自己マスタリー − 「学習する組織」とは何か?④

この記事では、ピーター・M・センゲの著書『学習する組織』(英治出版)に基づいて、学習する組織を構築するために必要な5つのディシプリンの一つ、「自己マスタリー」について紹介します。

個人が学習することによってのみ組織は学習します。学習する組織の精神は、個人のたゆまぬ学びの探求から生まれます。あらゆる階層で自己マスタリーを実践する人がいなければ、学習する組織は成り立ちません。

「マスタリー」とは、人や物を支配することではなく、特殊なレベルの熟達を意味します。「自己マスタリー」は、個人の成長と学習のディシプリンを指す表現です。なお、「ディシプリン」とは、自分の人生に一体化させて取り組む活動のことです。

自己マスタリーは、能力やスキルを土台にし、精神的な成長を求めます。独創的な仕事として自分の人生に取り組み、受身でない創造的な視点で生きることです。人生において自分が本当に求めている結果を生み出す能力を絶えず伸ばしていきます。

行きたい所に行くには、今どこにいるかを知ることが先決です。ビジョン(ありたい姿)と今の現実(現在地)のはっきりしたイメージを対置させたときに「創造的緊張(クリエイティブ・テンション)」が生まれます。

創造的緊張は、ビジョンと現実を結びつける力です。自己マスタリーの本質は、自分の人生においてこの創造的緊張をどう生み出し、どう維持するかを学習することです。

ここで述べている「学習」とは、知識を増やすという意味ではなく、人生で本当に望んでいる結果を出す能力を伸ばすという意味であり、生涯続く「生成的学習」です。

学習する組織には自己マスタリーを実践する人々が必要であるという考え方の背景には、内発的な理由から自分の幸せに全力をあげる立場をとる人々の存在が組織の進化につながるという考え方があります。人の最大限の発達は財務的な成功と同列にあることを、組織は認めなければなりません。

企業が自己マスタリーの奨励に抵抗を示す理由の一つは、自己マスタリーがソフト面の手法であり、直感や個人のビジョンなど、定量化できない概念に基づいていることです。生産性や損益に対する自己マスタリーの貢献を正確に測定することは困難です。

自己マスタリーに冷笑的な態度をとる人々もいますが、管理の行き届いた企業の秩序を脅かすと懸念する人もいます。

確かに、共通のビジョンがなく、ビジネスの現実についてのメンタル・モデルも共有しておらず、ただコントロールのみによって秩序を維持してきたような組織の場合、各々が自己マスタリーを実践しても、組織のストレスを増やし、一貫性や方向性を維持するのを難しくするでしょう。

だからこそ、自己マスタリーのディシプリンは、必ず学習組織の他のディシプリン(共有ビジョンとメンタル・モデル)とセットで考えなければなりません。

自己マスタリーのディシプリン

個人ビジョン

自己マスタリーには、自分が学習し、成長していく方向性としての個人ビジョンが不可欠です。個人ビジョンは内発的なものです。「他人と比べてどうなりたいか」ではなく、その内在する価値ゆえに望むものです。

大抵の大人は、本当の意味でのビジョンを理解していません。ゴールや目標はあっても、内発的なビジョンと呼べるものではありません。

「何が欲しいか」と聞かれると、大半の大人は「何から逃れたいか」を答えます。これは生涯にわたる適応、対処、問題解決の副産物です。

目的あるいは結果ではなく手段に焦点を当てることも、明確なビジョンがないことの証です。自分の中で、その区別がついていません。典型的には「お金持ちになりたい」という答えです。

「目的」という考えから切り離して本当のビジョンを理解することはできません。ここで言う「目的」とは、「なぜ自分は生きているのか」という個人の意義です。

「心から大切にしたいこと」と言い換えることもできます。心から大切に思っていれば、自然と全力を投じます。

ただし、「ビジョン」と「目的」は全く同じではありません。「目的」は方角のようなものであり、全体的な進行方向です。「ビジョン」は具体的な場所であり、望ましい未来像です。

ビジョンと目的は、互いにとって必要不可欠です。ビジョンのない目的には、適切な尺度の意識が抜け落ちています。目的のないビジョンは、それが達成されたら終わりです。人をさらに先へ引っ張り、新しいビジョンを描かせるには、目的が必要です。

自己マスタリーが一つのディシプリンでなければならない理由は、人が心から目指したいもの、すなわちビジョンに絶えず焦点を当てたり、新たに焦点を当て直したりするプロセスだからです。

創造的緊張を維持する

自分のビジョンと現実との乖離は、エネルギー源でもあります。この乖離は「創造的緊張(クリエイティブ・テンション)」と呼ばれます。創造的緊張の原則は、自己マスタリーの中心原則です。

「創造的緊張」は、「緊張」という言葉から、不安、心配、悲しみ、落胆、絶望といったマイナスの感情を連想させます。確かに、創造的緊張がそのような感情をもたらすことはありますが、両者は別のものです。センゲは、後者を「感情的緊張(エモーショナル・テンション)」と呼んで区別します。

「創造的緊張」と「感情的緊張」の区別ができないと、ビジョンを引き下げたくなります。システム原型の一つである「問題のすり替わり」を引き起こす原因にもなります。

今の現実と異なるビジョンを持っていれば、その間の乖離によって必ず「創造的緊張」が働きます。この乖離を解消するためには、現実とビジョンを一致させる必要があります。

現実を変えてビジョンに一致させようとするのは「根本的な解決策」ですが、「遅れ」を伴います。ビジョンを下げて現実に一致させようとするのは「対処療法的な解決策」です。

後者に傾くのは「感情的緊張」に負けるからです。大抵の人は、ビジョンと乖離した今の現実を「敵」と認識し、嫌悪感を抱き、戦わなければならないと考えます。これによって感情的緊張が高まります。敵との戦いに集中するあまり、ビジョンへの関心が削がれるのです。

一度「対処療法的な解決策」によってビジョンを引き下げると、早晩、現実を更にビジョンから引き離すような新しい圧力が生まれ、再び「対処療法的な解決策」(ビジョンの引き下げ)に傾いてしまうでしょう。

創造的緊張を理解すれば、現実をビジョンに近づけようとする変化のエネルギーになります。失敗に対する見方も変わります。「失敗」は単なる不足であり、学びのチャンスです。現実の把握が不正確であること、期待したほどうまくいかなかった戦略、ビジョンの明瞭さについて学ぶチャンスです。

創造的緊張に熟達すれば、粘り強さや忍耐力が身につき、現実に向き合う心構えが根本的に変わります。鋭い洞察力で今の現実を正確に把握することができるので、今の現実は味方になります。ビジョンに忠実であると同時に、現実という真実にも忠実でなければなりません。

「構造的対立」に対処する

ほとんどの人は「自分の望みを叶えることはできない」という支配的な信念を持っています。

私達を目標に向かって引っ張る緊張と、私達を根底にある信条に固定する緊張の両方が作用しているシステムを「構造的対立」と呼びます。

構造的対立の中では、ビジョンを求めようとするとれば、常に成功させまいとするシステムの力が作用することになります。

構造的対立が心の根底にある信条から生まれるものならば、その信条を変えるしかありません。信条は、新しい経験を積み、自己マスタリーが上達するにつれて少しずつ変わるものである一方、力を与えないような信条を持っている限り、自己マスタリーは深まらないという逆説もあります。

まず大事なことは、真実を直視することです。自分を抑えたり騙したりして、ありのままの姿を見ないようにするやり方をきっぱりやめる必要があります。

構造的対立が作用しているときに、その構造的対立およびその結果生じている行動を認識することです。

自分の問題を他の誰か(何か)のせいにしているときは、問題を出来事という観点から見ています。問題は構造が引き起こすものだという見方に戻ることができれば、「自分に何ができるか」に目を向けられるようになります。

作用している構造を一旦認識すれば、構造そのものが「今の現実」の一部になります。真実に忠実になればなるほど、今の現実の正体がもっと見えてくるので、より大きな創造的緊張が働くようになります。

潜在意識を活かす

自己マスタリーの実践に内在するのは、潜在意識です。人は皆、潜在意識によって複雑性に対処しています。

潜在意識は、学習にも決定的な役割を果たします。新しい仕事は、それが何であれ、始めのうちは意識的な注意や努力が数多く必要です。その仕事に必要なスキルを学んでいくにつれて、活動全体がだんだん意識的な注意から潜在意識のコントロールに移行していきます。

私達が何に注意を払うかが潜在意識にとって特別な意味を持ちます。通常の活発に動いている心の状態では、潜在意識には矛盾する考えや感情が洪水のように押し寄せていますが、静かな心の状態で何か特別重要なこと、つまりビジョンの何らかの側面に焦点を合わせると、潜在意識は乱されません。

ポイントは、「プロセス」や望ましい結果を達成するために必要だと考える「手段」に焦点を合わせるのではなく、「望ましい結果そのもの」に焦点を合わせることです。

「プロセス」に焦点を合わせ過ぎると、望ましい結果を達成するのが難しい理由を並べ始めます。これは目標達成の方法を考え抜くには役に立つ反面、求めている結果に焦点を合わせるのを邪魔することになります。

望ましい結果に焦点を合わせるには、まず、そのビジョンが完全に実現するところをイメージします。次に、「実際にこれが実現したら、何が手に入るだろうか」と自問します。その問いの答えが目標の背後にあるもっと深い願望の姿を明らかにします。

潜在意識は鮮明な焦点に敏感に反応します。暫定的な目標とより本質的な目標の区別が曖昧だと、潜在意識は優先順位をつけることも、焦点を合わせることもできません。

潜在意識が最も効果的に働くのは、ビジョンと今の現実に焦点がぴったり合っているときです。ですから、はっきり選択することが重要です。今の現実について自分を欺いてもいけません。

自己マスタリーとシステム思考

システム思考は、自己マスタリーのより一層とらえがたい面、特に理性と直観の統合、私達が世界とつながっていることに絶えず気づいていくこと、思いやり、全体へのコミットメント、を明らかにします。

理性と直観の統合

多数の研究によって、経験豊富なリーダーは、大いに直観に頼っていることが明らかになっています。複雑な問題を理性一辺倒で解決するのではなく、勘に頼り、パターンを認識し、一見共通点のない他の状況を直感的に引用し、それと比較します。

高度な自己マスタリーに達すると、理性と直観を統合しようと意図しなくても、自然にそうなります。自分の自由になる限りの資源を最大限に利用することに専念した結果、そうなるのです。そのカギを握っているのは、システム思考だと思われます。

私達が世界とつながっていることに気づく

個人の成長の無視されている側面は、自分もまた大きなシステムの一部であるという事実です。一見外的な力に思えるものが、実際には自分の行動と相互に関連していることを発見していくことです。

アインシュタインは次のように言いました。人間は、自分自身も自分の考えや感情も、それ以外のものと切り離されたものとして経験します。それは、意識が目の錯覚を起こしているようなものです。この錯覚は私達にとって一種の牢獄であり、私達を個人の願望や、ごく近しい僅かな人への愛情に閉じ込めてしまいます。私達の仕事は、思いやりの環を生きとし生けるものに、美しい森羅万象に広げることによって、自分自身をこの牢獄から解放することにあります。

センゲは、アインシュタインの言う「私達の仕事」に、自己マスタリーの最もとらえがたい側面の一つを見い出します。これはシステム思考から最も直接的に生じるものです。

思いやり

相互関連性に目を向けるというディシプリンは、誰かを責めるという古い姿勢を少しずつ崩していきます。

私達は、誰もが構造の中で身動きがとれなくなっているという見方をし始めます。その構造とは、私達の考え方にも、私達が身を置いている対人関係や社会的環境にも埋め込まれたものです。

互いの落ち度を探そうとする条件反射的な傾向は次第に消えていき、私達皆の行動に作用している力をより深く理解するようになります。

だからといって、人が、その行動を命じるシステムの単なる犠牲者だと言っているのではありません。構造というのは往々にして私達自身がつくり出すものだからです。

自分の行動に作用するシステムがよりよく見えるようになるにつれて、互いに影響を及ぼしている圧力をより明確に理解するようになり、自然とより多くの思いやりや共感を発揮していきます。

全体へのコミットメント

真のコミットメントは、常に自分自身より大きいものを対象にします。高度な自己マスタリーに達した人に特有のつながりや思いやりの感覚があれば、自然と視野の広いビジョンにつながります。

私利私欲を超越したビジョンに打ち込む人は、偏狭な目標を追求しているうちには得られないエネルギーを手にすることに気づきます。このレベルのコミットメントを引き出せる組織もそうなるでしょう。

組織の中で自己マスタリーを育む

個人の成長という道程を踏み出すことは、人それぞれの自由な選択であることを常に肝に命じなければなりません。誰にも自己マスタリーを強制することはできません。

リーダーにできることは、まず、自ら模範となることであり、自分自身の自己マスタリーに本気で取り組むことです。

次に、自己マスタリーの原則が日常生活で実践される環境を整えることです。メンバーが安心してビジョンを描くことができ、真実の探求や真実に忠実であることを当然とし、現状に対して異議を唱えることが期待されるような組織を築くことです。

このような組織では、個人の成長が尊重されているという考えが繰り返し強化され、自己マスタリーを上達させるうえで欠かせないOJTが提供されることになります。

自己マスタリーを上達させる近道となる実践の多くは、学習する組織を築くためのディシプリンに埋め込まれています。ですから、5つのディシプリンすべてを一斉に発達させる取り組みが最も有効です。