人の使い方と動かし方 − 「X理論」と「Y理論」①

軍隊や教会をモデルにして生まれた古典的な組織原則は、統制の中心的で不可欠の手段として「権限」を据えています。

実際のところ、「権限」は、多様な統制手段の一つでしかありません。

組織が人の協力関係なしは相互依存関係によって成り立っている以上、権限を背景にした命令による統制は、特別な場合を除いて効果的でないことがほとんです。

人を動かす力とは、権限の大きさではなく、状況に応じて相応しい方法を選び出す力です。

古典的組織原則の問題

従来から信じられてきた組織原則には、組織階層、権限、指揮命令の統一、専門的分業、ラインとスタッフの分離、管理限界、責任と権限の一致などがあります。

これらの原則は実地の研究に基づくものではありませんでしたが、事実として教えられてきました。マグレガーは、そこに3つの問題を指摘します。

第一に、古典的組織原則は軍隊や教会をモデルにして生まれたもので、近代企業とは重要な点で異なっていることです。

例えば「指揮命令の統一」は、戦場のような緊迫した場面以外では必要不可欠とは言えず、実態とも異なっています。

ほとんどの職場では、複数の上司が仕事を制約しています。ラインとチームに並行して所属している従業員は多く、複数の上司に指揮されています。家庭には、通常、父母という2人の上司がいます。

第二に、古典的組織理論は「ethnocentrism」にかかっていることです。「自民族中心主義」と訳されます。政治的・社会的・経済的な外部環境の影響を無視して、経営活動を考えているという意味です。

企業が置かれている環境は大きく変化しているため、上司がその都度命令を下すのではなく、比較的広範な目的の範囲内で、現場の状況に応じて、従業員が行動を調整できなければなりません。

第三に、古典的組織理論は、人間の行動に関する多くの仮設の上に成り立っているものの、それらの仮設は部分的にしか正しくないことです。

人の動かし方

古典的組織理論の中核には、「権限」こそが経営統制の中心的で不可欠の手段であるという考え方があります。権限の上下関係を形にしたものが「組織構造」です。権限の上下は、権限の幅の違いです。

ここで考えるべき重要な問題は、「権限」は経営統制の中心的で不可欠の手段ではなく、経営統制の一手段でしかないということです。

経営の「統制」は、目標を達成するために「皆の力を結集する」することですから、権限による命令や監督以外の方法がいくつもあります。説得、相談、協議、援助なども一般的な方法です。

「強制しなければ人を動かせない」という考えは極端であり、自主的に人が動くように方向づける方法が様々に存在しているということです。

どれかが唯一正しいということではなく、人や状況によって相応しい方法やその組み合わせが異なるということです。

相手の能力を変えてその目標を達成させてやれるかどうか、また欲求を満足させてやれるかどうかによって、その人が動くかどうかが決まります。

「相手の能力を変える」とは、積極的な方法としては、道具を与えたり、助言を与えたり、報酬を約束したりすることによって、その人の能力を高めたり、より発揮させたりする方法があります。消極的な方法としては、罰を警告することによって手を抜かせないようにする方法があります。

人を動かすということは、一方が他方に依存する関係を前提としています。一方的な依存の場合も、相互的な依存の場合もあります。

「相手の望みを叶えるために自分が何か役立つことができる」と相手に思ってもらわない限り、相手を動かすことはできません。

この依存関係の質と度合いが、統制方法の選択に関わります。

権限の限界

権限が人を統制する手段として効果的であるかどうかは、まず罰則を用いて権限を強行し得るかどうかで決まります。

企業の最高の罰則は「解雇」であり、それ以外に、減給などの制裁があります。しかし、現在は、労働法の整備によって解雇権や制裁の乱用は禁止され、失業給付などのセーフティネットも整備されています。

罰則を伴う権限があるといっても、従業員にも様々な報復手段があり、現実に取られてきたという事実があります。組織的な怠業や生産制限、目標への無関心、言い訳や責任回避などです。

経営者と従業員は相互依存の関係にあり、経営者は、企業の目標を達成するためには従業員に頼らざるを得ないのです。

企業は社会の福祉に奉仕することによって存在を許された機関であり、そもそも経営者の権限の正当性は社会によって容認される範囲でしか存在し得ません。自由企業社会においては、そもそも経営者の権限の絶対性に根拠はないのです。

従業員も社会の一員であり、企業の存在を容認している側にも属していることを考えれば、経営者の統制においては、従業員を動機づけ、その能力を活かし、その欲求の充足にも貢献し得る手段を活用することが求められます。このことが、企業の社会的存在意義にもつながります。

人に依存する心理

人の依存関係には、プラスの面でもマイナスの面でも強い感情的反応を伴います。プラスの面では満足感や安心感が伴いますが、マイナスの面では束縛感や敗北感を伴います。感情的な衝突も起こります。

他方、人に依存しない、すなわち独立しているということが、自由という満足感を伴う一方、恐怖心を伴うこともあります。

社会は相互依存する人々の集まりであり、他人に依存しないで生きていくことはほとんど不可能です。しかし、独立した人々であるからこそ、互いの依存関係を有意義にすることもできます。

人は依存と自立を共に求める存在であることは否定できませんから、それらの間でバランスをとる能力を持つことが必要です。

経営者の態度は柔軟であれ

部下に対する経営者の態度は画一的なものと考えられがちですが、実際のところ、周囲の情勢は時々刻々と変わるため、それに応じて経営者の行動も変わり、人の動かし方も変わります。

人間関係についても、それぞれの立場に一定普遍の役割を割り付けようとしがちですが、人は時の移り変わりに従って役目がいろいろ変わるものです。

管理者も、部下の指導者でありつつ、仲間の一人でもあります。意思決定者であり、懲戒権者であり、協力者であり、コンサルタントでありつつ、傍観者に過ぎないこともあります。それぞれの役目に応じて、部下に対する態度は変わります。

経営者の役目も唯一不変のものではなく、いろいろな役目の複合体です。役目の柔軟さがあってこそ、人を動かすことができます。

経営者がどれだけ柔軟であるかは、自身の理論的な考え方や態度のほか、部下が経営者をどう思っているかによっても決まります。

明らかに矛盾した役割を同時に強いられると、相手との間に緊張・困惑が生じます。その結果、会社の被る損失も少なくありません。

相手に応じた人の使い方へ

経営者の狙いが、人を動かして企業目標を達成することにあるならば、人を動かすための手段は一律でなければならないとするほうがむしろ不合理です。

権限が不要であるということではなく、権限のみに頼ることが問題です。権限は一つの手段に過ぎず、それに代わる手段はいくらでもあります。状況に即して相応しい手段を選ぶことが大事です。

権限を使ってうまく行かないのであれば、権限を強めようとするのではなく、別の方法を使わなければなりません。

人を動かす力とは、権限の大きさではなく、状況に応じて相応しい方法を選び出す力です。