭の中で進行するため、進行状況をたどっていくことも困難です。ですから、大まかなプロセスを提案することはできても、仕事の本質的な部分を第三者が設計することはできません。知識労働者が自分で設計しなければなりません。

さらに難しいのは、知識労働者の自己実現です。貢献、成果、価値、自己実現のいずれがどのような満足をもたらすかは、本人しか分かりません。

結局のところ、知識労働では、自ら動機づけ、自ら方法を決めるのでなければ、生産的に働くことはできないことになります。知識労働者のマネジメントは、権力による統制ではなく、貢献に対する責任、自己目標管理が鍵になります。

知識労働者を初めとするホワイトカラーの生産性について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。