産業におけるフォーマルな組織 − 「人間関係論」とは何か?⑭

フォーマルな組織とは、組織において公式につくられている客観的な構造であり、組織図によって明示することが可能なのものです。

フォーマルであるという意味は、通常、特定の人間の個性や能力からは客観的に独立したものとして構造化されているということです。

職務は、フォーマルな組織構造にしたがって合理的かつ技術的に分担され、流れていくことが前提とされています。

フォーマルな組織における最大の問題は、組織に配置されるのは感情をもった人間であるということがえてして忘れられてしまうということです。

人間が集団をつくれば、必ずそこに社会が生まれ、感情的なつながりが形成されるということを無視してしまうと、職務の遂行にも大きな支障を生じることになります。

権限に基づくヒエラルキー

フォーマルな組織とは、組織図で明示的に表される職務上のヒエラルキーです。

ヒエラルキーは権限によって調整されています。権限は上層から下層に段々に委譲され、あらゆる権限の源は、取締役会長にあります。

命令は階層内を下降し、各部門で生じた事柄に関する情報は上昇します。

下層から来る情報は、権限の行使に対するフィードバックとしてのフォーマルな内容であるべきですから、公式には生産と関係のある技術的問題のみを取り扱う傾向があります。

したがって、人間問題や苦情に関する労使間のコミュニケーションは、フォーマルな組織においては十分でない傾向があります。

ヒエラルキーの中では、最上層から最下層に至るあらゆる従業員が相対的地位を与えられています。その地位は、従業員にとって心理的な拠り所でもあり、少なからぬ感情的関心を抱いています。自己の地位が危険に晒されそうな状況に対しては、非常な不安と憤りをもった反応を示します。

権限のヒエラルキーでは扱われにくい人間問題は、公式には労使協議会で取り扱われます。しかし、会社内の雰囲気が良好で、労使の間にある程度の尊敬の念がなければ、会社全体にとって重要な問題は何一つ解決されないといいます。

つまり、フォーマルな組織においては、特別な場を公式に設けて人間問題を取り扱おうとしても、本来インフォーマルな性質をもつ人間の感情的問題は、インフォーマルな人間関係が良好に保たれていない限り、フォーマルな場で正面から取り上げられることは難しいということです。

会社の中に、労働者が犠牲にされはしないかという恐怖と不安がみなぎっているような場合、却って、些細な事柄に関する形式的な不満以外は何一つ経営者の耳まで届かなくなってしまいます。

表現の場がなく鬱積した憤りは、ストライキ、サボタージュ、高率の労働移動、計画的欠勤など、爆発的な形をとって姿を表すことになります。

フォーマルな組織理論

産業のフォーマルな組織の理論は、次の3つの特徴を持っているとされます。

  1. 本質的に没個人的である。
  2. 観念上の諸関係を基礎としている。
  3. 人間性に関する「人間集群仮説」を基礎としている。すなわち、
    • 競争が最大能率をもたらす。
    • 各人が利己のために相争うことにより集団に最大利益をもたらす。
    • 人々はそれぞれ孤立した単位であって、仕事を遂行する能力さえあれば、仕事から仕事へと自由に彼らを移動させることも可能である。

1.については、組織の成員は、個性や好き嫌いに左右されないことを意味します。

2.については、組織の成員は、組織の中で果たすべき職能や与えられた地位などの条件のみに従って反応することを意味します。

3.については、組織の利益が、組織を構成している個々人の利益に等しいという暗黙の前提があります。孤立した個々人は、いつでもどこにでも取り替え可能な存在であり、それが組織にとってよいことであれば、その個々人にとってもよいことであるとみなされます。個々人の仕事に対する愛着や誇りなど無きが如しです。

産業のヒエラルキーは、上は取締役会長または社長から、一般労働者に至るまでいくつかの権限の階層から成り立っています。人々は、明確に規定された職務を持ち、その遂行を期待する上長に対して責任を負います。この権限のシステムはライン組織として知られています。

組織構造内の段階が数を増せば増すほど、異なった部門にいる人々の間の「社会的距離」は大きくなります。したがって、上級経営者になるほど、現場で起こっている事柄について分からなくなります。

なお、組織構造には、ライン組織の上に重複したさらに2つの構造があります。職能組織とスタッフ組織です。ライン組織が権限に基づくのに対し、職能組織はなされる仕事のタイプに基づき、スタッフ組織はその専門性に基づきます。

ライン組織においては、権限において同じレベルに属する人々が、職能組織として異なったタイプの仕事を行っていることがあります。これらの重複した構造が、会社内部の軋轢の潜在的原因となります。

職能組織は権限に基づく区分ではないため、どの職能がより重要か、より優先権が与えられるべきかという問題について、職能間で意見の相違が起こりがちです。フォーマルな組織において対等な地位であるはずの各職能について、社会的地位が異なるという状況が定着し、軋轢の原因になります。

スタッフ組織は、特定の分野の専門家によって構成される組織です。大きく分けると、生産工程に直接関わる専門家(技師、デザイナー、研究者など)と、生産工程には直接関わらない専門家(法律、会計、調査の担当者など)がいます。

スタッフ組織をライン組織に適合させるには、3つの方法があります。

  1. その助言を最も必要としているライン管理者の横に置かれるか、経営幹部への助言者として特定の経営幹部の指揮下に置かれる。
  2. ライン組織に統合され、その専門分野のみにおいて管理者として労働者を管理する。この場合、一人の労働者が複数の専門管理者の統制下に入るため、管理の調整に困難を伴う。
  3. 両者の併用として、一部の専門家は純粋な助言者としてライン組織の外(経営幹部の直属)に置かれ、他の専門家はライン組織の中で一つの部門を監督しつつ、適宜に特定分野の助言を与える。

フォーマルな組織理論の欠陥

フォーマルな組織の理論には、主に次の2つの欠陥があると言われます。

  1. 調整の問題
  2. 人間の問題

調整の問題は、大部分がコミュニケーションの問題です。コミュニケーションとは、ある個人ないし集団の感情や思想を、他の個人ないし集団に伝える能力のことです。

フォーマルな組織の構造から生じる、コミュニケーションがうまく行われない原因には、時間的なもの、空間的なもの、構造の自然的区分によるものの三種類があるとされます。

時間的原因は、交代作業に伴って生じます。昼間の就業が本番であり最重要であって、その他の出番は機械の番をしているだけであるという考え方から、交代時の引き継ぎが不十分にしか行われず、他の出番との間に不和が起こります。

空間的原因は、空間的な分離から生じます。各部門は、自己の部門が最も重要であり、その部門の問題は他の部門の問題よりもより緊急かつ焦眉の問題であると考えるようになります。空間的距離が社会的距離につながります。

構造の自然的区分による原因とは、部と部、課と課、部と課、ライン組織とスタッフ組織など、機能を異にする諸単位間に起こるものです。組織の上層と下層との間に挟まれて、現場監督者がジレンマに陥ることがよくあります。

部と部、課と課など、同じ階層での異なる職能単位間では、相互無関心という分裂が生じる傾向があります。その背後には、経営上層部からの要請や責任者個人の威信のために、個々の部や課が、それぞれ競争的によい成績を上げざるを得ないというジレンマがあるといいます。

上長に対してよい印象を与えたいという欲望のために、ラインを上昇する情報が歪められたり、悪い情報が隠蔽されたりすることがあります。

逆に、ラインを下降する命令については、上層部において発せられた大綱的な命令が下降するにつれて徐々に具体的なものとなる過程で、過誤、遅滞、省略などが起こります。

スタッフ組織とライン組織との間の争いは日常的です。ラインの実務家は、専門家が理論に偏し、自己の主題にのみ没頭し、広くて現実的なものの見方に欠けていると考えます。

各分野の専門家同士は相互に直接の関係をもっていないため、スタッフ組織は、相対的に漠然と統合されているに過ぎません。そのため、専門家は自ずと心に不安な感情を抱き、たえず自己防衛的になりがちであるといいます。

個々人の社会的・文化的相違から生じる軋轢もあります。会社社会は、個々に孤立した人間の群衆ではなく、多くの第一次集団によって構成された統合体ですから、そこに異なる文化(海外など)で育った人が混じり込んでくることによって、会社の社会構造に影響を及ぼし、コミュニケーションの流通に大きな影響を与えることがあります。

混じり込む異文化の人々が一定以上の数になったときに、会社の社会構造の中で同化されない一群を形成し、多くの不祥事を引き起こして作業の効果的運営を妨げることもあります。

以上のような調整の問題は、第二の欠陥である人間の問題と密接につながります。つまり、人間行動における感情的要因が無視される傾向にあるということです。

フォーマルな組織は、合理的、論理的に、また、人間的要素の入り込む余地を最小限に止めておくように立案されているため、産業社会の非合理的・感情的な問題に直面すると、齟齬を来しがちです。

フォーマルな組織の理論は、職務や地位が客観的に決まっており、そこに就く人間は定数(無個性で同じような動きや反応をするもの)のように考えています。つまり、誰が就くかによって職務や地位に影響を与えるとは考えていません。組織図の上に規定されている関係以外には、相互に何の関係もない個々人であると仮定されています。

大企業の問題

経営側では、会社に対する忠誠観を労働者に吹き込もうとしますが、忠誠の限界をどこに置き、個人的野心をどの程度認めてよいかは、不明確です。矛盾した態度が、労働者を混乱させ、産業社会におけるノイローゼや個人的不幸を増大させる原因になります。

経営者が求めているのは、人間的要素や労働者の技能と思考の必要性をできるだけ取り除くことに努力する技術スタッフです。つまり、労働の自働性を促進したいのです。

同時に、単調な労働を意に介せず、下された命令を遂行するのに十分なだけ知的で、しかも、疲れてブツブツ言い出さないほどに愚鈍な労働者を望みます。

雇用の不安、単調な労働、仕事に対する関心の喪失、経営者側における時間的余裕の欠如等々のために、競争的産業下の労働者は、より金銭的報酬を重視するようになっていきます。会社の側でも、他に有効な刺戟がないため、労働者をもっと働かせようと金銭的報酬ばかりを次々と工夫します。

競争的産業においては、時間の節約が最も重要なものとみなされるので、監督者は自然に、与えられた権限の上に立って、命令が守られるかどうかを見張る厳格な規律屋となりがちです。

産業競争は、結局のところ、熟練労働者を必要としない工場からより大きな生産をあげていくための努力となっていきます。熟練労働者なしに操業される工場と、その工場をできる限り最高の能率で操業していくための労働力の保持こそ、競争的産業下で経営活動が目指す最大目的になります。

このような産業競争は、実のところ、企業所有者にとっても耐え難いものであったため、独占を獲得し、不完全競争状態をつくっていくための企業合同を促進しました。

この状態の結果、経営者には、生存競争以外の問題に頭をひねるだけの余裕ができました。そのような大会社で、産業における人間問題やその他の研究が行われるようになりました。労使協議会や利潤分配制度が発達し、傷病手当、年金、福祉計画、医療制度等が実施され、労働者が雇用の継続を期待できるようになりました。

このような状態から生まれてくる比較的大きな安定感は、優秀で素質のよい従業員を集める要因ともなり、経営管理の水準を高めることになりました。

大会社の主たる欠陥は、没個人的な性質とコミュニケーション上の困難です。組織が大きくなることによって、経営層からの統制が遠隔化するにつれ、労働者には「不忠誠化」の現象が増大することを、多くの研究が裏付けています。

しかし、経営幹部と労働者相互間の継続的なコミュニケーションが改善されることによって、不忠誠化の問題を避けながら会社を拡張することが可能であることも明らかになっています。

官僚主義

官僚主義は独占企業や国有企業、公的機関に特有のものではありません。企業の規模が増大すると、人々の間に、当面する問題に対して積極的手段を講ずるよりは、事なかれ主義で物事を処理しようとする傾向が生まれてきます。

規律や確実性を過度に強調すると、本来一つの手段である諸規則への固執が、目的自体になってしまうような状況を生み出します。これは「目的の転位」と呼ばれ、働く者の側から熱意を奪っていきます。

労働者は人間である以上、味方であれ敵であれ人間的であることを喜びます。チャンバーズによると、普通の人間は、尊敬でき、賞讃できるリーダーを求めていますが、そのようなリーダーに恵まれないときは、せめて不満の対象となるに足る悪いリーダーを持つことを望むといいます。

大企業や国有企業であったとしても、民主的に組織化された企業は存在します。中央の権限を分化し、意思決定をかなりの程度まで各現場担当者に任せています。

大組織や公的組織であっても、過度の集権化、創意性の不足、不十分なコミュニケーションなどの危険性を回避することに努力することができるということです。

W・F・ホワイトによると、多数の権限レベルを持った縦に長くて横に狭いヒエラルキーは、成員の調整と問題処理に関する経営者の無能から直接生じたものです。経営者が無能であるために、命令の連鎖の中に、監視統制するための階層をさらに組み入れようとします。

会社組織が、その中に含まれている個人や集団の行動に影響を与えます。個人の行為が、その所属集団との関連において理解できるように、ある集団の行動は、それが属するより大きな集団の脈絡の中で理解することができます。

ですから、ある集団の中で生じている問題が、必ずしもその集団内に原因を持つとは限りません。外部のより大きな集団からの影響力が作用している可能性があるため、より大きな構造の中で進行している事象に対しても注意を払う必要があります。