「真摯さ」とは何か?

ドラッカーは、マネジメントやリーダーシップについて、役割や仕事の側面を重視し、他の学者などが説くような超人的な資質(カリスマ性)を問うことはありません。

ただし、唯一の欠くべからざる資質として「真摯さ」をあげています。真摯さは致命的に重要な資質でありながら、学ぶことも教えることもできない資質です。

人事に関わる決定は、真摯さこそ唯一絶対の条件であり、すでに身につけていなければならない資質であることを指摘しています。

「真摯さ」という資質を客観的に取り出して言葉で説明することは難しいですが、仕事への姿勢として隠すこともごまかすこともできない資質であり、一緒に仕事をしていれば、ほぼ確実に「真摯さ」があるかどうかを感じ取ることができます。

ドラッカーは、「真摯さ」がどのように仕事に表れるかを示してくれています。それは、「自分のことではなく、自分の役割について考えることができること」であり、責任と信頼に裏づけられたものです。

真摯さの有無を問う決定的な質問として、ドラッカーは次のものをあげています。

  • 自分の子供をその人の下で働かせたいと思うか
  • 自分の子供がその人のようになって欲しいと思うか

ドラッカーが説く「真摯さ」とは何か

「真摯さ」の一般的な意味

「真摯さ」を日本語の辞書で調べると、「ひたむきに、誠実に事に当る様」といった意味が出てきます。

逆に「真摯さ」の英訳を調べてみると、「seriousness(まじめさ)」、「sincerity(正直さ、誠実さ)」などが出てきます。

何となく普通で当たり前のように感じますが、マネジメントの役割や仕事を担う者として意味することを知ろうとすると、簡単ではありません。

マネジメントの仕事に対して求められる基本的な姿勢であり、ドラッカーが必須とみなすものです。

ドラッカーが用いる「真摯さ」の原単語:integrity

『マネジメント』の「第36章 成果中心の精神」の中に「真摯さ」という節があり、そこで真摯さの重要性が説かれています。

原書での対応する章は「36 The Spirit of Performance」であり、対応する節は「Integrity, the Touchstone」です。

「touchstone」とは、「基準」や「試金石」という意味があります。「真摯さ」の原単語に当たるのは「integrity」です。

「integrity」の語源:integer

「integrity」の語源を、新英和中辞典(研究社)で調べると、「integer」(健全、完全)となっています。

「integer」というと「整数」という意味がよく知られていますが、元々は、「手が触れられていない、完全無欠な」という意味であったようです。今でも「整数」以外に、「完全体」や「完全なもの」という意味で使われているようです。

「integrity」の現在の意味

「integrity」を調べると、語源である「integer」から派生して、現在では大きく2種類の意味があります。

  1. 道徳的な健全さ:高潔、誠実、清廉、正直、健全
  2. 完全性、全体:完全な状態、無傷、統合、整合性、一貫性

1.は、人の資質に関わる意味で使われます。『マネジメント』での節のタイトルで使われているように、単独の単語として使用することができます。

2.は、主に非人的なもので使われ、「データの完全性」、「論理の一貫性」といった使い方ができます。単独の単語としては通常意味をなさず、「〇〇の完全性」などのように、何の完全性なのかを同時に表現しなければなりません。

ドラッカーは、『マネジメント』のいくつかの章や節の中で「integrity」を単独で使っていますが、「integrity of character」という表現も若干ですが併せて使っており、「人の資質(性格、品性)としてのintegrity」であることを強調しています。

「integrity」を一般的に日本語訳するときは、「誠実さ」という意味が当てられることが多いようです。以前の訳者であった野田氏も「誠実さ」と訳しておられたようです。

上田氏の意訳

ところが、現版の訳者である上田氏は、「integrity」を「真摯さ」と訳しておられます。

日常会話でに使うことが少ない言葉ですが、非常に味があって、特別な意味をもった言葉として印象づけられます。

ドラッカーの著書全般の翻訳に長年携わってこられた方として、ドラッカーのマネジメントを全般的に理解したうえでの意訳ではないかと思います。

マネジメントは仕事であり役割であり、実践であるという基本的な考え方を前提にして、「integrity」という資質が、マネジメントの行動に表れる様を表現していると感じます。

人間である以上、欠点もあれば、感情に流されることもあります。失敗も稀ではありません。ドラッカーはむしろ、失敗しない人間を信用してはならないとさえ言います。

高い目標を掲げ、その実現に向けて、ひたむきにチャレンジし、努力していく姿勢、失敗したら素直に認め、速やかに軌道修正していく姿勢、こういった姿勢を「真摯さ」は表していると思います。

上記の1.で使われる「道徳的な健全さ」とは、そのような意味であり、2.で使われるような「非人間的で機械的な完全性」とは明確に峻別されるべきです。

ドラッカーは、その峻別を「integrity of character」と「character」を付加することで説明しようとしたのではないでしょうか。

上田氏は、あえて「真摯さ」と意訳することで、ともすれば軽く扱われがちな「まじめさ」や「正直さ」、「誠実さ」という表現とは違ったニュアンスを込められたのではないかと推察します。

「integrity」の意味について、語源(integer)に忠実な2.の方を重視して、「真摯さ」は誤訳である(さらには意図的な誤訳である)とする意見もあります。

この意見に関し、『マネジメント』に限定することなく、ドラッカーの他の書籍も考慮に入れて考えれば、筆者としては妥当な意見ではないと判断しています。

誤訳とする意見とそれに対する筆者の見解について詳しく知りたい方は、「『真摯さ』は誤訳であるとする意見について」を参照してください。

マネジメントに必要な「真摯さ」

マネジメントやリーダーシップに必要な資質として、様々な人が様々なものをあげています。それらをすべて一人で兼ね備えることは超人的で非日常的であり、およそ不可能なことです。

一方、ドラッカーが説くマネジメントやリーダーシップの条件は、際立って特徴的です。

マネジメントやリーダーシップの本質は、特異で類稀な資質ではなく、役割や仕事です。資質がリーダーシップやマネジメントを定義するのではなく、役割や仕事によって定義されるものです。

マネジメントとは何か

マネジメントの資質を問うに当たって、まず、マネジメントとは何かを簡潔に説明しておきます。

マネジメントを「経営管理」ととらえたときに、2つの意味があります。

  1. 人を支配すること(命令、監視など)
  2. 人と人の仕事を方向づけること

ドラッカーが特に重視するのは、2.の方です。

ドラッカーは、人は資源であり機会であるととらえており、命令や監視によって管理するものではなく、方向づけることによって管理する必要があると考えています。

「方向づける」対象は、部下だけなく、自分自身も含まれます。むしろ、自分自身のマネジメントが大前提であり、部下が自分自身をマネジメントできるようにサポートすることが上司としてのマネジメントです。

自分自身のマネジメントとは「自己目標管理」です(参考:「自己目標管理」)。

上司による部下のマネジメントとしては、直接的な監視や指揮命令ではなく、目標設定、配置、訓練、計画による間接的なマネジメントです。部下の「自己目標管理」をサポートしつつ、事業全体または部門全体の目標達成に方向づけます。

ですから、マネジメントはリーダーシップでもあります。

これらは、仕事や役割であって、資質ではありません。マネジメントの本質は、なすべき仕事を行うことであり、役割を果たすことです。

もちろん一定の能力は必要です。ドラッカーによると、教わることによって身につけることはできません。自ら主体的に学び、仕事として習慣的に取り組むことによって、一定のレベルを身につけることができる能力です。

マネジメントに必要な唯一絶対の資質

ただし、ドラッカーは、マネジメントには唯一の欠くべからざる資質があると言います。それが「真摯さ」です。

人事に関わる意思決定においても、「真摯さ」こそ唯一絶対の条件であり、すでに身につけていなければならない資質であることを明らかにすることが必要であると言います。

マネジメント自身が、率先して自らの真摯さを明らかにしていくことも必要であると言います。

人によって、より優れ、より卓越したマネジメントの能力を発揮することはあるでしょうが、真摯さを備え、一人前の能力をもった人であれば、マネジメントの役割を担うことはできるようになると言います。

「真摯さ」を定義することは難しい

ドラッカーは『マネジメント』の中で、「真摯さを定義することは難しい(Integrity may be difficult to define)」と言っています。

同時に、

真摯さは、取って付けるわけにはいかない。真摯さはごまかせない。ともに働く者、特に部下には、上司が真摯であるかどうかは数週でわかる

とも言っています。

たとえ言葉で明確に表現できなくても、真摯さは仕事に表れるものであるから、その人と一緒に仕事をしていれば、その人が真摯であるかどうかを感じ取ることはできるということでしょう。

真摯さの仕事への表れ

「真摯さ」は、『マネジメント』に限らず、ドラッカーの様々な書籍の中で使われており、マネジメントやリーダー、エグゼクティブの姿勢や仕事ぶりとして表現されています。

「真摯さ」を仕事に対する基本的な姿勢として表現すると、「自らのことではなく自らの役割について考えることができること」になると思います。

その裏づけになるものとして、ドラッカーは「責任」「信頼」をあげています。

責任

「自分の仕事は組織の成果に貢献しなければならない」という責任感をもっていることです。真摯さの重要な表れであると言います。

成果に貢献するためには、

  • 組織の目的に一致する目標を設定して仕事をなすこと
  • 一流の仕事を要求し、自らにも要求すること
  • 基準を高く定め、それを守ることを期待すること
  • 貢献による成果を高めるために自らを変化させ能力を高めていくこと

などが付随的に求められます。

自分自身の考えや信条、信念や原則、関心や興味などを重視する姿勢を明らかに戒めていることを理解しなければなりません。

信頼

部下や同僚の信頼を獲得できることです。信頼を獲得できなければリーダーとして認められることはありませんし、マネジメントの役割を果たすこともできません(参考:「リーダーシップ」、「非営利組織のイノベーションとリーダーシップ」)。

信頼を得るためには、組織において模範となる人でなければなりません。模範となるのも、真摯さによってです。

また、「私」を考えず、「われわれ」と考える人であることも必要です。自分よりもチームを優先するということです。

同じような意味として、自らを仕事の下に置く人でなければいけません。具体的には、

  • 任を引き受けて逃げないこと
  • 自分がやりたいことではなく、なされるべきことを常に考えること
  • 言い訳をしないこと、「間違った、やり直そう」と言えること

が求められます。

これらのことは、先にあげた「責任」と同じです。責任が信頼を生むということです。

マネジメントに相応しくない真摯さの欠如

ドラッカーは、真摯さを定義することは難しいとしても、「マネジメントの地位にあることを不適とすべき真摯さの欠如を明らかにすることは難しくない」と言い、真摯さが欠如している人の例をあげています。

  1. 人の強みよりも弱みに目の行く者
  2. 何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心をもつ者
  3. 真摯さよりも頭の良さを重視する者
  4. できる部下に脅威を感じることが明らかな者
  5. 自らの仕事に高い基準を設定しない者

「何が正しか」と「誰が正しいか」

2.に関しては、「仕事の能力よりも人を重視することは堕落である」、「誰が正しいかを気にするならば、無難な道をとるようになる」と言っています。

マネジメントは役割であり仕事ですから、人に対する好き嫌いに左右されないようにしなければなりません。

さらに、人の意見から選択しようとするのは妥協です。妥協から入るのではなく、人の意見を参考にしつつも、あくまで「何が正しいのか」、「もっとよい考えはないのか」を考えるようにしなければなりません。

「誰が正しいか」に関心をもつ人は、間違いや失敗が起こったとき、「誰の責任か」という犯人捜しを重視します。

そういう人を上司にもつ人たちは、間違いを明らかにし、正そうとするのではなく、間違いを隠そうとするようになります。犯人捜しをする本人も、自分が間違ったときは、決して自分の間違いを認めようとはしないでしょう。

組織にとって、間違いが隠蔽されることほど致命的なことはありません。「誰が正しいか(間違っているか)」ではなく「何が正しいか(間違っているか)」を重視する姿勢を、自分にも部下にも徹底して強調し、実践することが大切です。

このような点から言っても、ドラッカーが使う「integrity」の意味が、「完全性」ではないことが分かると思います。

人間は不完全で失敗を伴う存在です。そのような存在であることを許容したうえでの「道徳的な健全さ」が「integrity」です。失敗を素直に認めて改善することにおいて誠実であることです。

その意味で、「真摯さ」(まじめさ、ひたむきさ)という意訳には味があると言えるのではないでしょうか。

(参考:「誰が正しいか」と「何が正しいか」の違い

「真摯さ」と「頭の良さ」

3.に関しては、真摯さがあれば能力はいらないということではありません。

頭が良いに越したことはありませんが、頭の良さは潜在能力であって手段ですから、良い仕事として発揮されなければ意味がありません。

真摯さがあって初めて、頭の良さが仕事ぶりの良さに表れます。真摯さのない頭の良さは、ごまかしや言い訳、不正の手段にさえなることがあります。

真摯であるかどうかを見極める究極の質問

ドラッカーは、人事に関わる意思決定を行う際、真摯さこそ唯一絶対の条件であり、すでに身につけていなければならない資質であることを明らかにすることが必要であると言っています。

真摯さは人間の根本的な資質であり、後から身につけることができるようなものではありません。真摯さか欠如している人は、仕事によってそれを補うことはできません。

組織の中では、仕事ぶりの悪さとして表れます。組織のメンバーとして他の人と協働して仕事をすることには困難を伴います。

ドラッカーによれば、その候補者に真摯さがあるかどうかを知るための究極の質問は、次のようなものです。

  • 自分の子供をその人の下で働かせたいと思うか
  • 自分の子供がその人のようになって欲しいと思うか

これらは、人間性と真摯さに関わる質問です。

自分の子どもを働かせたくないと評価した場合に、人間性と真摯さの欠如によるものであれば、組織において相応しくない唯一の弱みになると言います。他の者に影響を与えない地位でしか仕事をさせられないような致命的な弱みです。