顧客はなぜそんなに偉いのか?
最近は、「モンスター・カスタマー」や「カスタマー・ハラスメント(カスハラ)」という言葉も定着し、理不尽な要求をしたり、キレて怒鳴り散らしたりする顧客を批判することも比較的当たり前のようになってきました。
理不尽な顧客を拒絶し、入店を断るお店に対しても、一定の理解を示す論調も出ています。
そこで、改めて考えてみました。
そもそも、顧客はなぜそんなに偉いと思われてきたのでしょうか?
筆者は、「企業の営利目的」、つまり「利潤追求を企業の目的と考える」という間違った認識があることが根本原因であると考えています。
顧客とは何か?
この問いは、顧客を物扱いしているものではありません。「顧客」というものの本質的な意味や定義を問う質問です。
一方で、「顧客は誰か?」という問いは、顧客の定義は自明のこととして、具体的にどのような人や組織が自社の顧客になるのかを問うています。
ここでは、改めて「顧客」の本質的な意味を確認しておきたいと思います。
辞書などで調べると、要するに「商品(財やサービス)の購入者」を意味します。企業から商品の提供を受けて、その対価としてお金を支払う人のことです。
「顧客(Customer)」をリピーターやお得意さんに限定した意味で使う場合もあるようです。「Custom」に「慣習」という意味があるからです。
ただ、「客」というのは、通常、家庭への訪問者の意味でも使います。購入目的で来たわけではなくても、会社で「上司はただいま来客中です。」といった言い方をするのは一般的です。ですから、部外者である訪問者を一般に「客」と言い、そのうち、購入するための訪問者を特に「顧客」と言って区別する場合もあります。
この記事では、「購入者」の意味で「顧客」を使っているとご理解ください。
商品とお金は対等な価値
顧客が企業から商品を購入するということは、売買契約が成立することを意味します。
顧客と企業の双方が、商品とその対価である金銭との価値を同等と認めたということです。だからこそ、それらを交換するわけです。
結果として商品に満足できなかったという場合もあるでしょうが、そのときは、クレームなどとして別の形で処理されます。
商品と金銭が対等である以上、顧客と企業の関係も対等のはずです。一方が他方に媚びへつらう関係でもないはずです。
「媚びない。」と言うと、「横柄に振る舞う。偉そうに対応する。」と短絡的に解釈してしまう人がいるのですが、そういうことではありません。対等の関係ですから、お互いに尊重し、真摯に対応すべき関係であることは当然のことです。
対等な関係ですから、顧客が企業を選ぶ権利があるのと同様に、企業も顧客を選ぶ権利があるはずです。
なぜ顧客は偉いのか?
それでも、顧客はなぜか偉いのです。
企業や店舗が、顧客を選んだり、特定の顧客を断ると、最近は減ったとはいえ、何かと批判される現実は変わりません。
顧客の方は、「あの店は対応が悪いから他所に行く」ということが、普通にまかり通るのにです。
一体、何が違うのでしょうか?
お客様は神様ですか?
顧客がそれほど偉いという発想は、海外ではあまりなく、日本特有であるという意見もあります。
確かに、海外企業から商品を購入する際に、値引きを要求したり、無料で何かサービスを要求しても、きっぱりと断られるということは、よく聞く話です。
日本特有の理由として、三波春夫さんの「お客様は神様です」というフレーズが原因であると言う人もいるようです。
このフレーズは確かにインパクトがあり、若い世代は別として、日本人に定着していると言えなくもありません。
ただ、三波春夫さんの真意は正しく伝わっていないようです。ご本人の真意は、次の発言に見て取れます。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
(出展)「三波春夫オフィシャルサイト」
「お客様は神様です」を日本中に広めたのは、むしろ三波春夫さんのものまねをしたレッツゴー三匹さんのようです。
そのフレーズだけが独り歩きし、買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」というふうになり、クレームをつけるときなどの恰好の言い分となってしまっていると、上記オフィシャルサイトに記されています。
日本独特の「おもてなし」?
日本独特の「おもてなし」の精神に答えを求める人もいるようです。
「もてなし」とは、客を取り扱うこと、待遇、食事や茶菓のごちそう、身のこなし、とりはからい、といった意味があるようですが、日本特有の心遣いを表現していると理解されているようです。
しかし、元をたどると、「もてなし」は茶道に由来し、同じく茶道から来ている「一期一会」との関わりで使われたようです。
茶道には厳しい作法が求められます。お客をもてなすといっても、お客の好き勝手にさせるわけではなく、お互いに作法に則って礼を尽くします。お客が殿様であってもです。
「もてなし」の英語に当たる「hospitality」は、最近、サービスに代わる言葉としても使われるようになっています。
サービスの提供者は「servant(使用人、召使い)」であるのに対し、ホスピタリティの提供者は「host(主人)」です。主人として誇りをもってもてなすのであって、媚びへつらって仕えるのではありません。
顧客満足やホスピタリティで有名なザ・リッツ・カールトン・ホテルでも、従業員にプライドを持たせ、「お客様にお仕えしてはいるが、使用人ではない。紳士淑女をおもてなしする我々も紳士淑女である。」と言っています。
ですから、「おもてなし」から「顧客の方が偉い」という発想が出てくることはないと思います。
ちなみに、日本特有と言うと、利益を度外視して長期的な観点から顧客を大切にする姿勢の表れだと言う人もいますが、互いに尊重してこそ長期の関係が成り立つのであって、顧客が一方的に偉いという発想にはならないでしょう。
「利潤追求」を目的とすることの弊害
顧客と企業とのはっきりした違いは、顧客はお金を支払い、企業は商品を提供するということです。
ここから考えられることは、お金と商品は対等なはずなのですが、実際は「お金を払う方が偉い」という発想があると言わざるを得ません。
他の取引でも同じです。
企業間で商品を売買する際も、特殊な商品を提供する場合を除いて、お金を支払う方が強い場合がほとんどです。
情報システム開発受託などでも、顧客は仕様を途中で変え放題、泣くのはいつもベンダーの方です。
さらに典型的な例があります。労使関係です。
「社長は社員に給料を支払っているから、社員は黙って社長の言うとおりに働けばいいんだ」と思っている社長は少なくありません。給料を支払う側が明らかに偉く、「使用従属関係」という言葉もあります。社員は給料の対価として人格や肉体のすべてを差し出しているわけではないのにです。
商品提供よりも「お金をもらうこと」の方が価値が高いという発想があるとしか考えられません。
クレームを言う顧客は「金を払っているのはこっちだぞ!」とよく言います。
社長が社員に言うセリフに「給料を払ってやっているのに」というのもあります。
おまけに言うと、国民が公務員を非難するときに「俺たちの税金で食っているくせに」というのもあります。大抵の国民は、払っている税金よりも受けている公共サービスの方が大きいと思うのですが。
そのように、「お金をもらうこと」が何より価値があるという発想があるとしか思えないのですが、その背景にあるのは、企業の目的を利潤追求とする考え方ではないかと思います。
利潤追求が目的ということは、社員も含めて企業活動のすべてが利益のための手段として存在するということになります。すべては利益のために奉仕しなければならないことになります。とにかくお金をもらわないといけないわけです。
顧客の側にも、そこに付け込んでクレームを正当化しているところがあるのではないでしょうか。
(参考:「営利企業」という害毒)
余談になりますが、利潤追求なら、本来、利益が小さい顧客は切り捨てて、自社にとって好ましい顧客だけに限定すればよいのですが、そこが曲がって定着していると思えるのが、「利潤追求」=「売上追求」になっていることです。
日本の企業は、売上重視で利益率が低いとよく指摘されます。とにかく売ることが大事で、利益のことをほとんど考えていないことが少なくありません。
現に、顧客別収益分析を行っている企業は多くありません。利益の大半は特定の顧客層で占められており、大半の顧客層は利益に貢献していません(参考:「企業のマネジメント」)。売上が大きくお得意様と思い込んでいた顧客層が、実は赤字であったという例も枚挙にいとまがありません。
企業の目的=利益を得る=売上を得る=お金をもらう ⇒ 顧客の方が偉い
の構図があるように思います。
「顧客の創造」を目的とすることの意義
ドラッカーによると、企業の目的は「顧客の創造」です(参考:「企業とは何か」)。利益は、そのための手段です(参考:「利益の意味」)。この目的は企業共通ですから、個々の企業によって、具体的にどのような顧客を創造するのかは違ってきます。
ドラッカーは、企業の目的を「営利」や「利潤追求」とする考え方を強く否定しています。弊害が大きいからです。(参考:「企業の目的は一体いつまで「利潤追求」なのか?」)
しかし、こう考える人もいるかもしれません。「顧客の創造」が目的なら、なおさら顧客を偉くしてしまうのではないかと。
確かに、この言葉だけを見るとそう見えなくもありませんが、書籍からその関係部分を読めば、正しく真意を理解できます。
企業の目的は顧客の創造ですが、それぞれの企業は特有の使命を設定し、顧客を創造すべき分野を特定します。その使命に応じて事業を定義しますが、その際に最初に問うのは「われわれの顧客は誰か」です。それは同時に「顧客は何を欲しているか」を問うことであり、そこから提供すべき商品やその提供方法を明らかにしていきます(参考:「事業の定義」)。
つまり、顧客を明確に限定することが最優先なのです。事業戦略の鍵は「集中」です(参考:「企業のマネジメント」)。
ザ・リッツ・カールトン・ホテルは宿泊費が高いですが、顧客が「高すぎるから安くしろ」と文句を言っても、絶対受け入れないでしょう。価格以上の価値を提供しているという誇りがあるからです。それだけの価値を感じ、対価を支払ってくれる顧客に限定したうえで、最高のサービスを提供しています。
日本の飲食店でも、最近は、自店が望む顧客や望まない顧客を明確にし、望まない顧客に対しては、はっきりと「弊社はあなたのようなお客様に来店していただきたくありませんので、お帰りください。二度と来ていただかなくて結構です。」というようなことを、従業員や他の顧客がいる前で宣言する所もあるようです。
このような対応をすると、顧客が減ってしまうのではないかと思うかもしれませんが、実際はそうとは限りません。特に、その店を気に入っている常連客であれば、店とは合わない顧客と同席したいとは思いませんから、むしろ「よく言った」と思うのではないでしょうか。従業員はもちろん心強く感じ、安心するでしょう。
さらに、「顧客の創造」をなすために必要な企業の基本的機能は、マーケティングとイノベーションです(参考:「企業の基本的な機能」)。
マーケティングとは、顧客の欲求からスタートし、企業のすべての仕組みや活動をつくり、行うことです。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、商品を顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることです。販売とは逆の視点を持ち、販売を不要にすることを究極の狙いとします。
要するに、マーケティングは、顧客にお願いして買ってもらうのではなく、顧客の方から欲しいと言って買いに来てもらうおうとする取組みなのです。これが顧客を「創造する」という意味です。
ここには、顧客を大切に思い、満足を提供しようとする姿勢はあっても、顧客に媚びへつらうといった考え方は出てきません。
顧客を創造することができれば、利潤は自ずとついてくるのです。
ですから、「利潤追求」なる企業目的はいい加減やめましょう。
あるべき企業目的から、正しい手順で導き出される基本と原則をしっかりと理解し、大事にし、手を抜かず着実に実践していきましょう。
「お客様」と言うならば
こういった記事の中で「お客」や「顧客」という言葉を使うと、「お客様と言え」と怒る人が今でもいます。顧客に呼びかけるときの言葉なら分かるのですが、こうした文章であってもそう仰る方がいます。
結構です。顧客を大切にしたいというお気持ちであり、立派なご意見だと思います。
であるならば、材料や部品を仕入れる先の企業に対しても、「仕入先様」とか「企業様」と言って欲しいと思います。同等の価値を交換している対等な関係ですから。
それに、「社員様」とも言って欲しいと思います。対等ですから。
社員にタメ口をきいたり、横柄な言い方をしたり、名前を呼び捨てにしたり、それどころか「お前」と言ったりしている人が「お客様と呼べ」と仰るのであれば、少々疑問が残るというものです。
嫌味に感じるかもしれませんが、「様」という言葉が大事なのではなく、何事においても、取引する、契約するということにおいて、「お金を払う方が偉い」という発想をやめるべきだということです。
対等な関係でありながら、互いに尊重するということが大事だということです。ですから、仕入先であっても、社員であっても、「顧客」と同じように大切に扱うということです。ここまで読んでくださったなら、「なぜ社員に媚びないといけないのか」なんて言わないでください。
それに、「社員や取引先を顧客として扱う」という考え方は、単に大切に扱うというだけでは済まない重要な意味があります(参考:「なぜ社員満足のために社員を顧客として扱わなければならないのか?」)。
ちなみに、お客様は神様ではなく、大切な親友だという意見もあります。私は、その意見に賛成です。