目標管理制度は時代遅れなのか?

目標管理制度を導入している企業は多いでしょうが、うまく行っているところはそれほど多くないようです。

目標管理制度の基になっているのは、ドラッカーが提唱した「自己目標管理(management by objectives and self-control)」です。ドラッカーのマネジメント理論を支える経営哲学に位置づけられており、顧客にとっての成果に向けて多様な人材で構成された組織を機能させるための根幹に関わるものです。

(参考:自己目標管理

単なる人事手法ではありませんから、人事管理の一制度として導入するだけでうまく行くことはありません。背景となる考え方の理解と浸透が不可欠です。それは、組織のメンバーの意識と行動を常に成果に向けさせるための行動原理であり、ドラッカーは「成果中心の精神」(The spirit of performance)と呼んでいます。

(参考:成果中心の精神「目標管理がうまく行かない理由」

ところが、現在日本企業が置かれている状況では、もはや目標管理はそぐわなくなっているという指摘があります。ドラッカーが自己目標管理を必要と考えたときの状況とは、前提が変わってしまっているというのが理由です。

しかし、現実は違います。ドラッカーの自己目標管理を正しく理解していない意見だと思います。基本と原則に戻れば、現在の状況において、目標管理はますます重要であることが分かるでしょう。

ドラッカーが自己目標管理を必要と考えた理由

組織は多様な人材の貢献で成り立っていますが、それらの貢献はすべて共通の目標に向けられなければなりません。

マネジメントに要求されることは、組織の成果に責任をもつことです。組織全体の目標が自らに要求することを理解し、部下に対して期待することも明確にしておかなければなりません。

ところが、組織には、人を間違った方向へもっていく大きな要因が4つあると、ドラッカーは指摘しました。

専門化

組織は多様な専門分野の仕事で成り立っています。各自が専門分野に別れて努力することで、組織の専門能力が高まっていきます。

一人ひとりは特定の専門分野に専心するため、本来手段であるはずの専門分野の仕事が目的化してしまいがちです。セクト主義が生まれ、組織全体の成果への関心が薄れてしまいます。

上司と部下

上司と部下の関係は、組織において避けられない関係です。両者には、意思決定権に伴う一定の権力関係が生じるため、階級意識のような断絶関係をつくってしまいます。

部下は上司の立場や責任の重さを理解できず、上司の些細な言動さえ間違って受け取ることがあります。上司もまた部下の立場から離れ、部下が何を期待し、何を困っているのかを理解できなくなってしまいます。

階層

上司と部下の関係にもつながりますが、階層の違いは、仕事と関心の違いを生みます。その結果、コミュニケーションが成立しづらくなり、いつしかコミュニケーション自体が減少してしまうこともあります。

報酬

報酬は、定量的で客観的な金額という形で、個人への評価を如実に表します。

人に対する評価は様々な観点を含み、すべてを報酬に反映させることは困難です。ましてや、すべての人たちの主観的な自己評価や他者評価に合致した報酬システムをつくることは不可能です。

ところが、金額という指標があまりに如実であるため、正義、公正、平等などの様々な感情を刺激し、不満を起こす原因となります。

自己目標管理の基本

これら4つの阻害要因による影響を防ぐため、ドラッカーは、マネジメントのための自己目標管理を提案しました。満たすべきポイントは次のとおりですが、自己目標管理が必要なのは、原則、部下をもつマネジメント(マネジャー)です。

  1. すべてのマネジメントは明確な目標をもたなければならない。
  2. 目標は、組織全体の目標(上位目標)から引き出したものであり、組織全体の目標への貢献を明らかにしなければならない。
  3. 目標は、①自分が率いる部門があげるべき成果、②他部門の目標達成への貢献、③他部門から受けたい貢献を明らかにしなければならない。
  4. 目標は、短期的視点と長期的視点の両方から決定されなければならない。
  5. 目標は、①利益につながる定量的目標、②人を育て、生かす目標、③社会的責任に関わる目標を含まなければならない。
  6. 自分の目標は自分の責任で設定するが、上位マネジメントは下位マネジメントの目標を否認する権限をもつ。
  7. 各マネジメントは、自分が所属する部門の目標(上位目標)の設定に参画する責任がある。
  8. 目標は、自分の仕事ぶりと成果を自己評価できるものであり、そのための明確な情報が早く直接得られるものでなければならない。

(参考:「自己目標管理」

目標管理が現在の状況にそぐわないとされる理由

「目標管理は、現在の日本企業が置かれている状況にそぐわなくなっている」と指摘する意見では、ドラッカーの自己目標管理を次のようにとらえています。

  • ドラッカーが捉えていた企業組織は、ピラミッド型組織であったと考えられる。
  • そこでの人材は、機能的な専門家である。
  • 専門家を放っておくと組織がバラバラになってしまうので、組織の目標を統合するために、目標の管理を通じて、方向を一致させなければならない。
  • 目標管理の理念は、①目標設定への参画、②自己統制である。

このような目標管理が必要な理由として、ドラッカーは次のように考えたであろうと指摘します。

  • 組織において構成員は抑圧され、したいことを我慢して組織のために働いているので、組織の目標に参画させることによって、モチベーションのアップを図る必要がある。
  • 抑圧された(指示命令を受ける)組織構成員は自分で意思決定できないため、指示命令から解放し、自己統制(自己管理)することによってモチベーションのアップを図ることができる。

以上の前提のいくつかについて、現在では、次のように変化してしまっていると指摘します。

  1. 情報ツールの発達やリーダーのビジョン提示の重視によって、組織のフラット化が機能している。目標の縦の連鎖を強調するより、変化する現場への対応とそこから生まれる具体的な目標づくりの方が重要である。
  2. 最近の組織構成員は、拘束されているというより、元々自律的に振る舞っている。自由にやることを奨励され、結果(のみ)を求めるやり方に変わってきている。
  3. 組織の成長(業績数字の達成)と個人の成長(キャリア、収入、人生の目的)とが一致しない時代であり、組織目標へのコミットが薄くならざるを得ない。組織の目標ではなく、組織への所属自体に共感、理念や人的なつながりに共感している。
  4. 最近の人材育成のポイントの一つは、共に学ぶということである。チームへのコミットや貢献、つまり、チームとして目標を達成し、自分も成長したと言える成長実感を感じられるほうがモチベーションにつながる。

目標管理が現在の状況にそぐわない理由が、以上の4つにまとめられるわけです。以下、この4つを「そぐわない理由」と言うことにして、深く考察してみたいと思います。

目標管理はますます重要である

上記4つの「そぐわない理由」について筆者の大まかな見解を述べます。まず、そこに述べられている状況変化が起こっているということに関しては、実感として同意できると考えています。ただし、「だから目標管理がそぐわなくなっている」という見解には同意できません。

ドラッカーが指摘している基本と原則に戻って考えてみると、これらの状況変化があるからこそ、「目標管理はますます必要である」というのが、筆者の見解です。

目標管理が必要なのはマネジメントであって全従業員ではない

そぐわない理由に一貫してあると思われる考え方は、チーム目標は必要だとしても、「個人目標はもはや必要ない」という点です。ここに、目標管理に関する誤解の一つがあると思います。

ドラッカーは、『マネジメント』の中で、次のように言っています。

マネジメントたる者は、上は社長から下は職長や事務主任にいたるまで明確な目標をもつ必要がある。目標がなければ混乱する。

目標は、自らの率いる部門があげるべき成果を明らかにするものである必要がある。

ドラッカーが目標管理を想定しているのは、部下をもつマネジメント(すなわちマネジャー)であることが分かります。「全従業員が目標をもて」とは言っていません。

しかも、その目標は「自らの率いる部門があげるべき成果を明らかにするもの」であって、マネジメントの個人目標でもありません。

そぐわない理由の4番目に「チームへのコミットや貢献、つまり、チームとして目標を達成し、自分も成長したと言える成長実感を感じられる方がモチベーションにつながる。」とありますが、ドラッカーは、『現代の経営』の中で、次のように言っています。

最初の段階から、チームワークとチームの成果を重視しなければならない。もちろん、そのような目標は企業全体の目標から導かなければならない。

つまり、ドラッカーが提唱する自己目標管理は、当初から、そぐわない理由の4番目の状況と矛盾していないのです。

どうやら、「目標管理は現在の状況とそぐわない」という意見の背景には、「目標管理は全従業員に適用しなければならない」という誤解がありそうです。

筆者が経験した例でいうと、目標管理を導入している企業で、全員が、自分の目標を名札か何かに印刷してぶら下げていました。目標の内容は個人的なものが多いように感じ、組織の成果とのつながりがよく分かりませんでした。はっきり言えば、どうでもよい目標が結構ありました。

そういう場合、「まずは目標を立てる習慣をつけることが大事だから」という答えが返ってくることがあります。もっともな意見のように聞こえますが、問題があります。手段が目的になっている典型例だからです。

習慣づけにこだわると、簡単な目標やどうでもよい目標を設定することに慣れてしまい、組織全体の成果に貢献するという意識が育ちません。結果的に、「目標管理は意味がない」という意識につながってしまいます。

習慣づけは大事ですが、意味のあるものでなければなりません。「成果に貢献するとはどういうことか」、「自らの仕事において成果に貢献したと言えるためには、どのような目標が必要か」を考え、意味ある目標を設定できる習慣をつけなければなりません。

権限があるところに目標管理の責任が伴う

何のために目標管理が必要なのかを理解しなければなりません。それを理解せずに、とにかく全員に目標管理を適用しようとすると、無理が生じて全体のレベルダウンにつながります。

まず、目標管理が必要ない人もいることを知る必要があります。

ドラッカーは、『現代の経営』の中で、次のように言っています。

現場もマネジメントの一角というのであれば、これ(筆者駐:「自己目標管理」)こそまさに行うべきことである。マネジメントとは、自らの行動によって全体への責任をとる者、すなわち石を切ることによって教会を建てる者のことである。

ここで石工の喩えを引用しています。マネジメントを語るうえでドラッカーがよく引用する喩えです。同じ仕事をしていても、「何のためにやっているのか」によってその人の立場は変わるというものです。

同じ石工であっても、お金を稼ぐためにやっている人もいれば、自らの技能を誇示するためにやっている人もいますが、「教会を建るため」にやっている人こそ「マネジメント」であると言っています。(参考:自己目標管理

企業の仕事は多くの人たちに分担されて実施されています。これらすべての仕事が統合され、顧客に価値あるものを提供することによって、企業は経済的な対価を得ています。

ですから、分担されているバラバラの仕事が、顧客に向けて全体に統合されることを保証するものが必要です。

その方法は、大きく分けて2つあります。一つは「手段を一定にする」方法であり、もう一つは「結果を一定にする」方法です。

一つめの「手段を一定にする方法」とは、分担すべき仕事を手順や動作に至るまで細部にわたり明確にし、マニュアル化し、そのとおりに実施させる方法です。肉体労働に典型的な方法です。

このような仕事に目標管理は必要ありません。必要な管理は、決められた作業のとおりに、決められた量をこなすよう監督することです。

ところが、現場で決められた作業を決められたとおりにやれば済むような状況は、それほど多くありません。現場での臨機応変な対応が求められることも多くなっています。

単純労働が多いと思われがちな製造現場でも、特定の単純作業だけを延々と繰り返す仕事ばかりではありません。フレキシブル化やオートメーション化によって、作業工程は様々な機能がシステム化され、複数の専門知識をもったメンバーがチームで臨機応変に対応しなければならない場合も少なくありません。

ですから、現場での仕事も、臨機応変に対応するために一定の権限を与えられることが必要です。現場の意思と創意工夫と努力によって組織の成果に貢献する責任を引き受けてもらわなければなりません。

一定の権限が与えられている中で、仕事を全体の成果にまとめる方法が、もう一つの「結果を一定にする方法」であり、「目標管理」です。全体目標から引き出された複数の目標を分担することによって、一定の権限を保証しながら、バラバラの仕事が統合されることになるのです。

ちなみに、ドラッカーのマネジメントの定義は「組織の成果に責任をもつ者」です。仕事において一定の権限が与えられるということは、方法において柔軟性が与えられると同時に、目標達成の責任を引き受ける義務が生じます。

そのような権限と責任は、通常、部下をもつマネジメントに与えられるものですが、本来的には、部下がいるかどうかは関係ありません。ドラッカーが理想とするのは、スペシャリストも含めて「誰もがマネジメント」であることだからです。

ですから、全員がマネジメントとしての責任を引き受け、自己目標管理に参加することが、ドラッカーが理想とする姿です。その方がモチベーションが高まるという考えもあるようです。

しかし、この理想を実現するのはとても難しいことです。石工の譬えにもあるように、お金を稼ぐためにやっている人や技能を誇示するためにやっている人に対して、「教会を建るためにやれ」と言ったところで、すんなり受け入れられることはないからです。

だからこそ、自己目標管理の前提には、「成果中心の精神」が根づくことが求められます。(参考:成果中心の精神

成果中心の精神を根づかせることなく全員に自己目標管理を導入しても、うまく行くどころか、全体のレベルが下がります。管理者は部下の自己目標管理に時間を取られて疲弊し、部下との関係が険悪になることさえあります。

給与査定と連動させようものなら、簡単な目標ばかりが乱立し、給与は高止まりして収益を圧迫することにもなります。

目標設定は縦の連鎖が重要なのではなく、成果への連鎖が重要である

そぐわない理由の1番目に「目標の縦の連鎖を強調するより、変化する現場への対応とそこから生まれる具体的な目標づくりの方が重要である。」とあります。

これは、「組織がフラット化し、階層が減っているから、縦の連鎖は必要ない」ということであり、「階層組織を通じて上から下に目標を設定していくと、変化する現場に対応できない」ということでもあるでしょう。そこには、「階層組織は硬直化し、現場と乖離する」という前提があると思います。

ドラッカーが言っているのは、「組織全体の成果から設定される全体目標から各部門の目標が導かれなければならない」ということです。「成果」とつながっていなければならないのであって、縦の連鎖に意味があるわけではありません。

組織の外にいる顧客の中に生まれる満足が組織の成果です。その成果をあげるために、組織全体としての仕事があります。組織の中では、様々な部門に分かれ、多くの仕事に分担されているわけですから、個々に分担された仕事は、組織全体の仕事として統合されなければ、顧客の中に成果を生むことはできません。

その統合の最初の拠り所が、顧客にとっての価値ある成果を生み出す「組織全体の目標」です。そのために必要な情報が現場にあるなら、その現場が組織全体の目標設定に参画しなければなりません。

もし「現場の情報が経営陣に伝わらない」とか「経営陣が現場の声を聞かない」といった問題があるなら、その組織は硬直化しており、成果をあげられる状態ではありません。目標管理が機能することもありませんから、やっても意味はありません。

それは目標管理が時代遅れなのではなく、組織が時代遅れなのです。

組織が柔軟であるために目標管理が必要である

そぐわない理由の1番目は、「目標管理が組織の柔軟性を失わせる」という見解が背景にあることも連想させます。目標管理に対してよく聞かれる意見です。階層組織にしたがって目標が一旦設定されると、容易に変更できなくなるということでしょう。

階層組織が現場から乖離して硬直化しているとすれば、そこで設定された目標はそうなってしまうでしょう。この点は、先ほども述べたとおり、組織のあり方の問題であって、目標管理の問題ではありません。

柔軟性とは、好き勝手に動けることではありませんし、変化に右往左往することでもありません。一つの目標に対して多様な方法を取り得ることです。核となるべきものがあるから、柔軟であることができます。

目標がコロコロ変わらざるを得ないとすれば、その目標自体の根拠が薄弱です。おそらく、期待すべき成果が明らでない証拠です。顧客のニーズを正しく理解していない可能性があります。ニーズ、ウォンツ、需要がリンクしていない可能性もあります。

顧客のニーズは、顧客が人間である限り、不変的です。ニーズに関して重要な点は、変化ではなく、どのニーズが支配的であるか、どのニーズに対応しようとしているのかを明らかにすることです。

ウォンツ(製品やサービス)は変化しますが、それでも日々変わるようなものではありません。もしそれほどコロコロ変わるなら、生産システムや流通システムなどあらゆる経済システムが対応できません。

(参考:「『ニーズ』、『ウォンツ』、『需要』の違い」

もちろん、目標は仮説に基づきますから、実際に動き始めたら、軌道修正が必要になります。ですから、マイルストーンに当たるような中途目標を設定し、そのレベルで調整を図ります。あるいは行動計画のレベルで調整します。

組織全体の目標は、個人の行動を細かく制約するような目標ではないはずですから、そこがコロコロ変わるということは普通ありません。

もちろん、想定されるリスクを加味した目標の選択肢を用意しておくことは重要です。特に新規事業では、予期せぬ出来事が起こりますので、その場合の対応も織り込んでおくべきです。

自由で自律し、結果を出すために目標管理が必要である

そぐわない理由の2番目では、「組織構成員は自律的に振る舞っており、自由にやることを奨励されている」と言っています。また、「結果(のみ)を求めるやり方に変わってきている」とも言っています。

要するに、「結果を出してくれればいいから、自由にやってよい」ということでしょうか。だから、「自律(自分で自分を規律)してやっている」ということでしょうか。

このような状況には、「組織のフラット化」が関係していると思います。

組織論には「統制範囲の原則」(スパン・オブ・コントロール)というものがあります。一人の管理者が直接的に管理できる部下の人数には一定の限界があるというものです。通常、5~7人と言われることが多いように思います。

組織がフラット化すれば、組織全体の人数が減らない限り、一人の管理者が管理する部下の数が増えますから、統制範囲の原則が破られる可能性が出てきます。ですから、管理者が常時直接指揮命令したり、監視したりしなくてもよいように、部下の側に自律性が求められます。

では、上司はどのように管理すればよいのでしょうか。部下に自律的に行動させるのはよいとしても、放ったらかして好き勝手にさせていては、組織として統制が取れません。

言い換えれば、部下は何をもって自律的に行動できるのかということでもあります。

「結果(のみ)を求め、自由な行動を許し、自律的に振る舞っている」とするなら、自分を律する拠り所が必要です。

「結果(のみ)を求める」という場合も、その基準が必要です。何でも結果が出ればよいわけではないからです。よい結果と悪い結果があり、何らかの水準や判定基準があるはずです。

その拠り所であり基準が「目標」です。組織全体の目標に対して事前にコンセンサスを得ており、その目標にリンクして所属部門や自らの目標を設定しているから、それに基づいて自分を律することができ、律する意味もあるのではないでしょうか。

上司が行うべき管理は、部門目標を設定し、役割分担し、部下の目標設定と行動計画策定をサポートし、定期的に報告を受けて進捗を確認し、必要な軌道修正をアドバイスすることです。

常時監視ではなく、要所での管理によって、管理者の統制範囲を広げることができるようになります。

要するに、組織がフラット化すると、なおさら目標管理が重要になるといことです。(参考:情報化組織

達成感や成長感のために目標管理が必要である

そぐわない理由の3番目では、矛盾すると思える内容が含まれています。

一方で「組織の成長と個人の成長とが一致しない」と言いつつ、他方で「組織への所属や人的つながりに共感している」と言っているからです。組織への所属や人的つながりへの共感は、個人の利害よりも共同の利害を優先することを受け入れているように見えます。

また、そぐわない理由の1番目では「リーダーのビジョン提示の重視」と言い、3番目では組織の「理念」に共感していると言っています。ビジョンや理念は、組織の目的や使命に関わり、それらを仕事として具体化し、顧客に価値を提供して経済的業績をあげることが組織の成果であるわけです。

つまり、ビジョンを重視し、理念に共感しながら、組織の成長と個人の成長とが一致しないという点にも矛盾が感じられます。

考えられる一つの理由は、理念やビジョンが机上の空論になっていて、企業が実際にやっていることは実態と違うということです。目標が、理念やビジョンとリンクしていないということですから、むしろ適切な目標管理が必要です。

組織の理念やビジョンは大きなものですが、個人の仕事に分担されると小さなものになります。ですから、自分の役割が埋没してしまうように感じてしまうことはあります。

その場合、そぐわない理由の4番目にあるように、チーム目標という比較的大きく、達成感を感じられる程度の大きさで設定し、チーム全員で取り組むということは意味があるでしょう。

ただし、この場合のチーム目標も、組織全体の目標から導き出されたものでなければなりません。達成感やモチベーションをもたらすものは成果です。顧客に対して価値ある満足を提供できたという実感です。

チーム目標の設定の段階から、メンバー全員の参画が重要です。チーム単独の満足ではなく、顧客の満足という成果を生み出すための組織全体の目標に対して、チームとしてどのような貢献ができるかを考え抜くからこそ、その達成動機が高まります。

もしかすると、理念やビジョンでは良いことを言っていながら、実際には従業員を利潤追求(業績数字の達成)に駆り立てていると感じられているのかもしれません。

経営者の中には、目的が利潤追求であって、その手段(従業員や顧客を動かす手口)として理念やビジョンを使っている人もいます。思考が逆転していますが、それを当たり前だと思っている人もいます。

そういう企業で働いている人たちは、一緒に働いている人たちとのつながりに共感し、一緒に何かを成し遂げることに価値を見出そうとする方向に「逃避」するのかもしれません。

利益は目的を果たした結果として得られるものです。さらに、将来にわたって企業が目的を果たすための手段であり、必要コストです。

(参考:「利益の意味」「『営利企業』という害毒」

もう一つの理由として考えられるのは、具体的な仕事の内容がメンバーの成長につながっていないということです。

その原因は、適材適所でないため、強みを生かし、育てる配置になっていないことです。さらに、仕事の成果が正しく評価され、能力開発に生かされていないことです。

適材適所や能力開発は、仕事の成果について適切に評価されていることが前提です。強みや弱み、強化すべき能力、補うべき能力、刷新すべき能力などを適切に把握しなければなりません。

そのためにも目標管理が必要です。高い目標を設定しなければなりません。高い目標にチャレンジするからこそ、強みと弱みが明らかになります。何が足りないのかを自覚でき、成長の方向性を見出せます。適所を知る手がかりにもなります。(参考:自己目標管理

多様な価値観を一つの目的にまとめるために目標管理が必要である

そぐわない理由の3番目にある「組織の成長(業績数字の達成)と個人の成長(キャリア、収入、人生の目的)とが一致しない時代」というのは、価値観が多様化している時代ということも意味しているのかもしれません。

しかし、ドラッカーは、このことをかなり前から指摘しています。つまり、価値観が多様化していることを踏まえたうえで、自己目標管理を提唱しているということなのです。

価値観の多様化に関しては、①知識労働者の増加、②グローバル経済の進展、③多元的な組織社会の出現といった文脈で語っていると思います。

①知識労働者というのは、報酬によって動機づけられる存在ではなく、やりがい、働きがい、自己実現などによって動機づけなければなりません。知識労働者の価値観を無視して働かせることは不可能であるということです。(参考:「知識労働者の生産性向上」「『やりがい』と『働きがい』」

②グローバル経済において活躍するグローバル企業は、さまざまな国で活動する多国籍企業というだけの存在ではなく、各種機能がグローバルに最適化された企業です。ですから、グローバル企業のマネジメントは、国ごとにマネジメントすればすむわけではありません。多様な異文化が入り乱れたなかで、全体最適化を図り、共通の目的に統合しなければならないのです。

③多元的な組織社会では、あらゆる組織が社会の人びとの生活の質に責任をもたなければなりません。企業も、社会の基本的な価値・信条・目的の実現に継続的に取り組まなければならないのです。つまり、企業はやりたいことだけをやればよいのではなく、社会が抱えるさまざまな生活上のニーズや課題に広く対応していくという社会的責任を、本業そのものとして取り組まなければならなくなっているということです。

このような背景は、ドラッカーが何十年も前から提示しており、それに対してマネジメントがいかなる役割を果たすべきかを考え続けてきました。その結果が、マネジメントの3つの役割に結実しています。

  1. 自らの組織に特有の目的と使命を果たす。
  2. 仕事を生産的なものとし、働く人たちに成果をあげさせる。
  3. 自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会的な貢献を行う。

企業の場合で言うと、1.については、自社に特有の財・サービスを販売することです。2.については、知識労働者の価値観に対応した自己実現を支援することによる動機づけです。3.に関しては、社会的責任(社会問題への対応)を果たすことです。

この3つの役割は「異質ではあるが同じように重要である」と言っています。優先順位はありません。因果関係もありません。どれかを軽視すれば、必ず組織に害をなします。これは非常に画期的な考え方です。

なぜなら、企業にとっては、1.の役割が本業であって、2.や3.は、1.の役割に奉仕する限りにおいて副次的に果たすべき役割と考えるのが自然だったからです。

これら3つの役割について、同等にバランスをとりながら、組織の働きを統合するために必要な基本的な姿勢が「成果中心の精神」であり、その基で機能すべきマネジメントの「哲学」として、ドラッカーは「自己目標管理」によるマネジメントを位置づけました。

自由で自律した人間が、目標設定に主体的に参画し、自らの強みを組織の成果にむすびつけるよう方向づけ、その達成にコミットすることで責任を引き受けます。

そこには、リーダーシップ、コミュニケーション、チームワーク、意思決定、配置、教育、昇進など、一人ひとりの仕事を全体の成果にむすびつけるための様々な方法論が関わります。

企業の社会的責任や働き方改革などの問題は、後からいろいろと出てきたように見えますが、ドラッカーは、それらの背景にあることをすべて「すでに起こった未来」として洞察したうえで、マネジメントの体系をつくり上げています。

「役に立たない」と言う前に、基本と原則に立ち返る

自己目標管理は単なる手法ではなく、基本となる考え方であり姿勢です。誰かが、その基本的考え方を具体的な手法に翻訳して始めたものが、いつの間にか原則としてとらえられるようになり(手段の目的化)、本来の考え方にしっかり立ち戻ることなく捨て去られてしまうことがあります。

そうして、「目標管理とは違う革新的な手法」という触れ込みで、本質的には何も変わらない新手が表れ、ことさら「目標管理とここが違う」ということを喧伝しようとします。

そうやって新たな亜流が次々と現れ、次々と乗り換えられ、「役に立たない」と言っては捨て去られます。

そんな時間の無駄は止めて、基本と原則に立ち戻りましょう。

繰り返しになりますが、目標管理は単なる手法ではありませんから、前提としての「成果中心の精神」が浸透していることが重要であることを忘れないようにしましょう。

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