この記事では、ロバート・B・ライシュが1991年に出版した『THE WORK OF NATIONS』(邦訳 ダイヤモンド社刊)を紹介します。
ライシュは、出版当時、ハーバード大学の政治経済学で教鞭をとっており、いわゆるリベラル派に属する論客です。民主党の有力な政策アドバイザーとしても知られています。
ライシュは、21世紀を展望したときに、国籍が意味を持つような製品や技術はなくなっており、企業や産業も国家の枠を超えているだろう、少なくとも従来の意味での国家経済あるいは国民経済は存在しないだろうと予測しました。
しかし、国家を構成する国民は、まだ国境を越えて移動するのは必ずしも容易ではありません。そうなると、国家にとって真に重要な資産となるのは、国民一人ひとりの技能と洞察力です。
そのような時代に、国家が担う最も重要な政治課題は、グローバル経済が持つ遠心力にどう対処するかです。
遠心力とは、優れた技能と卓越した洞察力を有する人々にかつてないほどの富が授けられる一方、そうでない人々の生活水準は低下するに任されることによって、国民の結束を引き裂こうとする強烈な力のことです。
グローバル経済においては、一つの国内において、競争的な立場の異なる職業に対応した、3つの大まかな職種区分が生まれつつあると、ライシュは言いました。その3つとは、「ルーティン生産サービス」、「対人サービス」、「シンボル分析的サービス」です。
このうち、3番めの職種に従事する人を「シンボリック・アナリスト」と呼びました。グローバル経済の主役であり、データ、言語、音声、映像表現といったシンボルを駆使して、問題解決、問題発見、戦略的媒介を行う人です。
ライシュは、グローバル経済においてはシンボリック・アナリストに経済的な富が集中するため、一国内に所得格差が拡がり、社会問題化することを指摘しています。これが遠心力に相当するものであり、国家はこの問題に対処しなければなりません。
「われわれ」をどう定義するか
経済に関わるかつての議論では、われわれは国家経済と呼ばれる同じ大きな船に乗り合わせているという仮定に立っていました。この船は、ごく少数の国民によって舵取りされていると考えられていました。
国家の経済成長が国民の利益になるとみなされ、国家が経済的な成功を達成するかどうかは、国家の資源をいかに効率的に開発し、利用するかにかかっていると考えられていました。
しかし、ライシュは、このような考え方は根本的に間違っていると言います。
過去のイメージを忘れ去ろう
アメリカで外国人による製造業資産の所有率が高まる一方、アメリカ企業による海外投資も増加しました。
輸送費と通信費は安くなり、ほとんどの先進工業国における資本や貿易の規制は取り除かれていきましたので、資金、技術、情報、製品は、前例のない速さと容易さで国境を超えていきました。
企業は、標準化された商品を生産することからは大きな収益をあげることができなくなり、特定の顧客層が持つ個性的なニーズを満たすように変わっていきました。こうして今日まで生き残った企業は、大量生産から高付加価値生産へと移行しました。
高付加価値事業には、それを推進する3つの技能を見い出すことができます。
第一は、物事を独自な方法で組み立てることが要求される問題解決の技能です(問題解決者)。第二は、顧客が自らのニーズを理解するのを助け、ニーズに合致した商品を供給するために、どのように製品の仕様を変更すればよいのかを決定できる技能です(問題発見者)。第三は、問題解決者と問題発見者を結びつけるために必要とされる技能です(戦略的媒介者)。
企業が大量生産から高付加価値生産に移行するにつれて、アメリカ社会全体の所得分配の不平等が拡大していきました。企業経営者と工場労働者の間、大学卒業者と高校卒業・中退者の間で、所得格差が開いていきました。その背景には、上記3つの技能の有無が関係しています。
所得格差は、国内での居住地の選択に関係するので、相対的に豊かな市や州がさらに豊かになり、相対的に貧しい町や州との格差が徐々に広がっていきました。
国民は、もはや同じ経済の船に乗り合わせているとは言えなくなってしまいました。
アメリカ人の運命はどうなるか
ほとんどすべての生産要素(資金、技術、工場、設備)が国境を超えて容易に移動するなら、その国の企業、その国の資本、その国の製品、その国の技術という考え方も無意味になってきます。
その中で、国際間を移動し難い唯一の要素は、「われわれ」国民です。その国の労働者、その国の国民という視点は、今後も意味があります。
グローバル経済においては、競争的な立場の異なる職業に対応した、3つの大まかな職種区分が生まれつつあります。「ルーティン生産サービス」、「対人サービス」、「シンボリック・アナリティック(シンボル分析的)・サービス」です。
「ルーティン生産サービス」とは、繰り返しの単純作業職種で、主として大量生産企業でのブルー・カラーの仕事です。
「対人サービス」は、人間に対して直接的に供給される仕事であり、重荷単純な繰り返し作業です。給与は労働時間や仕事量によって決まります。監督者によって常時監視されており(同じく監督者も上から監視されています。)、教育もそれほど必要としません。
「シンボル分析的サービス」は、データ、言語、音声、そして映像表現といったシンボルを操作することによって、問題点を発見し、解決し、あるいは媒介する仕事です。この仕事に従事する人を「シンボリック・アナリスト」と呼びます。
グローバル経済における国家の社会的問題は、これらの職種間で経済格差が生じることです。シンボリック・アナリストがグローバル経済の主役であり、ここに富が集中することによって対立が生じます。
そうなると、国家が直面している本当の経済的課題は、国民の技能と能力を高め、その技能と能力が世界市場にうまく結びつく方法を生み出すことによって、グローバル経済に付加することのできる潜在的な価値を増大させることです。それが国民の豊かさに直結します。
これは、国家の競争力の強化という課題とは違います。自国企業を優先して保護したり助成したり、あるいは支援する理由はもはや消滅しています。
その国の将来にとって問題になるのは、経済よりも社会の方です。グローバルな競争に負けている大多数の国民の運命が、国家における主な関心事です。
その解決は、その国の社会が、とりわけ最も先進的で成功した人々の犠牲を払ってでも、大多数の国民に失われた生きがいを取り戻させ、新しいグローバル経済で活躍させるということに関心を持つかどうかにかかっていると、ライシュは言います。
具体的には、シンボリック・アナリストが国民としての「われわれ」の意識に目覚め、他の職種の人々がシンボリック・アナリストとしての技能を身につけることに協力することによって、国民全体の技能を高めていこうとすることが必要です。国家は、この方向を促進するために、必要な社会的資本整備に長期的に取り組むことが求められます。