企業の目的は一体いつまで「利潤追求」なのか?

今でも、企業の目的を「営利」や「利潤追求」、「利潤最大化」などと定義している例が見受けられます。

そのような企業目的の定義は、会社と社員の利害対立を解決し難くし、社会の反感をも助長することを知らなければなりません。

企業の目的は「利潤追求」?

企業の目的について、相も変わらず、「営利」や「利潤追求」、「利潤最大化」などと説明している例が後を絶ちません。

ドラッカーは、実に半世紀以上前から、「利益」という言葉が社会の大きな反感を作り出したことを指摘し、正しい利益の意味を訴えてきました。

企業の目的を「利潤追求」などと定義すると、会社と社員との間の利害対立を解決し難いものとし、社会の反感をも助長します。

「経営」とは汚らわしいもの?

あるテレビ番組で、ある出演者が「公益法人の経営」という言葉を口にしたところ、MCから「公益法人は企業のような営利目的ではないのだから、『経営』などという言葉は相応しくない」と指摘されていました。

まるで、「経営」というものが「汚らわしい」ものであるかのような言いぶりでした。

企業=経営=利潤追求

であり、おまけに、

利潤追求=汚らわしい

が定着してしまっているように思われます。ドラッカーが指摘しているとおりの反感がつくり出されていると言わざるを得ません。

経営の本質は「投入した資源の総和よりも大きなものを生み出す」ことです。そのために、経営資源と呼ばれる「ヒト、モノ、カネ」を組織し、運営します。

この本質を実現しないのであれば、そもそも組織をつくる意味はありません。公益法人であっても同じです。法人をつくって、投入した資源の総和よりも小さなものしか生み出さないのであれば、法人をつくる意味などありません。

企業の目的を「営利」や「利潤追求」などとする説明は、いい加減やめるべきです。「利益」自体が目的にはなり得ません。

企業の目的は「顧客の創造」

ドラッカーによれば、企業の目的は「顧客の創造」です。そのための手段が「利益」です。

この定義によれば、企業は社会に不可欠の機能として位置づけられます。

会社と社員にとって協働の手段である「仕事」に焦点を合わせることができ、仕事を生産的なものにするために「利益」が必要であるとの共通認識に立つことができるため、利害対立も緩和の方向に向かいます。

企業の目的を「営利」や「利潤追求」に置くことの問題、「顧客の創造」に置くことの効果について知りたい方は、「『営利企業』という害毒」を読んでみてください。

なお、企業の目的について詳しく知りたい方は「企業とは何か」を、利益の意味を詳しく知りたい方は「利益の意味」を読んでみてください。

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