仕事への責任と雇用の保障

働く人と働くことのマネジメントで成果をあげた3つの事例(日本企業、ツァイス、IBM)を見ました。分かることは、権限ではなく「責任の組織化」に焦点を合わせるということでした。

しかし、人は、強い者でさえ、命令と指揮を必要とします。弱い者はなおのこと、責任という重荷に対して保護を必要とします。そのような人が、責任という重荷を負うためには、何が必要でしょうか。

それは、仕事に焦点を合わせ、仕事を生産的なものにすることです。そのプロセスに働く者自身を参画させ、フィードバック情報を与えて自ら改善させる責任を持たせることです。

働く人がこれらの高度な責任を受け入れるには、雇用と所得の保障が不可欠です。

仕事への責任

最も肝心なことは、人は仕事を通して責任を果たすということです。ですから、仕事そのものに責任を持たせなければ意味がありません。仕事そのものにやりがいが必要です。

しかし、実態はそのようになっていないことが多いのではないでしょうか。賃金や福利厚生など、仕事以外のものに焦点を合わせてきたのではないでしょうか。

仕事に焦点を合わせる

仕事に焦点を合わせる必要があります。やりがいのある仕事をつくるにはどうしたらよいかを問うことが先決です。

ドラッカーは、やりがいのある仕事にするための3つの条件を提示しています。

生産的な仕事

まず、仕事そのものが生産的でなければなりません。

人は束縛から解放されれば、専門家よりも優れた生産的な答えを出すという考え方があります。しかし、ただ自由を与えれば生産的になるわけではありません。創造性は、専門知識や分析の代わりにはなりません。正しい仕事の構成は、直感ではなく、正しい分析によって明らかになります。

次の手順で仕事を生産的にします。

  1. 仕事の分析
  2. プロセス化
  3. 管理手段の組み込み
  4. ツールの設計

成果についてのフィードバック情報

管理者へのフィードバックではなく、仕事を行った本人へのフィードバックです。管理者が指揮命令するための情報ではなく、自己管理を可能にするための情報が必要です。仕事に対する責任は、自ら改善する責任でもあります。

しかし、これが実践されている職場は少ないと言わざるを得ません。管理者がフィードバック情報を独占し、考課のための秘密情報とし、部下をコントロールする武器に使っています。

「行動修正メカニズム」という考え方があります。働く者は、自らの仕事ぶりについて情報を与えられるや、直ちに行動を修正していくと言います。何をしたらよいか分からなくても、情報さえ与えられれば適切に行動を修正できることが知られています。

このメカニズムは、研究開発のような知識労働者にも見られると言います。年に何度かメンバーに向かって、「この1年の成果はこれこれである。その前の1年はこれこれである。」と知らせるだけで効果があると言います。

当然のことですが、働く者に与える情報は、有効なものでなければなりません。働く者自身が自らの仕事ぶりを評価し、方向づけすることができるものでなければ意味がありません。

フィードバック情報によって、上司がわざわざほめたり叱ったりする必要がなくなることが理想です。

継続学習

働く者は学んだことを生かして、自らの仕事ぶり、仲間の仕事ぶり、仕事の仕方を向上させようとします。

継続学習によって、イノベーションへの抵抗をなくし、陳腐化する危険をなくします。

  • 仕事を生産的なものにし、成果をあげられるようにするために何を行ったか。
  • そのためには、どのような知識、ツール、情報が必要か。
  • ニーズや方法や能力のレベルを上げるには、何をしなければならないか。

ということを、常々問い続けます。

知識とスキルの向上は、日々の仕事の中に組み込んでおかなければなりません。OJTを意識した職務の設計が必要です。

新たな知識の獲得は、学んだことを捨てる能力を獲得することでもあります。自ら変化する能力を獲得することです。

特に知識労働者については、自らの専門性を高めるだけでなく、他の専門分野の経験、問題、ニーズに接することが重要です。自らの知識と情報を他の分野に適用できるようにするための学習です。自分の仕事のアウトプットは、他の者のインプットに使われて初めて成果につながるからです。

なお、ドラッカーによると、継続学習を組み込むための最善の方法は、他人に教えさせることを仕組み化することです。教えることが、最もよく学ぶための方法です。

働く者の参画

3つの条件の検討は、マネジメントの責任であり、課題ですが、マネジメントだけの責任ということではありません。実際に仕事をする者自身が初めから参画し、責任を持つことが必要です。

彼ら自身が持つ知識、経験、ニーズを、仕事のあらゆる段階でインプットとすることが重要です。彼らが行う仕事に関しては、彼らが唯一の専門家だからです。

  • 仕事をいかに行うべきか
  • 仕事の仕方や成果の量や質
  • 仕事に必要な道具や情報
  • 仕事、職務、道具、プロセス、スキルの向上

について、決定に参画させることなくして、彼ら自身の仕事をやりがいのあるものにすることはできません。

明確な権限と責任

働く者に責任を持たせ、参画させるに当たっては、権限を明確にしておかなければなりません。働く者は、自分にどこまで任されているかを知っていなければなりません。

マネジメントの権限

仕事を行う者自身は、仕事に必要な情報を提供し、3つの条件の検討に参画する責任があります。しかし、決定する権限はありません。働く者一人ひとりの仕事、目標、基準を決定する権限を持つのは、マネジメントです。

また、誰が何の決定権を持つのかは、事前に知らされている必要があります。そうしないと、組織が混乱します。

働く者の責任

  • 仕事の基準を満たしつつ、仕事を遂行することのできる職務を設計すること
  • 職務を一つの職場コミュニティの仕事に統合する作業者集団を設計し、組織し、諸々の関係を定めること

は、働く者とその集団の責任です。

それは動機づけのためでもありますが、それ以上に、彼らが唯一の専門家である分野において、彼ら自身の知識と経験が生かされることが重要です。自ら高い目標を設定し、しかも目標以上の成果をあげていくことにつながるからです。

ただし、これらのことができるためには、上司やインダストリアル・エンジニアその他専門家の助力が必要です。必要な情報のフィードバックも欠かせません。

職場コミュニティにおける責任

  • 従業員食堂
  • 休暇の調整
  • レクレーション

などに関して、もしマネジメントが意思決定をしているなら、その権限を職場コミュニティのメンバーに委ねるべきです。

マネジメントは対応すべきではありません。何故なら、マネジメントにとっては重要でないからです。重要でないことに時間を取ってはいけません。

しかし、職場コミュニティとそのメンバーにとっては重要な意思決定です。マネジメントが行った場合、たとえ上手く行ったとしても、メンバーの士気が上がることはありません。逆に、上手く行かなければ士気が下がります。何もよいことはありません。

職場コミュニティのメンバーにとっては、リーダーシップを発揮し、責任を持ち、認められ、学んでいくよい機会となります。

リーダーシップを発揮する機会がないと、能力、エネルギー、野心は、マネジメントや職場コミュニティに対立する形で発揮されることになります。否定的、破壊的、扇動的な形をとることになりかねません。

職場コミュニティの問題は、自治でなければなりません。

意思決定の責任は、その意思決定の影響に直接関わるところに与える

というのが鉄則です。

誰もがマネジメント

ドラッカーが理想として掲げるのは、全員が自らをマネジメントの一員とみなし、マネジメントとしての責任を持つ組織を目指すことです。

ここで言う「マネジメントとしての責任」とは、次の責任を指します。

  • 自らの仕事への責任
  • 自らの作業集団の仕事への責任
  • 職場コミュニティへの責任

マネジメントの権限と権力、意思決定と命令、所得の格差、上司と部下といった現実は残りますが、責任を持つ立場として「誰もがマネジメント」という組織を目指すことは可能です。

雇用と所得の保障

責任という重荷を負うためには、雇用と所得が保障されていることが必要です。少なくとも、やりがいのある仕事にするための3つの条件に責任を果たす者に対しては、保障を与えなければなりません。

同時に、適所ではない所から適所に移る自由も必要です。この自由がなければ、本人にとっても、組織や社会にとっても退化であり、損失です。最大の貢献ができないからです。

必要なことは、約束ではなく実行です。

給与だけでなく、積極的かつ体系的に仕事を与える仕組みを保証しなければならないということです。給与を与えても、現実に仕事を与えないならば、失業と同じ不安を与えるからです。働く者を社会の生産的な一員にする仕組みが必要です。すなわち、次のことです。

  • やりがいのある仕事にするための3つの条件が満たされること
  • それらの条件を満たすために自ら参画する責任を与えること

人は、イノベーションや変化に対して抵抗すると思われがちですが、その本質は、雇用と所得を失うことに対する抵抗です。雇用と所得の保障が実行される限り、イノベーションや変化への抵抗は見られなくなります。

再就職の斡旋

雇用の保障と所得の安定のためには、再就職のための斡旋活動も必要になります。技術変化や経済変動のために余剰となる者が出ることは、避けることができません。

費用をかけて再訓練しなければならない場合や、高額の退職金が必要になる場合もあるでしょう。しかし、大恐慌のような場合を除いて、対象者はわずかであることが多く、結果的に多額の費用にはつながらないはずです。

むしろ、雇用と所得の保障によってもたらされる効果、すなわち、全員が自らの仕事と成果に対して高度の責任を進んで担い、技術変化や生産性向上に適応するという効果の方が、明らかに価値が高いと言えましょう。