労働者問題に関する研究の歴史 − 「人間関係論」とは何か?⑪

労働者問題に関する科学的研究は、当初、訓練によって才能を伸ばすという方面から始まり、主に、肉体や物理環境に関わる研究を中心に発展しました。

労働に関する基本的な前提として考えられていたのは、人間は本質的に労働を厭う怠惰な動物であり、恐怖や貪欲に動機づけられて働くという固定観念でした。

したがって、労働者の意欲を掻き立てための刺戟として主に用いられたのは、賃金の額でした。あるいは、失業の恐怖もマイナス面からの刺戟として存在しました。

その後、メイヨーやレスリスバーガーによるホーソン実験を契機として、人間の感情に由来する動機や意欲の重要性に注目が集まるようになりました。

開拓期

労働者問題に対する科学的関心は、産業医学と産業心理学の立場からは16世紀に遡ります。人々が一般的知識や特定の才能において相違があることを認め、各人に最も適した訓練を施すことによって、その特殊性を発見しようとするものでした。

18世紀になると、作業、動作、疲労に関する重要な研究がなされました。

現代産業心理学の発端は、一般心理学が実験科学となった時期(19世紀)以降、本格的には20世紀に入ってからです。

先駆的研究者は、科学的管理法で有名なF・W・テイラーです。熟練工が、与えられた作業で懸命に働くことによってあげられる生産高を厳密に調査し、その結果に一定の余裕を加味することによって、同一作業を行う他の従業員の労働能率算定基準としました。

テイラーは、3つの基本原則に則って作業を推進することを提案しました。

  1. 仕事に最適の人々を選ぶ。
  2. それらの人々に対して、最も経済的な作業動作、最も能率的な作業方法を教える。
  3. それらの作業方法に従って一日の課業を達成した労働者には、より高額の賃金で報いる。

心理学者の多くは、疲労、作業条件、職業指導のための適性選抜テストの考案などの問題を研究していました。初期の研究者は、機械論的人間観に基づき、生産要因のみを過度に強調したため、多くの労働者の怒りを買いました。

実験の背後には、人間は本質的に労働を厭う怠惰な動物であり、恐怖や貪欲に動機づけられて働くという固定観念がありました。

その前提の背後には「経済人」的人間観があります。人間は合理的動物であり、最小の努力によって達せられる満足獲得や不快回避の程度を正しく計算するために理性を働かすと考えます。

「満足」は与えられる賃金額にのみ関係し、仕事に対する誇りや喜び、他人からの尊敬などとは無関係でした。「不快」は飢餓に対する恐怖にのみ関係し、仕事上の失敗、仲間の間での信用の失墜などとは無関係でした。

経済人は競争的であり、利己的です。生存競争の中で他人を押しのけようと争い合うと前提されます。

経済人的人間観の前提では、経営者が労働者の心情に関心を向けることはありません。初期の産業心理学者にとっても同様でした。良い工場とは、最大能率と最小努力で製品を生産する工場でした。

結果的に、産業能率の面では労働者の肉体的健康のみが重要となり、理想的工場はモデル牛舎のようなものでした。産業心理学的には、照明、温度、換気、湿気、その他の物的環境上のあらゆる要因を完全に調整できれば、労働者にとって問題はなくなるはずでした。

動機の問題

人間の行動を細かく規制するような、固定した人間性というものは存在しません。人間が本質的に競争的で利己的な動物であるという証拠はなく、賃金より大切なものは数多く存在します。

人間は機械ではありませんから、物的環境自体で労働者が幸福になるわけではありません。肉体的健康状態や物的環境の良し悪しによってのみ、生産性が左右されるわけではありません。

労働者は個性をもった人間であると同時に、集団の成員でもあります。肉体的能力や技能によって、ある業務に最適な人を選んだとしても、その人が仕事仲間と気分的にうまくやっていくことができなければ、その選抜に意味はありません。

労働者と経営者との関係が不満足な状態にある場合も、照明や温度の調節は、僅かな気休めにしか過ぎません。

重要な問題は、労働者にその仕事ができるかどうかではなく、その仕事をしようとする気があるかどうかです。

産業心理学の力点は、孤立した個々人とその物的環境についての研究から、動機と意欲との考察へと移行しました。仕事と仕事仲間に対する労働者の感情的態度が、生産を規定する重要な要因となりました。

金銭的な刺戟には限界があります。脅迫に基づいて規律が保たれるとすれば、有効と考えられるのは、失業の恐怖と政府規制しかありません。

解決すべき真の問題は、労働者が働こうと欲しないこと、共同の仕事に協力したがらないこと、できるだけ仕事をサボりたがることです。

労働者が怠惰であるとするなら、それを恐怖や規制で働かそうとするのではなく、怠惰になる原因を探求することが必要です。

怠惰に見える労働者の多くは、家庭では、趣味や家族のために熱心ですから、怠惰が生得的な人間の属性ではありません。

そうであれば、経営者が不満に思っている労働者の行動は、職場の中に経営者が作り出している社会的状況から生まれています。それを見い出そうとしなければなりません。

労働者の健康と幸福を犠牲にする「能率」の増進は、人間にとって、ひいては社会にとって害となる以上、本質的に能率的ではあり得ません。

ですから、人間を産業に適合させようとするのではなく、産業を人間に適合させようとすべきです。

生産能力のみに着目するのではなく、産業が働く人に与える社会的影響を観察することが必要です。産業が人々を社会のよりよい成員に育て上げるかどうかが重要です。

民主的な社会は、その成員の一人ひとりが批判的で、知的で、責任を持つことができなければ、永続することができないからです。

考慮すべき問題は次のとおりです。

  1. 個人としての人間の属性と基本的欲求とは何か。
  2. 社会的動物としての人間の属性とは何か。人間は自分をどのように社会と関係づけていくのか。
  3. 産業の属性とは何か。それは、人間の個人的で社会的な属性に適合できるか。