労働組合は生き残れるか?

労働組合は、それ自体で独立して存在し得るものではなく、経営者に対する対抗手段として存在しています。

ところが、知識労働者が主流となり、自らの仕事の責任に関わる意思決定を担うようになると、本来その代表であるべき従業員が経営権力の一部となってしまい、労働組合の存在意義が失われてしまいます。

現状において、国民所得の大半が従業員に配分されている状況において、労働組合の重要な役割であった賃金の引き上げを、引き続き交渉によって行おうとすることにも限界があります。

賃金の引き上げは生産性の向上によって行うべきであり、労働組合もまた、その支援を行う方向で存続を図るべきです。

権力への依存

現代では、国民所得の85%が従業員に配分されるようになっているといいます。そうなると、労働組合の存在理由が失われてきます。

労働組合がなし得ることは、他の従業員を犠牲にして、自分の組合員の取り分を多くすることだけになり、特定の利益代表になって他の人たちに脅威を与える存在になってしまいます。

労働組合は、経営者の力に対抗する政治的役割を果たすからこそ支持されています。だからこそ、企業を国有化して経営基盤が強固になると、それに対抗して、労働組合がますます強く、戦闘的になります。

しかし、従業員自体が経営者的あるいは専門職的になる場合、従業員は、労働組合が対立すべき経営権力の一部となります。

このような場合、労働組合は、経営者自身の権力にはそれほど重大な関心を寄せなくなり、自分たちの経営管理権限を守ろうとし、あるいは権限を大きくしようとするようになります。

ドラッカーによると、労働組合は、相対的に弱いほうがよい状態にあり、より健康的であるといいます。社会全体の従業員は、労働組合を支持し、何とか生かしておくように真剣に考えるといいます。

労働組合が権力をもち過ぎると、威圧的となって危機が来ます。労働組合が、本来もつべきでない権力をもとうとすることに正当な理由はありせん。ドラッカーによると、恐怖心のあらわれであるといいます。

自分たちの存立が危ういからこそ、権力構造のなかに根を下ろし、政治権力によって支配されたり、政治の手先になるおそれから逃れようとしているといいます。

力ではなく弱さが、労働組合を攻撃的にしています。

労働組合が、その使命と社会的役割と正当性について確信をもっていたときは、経営の一部を分担するという考えを拒絶していました。

明確な目的をもった存在であったがゆえに、その目的と違うことをすると、労働組合の力を弱めてしまうことを知っていました。

企業における共同決定への参画

一般的に労働組合が強いとされている国では、法律によって経営組織の共同決定に参画しようとしています。

ドラッカーによれば、これは、衰退するブルーカラーの力を温存し、知識労働者に対抗していくための最後の絶望的な試みであるといいます。

ただし、共同決定参画への要求は、別の面では、ブルーカラーでさえ知識や情報や教育の面で高度になっているにもかかわらず、相応しい責任を与えられていないことへの是正要求であるといいます。

経営者がこの機会を利用できなかったことの報いです。

しかし、共同決定への参画は、この場合の正しい答えにはなりません。なぜなら、従業員の責任に関わる意思決定は、取締役会レベルの意思決定ではなく、現場レベルの意思決定だからです。

そもそも、共同決定に参画しようとする従業員代表は組合官僚であり、その会社に直接の利害関係がなく、知識もありませんから、その要求は責任ではなく権力欲でしかありません。

その企業の経営は弱体化し、従業員にも害が生じます。

生産性向上への支援

組織は今後も社会において重要な役割を果たしていくことが予想されますから、社会のためにも、組織は経営されなければなりません。

労働組合は、元々経営に対する反応としての存在であり、それ自体が必要不可欠のものではありません。社会が必要であると認め、支持しない限り、労働組合は無力です。

企業の持ち主が従業員であり、従業員には知識に見合った責任がなければならないことを、実際の組織制度として組み込むことができるならば、労働組合の社会的機能は取るに足りないものとなります。

利益の大半が賃金に分配されている状況において、一層賃金を得ようとするならば、それは交渉によるのではなく、生産性の向上によるものとなります。

交渉はパイの取り合いですが、生産性の向上はパイ自体を大きくします。

パイの大半は従業員に配分される状況にあるわけですから、交渉など必要ありません。パイが大きくなれば、従業員の取り分は自ずと大きくなるだけのことです。

しかも、生産性の向上は、従業員な自己目標管理と経営者のサポートによって実現します。労働組合がそこに関与するとすれば、交渉ではなく、やはりサポートでなければなりません。

このような現実を受け入れないからこそ、労働組合は法律によって権力機構の支配権を握ろうとし、そうしないと急速に力を失っていくことになってしまいます。それは理性的ではない、絶望的な戦いです。