チーム学習 − 「学習する組織」とは何か?⑦

この記事では、ピーター・M・センゲの著書『学習する組織』(英治出版)に基づいて、学習する組織を構築するために必要な5つのディシプリンの一つ、「チーム学習」について紹介します。

ほとんどのチームでは、メンバーの足並みが揃っていないので、個々のメンバーの持つエネルギーの作用が食い違い、エネルギーを無駄にしています。

チームの足並みが揃うようになれば、共通の方向性が生まれ、一人ひとりのエネルギーが調和します。共通目的と共有ビジョンがあり、互いの努力を補う方法を理解しているからです。

このような状態のチームは、人の集団が全体として機能する場合の「合致(アラインメント)」を示しています。「合致」では、個を力づけることがチーム全体を力づけるための必要条件です。

「合致」の度合いが低い場合に個を力づけると、混乱が悪化し、チームのマネジメントが一層困難になってしまいます。

チーム学習とは、メンバーが心から望む結果を出せるようにチームの能力を揃え、伸ばしていくプロセスです。チーム学習は共有ビジョンを築くディシプリンの上に成り立ちます。

有能なチームは有能な個人の集まりなので、自己マスタリーの上に成り立つものでもあります。

チームに眠る知恵

「チーム」とは、行動するのに互いを必要とする人達の集まりであり、組織における主要な学習単位です。今日では、組織の重要な決定のほとんどはチームで下されています。

チームが学習すれば、組織全体の学習の縮図になります。チームが得た洞察は行動に移されます。チームで開発されたスキルは、他の個人やチームに展開することが可能です。

チームが成果をあげることで、より大きな組織のために協力して学ぶための方向づけと基準が確立されます。

チーム学習には、3つの不可欠な側面があります。

第一に、複雑な問題を深い洞察力で考える必要があります。一人で考えるよりもチームで考えることで、より知性を高め、潜在能力を引き出す方法を学ぶことができます。

第二に、革新的に、協調して行動する必要があります。各メンバーが、自発的でありながら協調的に行動することができるよう、他のメンバーをいつも意識し、互いの行動を補うように行動すると当てにできる「実践上の信頼」を築くことが必要です。

第三に、チームのメンバーが他のチームに対して果たす役割があります。学習するチームは、チーム学習の実践とスキルを、他のチームのメンバーにも繰り返し教えることによって、他の学習するチームを育てていきます。

チーム学習のディシプリン

チーム学習のディシプリンでは、チーム対話の2つの異なる方法、「ダイアログ」と「ディスカッション」を習得する必要があります。

両者は潜在的に補完し合う関係にありますが、ほとんどのチームには、両者の違いを見分け、意識して使い分ける能力が欠けています。

「ダイアログ」では、複雑で微妙な問題を自由かつ創造的に探求し、互いの話にじっくり耳を傾け、自分の考えを保留します。

「ディスカッション」では、様々な考えを発信したり、弁護したりして、そのときに下さなければならない決定の裏づけとなる最善の考えを追求します。

チーム学習には、仕事をするチームの生産的なダイアログやディスカッションを妨害する強い力に対して、創造的に対処する方法を学ぶことも含まれます。

その最たるものは「習慣的な防御行動」です。これは、恐れや困惑から自分や他者を守ろうとする行動ですが、学習も妨げてしまいます。例えば、意見が衝突すると、相違点を丸く収めるか、無制限の勝者総取り的な自由討論の中で遠慮なく意見を言うかのどちらかです。

探求と振り返りのスキルは、このエネルギーを解放する手始めであり、そうすればダイアログやディスカッションにおいてこのエネルギーに焦点が当てられます。

チーム学習のディシプリンには練習が必要です。チーム学習のプロセスは、練習と本番の絶え間ない繰り返しであり、練習、本番、また練習、また本番と続きます。

ダイアログとディスカッション

協力して学ぶことには大きな可能性があります。集団になれば、個人的にできる以上に洞察力が深まり、知性が高まることがあるのです。

現代物理学者のデヴィッド・ボームは、「ダイアログ」の理論と方法を発展させるのに尽力しました。ダイアログは、古代ギリシャで尊ばれ、原始社会の多くで実践されてきました。対話そのものが「命ある生き物」になったかのうように、想像もしていなかった方向に連れて行かれる経験です。

ボームの貢献は、思考を集団的な現象として捉えることにあります。思考を、相互に作用し合ったり対話したりするやり方から生じるシステム的な現象として捉えるのです。

対話には、ダイアログとディスカッションという2つの基本タイプがあります。

「ディスカッション」の目的は通常勝つことであり、自分の考えをその集団に認めさせることです。ですから、一貫性と真実を最優先にすることとは両立しません。

「ダイアログ」の本来の意味は、「2つの岸の間を流れる川のように、意味が間を通り、移動していくこと」であり、「人と人の間の自由な意味の流れ」です。個人的にはアクセスできない、より大きな「共通の意味の集積」に集団でアクセスすることによって「全体が部分をまとめる」といいます。

ダイアログでは、個人は自分の前提(憶測による思い込み)を留保しますが、その前提を自由に話し合います。その結果、参加者の経験と思考の一番深い部分までを表面化させつつ、個々の考えを超えて先に進むことのできる自由な探求になります。

ダイアログの目的は、互いに助け合いながら、私達の思考にある非一貫性を明らかにし、それを安心して認められるようにすることです。思考というのは、現実を客観的に追跡しているようでありながら、憶測による思い込みで勝手に物語を作り出していくところがあるからです。

自分自身の思考の観察者になり、自分自身と自分の思考とを切り離して考えられるようになることで、自分の思考に対して、より創造的で、より受け身でない姿勢を取ることができるようになります。

また、継続的なプロセスとしての「思考」と、そのプロセスの結果である「意見」とを区別して、その違いを観察し始め、集団的思考はますます一貫性のあるものになっていきます。

ボームによれば、ダイアログに必要な3つの基本条件があります。全参加者が自分の前提を保留する(みんなの前に吊り下げる)こと、全参加者が互いを仲間だと考えること、ダイアログの文脈を保持するファシリテーターがいることです。

これらの条件が揃えば、流れに逆らう抵抗を減らすことによって、自由な意味の流れが集団を通り抜けていきやすくなります。

誰かが自分の立場を譲らず、「それはこういうものだ」と決めつけてしまうと、ダイアログの流れはせき止められてしまいます。ですから、前提を保留し、自分で自分の前提を自覚しつつ、参加者がいつでも質問したり、観察したりできるようにしておくことが重要です。

ディスカッションは、ダイアログと対になるものとして必要不可欠です。ディスカッションでは、様々な意見が提示され、弁護されるので、全体状況の分析として役に立ちます。

ダイアログでも様々な意見が提示されますが、それは新しい見方を発見するための手段としてです。ダイアログでは、合意を目指すのではなく、複雑な問題をより深く理解することを目指します。

ダイアログでは複雑な問題が探求されますが、ディスカッションでは決定が下されます。チームが合意に達したり、決定を下したりしなければならないときは、ディスカッションが必要です。

ダイアログとディスカッションは、その間を行ったり来たりします。ダイアログの場を持つことによって、ディスカッションになっても変わらない深い信頼が培われます。自分の意見を持っても、それに束縛されないようになります。

ダイアログを成り立たせるスキルは、「メンタル・モデル」における探求と振り返りのスキルです。実際、ダイアログという安全な環境を通じて、探求と振り返りのスキルが磨かれます。

ダイアログに通じると、2種類の「合意」を見分けることができるようになります。一つは、多様な個人的意見の中に共通項を求める「焦点を絞る」タイプの合意です。もう一つは、一人の人間の視点より大きなイメージを求める「広げる」タイプの合意です。

後者のタイプの合意は、それぞれが持つ視点はどれかが正しくてどれかが間違っているというようなものではなく、より大きな現実に対するそれぞれ独自の見方であり、それらを総合することで、自分だけでは見られなかった大きな何かを見ることができる、という前提に立っています。

「今の現実」に対処する − 対立と習慣的な防御行動

対立がないのが優れたチームではありません。絶えず学習しているチームは、考えの対立があるだけでなく、それが目に見える点が重要です。対立は生産的であり、継続的なダイアログの一部です。

アージリスによると、優れたチームと平凡なチームとの違いは、対立をどう直視し、対立につきものの自己防衛にどう対処するかにあります。

習慣的な防御行動の原因は、自分の見解の背後にある考えをさらけ出し、間違いを指摘されることへの恐怖であるといいます。

また、習慣的な防御行動が自分で自分の存在を覆い隠すといいます。「正直であるべきだ」、「保身は悪だ」といった社会規範があるために、尚更それを認めることが難しくなります。

習慣的な防御行動を緩和するスキルは、振り返りと相互探求のスキルです。自分の前提や推論を明らかにするような方法で探求することによって、その前提や推論が影響を受けやすくなり、他の人にも同様の探求を促すので、習慣的な防御行動が働きにくくなります。

必要なのは、ビジネスの成果という意味でも、どう協力して仕事をしたいかという意味でも、メンバーが本当に望んでいることについてのビジョンに忠実であり、今の現実について真実を語ることに忠実であることです。

真実に忠実であるチームには、自分たちの習慣的な防御行動を表面化させ、認める独特の力があります。そのとき、習慣的な防御行動は、実際にエネルギー源になる可能性があります。

習慣的な防御行動は、学びが停滞している時に信号を発します。自分の前提を振り返っていない、互いの考え方を探求していない、他者に探求を促すようなやり方で自分の考え方をさらけ出していない、などによって自己防御の存在が分かります。

習慣的な防御行動が強いほど、問題もそれだけ重要だということです。その現実を生産的に表に出すことができれば、互いの考え方を観察する窓になります。自己開示や主張とバランスの取れた探求で自己防御に対処する時、チームのメンバーは互いの考え方をもっとよく理解し始めます。

チーム学習とシステム思考

ボームのダイアログに関する研究には、システム思考が貫かれています。実際、ボームの研究全体を貫いているのは、物理学における全体性という視点を進歩させ続けることでした。

ボームからすると、現代思想は、集団的思考の流れにおける「断片化」(物事をバラバラに切り離す考え方の傾向)によって「汚染」されているということです。

学習するチームが習慣的な防御行動に対して取るアプローチもシステム的です。他者の行動という観点で自己防御を見るのではなく、チーム全体が習慣的な防御行動を生み出しているものと認識して、それを生み出し、維持することに自分が果している役割を見い出すことにあります。

チームが基本的なシステム原型を習得するにつれて、チームの会話では、自然と問題の根底にある構造やレバレッジが中心になっていき、危機や短期的な解決策にとらわれることがなくなっていきます。

複雑で対立する恐れのある経営管理の問題に関する話し合いでシステム原型を使うと、その話し合いは確実に客観化されます。人格やリーダーシップのスタイルについてではなく、作用しているシステムの力(構造)について話し合われるようになります。