公共投資の衰退 − 「シンボリック・アナリスト」とは何か?⑰

アメリカのシンボリック・アナリストは、他のアメリカ国民から離脱しつつあります。このグループのアメリカ人は、他のアメリカ人の経済的成果に依存することはもはやないからです。

シンボリック・アナリストは企業のグローバル・ウェブに結びついており、そうした企業に直接、付加価値をもたらしています。

したがって、シンボリック・アナリストの付加価値が国内に十分還元されることが少なくなっており、また、その高額な収入にもかからず、税負担が減少している点からも、国家への貢献が減少しています。

それにもかかわらず、公共投資はシンボリック・アナリストの生活や仕事を有利にする方向に行われつつあり、その他の国民はますます取り残されつつあります。

急減した連邦政府の教育投資

離脱の形態の一つは、シンボリック・アナリストの税負担の減少と低所得層の税負担の増大です。

これに加えて、人口の大半を占める恵まれない人々の技能向上によって生産力を増し、彼ら自身とその生産物を売り込むためのプログラムから、政府資金が撤退しつつあることです。

この2つの現象は関連し合っています。貧しい人々は、公的プログラムによって長期的には収入が改善されますが、そのプログラムを維持するために税金を多く払う余裕がないからです。

社会資本を考えてみると、アメリカのシンボリック・アナリストの多くは、彼ら専用の通信システムを通じて自分の思想を伝達し、移動は専用飛行機を使います。

他のほとんどの労働者は、自分の経済的価値を増すために、主に公共のハイウェイや橋、港、列車、バス、地下鉄に頼っています。アメリカでは、こうした施設や設備の維持と改善のための支出は減ってきています。

近年の連邦支出の大半は、ダウンタウンのコンベンション・センター、オフィス街、研究所など、シンボリック・アナリストが主に利用する施設に向けられています。

初等・中等教育への支出も同じようなパターンを見せています。政治家や企業家の多く、それに平均的市民は、公共教育の危機と公的支出の不足とは無関係だと言いたがります。

彼らの議論の前提の一つ、すなわち大規模な公的支出をしなくても、アメリカの学校を良くする手段はたくさんあるという主張は確かに間違っていません。

何をどのように教えるかを、役所にではなく、教師や親に任せるのも一つの方法です。子供を行かせる学校を親に選ばせるのも良い考えです。しかし、こうした改革で十分だと主張するのは不正直です。

クラスの人数を減らし、優秀な教師を集めるだけで、お金がもっと必要です。

裕福な州や学区では一人当たりの教育支出は増えているにもかかわらず、すでに手に負えないほどの社会的難問を抱えている貧しい州や学区の多くは、最低限の公教育の資金補助さえできない状態にあります。

シンボリック・アナリストの子供を対象とした無料の保育制度は、法律会社や経営コンサルタント会社、投資銀行などが提供するのが当たり前になっていますが、貧しい子供たちのための就学前教育のための公的支出は縮小しています。

政府の支出削減のため、多くの有能なアメリカの若者が、大学教育を受けるための唯一の希望だった連邦政府の奨学金を受けられなくなっています。教育費の高騰が大学離れを促進しています。

一方、労働者の職業訓練・再教育のための公的支出も減りました。費用を負担すれば税控除となる企業の行う職業訓練では、この減少分を埋められません。

企業は社員訓練に多額の支出をしていると主張しますが、その大部分はエグゼクティブ・トレーニングに使われています。すなわち、一番訓練を必要としない者に訓練が提供されているのです。

財政的余裕がないとは奇妙な主張

社会資本や教育訓練に資金を投じない理由として、政府は余裕がないと言います。しかし、防衛費の使途を考えると、国民全体の生産性向上に金を出す余裕がないという主張は奇妙です。

全体の五分の一を占めるシンボリック・アナリストが、残り五分の四の総所得を超える報酬を手にしています。しかも、その所得は増加傾向にあります。

金持ちの投資家に対する連邦税の引き下げ理由は、投資意欲の促進です。利益追求を旨とする、決定的に利己的な個人がアメリカ経済を前進させるという前提です。

  • 「離脱」をめぐる政治学