産業におけるインフォーマルな組織 − 「人間関係論」とは何か?⑱

産業におけるインフォーマルな組織には、少なくとも5つのレベルがあるといいます。

  1. 特に仲のよい2〜3人の友人同士からなる集団。
  2. 同一部署における共通の仕事を基礎として形成される第一次集団。「朋党」と呼ばれる。
  3. 社内の経営政策に関する特定の問題への関心に応じて一時的に生じる集団で、一般的に「群集」または「一党」と呼ばれる。社内のあらゆる部門を通して広がり得るので、「拡散的集団」(diffuse group)とも呼ばれる。
  4. 会社をあらゆる型の集団の組み合わせからなる一つの体系として眺めた場合、会社全体が一つのインフォーマルな組織である。
  5. 社会活動にほとんど参加することがない孤立した個々人

中でも、個人にとって規律や道徳的統制の媒体として主要な役割を担うのは、2.の「第一次集団」です。

第一次集団の概念

C・I・バーナードによると、大規模な組織は、無数の小集団によって構成されたものと考えることができます。

小集団とは、個人によって構成される最小単位の集団という意味で、「第一次集団」と呼ばれ、概ね8〜10人の成員をもって上限数とします。

第一次集団は、個人同士が全員互いに面識的コミュニケーションができる集団でなければなりません。そうでなければ、第一次集団の中に別の小集団が存在することになるからです。その意味で「面識的集団」とも呼ばれます。

労働移動率が高い場合、あるいは、フリーの労働者が容易に受け入れられるような場合には、半永久的従業員の小集団以外には、第一次集団が生じる機会がほとんどありません。

第一次集団は、個々人同士の網の目のような感情的相互関係によって関連づけられるため、個人の最も深部の感情を形づくると考えられます。個人に対して一定の態度、意見、目標、理想を与える社会的媒体であり、また、規律と社会統制の基本的源泉の一つでもあります。

クーリィは、第一次集団の面識的コミュニケーションを「親密な(面識的)交際」と表現しました。ある共通の全体の中に、個人が溶け込んでいく状態です。その集団内では一個の「われわれ」が存在し、個人の自我そのもが集団目的と一体化しています。

道徳的統制は上位自我によって強化されます。上位自我とは、子供時代に両親の道徳律の一定側面を自分の心の内部に受け入れ、内在化して、無意識的になったものです。

ただし、上位自我は道徳の全領域を含むものではなく、いくつかの基本的規制を行うに過ぎません。行動に影響を与える上位自我の力は、人によって大きく異なるといいます。

このような基本的規制以外に、規律や道徳的統制の媒体となるのは、多くの人にとって第一次集団の社会的圧力に他なりません。

かといって、第一次集団が自己主張や私的感情の存在を許容しないわけではありません。私的感情は共感によって社会化され、共通精神の規律の下に統一化される傾向にあります。

個人が野心的になり得ないわけではありません。野心の主要目的が、他人に認められることであったり、他人の心の中におけるある望ましい位置であったりするようになるわけです。

第二次集団との関係

第一次集団は、一定の大きさに達すると分裂します。分裂して複数の第一次集団が生じた場合に、元の集団が引き続き全体として一つの組織を構成する必要があるときは、集団相互間の意思疎通を保っていく必要があります。その働きを主に担うのが、個々の第一次集団のリーダーです。

第一次集団を包含しているより大きな組織のことを「第二次集団」と呼びます。第二次集団は、フォーマルな目的のために組織化され、その構造は目的に沿って合理的に設計されます。

第二次集団の成員同士は互いに面識的とは限りませんから、第二次集団に対する各成員の態度は、その目的が第一次集団の目的と一致ないし対立する度合いによって規定されると考えられます。

第一次集団もまた特定の目的を持ち、その追求に当たって合理的に組織化されるかもしれませんが、本質的には社会的満足と個人的好悪の上に基礎づけられ、当初の目的とはまったく別個に自身の統一性を保とうとするようになります。

第二次集団は、実際的機能を持ち得ないときには分解していく傾向がありますが、第一次集団にとっては集団の存在自体が十分な目的になり得ます。

大組織を構成しているあらゆる第一次集団が、それぞれの集団目的を、全体としての組織の共通目的に従属させるとき、その組織はよき統合状態にあるとみなすことができます。

第一次集団同士が対立していたり、ある第一次集団が別の第一次集団を従属させようとしたり、ある第一次集団が上位集団から離脱しようとしているとき、その組織は分裂化の傾向を示しているとみなされます。

そのような統合と分裂は、集団の内部で一定の均衡状態を保っていると考えられます。

以上のことは、産業にとって2つの重要な意味を持っています。

  1. 経営者は、第一次集団としての作業集団が社会的統制力の主要な源泉であることを認識し、それらの集団を通して合法的統制を行うことに努め、決して分裂させようなどと考えてはならない。
  2. 人間の行動を少なくともパーソナリティの周辺的領域内で変化させようとする試みは、個人を通してよりも集団を通してなされなければならない。つまり、集団の社会的規範が変えられることによって初めて、その成員の行動も変えられる。

経営者は、一般に、インフォーマルな集団が本質的に破壊的であり、常に群集心理に従って行動しているかのように考えがちですが、その考えは、多分に、自分たちと異なった意見を持つ個人や集団は必然的に正しくないと決めつける危険な誤解に基づいています。

よく統合された第一次集団のモラール(士気)はきわめて高く、その行為は、規律を持ち、統制を保ち、集団の側から見た状況に関してはきわめて論理的です。

例えば、ストライキは群集心理でもなければ、モラールが低いから起こるわけでもありません。むしろ入念な計画とそれを支える高いモラールがあってこそ成功するものです。

経営者がストライキを悪いものだと考えるのは、単に経営者の利益に一致しないからです。両者の利益の不一致について、どちらが客観的に正しいかということは別の問題です。

第一次・第二次集団と「群集」の違いは、集団構成の有無です。群集には、成員間に個人的な内部関連が存在しません。個々人が互いに見ず知らずの関係にあり、実質的に無名のまま大衆の中に没しているので、集団的統制もありません。「無名性」こそが群集心理の首謀者です。

一般に、人が集団の成員として行動する場合、個人の衝動を抑制し、その集団の行動規範に従おうとしますが、個人に対する群集の影響力は純粋に伝染性のものですから、そのような抑制が働かなくなります。

インフォーマルな組織による期待と強制

インフォーマルな作業集団は、その成員に対し、身分と役割(同時に、感情の安定と自尊心)を与えることによって報いつつ、集団の慣習の遵守を期待します。

慣習とは、その集団のイデオロギーを意味する場合もあれば、具体的行動に関連している場合もあります。

慣習の遵守は自主的なものですが、その集団内での安定と自尊心を維持するために仲間の尊敬を失いたくないというインセンティブは働きます。ただし、遵守の強制や遵守されない場合の制裁がないわけではなく、からかい、仲間外し、時には言葉による攻撃や肉体的暴力もあります。

インフォーマルな作業集団では、その人の身分に相応しい仕方で役割を果たすことも要求されます。

権威ある地位にある人が、並の人のように振る舞おうとすると、それは謙虚さではなく権威を損なうものとみなされかねません。その権威は成員の感情に基づいているので、集団の価値を損なうものと受け止められる可能性があるからです。

インフォーマルな作業集団は、仕事の公平な分担、集団全体でやった仕事の公平な配当を主張します。いかなる成員も他の成員の犠牲においてうまい汁を吸うことは許されません。

小規模で、よく結束した集団であれば、集団外の誰かに仲間の悪口を言ったり、仕事の公平な分担を怠ったり、逆に働きすぎたりする成員に対しては、反感を抱きます。不当な影響力の行使による昇進も、集団に対する不忠誠であるがゆえに非難されます。

作業集団であれば、通常、置かれた環境の中で一日の仕事として適当だと考えられる水準についての明確な基準を持っており、その水準で生産を保っていく傾向があります。

インフォーマル組織の行動と経営政策との対立

このような基準は一種の生産制限であり、「組織的怠業」と呼ばれることもありますが、集団内での諸要因や集団と会社全体と関係などに基づくものとして、集団内では合理的なものみなされます。

労働組合政策として生産制限が取られることもありますが、S・B・マシューソンによると、未組織労働者であっても同様の生産制限を行うことがあります。その理由は、賃金率切下げ、失業、過度のスピードアップなどを回避することです。経営者への不満の表明である場合もあります。

フォーマルな組織においても、他より劣った成員が罰せられず、労働者が公平に取り扱われていると感じられれば、この種の生産制限はなくなると考えられます。

いずれにしても、インフォーマルな作業集団が会社側の政策に反することを行うとしても、単なる反対のための反対ではなく、その作業集団における合理的な理由があるということです。

経営者は生産現場から離れ過ぎているために、現場で起こる問題の多くを考察することができません。経営者はしばしば推測的知識を基に命令するため、それを完全に実施しようとすれば現場に混乱が起こり、生産とモラールは低下する可能性があります。

したがって、ミラーとフォームが述べたとおり、経営者の組織目的を達成するためにこそ、労働者はしばしば権限の原則を無視し、命令を破り、彼ら自身の判断と技能で物事を処理しなければならないことがあります。

傾斜からすれば、命令に従わないことをもって怠業と呼ぶでしょうが、仕事の多くを遂行するためにむしろ必要な場合もあるということです。

結局、インフォーマルな組織の助力なしには、フォーマルな組織はしばしば効果的な機能を果たすことができなくなってしまうのです。

あらゆる階層に生まれるインフォーマルな組織

インフォーマルな組織は、労働者側にあるだけではありません。経営層においても存在します。第一次集団というのは必ず存在し得るものだからです。

人間組織である以上、両者に本質的な違いはありません。組織の全体的構造に破壊的な影響を与える場合もあれば、組織の活動を円滑化する場合もあります。身分争いもあり、集団にマッチしない人は締め出される傾向があります。

ただし、会社全体への影響力としては、経営層のほうが大きいと言えます。その会社の社員の共通の態度や雰囲気というものがあるとすれば、それは権威ある上役の地位にいる人々によってつくられるものです。

良くも悪くも、モラールというものは、下方から湧き上がるものではなく、上方から滴り落ちるような性質のものです。