産業におけるインフォーマル組織の構造 − 「人間関係論」とは何か?⑯

集団は、それ自体の存続を目的とすることもありますが、特定の目的をもって集団がつくられることもあります。

元々は自然に発生した集団であっても、特定の目的を掲げ、その目的の達成に向けて貢献する意欲をもって、成員同士がコミュニケーションを図りつつ、自らの役割を果たすようになるとき、その集団は組織化されたということができます。

会社内のインフォーマルな集団は、通常、フォーマルな目的のために人が集まることによって、互いの面識的なコミュニケーションによって自然発生する社会ですが、フォーマルな職務の日常的な遂行の過程で、独自の目的を持つようになります。

集団の目的によって、それに相応しい組織構造が現れてきます。その主なものはリーダー、地位や身分、各成員の役割です。

リーダーシップ

集団の構造は、その目的に応じて変化します。成員はそれぞれの役割にしたがって、リーダーの統率の下に自然に組織化されます。

ある状況で孤立していた個人が、他の状況では人気のある存在となる場合もあります。社会の状況に応じて、相互作用の状態にある多くの成員の欲求が様々に変化することから、その変化を反映したリーダーシップの型を生み出します。

よいリーダーとは、与えられた状況に対応して、集団を指揮するのに最も適した人間のことですから、普遍的リーダーなるものは存在しません。

作業集団のフォーマルなリーダーは、現場監督者あるいは職長です。彼らは、通常の環境において、作業目的を果たすためのリーダーとして受け入れられているはずです。

しかし、何か厄介な問題が起こったりすると、いつもは煽動家や変人や過激論者とみなされている人が、新しいリーダーとして歓迎されるかもしれません。

企業内に不満の念が漲ってきた場合には、経営側の意図に対して異常なほど疑い深い煽動家型の者がリーダーに選ばれることが多いといいます。

リーダーの中核的パーソナリティは、環境や状況の影響によって一般成員の周辺的パーソナリティの上につくり出され特性や態度を象徴しているように思われます。

地位

労働者は、比較的正常な環境の下では、近くで働いている者同士として、同じ仕事に従事していたり、国籍や出身地を等しくしていたり、同性であったり、年齢や勤続年数が近いといった理由のために、様々な第一次集団をつくります。

場所的に接近していることが非常に重要ですから、フォーマルな作業集団とインフォーマルな集団とは、かなりの程度、一致しがちです。

各労働者は、会社内において、同時に一つ以上の集団の成員になっていることがあり、各集団内でのその人の地位はそれぞれ異なっています。個人の地位は、その集団の目的に貢献する度合いに基づいています。それぞれの集団には、異なった多くの目的があるので、多くの地位が生じます。

第一次集団では、個人的特性は容易に観察され、成員全員に知られますから、成員個々人の地位は自ずと決まっていきます。

しかし、第二次集団においては、意思疎通の欠如から、個々人の地位は容易に定められません。そのため、人々は必然的に、フォーマルな地位を表す外的記号(給料、ヒエラルキーにおける位置、机の大きさ、服装)に頼らざるを得なくなり、それらによって評価されるようになります。

経営層の人々は、電話、絨毯、重役食堂、自動車置場などを巡って争いますが、それ自体を欲するからではなく、それらに付与された社会的価値を欲するからです。

職場では、賃金においても公式的な地位においても同一水準でありながら、現場の人々からはまったく違った水準の社会的意義を持つ職務があり、職務に応じた社会的序列を持ちます。

現場を経験していない経営層の人々は、そのような社会的序列の多くをまったく認識していないため、気づかないうちに労働者をひどく刺戟するような処置をとってしまうことがあります。

よって、よき経営管理の第一原則は、他人との関係における人々の地位を低めるような処置をとることによって、人々の自尊心を傷つけることがないように注意することです。

地位というものは、ある人間をあるレベルから、より低く評価されている他のレベルに下げることによって下げられるだけではありません。ある集団の相対的な地位を高めることによって、他の集団の地位が間接的に下がることになって、その成員の地位も同時に下がることがあります。

賃金水準と地位

産業労働者に関するあらゆる研究は、賃金率そのものが彼らにとって第一の関心事でないことを示しています。

賃金が生活水準を維持し得るかどうかといったような経済状態にない限り、いろいろな職務における賃金率の相違は、それが社会的地位確立の基準となるがゆえに、労働者にとって切実なものとなります。

その意味で、労働者は、賃金の絶対額よりは、他の労働者と比較した場合の額に対して、はるかに多くの関心を払います。

身分と役割と威光

集団内におけるある地位を「身分」と呼ぶことがあります。「役割」とは、その地位に適した行動です。

「威光」とは、身分や役割に付加されるもっと個人的なもので、その人の人格や仕事の出来栄えなどが反映されます。したがって、同じ身分や役割を持った人たちの中でも、威光には差が生じます。

ところが、しばしば身分と威光は混同されます。労働者は昇進を求めているといわれますが、実際に求めているのは威光であり、威光の伴わない昇進を望んでいるわけではありません。

労働者は、よりよき技術を身につけ、そのような者として社会的に認められることを欲しています。その結果、仕事を立派に果たすという事実が、単に金銭的報酬の点だけではなく、目に見えぬ特権の増加という点で、社会的に認められるようになることが希望です。

人類学者が区分する2つの身分

人類学者によると、身分は、「内在的・機能的」なものと「外在的・非機能的」なものとに区分されます。

前者は、自分が身につけた技能や知識や肉体的属性といったものに基づくもので、他人の敬意という形で表されます。「威光」はこの意味に含まれることが理解できます。

後者は、フォーマルなヒエラルキー内における一定の地位ないし職務の保有に由来する等級などです。

内在的・機能的な身分はインフォーマル組織に、外在的・非機能的な身分はフォーマル組織に属すると考えることができます。

両者はしばしば結びつけられがちですが、必ずしも相互に関係しているとは限りません。身分と威光が混同されがちでありながら、異なっていることと同様です。

内在的・機能的身分の長所は、すべての人々を包含することができるという点です。外在的・非機能的身分のような限りあるポストではないからです。

人にはそれぞれ個性や長所の違いがあり、他の人の個性や長所によってそれらが奪われることはありません。ある人が受ける尊敬によって、別の人が受ける尊敬が貶められることはありません。

このことによって、内在的・機能的身分は、権力や富に基礎づけられた外在的・非機能的身分に比べ、対立関係をより減少させ、満足の度合いをより増大させることができます。

外在的・非機能的身分は、生まれながらの身分でない限り容易に失われるため、安定感がありません。失ってしまうと、過去の栄光にすがることはできません。

内在的・機能的身分は、たとえ当初の技能が衰えたとしても、過去の栄光に対する名誉がそれ自体によって失われることはありません。内在的・機能的身分が失われるとすれば、その人が、その栄光を帳消しにするようなマイナスの行動をとった場合に限られます。

内在的・機能的身分が、感情的相互関係によってつながっているインフォーマルな組織に属する以上、成員の大部分によって容認されていなければなりません。

フォーマルな身分をもつ監督者が、部下から尊敬と容認を得ているなら、インフォーマルな組織においてもリーダーとして受け入れられていることを意味します。よって、その監督者の身分は、外在的・非機能的であると同時に内在的・機能的です。