この記事では、ピーター・M・センゲの著書『学習する組織』(英治出版)に基づいて、学習する組織を構築するために必要な5つのディシプリンの一つ、「共有ビジョン」について紹介します。
共有ビジョンは組織中のあらゆる人々が思い描くイメージです。組織に浸透した共通性の意識であり、多様な活動に一貫性を与えます。
あるビジョンが真に共有されている状態とは、2人以上が同じようなイメージを抱き、個人的にそのビジョンを誓約するだけでなく、お互いに対して誓約することです。
人々が共有ビジョンを築こうとする理由の一つは、結束して重要な仕事に当たりたい欲求があるからです。
共有ビジョンは「学習する組織」にとって不可欠です。学習の焦点が絞られ、学習のエネルギーが生まれるからです。人々が心から達成したいと思うビジョンにワクワクするからこそ、生成的学習(創造する能力を伸ばすこと)が意味あるものとなります。
組織の「ビジョン」のほとんどは、特定の人間(あるいは集団)のビジョンが押し付けられたものですから、一人ひとりが我がこととして責任を持って取り組むこと(コミットメント)はできません。
共有ビジョンに心から打ち込めるのは、共有ビジョンに自分自身の個人ビジョンが反映されているからです。
共有ビジョンの重要性
組織のビジョンの多くは外発的なものです。競合他社などの外部のものと比較した何かを達成することに主眼を置いています。
敵を打ち負かすことに限定された目標は一時的です。そのビジョンが達成されてしまえば、「手に入れたものを守り、ナンバーワンの地位を失うまい」とする守りの姿勢に転じます。
そのような守勢の目標が、持続的に創造性や興奮を呼び起こすことは滅多にありません。
共有ビジョンは内発的であるからこそ、人々の大志を高揚させ、組織を凡庸さから引き上げる活力を生み出します。
共有ビジョンによって、組織とそのメンバーとの関係は変化します。共通のアイデンティティを生み出し、互いに不信感を持っていた人々が協調して働けるようにする第一歩です。
共有ビジョンは、目的意識や経営上の価値観と並んで、一つの組織における最も基礎的なレベルの共通性です。
心理学者のアブラハム・マズローは、優れた成果をあげるチームを研究し、共有ビジョンと目的がその最も際立った特徴であることを発見しました。自己が任務と強く一体化している状態でした。
共有ビジョンがあると自然に勇気が湧き上がります。ビジョンを追求するために必要とあればひたすら何でもしようと考えます。
共有ビジョンなしに学習する組織は実現できません。人々が心から成し遂げたいと思う目標へと引っ張る力がなければ、現状を支持する力のほうが優勢となります。ビジョンによって高い目標を持てば、新しい考え方や行動様式を持たずにはいられなくなります。
共有ビジョンは、ストレスが生じた時に学習プロセスが針路を保つ舵取り役もします。自分の考え方を人目に晒したり、心の奥深くに抱いている考え方を捨て去ったり、個人と組織の欠点を認識したりすることが容易になります。
共有ビジョンはリスクを厭わない行動や実験を促します。すべては実験ですが、何のためにそれをしているのかがはっきりしています。
長期的な焦点を維持していない組織が将来ひどく苦労するだろうことは容易に想像できるはずですが、実際のところ、長期的なコミットメントと行動への移行が持続する例はほとんど見られません。
その原因は説得力や証拠が不足しているからではありません。長期的な視点を持てないのは、そのように強いられるからです。戦略的計画は長期的思考の砦であるべきですが、ほとんどは受け身で短期的です。明日の機会よりも今日のたくさんの問題を明らかにするものになっています。
長期的な視点が実際に機能するには、長期的なビジョンが働いている必要があります。
共有ビジョンを築くディシプリン
個人ビジョンを奨励する
共有ビジョンは個人ビジョンから生まれます。だからこそエネルギーを発揮し、コミットメントを育みます。
このことは、共有ビジョンが「ある人の個人ビジョン」から生まれ、それが他の人に押し付けられるという意味ではありません。共有ビジョンは、それを共有している「すべての人々の個人ビジョン」から生まれるという意味です。
個人ビジョンには、家族、組織、地域社会、さらには世界にまで関係する側面が含まれています。何かを大切に思う気持ちは、個人の価値観、関心事、大志に根ざしています。共有ビジョンを心から大切に思う気持ちも、個人ビジョンに根ざしている必要があります。
共有ビジョンを築くことに熱心な組織は、個人ビジョンを築くようメンバーを絶えず励まします。自分自身のビジョンがなければ、誰かのビジョンに参加するしかありません。それは追従であってコミットメントではありません。
共有ビジョンを築くための基盤は自己マスタリーです。個人ビジョン、真実に忠実であること、創造的緊張も含みます。
高尚なビジョンの実現に最も貢献するのは、創造的緊張を維持できる人々です。ビジョンをはっきり認識し、今の現実を究明し続ける人々です。未来を創造する自分たちの能力を、自らその能力を経験しているがゆえに深く信じる人たちです。
個人ビジョンを奨励する場合、組織は個人の自由を侵害しないよう配慮しなければなりません。誰も他人に「自分のビジョン」を与えたり、ビジョンを持つように強いたりすることはできません。
しかし、個人ビジョンを育む気風を作るための積極策はあります。最も直接的なものは、皆がそれぞれのビジョンを語りたくなるような方法で、リーダー自らが個人ビジョンを伝えることです。
個人ビジョンから共有ビジョンへ
集団が組織全体のビジョンを共有するとき、一人ひとりは自分自身の最高の組織像を思い描きます。
一人ひとりが全体に対する責任を共有しますが、それぞれが異なる観点から全体像を表します。それぞれが大きなビジョンに対する自分なりの見方を持っています。
より多くの人がビジョンを共有するようになるにつれて、ますます生き生きしたものになります。人々は、それを本当に創造することのできる精神的現実とみなします。皆が「共同創造者」という仲間になります。
ビジョンがどこから生まれるかは、実のところ、あまり問題ではありません。リーダー自身のビジョンも個人ビジョンであることを忘れてはいけません。組織中のあらゆる人々の個人ビジョンと結びつくことが重要であり、そうなるまでは共有ビジョンではありません。
共有ビジョンを築こうとするリーダーは、自分の個人ビジョンを絶えず明らかにしなければなりません。自分のビジョンについて話すことを日常業務に組み込み、自分のビジョンを念頭に置いて日常の問題を解決しようとすることです。
共有ビジョンは一朝一夕には生まれません。それは継続的な対話を通じて、個人ビジョンの相互作用によって育ちます。個人は対話の中で自分の夢を自由に表現し、互いの夢に耳を傾けます。
耳を傾けることから、何が可能かについての新しい洞察が芽生えてきます。聞くことは話すことよりも難しく、多種多様な考えを受け入れるだけの並外れた開放性と意志が必要です。
より大きな目的のために自分のビジョンを犠牲する必要はありません。多様なビジョンの共存を許した上で、それらを超越しつつ統合する道を聞き取ろうと耳を済ますことが大切です。
ビジョンを普及させる
経営者にとってコミットメントほど強い関心のあるテーマはありません。しかし、現在「コミットメント」と称されているものの9割は「追従」であると言います。
自らの選択によって何らかの一部となるプロセスを「参画」と呼びますが、「コミット」は参画しているだけでなく、ビジョンを実現させる責任を十分に感じている状態です。
誰かのビジョンに徹底的に「参画」し、そのビジョンが実現することを心から望むことはできます。しかし、それは誰かのビジョンに過ぎません。必要が生じれば行動を起こすものの、四六時中、次に何をすべきか探しているわけではありません。
ビジョンに「コミット」している人々は頼りになります。彼らはビジョンを実現するために必要なことを何でもしようとします。ビジョンが彼らを行動に引っ張ります。ゲームのルールが障害になるなら、ルールを変える方法を見つけ出そうとします。
大多数の人は「追従」の状態にあります。従順な追従者はビジョンに同調します。自分に期待されることを行い、ある程度までビジョンを支援します。組織の計画に従い、誠実に貢献しようとします。
追従者の中には「自分はコミットしている」と思っている人も少なくありませんが、ビジョンではなくチームの一部であることにコミットしているに過ぎません。
実のところ、社員の多くはコミットしたくないのではなく、本当の意味でコミットするよう求められた経験がないのです。追従しか求められなかったので、それが唯一のメンタル・モデルなのです。
参画とコミットメントのための指針
「参画」には、ビジョンに対する本物の熱意があります。参画を勧めるとしても、選択の自由のもと、自分自身で進んで「参画」を選択するのです。
「組織には参画しない自由はない」という考えは間違いです。社員は「参画」ではなく「追従」を選択することができます。追従でも真面目に仕事をします。この選択は社員の内面の問題なので、どちらを選択するかを経営者が強制することはできません。
他人を参画させるためには、それを勧める自分自身が参画していなければなりません。
メリットを誇張したり、問題を隠したりしてはいけません。ビジョンをできる限り分かりやすく、正直に説明することが必要です。
相手に自由であることを感じさせ、相手に選択させなければなりません。相手が自分なりのビジョン意識を育てるための時間と安全な場を作ってあげると、相手を手助けすることができます。
もちろん、経営者が追従を必要とする場合は少なくありませんし、それが悪いことではありません。それを率直に話せばよいのです。「この岐路において、経営陣はこの方向に進むことにコミットする。それにはあなたの支えが必要だ」と率直に話せば、参画によって応じる社員もいるはずです。
ビジョンを一連の経営理念に定着させる
共有ビジョンを築くことは、ビジョン、目的(使命)、基本的価値観という経営理念を作ることの一部です。
「経営理念」とは、3つの重要な問い(「何を?」、「なぜ?」、「どのように?」)に対する答えです。それぞれの問いが、ビジョン、目的(使命)、基本的価値観に相当します。3つが一つのまとまりとして「自分たちは何を信じるのか?」の答えになります。
つまり、「経営理念」とは「ビジョン達成を目指す道程で、使命に矛盾せず、どのように行動したいのか」ということです。ビジョンを追求する傍ら、毎日をどう送りたいのかを表現します。
肯定的ビジョンv.s.否定的ビジョン
「私達は何を望むか」は「私達は何を避けたいか」とは違いますが、実際には後者の否定的ビジョンのほうが一般的です。多くの組織が真に協力して働くのは、その存続が脅かされているときです。
否定的ビジョンは抑制的です。新しい何かを築けるはずのエネルギーが、起きてほしくないことを回避することに向けられてしまうからです。
否定的ビジョンが伝えるのは、遠回しに「社員たちは無関心だ」というメッセージです。脅威がないとまとまらないと言っているからです。
否定的ビジョンは、脅威が存在する間だけの短期的なものにならざるを得ません。
組織のモチベーションとなる基本的なエネルギー源は、恐怖と大志です。前者は否定的ビジョンの根底にあり、後者は肯定的ビジョンの根底にあります。大志は学習と成長の源泉として持続します。
創造的緊張と真実に忠実であること
ビジョンが創造プロセスのエネルギーになるのは、ビジョンと現実の間に現れる創造的緊張によってです。ビジョンを保持しながら、今の現実をはっきり見ることに全力を投じなければなりません。
優れた組織の証は、悪いニュースが素早く上に届くことです。できるだけ早く失敗を認識し、失敗から学ぶ必要があります。
共有ビジョンとシステム思考
ビジョンが普及するのは、明瞭性、熱意、コミュニケーション、コミットメントが増えていく自己強化型プロセスによります。
ところが、関わる人数が増え、それぞれの見解の相違から焦点がぶれ、収集のつかない対立が生まれれば、ビジョンづくりのプロセスは衰退する可能性があります。
ビジョンが途中で消えてしまう理由
多くのビジョンが、定着せず、普及しないままに終わります。
生まれつつある共有ビジョンにすぐに同意できない人たちが、意見を変えるように強いられていると感じていたり、自分のビジョンを固定的で動かせないと決めていたり、逆に自分のビジョンなどどうでもよいと感じていたりするなら、二極分化が進み、参画のプロセスは停止する恐れがあります。
この場合の制約要因は、より深い共通のビジョンが生まれるように多様なビジョンを探求する能力がないことです。多様化したビジョンを調和させる組織能力が欠如しています。
この限界を避けるために最も重要なスキルは、「メンタル・モデル」における振り返りと探求のスキルです。ビジョンづくりは、自分たちが本当に創造しようとしている未来の探求です。それが「主張」のプロセスになるならば、得られるのは追従であってコミットメントではありません。
ビジョン実現の難しさを目の当たりにして、人々が意気消沈してしまう場合も、ビジョンは消えてしまいます。ビジョンと今の現実との乖離がはっきり自覚される結果、落胆し、確信が持てず、ひがみさえするようになり、熱意が冷めてしまいます。
この場合の制約要因は、自己マスタリーの中心原則である創造的緊張を保持する能力の欠如です。
ビジョンが消えてしまうもう一つの理由は、人々が今の現実の要求に圧倒され、ビジョンに対する集中力を失うことです。制約要因は、ビジョンに集中するための時間とエネルギーの欠如です。
対処法は、より少ない時間と労力で集中的に危機と闘い、今の現実に対処する方法を見つけるか、新しいビジョンを追求する人員を今の現実への対処を担当する人員から切り離すかのいずれかです。
後者はスカンク・ワークスと呼ばれ、このアプローチが必要となる場合は多いですが、もはや相互に支え合うことのできない2つの両極陣営を育てることになりがちです。
人々が互いのつながりを忘れてしまうことでビジョンが消えてしまうこともあります。だからこそ、共同の探求としてビジョンづくりに取り組むことが重要です。
人々の結びつきの意識は脆く、互いに対する敬意、互いの考え方に対する敬意を失うたびに少しずつ弱まっていきます。その結果、内部者と外部者、ビジョンの熱心な信者とそうでない者に分裂します。
この場合の制約要因は、時間やスキルの欠如です。新しいビジョンに参加する緊急度が高い場合、人は互いに心から話し合い、耳を傾け合う時間があるとは到底思わないでしょう。対話によって他者に自分のビジョンをじっくり考えさせるようなビジョンの共有が不得意な人たちの場合は特にそうです。
共有ビジョンとシステム思考の相乗効果
ビジョンは、私達が創造したいものの絵を描きます。システム思考は、私達の今の現実がどのように作られたのかを明らかにします。
慎重に練り上げられている限り共有ビジョンに問題はなく、今の現実に対する私達の受け身の姿勢が問題になります。
ビジョンが生きた力になるのは、人々が自分の未来は自分で形作ることができると本当に信じているときだけです。
ほとんどのマネジャーは、今の現実を作っている一因は自分にあることを体感していませんので、その現実を変えることに自分がどれだけ寄与できるかが分かりません。
優れたリーダーは、先を見越して行動し、自らの運命の手綱を握るべきだという考え方を根強く信奉しています。ところが、この「為せば成る」的な楽観主義も直線的思考に支配されているので、根本には受け身の考え方です。
既存の方針や行動がいかに今の現実を作り出しているかを人々が学び始めれば、今の現実を変えるためのレバレッジがそこにあることも分かるようになるので、ビジョンが育ちやすい土壌ができます。