この記事では、ピーター・M・センゲの著書『学習する組織』(英治出版)に基づいて、学習する組織を構築するために必要な5つのディシプリンの一つ、「メンタル・モデル」について紹介します。
素晴らしい考えなのに実行に移されないものはたくさんあります。見事な戦略であっても行動につながらないこともあります。「あと一息というところでの失敗」の多くは、メンタル・モデルが原因です。
新しい見識を実行に移すことができないのは、その見識が、世の中とはこういうものだという心に染み付いたイメージ、慣れ親しんだ考え方や行動に私達を縛り付けるイメージと対立するからです。
メンタル・モデルは、私達が世界をどう理解するかを決め、その結果、どう行動するかも決定します。クリス・アージリスは「人は(常に)自分の信奉する理論(口で言うこと)どおりに行動するわけではなく、自分が使用する理論(メンタル・モデル)どおりに行動する」と述べています。
異なるメンタル・モデルを持つ2人の人間は、同じ出来事を見ても違う説明をする可能性があります。それぞれ違う細部を見て、違う解釈をするからです。人は選択的に物事を見るのです。
メンタル・モデルの問題は、それが正しいか、間違っているかにあるのではありません。そもそもモデルはすべて単純化されたものです。問題になるのは、それが暗黙の存在になるときです。
自分のメンタル・モデルに気づかないままでいると、検証されず、変化しないままになります。世界が変化するにつれて、メンタル・モデルと現実との乖離は大きくなり、行動はますます逆効果になります。
メンタル・モデルを正しく認識できないと、システム思考を育もうという多くの努力も無駄になります。
メンタル・モデルが、企業や産業を時代遅れの慣行の中で硬直させ、学習を妨げるほどの力があるならば、逆に学習を加速するのにそれを利用できるはずです。
だからこそ、メンタル・モデルを管理するディシプリンが必要です。世界はこういうものだという頭の中のイメージや想定や筋書を浮かび上がらせ、検証し、改善することが必要です。
実践におけるメンタル・モデルへの対処
メンタル・モデルを浮かび上がらせ、検証する組織の能力を伸ばすために必要な3つの要素があります。この3つのつながりが最も大切です。
まず、個人の気づきを促し、振り返りのスキルを向上させるツールです。次に、メンタル・モデルに関する日常的な実践を根づかせるインフラです。さらに、探求と考え方の問い直しを奨励する文化です。
アージリスによると、チームや組織はメンタル・モデルを検証させまいとする「習慣的な防御行動」に閉じ込められ、「熟練した無能」を発達させます。学習の様々な状況によって生じる苦痛や脅威から身を守ることに熟練する結果、学び損なうため、本当に望む結果を生み出す能力は身につきません。
アージリスは、「行動における振り返り」と呼ぶ方法を行いて、参加者のメンタル・モデルを浮かび上がらせることに成功しました。
参加者に、クライアント、同僚あるいは家族との衝突を詳しく話すよう求めます。実際に話したことだけでなく、頭で考えていたけれども口にしなかったことも思い出させます。
これによって直ちに明らかになることは、私達のそれぞれが、自分の思考を介してその衝突に一役買っているということです。自分がいかにして面倒なことに巻き込まれ、それをいかにして人のせいにするかに自分自身で気づくことができたのです。
自分の挙動の根底にある思考プロセスのとらえにくいパターンに気づき、いかにそのパターンのせいで絶えず自分が行き詰まっているかに気づいていきました。適切なトレーニングを積めば、自分のメンタル・モデルとそれがどう作用するかをもっとよく認識し得ることも分かってきました。
人は常に自分のメンタル・モデルを通して世界を見ています。メンタル・モデルは常に不完全であり、慢性的に非システム的であることが多いのです。
実践を根づかせる
トレーニングの後には、日常的な実践とスキル構築の機会を設ける必要があります。
例えば、メンタル・モデルに対する取り組みを計画立案プロセスによって根づかせる方法があります。計画立案を経営陣のための組織学習として位置づけ、経営陣が自社や市場、競合他社について共有しているメンタル・モデルを変えるプロセスとするのです。
社内役員会制度を設け、本社の上級経営幹部と支社の上級経営幹部が合同で定期的に事業部の意思決定の背景にある考え方を問い直し、膨らませる方法もあります。
ツールとスキル
メンタル・モデルに対処する能力を向上させるためには、振り返りのスキルと探求のスキルを伸ばすことが必要です。
振り返りのスキルは、考えるプロセスのスピードを緩めて、自分がメンタル・モデルをどう形づくるのか、それが行動にどう影響するのかをできるだけはっきり意識することに関わります。
探求のスキルは、特に複雑で対立のある問題に対処する際、他者との面と向かった話し合いでどう振る舞うかに関わります。
この2つのスキルを伸ばすツールや手法とともに、次の態度がメンタル・モデルのディシプリンの中核となります。
- 「信奉理論」(口で言うこと)と「使用理論」(実際の行動に暗に示される理論)の違いに正面から向き合う。
- 「抽象化の飛躍」(観察したことから一足飛びに一般論化すること)を認識する。
- 「左側の台詞(本音)」を明らかにする。普段は言わないことをはっきり言葉にする。
- 探求と主張のバランスをとる(効果的な共同学習のスキル)。
メンタル・モデルのディシプリン
振り返りの実践
メンタル・モデルに効果的に働きかけることで、重要なビジネスの問題でカギとなっている仮定を表面化させます。意思決定の中枢にある人々が共有するメンタル・モデルが最も重要です。
メンタル・モデルが検証されなければ、組織の行動範囲が、慣れ親しんだ、安住を感じる範囲に限定されたままになります。
マネジャーが振り返りの実践の行うには、ビジネス上のスキルに加え、振り返りと対人関係のスキルが必要になります。
信奉理論v.s.使用理論
学習は、常に行動に関するものです。振り返りの基本スキルは、口で言っていることと実際の行動との乖離をとらえることです。
往々にして、乖離はビジョンの結果生じるものであって、偽善の結果ではありません。問題は乖離にあるのではなく、乖離について真実を語らないことにあります。
信奉理論と使用理論との乖離に直面したときは、まず「私は信奉理論を本当に大切にしているのか?」、「それは本当に自分のビジョンの一部なのか?」と問うことです。
信奉理論に対する揺るぎない決意がないのなら、その乖離は現実とビジョンの間の創造的緊張を表しているのではなく、おそらく人の目を気にして推進しようとしている考え方と現実との間の緊張に過ぎません。
使用理論に気づくのはとても難しいので、協力者の助けを借りる必要があるでしょう。
抽象化の飛躍
人の考えは瞬時に移り変わります。すぐさま飛躍して、たちまち一般化してしまうので、それを検証する間もありません。私達の理性は、具体的な細部から抽象化することにかけては驚くほど器用であると言います。
抽象化の飛躍が起きるのは、直接観察したことから、検証せずに一般論に移行するときです。この飛躍によって自明の理となってしまうので、仮定であるはずのものが事実として扱われるようになり、学習が妨げられます。
検証されない一般論は、更なる一般論化の基になります。大半の人は、直接観察したものと、その観察から推測して一般論化したものとを区別する訓練を受けていないので、その一般論を検証してみようとも思いません。
抽象化の飛躍を見抜くには、まず、ビジネスの本質、人間一般、特定の個人などについて、自分は何を信じているのか自問することです。「この一般論化の根拠になっているデータは何か?」、「この一般論化は不正確かもしれない、誤解を招くかもしれないと考えるつもりはあるか?」と問います。
ある一般論化を疑ってみるつもりなら、それを、元になったデータからはっきりと切り離します。可能な場合は、一般論化されたものを直接検証します。これは、しばしば互いの行動の裏にある理由を問うことにつながります。
左側の台詞
「左側の台詞」とは、アージリスが用いた一種のケースプレゼンテーションに由来します。
まず、ある具体的な状況を選びます。一人もしくは数名の相手とのやりとりで、うまくいっていないと自分が感じている状況です。
次に、やりとりのサンプルを脚本形式で書き出します。紙の真ん中に線を引いて、その右側にそのときの台詞を書きます。左側には、やりとりの段階ごとに、頭では考えていたが口には出さなかった台詞を書き出します。
この演習によって、隠れていた仮定を浮かび上がらせ、いかにその仮定が行動に影響を及ぼしているかを明らかにできます。そして、私達が人との摩擦状況において学習の機会をいかに台無しにしているかが分かります。
自分自身の仮定と自分がそれをどう隠そうとしているのかが今までよりはっきり分かれば、やり方次第でもっと建設的に会話を進められます。
そのためには、自分自身の見方とその根拠になっているデータを相手と共有することが必要です。また、相手がその見方もデータも同じようには持っていない可能性に対して、そして両方とも間違っている可能性に対して、オープンになることも必要です。
課題は、この難解な状況を自分と相手の両方が学習できる場に変えることです。そのためには、自分の見方をはっきり言葉にすることと、相手の見方についてもっと学ぶことを組み合わせる必要があります。アージリスは、このプロセスを「探求と主張のバランスをとる」と呼びました。
探求と主張のバランスをとる
有能なマネジャーであるということは、多くの場合、問題解決能力があるということです。何をすべきか理解し、それをやり遂げるために必要な支援はすべて引き出せることです。説得力のある議論を戦わせ、他者を動かす能力があることです。これは要するに「主張」が得意であるということです。
しかし、高い地位に就くにつれて、直面する問題は個人的な経験以上に複雑で多様になります。他者の洞察を引き出すこと、学ぶことが必要になります。そうなると、主張のスキルは逆効果になります。
互いが主張するばかりでは、異なる種類の組み立ての会話になります。探求のない主張は更なる主張を生み、互いの立場は少しずつ硬化していきます。
いくつかの問いを投げかけることによって、このような流れを食い止めることができます。「あなたがその立場をとるようになった理由は何ですか?」、「あなたの主張を具体的に説明してもらえますか?」、「それを裏付けるデータや経験を教えてもらえますか?」などの問いによって、話し合いに探求の要素を取り入れることができます。
ただし、問いを発することは主張の悪循環を断ち切るために欠かせないものの、学習のスキルは限定されます。人は必ずといってよいほど何かしらの意見を持っていますから、闇雲に質問すれば、その壁の後ろに自分自身の意見を隠すことによって、学習を避けることになり得るからです。
最も生産的な学習は、通常、主張と探求のスキルが融合された場合に起こります。つまり、「相互探求」です。全員が自分の考えを明らかにし、公の検証に晒します。それによって、防御的な行動に走ることなく、弱みをさらけ出す雰囲気が生まれます。
主張一辺倒の場合、議論に勝つことが目標になります。探求と主張が融合されている場合、最善の議論を見い出すことが目標になります。これは、データの用い方や抽象化の裏にある推論を明らかにするやり方に表れます。
主張一辺倒の場合、データを選択的に用い、自分の立場を固めるデータだけを提示します。主張と探求のバランスがとれている場合、データを却下することにも、データを確認することにも抵抗がありません。真に関心があるのは、自分の考え方の欠点を探し出すことです。自分の推論を明らかにし、その欠点を探し、更に他者の推論を理解しようとします。
探求と主張のバランスをとるディシプリンを学ぼうとするとき、以下の指針を心に留めておきます。
あなたの考えを主張する場合、まず、あなたの推論(どのようにしてその考え方にたどり着いたか、その根拠になっているデータは何か)を明らかにします。次に、相手にその推論を精査するように促します(おかしなところがないかどうか)。
次に、相手に別の意見を出すように促します(違うデータや結論があるかどうか)。最後に、相手が違う考えを持っていれば、それを積極的に探求します(どのようにその考えにたどり着いたか)。
相手の考え方を探求する場合、まず、あなたが相手の考えについて何かを仮定しているなら、それをはっきり述べ、それが仮定であることを認めます。次に、その仮定の根拠になっているデータを提示します。
相手が自分の考えの探求をしようとしない場合、どんなデータや論理があれば考えが変わり得るのかを聞きます。また、新しい情報が得られそうな実験または何か他の探求を一緒に考える道があるかどうかを聞きます。
双方のどちらかが、自身の考えを表現したり、ほかの考え方を試したりするのをためらうなら、その理由(オープンなやりとりを難しくしているのは、この状況のどういう点か、あなたや相手のどういうところか。)を話すように促します。双方が望むなら、協力して障壁を克服する方法を考えます。
探求と主張を実践することは、自分自身の思考に限界があることを自ら進んでさらけ出すこと、間違うことを厭わないことを意味します。
合意は重要ではない
メンタル・モデルのディシプリンの実践が目指すところは、合意や意見の一致ではありません。
すべてのメンタル・モデルを、そのときの状況に照らして熟考し、検証します。そのために、組織全体が真実に忠実であることが必要です。ただし、真実の全てが分かるとは限りません。結局、それぞれが別々の場所に行き着くことになるかもしれませんが、それでも構いません。
目指すべきは、当事者たちにとって最良のメンタル・モデルです。他の人たちは、当事者たちができる限り最良のメンタル・モデルを築き、できる限り最善の決定ができるよう協力することに集中します。
皆がオープンで誠実に自分の意見を表明し、よく吟味した末であるなら、自分の意見と異なる結論になったとしても、その価値を認めることができます。「訳あって、私はあなたの方向には向かいません」と言うほうが、無理に合意させられるよりもまとまりがよくなります。
メンタル・モデルを押し付けるのは、ビジョンを押し付けるのと同じで、大抵は裏目に出ます。行うべきは押し付けることではなく、皆によく考えてもらうためにそれを掲げることです。
メンタル・モデルとシステム思考
重要な問題の原因を明らかにするために、メンタル・モデルのディシプリンは隠された仮定を明らかにすることに焦点を合わせ、システム思考は仮定を再構築することに焦点を合わます。
システム思考から導き出された変化も、凝り固まったメンタル・モデルが妨げてしまいます。組織にはびこっている仮定を率直に話し合わない限り、メンタル・モデルの変化は期待できず、システム思考もほとんど無意味です。
マネジャーは、自分の世界観を事実だと信じるのではなく、一連の仮定から成り立っていると考えることによって、その世界観を問い直すことに対してオープンであるべきです。自分や他者の考え方を探求するスキルを磨き、新しい考え方で協力して実験するができなければなりません。
私達のメンタル・モデルの大半は、システム思考の観点から見れば欠陥がある場合が少なくありません。重大なフィードバック関係を見落とす、時間的遅れの判断を誤る、目につきやすいがレバレッジが低い変数を重視しがちである、といった欠陥です。
こうした結果を理解すれば、メンタル・モデルを表面化させ、メンタル・モデルの弱みがどこにあり、改善する必要がどこにあるかを見い出しやすくなります。
システム思考とメンタル・モデルを統合することができれば、出来事に支配されたメンタル・モデルから、長期的な変化のパターンとそのパターンを生み出している根本的な構造を認識できるメンタル・モデルに移行することができます。