「モチベーション」という言葉は、外来語として普通に使われるようになりました。
「モチベーションが高い、あるいは、低い」、「モチベーションが上がる、あるいは、下がる」とった使い方が普通にされています。
ただ、使い方を見ていると、少し混乱していると感じます。
一般の人が気分で使っている分には害がありませんが、職場で使う場合、注意しないと効果があがらないどころか、逆効果になりかねません。
ここでは、ドラッカーの『マネジメント』のほか、桑田耕太郎・田尾雅夫『組織論』(有斐閣アルマ)、金井壽宏『経営組織』(日本経済新聞社)などをもとに、仕事に関わることに限定して、モチベーションについて理解したいと思います。
モチベーションの定義
一般的な使い方
「モチベーション(motivation)」は、「動機(づけ)」、「刺激」、「やる気」などと訳されています。
さらに「動機」を調べると、「人間がある状況のもとでその行動を決定する意識的・無意識的な原因」などという意味があります。
複数の意味が混在しているようです。
- 人が何かに取り組む意欲そのもの
- 人が何かに取り組む意欲を起こさせる原因となるもの
前者の方は、人の感情自体を指しているようです。
後者の方は、その感情を引き起こす原因です。
いろいろな人の実際の使い方を見ていると、両方の意味で使われていると思われます。
さらに、後者の「原因」についても、2つの意味合いがあるようです。
- 外部的な原因、すなわち外からの刺激
- 内部的な原因、すなわち本人の価値観、欲求など
「3.外部的な原因」は、インセンティブと呼ばれることもあります。
これら2つの原因は、同時に影響を与えることもあるでしょう。その内容やバランスによって、人の意欲を高めたり、低めたりします。
例えば、ある会社で、社員の働く意欲を高めたいと思って、社会保険に加入しようと考えたとします(「3.外部的な原因」=社会保険加入)。
果たして、社員の意欲は高まるでしょうか?
高まるかもしれませんし、高まらないかもしれません。その人の「4.内部的な原因」によって違ってくるからです。
その人が独身で、病気や老後の生活が不安なら、その不安を解消したいという欲求を持っているでしょう。社会保険加入によって不安が解消され、働く意欲は上がる可能性があります。
その人が既婚者で、被扶養者として仕事をしたいと考えているなら、扶養の範囲内で、できるだけ多く収入を得たいという欲求を持っているかもしれません。被扶養者ですから配偶者の社会保険が使えます。自分が単独で加入すると、手取りの給料が下がりますので、働く意欲は下がる可能性があります。
モチベーションについて考えるとき、上記4つの意味合いを考慮しなければいけません。議論する際も、どの部分について議論しているのかをはっきりさせておかないと、議論が噛み合いません。
仕事におけるモチベーションの定義
人によって定義は微妙に異なっています。桑田耕太郎・田尾雅夫『組織論』(有斐閣アルマ)では、次のように定義されています。
組織や仕事に対する価値的な態度
分かりやすい定義ではありませんが、上記の1.と2.の両方を含んでおり、原因の内容に関しては、4.の方を重視しているように思われます。
モチベーション論の2つの流れ
仕事におけるモチベーション論には、大きく2つの流れがありました。
1つは、モチベーションの内容に関する説です。上記の「2.人間が何かに取り組む意欲を起こさせる原因となるもの」の具体的な中身です。
その説は「欲求説」あるいは「内容説」と呼ばれています。
モチベーションの内容(原因)は「人によって共通である」という考え方がベースにあり、それを突き止めようとするものです。
ただし、その内容(原因)には様々な視点が混在しており、上記の「3.外部的な原因」と「4.内部的な原因」の両方が含まれています。
もう1つのモチベーション論は、動機づけの過程に着目するものです。内容(原因)ではなく、どのようにしてモチベーションが働くのかという議論です。
「過程説」、「文脈説」、「選択説」などと呼ばれています。
この流れは、欲求説を補うために後から出てきました。
モチベーションの内容(原因)は人によって違う、あるいは状況によって変化するという考え方がベースにあります。
ですから、とりあえず内容(原因)は置いておいて、モチベーションの働き方(過程)を突き止めようとするものです。
モチベーションの内容(原因)〜欲求説、内容説
人は何によって働くことに動機づけられるのか、その内容に関する理論です。代表的なものをいくつか紹介します。
マズローの欲求階層説(自己実現モデル)
人間には大きく分けて2種類の欲求があり、その欲求がモチベーションを高めるという考えです。
- 欠乏動機: 自分が満たされておらず、それを満たしたいという欲求
- 生理的欲求: 食欲や性欲、睡眠など
- 安全の欲求: 衣や住など
- 社会的欲求: 集団に所属したい、友人が欲しい
- 自尊の欲求: 他人よりも優れていたい
- 成長動機: 満たされるほど一層関心を強化される欲求
- 自己実現の欲求: 行動することによって報酬を得るのではなく、行動そのものを目的とする
これら5つの欲求は階層になっており、1.から5.の順に働きます。
欠乏動機(1.〜4.)は、一定のレベルで満たされると、それ以上行動の動機にはなりません。
1.が満たされていないと、まずそれを満たそうとして行動します。満たされると、次は2.の欲求を満たそうとして行動します。そのようにして順に欲求が働いていきます。
成長動機(5.)は、一定のレベルで満たされるのではなく、満たされれば満たされるほどさらに強い欲求となっていきます。
この理論は、実証的な妥当性に欠けるとして批判されることも多いですが、今でもよく引用され、大きな影響力を持っています。
ハーズバーグの二要因説
動機づけの原因となる欲求を2つに区分する考え方です。
特徴は、2つの要因が階層をなしているのではなく、まったく逆の方向に働くと考えるところです。
- 衛生要因: 外発的な不満足要因
- 賃金
- 福利厚生などのフリンジ・ベネフィット
- 作業条件
- 経営方針
- 人間関係
- 動機づけ要因: 内発的な満足要因
- 達成
- 評価
- 働くこと自体
「衛生要因」は、なければ不満だけれども、あったとしても満足に至ることはないものです。仕事以外の周辺条件に当たるものです。
インセンティブとしてよく用いられる賃金や福利厚生が、こちらに分類されているところが注目されます。つまり、賃金や福利厚生は、不満の解消にはなっても動機づけにはならないとうことです。非常に重要な点ですが、未だに理解されていないところです。
「動機づけ要因」は、満足を高める要因です。仕事そのものに関わることが分かります。
衛生要因(仕事以外の周辺条件)は不満を解消するために一定水準の維持が必要ですが、仕事そのもの重視しない限り、満足を高めることはできないということです。
マズローの欲求階層説は欲求自体の内容を特定しています。
一方のハーズバーグの二要因説は、欲求自体ではなく、欲求に働きかける要因を特定しているところが違います。
マグレガーのX理論、Y理論
動機づけの内容とは若干趣きが違います。仕事に対する人の考え方や姿勢に関する理論です。
マグレガーのオリジナルな研究ではなく、ドラッカーの『現代の経営』など、他の研究者の考え方をまとめた理論とされています。
マグレガーは、同時代(1950年代)にアメリカで働く管理職にインタビューし、彼らの間に「人はなぜ働くのか」について、まったく対照的な考え方が存在することを発見しました。
それらをX理論、Y理論と名づけました。
- X理論
- 人は生来仕事が嫌いで、できれば仕事をしたくない
- 人は強制、統制、命令、処罰がないと、きちんと働かない
- 人は命令される方が好きで、責任を回避したい
- 人はあまり野心を持たず、なによりもまず安全を望んでいる
- Y理論
- 人は自分が進んで身を委ねた目標のためには自らに鞭打って働く
- 献身的に目標達成に尽くすかどうかは報酬にもよるが、自我の欲求や自己実現の欲求が重要である
- 人は条件次第で進んで責任を引き受け、責任を取ろうとする
- 大抵の人は、問題解決のために高度の想像力を駆使し、創意工夫する能力を持っている
マグレガー自身は価値判断をしていませんが、X理論は古い間違った考え方であり、Y理論の方が新しく正しい考え方であると理解されています。
この理論で指摘されている重要な点は、「自己成就サイクル」と呼ばれるものです。つまり、管理者がどちらかの考え方を持って日々の管理を行っていると、部下もそのように振る舞うというものです。
ですから、Y理論の考え方をもって管理を行えば、部下もその考え方に従って行動するようになると考えられています。
動機づけの過程〜過程説、文脈説、選択説
人はどのように動機づけられるのか、その過程に関する理論です。
動機づけの内容(原因)を特定しようとはしません。
むしろ、人は特定の価値や欲求を持っているのではなく、それらを自分で変えるようなダイナミックな存在であると仮定します。それらを自ら選択することによって、働く意欲を意図的に向上させることができる存在であると考えます。
つまり、「何か有効な餌をぶら下げたら、人はやる気になる」という考え方ではありません。
その餌が何であるかではなく、どのようやり方でアプローチされるかで動機づけられるかどうかが決まってくる、という考え方です。
公平説
グッドマン、フリードマンらの考え方で、努力したことが公平に報われているかという個人の評価がモチベーションに影響を与えているという説です。
「報い」の内容は、いろいろと考えられるわけです。
強化(学習)説
ルーサンス、ハムナーらの考え方です。
- 人の行動は、適切な報酬を適宜受けることで、その行動は一層頻出する
- 報酬を受けなかったり、罰せられたりすると、その行動は控えられ消えてしまう
ここでも「報酬」の内容は問うていません。
期待説
ヴルーム、ポーター、ローラー、ハックマンらの考え方です。モチベーションの強さは、期待と誘意性の積で決まるとする説です。
- モチベーションの強さ=期待×誘意性
- 期待: 努力によって相応の成果が得られる可能性
- 誘意性: その成果の価値、重要性、必要性の程度
動機づけにかかわらず、様々な分野に応用できると考えられています。
目標設定モデル
自分で何をどのようにすべきかを決定できる状況で、人のモチベーションは高揚するというものです。
自ら達成可能な目標を立て、それを成し遂げ、評価を得て、さらに以前を上回る目標を立てるという好ましい循環が成立します。
意思決定への参加を奨励するモデルであり、実際に効果があがっていると言われています。
ドラッカーの考え方
ドラッカーは、以上のようなモチベーションの考え方を幅広く取り入れて議論を展開しています(参考:「働くことの力学」、「働く人と働くことのマネジメント」、「仕事への責任と雇用の保障」、「人は最大の資産」)。
マズローの欲求階層説への評価
マズローの欲求階層説について、次の点を高く評価しています。
- 人間の欲求に限界効用のコンセプトを適用したこと
- 欲求が固定したものではなく変化するものであること
- 欲求は満足させられるほどに重要性を減少させていくこと
しかし、マズローが気づかなかった新たな洞察をドラッカーは得ています。
欲求は満足させられていくに従い、重要性だけでなく性格を変えていくこと
性格の変化にはいくつかの側面があります。
欲求は満足させられるほど動機づけの力は弱まるが、その不足が不満を増大させ、やる気を失わせる力を強める
例えば、食事の心配をしなくてもよくなるほど、経済的な報酬に喜びはなくなっていきます。その代わり、経済的報酬の不足による不満をもたらす力が、急速に大きくなっていくと指摘しています。
例えば、失業して生活の危機にある人が、時給1,000円で雇用されたら、その人の仕事に対するモチベーションはしばらく高い状態になります。
それで生活が安定し、食の不安がなくなると、今度は、「もっと良いものが食べたい」などといった欲求が出てきて、「時給1,000円では不足だ」という不満が急速に大きくなってきます。
ついには「時給が1,000円のままで上がらない」ことが不満になってきます。
そこで時給が1,300円に上がったら、その人のモチベーションはしばらく高まりますが、同じように急速に不満に変化していきます。
もし不況になって、時給が1,200円に下がったら、その不満はきわめて大きなものになるでしょう。当初の1,000円の時よりも大きな不満になる可能性もあります。
ハーズバーグの二要因論の言葉を使えば、経済的な報酬は、動機づけ要因から衛生要因へと変わるということです。これを放置すると、重大な阻害要因となります。
欲求が満足させられるほど、労働の各側面の性格は変化していく
報酬は、働くことの経済的側面から、社会的側面あるいは心理的側面のものへと変化していきます。
当初は給与の総額が問題であったのが、総額に満足してくると、同僚間の給与格差が問題になります。たとえわずかな差であってもです。
あるいは、給与に対する満足が得られていた状態でも、一定の地位を新たに手にすると、それに見合った報酬の増額、住宅、事務所、秘書、その他福利厚生などを求めます。
生活や仕事には全く支障がなくても、高い身分に相応しい環境(ステータス)を求めるようになるわけです。
報酬が本当の意味で動機づけ要因になるのは、仕事そのものによって動機づけられ、働く人が自らの仕事に責任を持つ用意があるときです。
仕事が生産的なものであり、強みが生かされ、自己目標管理が機能しているとき、成果に見合った報酬が提示され、実際に支払われるならば、動機づけを高めることになるでしょう。
動機づけの内容説と過程説(期待説や公平説)が複合的に作用するものと言えるかもしれません。
いずれにしても、報酬は劇薬です。下方硬直性がきわめて強い(上げることは簡単でも、下げることは難しい)ので、仕事そのものによる動機づけを伴わず、報酬によって動機づけようと目論むと、「ドーピング」と同様、相当痛々しい副作用を伴うでしょう。
マグレガーのX理論、Y理論への評価
Y理論のベースになっているのは、もともとドラッカーの考えでした。
マズローは、Y理論を実践しようとした中小企業を1年間調査しました。
その結果、Y理論における責任と自己実現は、心身ともによほど強い者でなければ耐えられない重荷を課すと主張しました。
強い者でさえ秩序と方向づけを必要とし、ましてや弱い者は責任という重荷に対して保護を必要とすると指摘しました。
マズローの指摘を受け、ドラッカーは、X理論とY理論はいずれも人についての正しい定義ではなかったことを認めました。
精力的な者もいれば怠惰な者もいます。
しかも、同じ者が、異なる状況のもとでは異なる反応を示します。ある状況では真剣に仕事をしない者が、ある状況では仕事を通じて自己実現までします。
ドラッカーの結論はこうです(『マネジメント』)。
問題は人間の本性でも個性でもないということである。単に、異なる状況では異なる反応をする人たちがいるというだけのことである。(中略)
動機にせよ衝動にせよ、その元となるのものは常に人の外にある。つまり、人はX理論やY理論のようには動いていないということである。
人がいかに動くかを決め、人がいかなるマネジメントを必要とするかを決めるのは、人の本性なるものではなく、仕事そのものだということである。
ドラッカーは、ハーズバーグの動機づけ要因についても一定の評価をし、議論に取り入れていることがうかがえます。
ただし、衛生要因については、そのまま受け入れておらず、マズローの欲求階層説に従って、一定の水準までは動機づけ要因として機能すると考えているようです。上の例にあげた給与の例が典型です。
一定の水準を超えると、性格を変えて衛生要因として機能すると考えています。
また、過程説についても、随所に取り入れています。