反ファシズム陣営の幻想 - 「経済人」の終わり①

わずか数年のうちに、ファシズム全体主義は世界的規模の革命となりました。

中近東のナショナリズム、極東の封建主義、中南米のクーデターや民族運動、アジアとアフリカの植民地における宗教反乱などは、その30年前なら民主主義運動、その10年前なら共産主義革命と名乗ったであろうものを、当時では全体主義と称していたといいます。

共産主義は、ファシズム全体主義に対抗するために、自ら否定したブルジョア勢力や民主主義勢力と統一戦線を組もうとさえしました。

ファシズム全体主義には、特有の暴虐、攻撃性、憎悪のスローガンがあり、世界中のいずれの地においても、それらへの恐怖、不安、憎悪を見ることができたにもかかわらず、着実に勢力を伸ばし、ヨーロッパにおいて覇権を唱えるに至りました。

民主主義がファシズム全体主義を抑制できなかった理由は、ドラッカーによると、何と戦っているかを知らなかったからです。症状は知っていても、その原因と意味を知らなかったため、ファシズム全体主義が一過性のもの、永続しないものという錯覚が生まれ、結局、抑制できないほどに蔓延することを許してしまいました。

したがって、ファシズム全体主義の原因を分析し、理性的に理解することが、世界への拡大を防ぐ戦いに勝つための唯一の基盤であると、ドラッカーは考えました。

残念ながら、当時、ドラッカーが究明したファシズム全体主義の原因は、解決されないまま現代に至っています。当時、ヒトラーが敗北したのはヒトラーの失策が原因であって、民主主義や資本主義の勝利であるとは言えませんでした。

だからこそ、その後も同じ原因によってファシズム全体主義が現れる徴候を示しています。そして、その引き金を引くのは、決まってマルクス社会主義です。

ファシズム全体主義に対する誤謬

ファシズム諸国においても、国民の大多数は内心で政権に反対しており、単に恐怖のために何もできないだけであるとの説がありました。しかし、ドラッカーによると、この説はあらゆる事実に反し、論ずるに値しないと指摘します。

ドラッカーは、ファシズム全体主義の本質について三つの誤謬があるといいました。

第一の誤謬は、「ファシズム全体主義が、人間の持つ原初的な野蛮性と残忍性の悪質な発現である」というものです。現象としてはその通りですが、それ自体はあらゆる革命に共通する症状であり、ファシズム全体主義に特有のものではありません。

第二の誤謬は、「ファシズム全体主義が、マルクス社会主義の必然的かつ最終的な勝利を忘我するためのブルジョア資本主義最後のあがきである」というものです。しかし、ドイツでもイタリアでも、ファシズム全体主義のシンパおよびパトロンは、産業界、金融界がもっとも少ないといいます。国民経済の全体主義化と軍国主義化の害をもっとも受けているのが大企業だからです。

第三の誤謬は、「ファシズム全体主義は、無知な大衆の下劣な本能に対する巧妙かつ徹底したプロパガンダの結果である」というものです。しかし、ファシズム全体主義が勝利を得るに至る間、イタリアにおいては勝利を得た後も、事実上、あらゆるプロパガンダ手段はファシズム全体主義と闘う人たちによって支配されていたといいます。広く読まれている新聞はすべて、ヒトラーやムッソリーニを軽蔑する記事を連日満載していました。

ナチスやファシストのご用新聞はほとんど読まれず、常に倒産寸前でした。ドイツの国営ラジオ局は、次々に反ナチスの番組を放送していました。教会は、新聞やラジオよりもさらに強力に、説教壇や告解室さえ使ってファシズム全体主義と闘っていました。

そもそも、大衆がプロパガンダに毒されやすいことがファシズム全体主義蔓延の原因であるとする近視眼的な自己欺瞞のほうが、はるかに問題です。その考え方自体がファシズム全体主義の根拠となるからです。

ファシズム全体主義との闘いは、民主と自由、権利と尊厳のための闘いです。大衆がプロパガンダによって、それらの大切な信条を簡単に放棄してしまうと認めるならば、それらの信条は守るに値しない価値になってしまいます。

プロパガンダの毒から守るためと称して、一定の言論を統制しようとするなら、大衆に自由と意志を認めないということであり、それ自体がファシズム全体主義です。現代のビッグテックがやっていることが、まさにこれです。

プロパガンダは、すでにそのニーズをもっている者、あるいは取り除くべき恐怖をもっている者しか関心を引くことができません。ですから、プロパガンダの成功は、原因ではなく、症状の存在を示すだけです。逆のプロパガンダによって症状が治癒することもありません。

ファシズム全体主義がもたらす全状況は、それまでの政治体制や社会体制の枠内における政治勢力図の変化などではなく、当時の世界のどこかにすでに存在し、位置づけられるものでもありませんでした。

「世界は、その基本において変化することはあり得ない」と考えてはいけません。ファシズム全体主義もまた、他のあらゆる革命と同じように、枠外からの革命であり、昨日までの基本のすべてを変え、破壊しようとするものであるという事実を直視し、認識することが必要です。

ファシズム全体主義革命の本当の原因は、価値観の変化、特に「人間の本性」と天地万物および社会における「人間の位置」という、もっとも重要な領域における価値観の根本的で根源的な変化です。ドラッカーによると、これらの変化だけが革命を可能にする原因です。

ファシズム全体主義の症状

ファシズム全体主義と他の革命との違いを理解するには、ファシズム全体主義に特有の新しい症状の分析から始めなければなりません。

恐怖、弾圧、残虐性、野蛮性などは、他の革命にも共通する症状であって、ファシズム全体主義に特有のものではありません。軍事独裁制や独裁者が下層社会出身であることも同様です。

ドラッカーによると、ファシズム全体主義に特有の新しい症状は、次の三つです。

  • 積極的な信条をもたず、もっぱら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する。
  • すべての古い考え方を攻撃するだけでなく、政治と社会の基盤としての権力を否定する。その支配下にある個人の福祉の向上のための手段として政治権力や社会権力を正当化する必要を認めない。
  • ファシズム全体主義への参加は、積極的な信条に代わるものとしてファシズムの約束を信じるためではなく、それを信じないがゆえに行われる。

ムッソリーニは、ファシズムが権力を握ったとき、いかなる政策、計画、制度も用意していなかったと自ら言いました。ヒトラーは、ナチズムの信条として、ゲルマンの神々、北欧の英雄、諸々の組織からなる団体国家、英雄的家族について説きましたが、大衆はそれらに関心を示しませんでした。

ムッソリーニもヒトラーも、何ら前向きの信条をもたずに何ものかを生み出そうとし、何ももたずに体制をつくろうとしました。行動が思想の前にあり、革命が信条や秩序に先行しました。ムッソリーニが言った「人が歴史をつくる」という言葉の意味は、そういうことでした。人類の歴史において、そのような革命は初めてであったといいます。

前向きの信条をもたずに革命が先行したわけですが、その革命の唯一の綱領は「否定」です。対立する二つの理念があれば、その両方を同時に否定しました。保守とリベラル、宗教と無神論、資本主義と社会主義、軍国主義と平和主義などの双方を否定しました。否定のあとに来るものは何もありませんでした。

ドラッカーは、ナチスの次のような演説を直接聞いたといいます。「われわれは、パンの値下げも、値上げも、固定化も要求していない。われわれは、ナチズムによるパンの価格を要求する」。「ナチズムによるパンの価格」に何の信条もありません。要するに、その時々に好きな価格を決めると言っているだけです。これがファシズム全体主義の本質です。

ファシズム全体主義による否定の中でも、ドラッカーが特に重要な意味をもつと考えるのは、「権力の正当性」に関するヨーロッパの伝統的考え方の否定です。ヨーロッパの伝統では、政治と社会の基盤としての権力は、「大衆の福祉向上」のためになるから正当化されます。キリスト教以降は、魂の救済、善き生活、生活の向上など「大衆に利益をもたらす」ことが正当性の根拠でした。絶対君主であってもそうでした。

キリスト教伝来以来のヨーロッパにおける基本的な理念は「自由」と「平等」であり、これらが大衆の福祉向上や利益の根拠でした。つまり、自由と平等を確保し、守るための正義が、正当な権力でした。

ところが、ファシズム全体主義は、「権力は自らを正当化する」ことを自明と考えます。

大衆心理への訴求

ファシズム全体主義においてプロパガンダ説が重視される理由は、大衆心理の重要性を認めているからです。

しかし、ドラッカーによると、「嘘も繰り返せば、事実として受け容れられる」との格言は、ファシズム全体主義の説明としては間違っているといいます。ドラッカー自身の経験として、もっとも狂信的な信奉者でさえ、ナチズムの公約に対する不信や無関心が行き渡っていたからです。ナチス党外では、不信どころか公の軽侮となっていたといいます。

ドラッカー自身がナチス心酔者と直接話をしたところ、ナチスの公約がそのまま実現すると思っている者はいなかったといいます。ナチズムのために命を捧げることを誓った人たちでさえ、ナチスが公約する世の中になることはありえないし、耐えられもしないと考えていたようです。反ユダヤ主義は「選挙向けのスローガン」に過ぎず、それを真面目に受け取っていたドラッカーは「馬鹿な単細胞だ」と何度も言われたそうです。

1933年以前にはドイツ人も戦争を嫌っており、ヒトラーの外交政策は長期的に戦争を意味せざるを得ないことは誰の目にも明らかであったにもかかわらず、ナチスの全党員ほとんどが、平和を望むヒトラーの宣言を信じていたといいます。

ヒトラーの公約は、一つひとつが互いに矛盾していましたし、大衆はそのことを知ってもいました。例えば、ゲッベルスは1932年の演説で「農民は穀物の値上げ、労働者はパンの値下げ、パン屋と食品店はより大きな利益を獲得する」と言いました。また、同年のベルリンの金属産業労働者のストライキにおいて、労働組合がストライキの終息を呼びかけていたのに対し、ナチスは共産党とともにストライキの続行を働きかけ、ヒトラー自身は公開の演説で、金属産業の経営者たちに対し、彼ら産業家に恒常の主導権を回復させると公約しました。

それでも大衆はナチズムのもとに群がり、ベルリンの労働者の半分、金属産業の経営者のほとんどがナチスの支持者となりました。

ヒトラー自身がその著書のなかで、嘘の必要性を平気で認めていたうえに、ナチスの幹部のそれぞれが真実の無視と約束の不可能さを公然と自慢げに話していたといいます。

これもドラッカー自身が見聞したことですが、大衆集会においてゲッベルスが特に大きな嘘を言い、聴衆がそれに熱狂したとき、「もちろん、これらのことはプロパガンダである」と言ったところ、さらに喝采を浴びていたといいます。このようなことが何度もあり、同じことがオーストリアでもチェコスロバキアでも起こっていたといいます。イタリアでは、ファシストが権力を握る前にすでに起こっていたといいます。

これらが示していることは、大衆はファシズムの公約を信じなかったにもかかわらず、あるいは信じなかったからこそ、ファシズムを信じたということでした。それ以外に言いようがありません。

背信ゆえに信ず

ファシズム全体主義では、行動が思想の前にあり、革命が信条や秩序に先行したと先に述べました。革命に先行する「前向きな信条」は確かにありませんでした。

しかし、本来であれば、行動の前に思想があり、革命の前に信条があるはずです。ファシズム全体主義の場合、前向きな思想や信条の欠如を補おうとしたものが、「否定」の強調でした。とにかく、何もかも否定することから始めました。

ドラッカーによると、もしヨーロッパの伝統に立つ解決が見つかったのであれば、ファシズム全体主義がそれを利用したであろうことは疑いないと指摘します。「前向きの信条」にできるような、ヨーロッパの伝統を維持しつつ問題を解決する方途が存在しなかったからこそ、「否定」を強調するしかなく、自由と平等、権力の正当性を放棄するに至ったわけです。

ですから、ヨーロッパの基本的な諸概念を、これまで数百年にわたって進んできた方向に向けてこれ以上進めることができなくなったことが、最大の問題でした。これが、ファシズム全体主義の興隆の基本的な原因です。

これによって、ファシズム全体主義が大きな矛盾を抱えていたにもかかわらず大衆心理に訴求できた理由を説明することもできます。将来に絶望した大衆は、不可能を可能とする魔術師にすがろうとします。旧秩序が崩壊しているのに新秩序が欠落しているから絶望しており、だからこそ矛盾と不可能を公然と主張する魔術師に熱狂しました。それしか選択肢がなかったからです。

ヒトラーには、魔術師を思わせるカリスマがあったといいます。

ファシズム全体主義は、信条と秩序の代役に「組織」を充てました。「組織」こそが問題解決のためのお守りであり、「組織」の栄光こそが最終目的でした。

このような思想に対して、ドラッカーは、自由と平等というヨーロッパの伝統を基盤とする新しい秩序をもって対峙しなければならないと主張しました。