職場での今どきのいじめ事情

民事上の労働相談で、近年、最も多いのが「いじめ・嫌がらせ」です(参考:「今どきの労働問題に見えるブラック企業の兆候」)。

件数は、この10年で倍以上に増加しており、特に若い人たちの「いじめ・嫌がらせ」に対する認識の変化が感じられます。

以前までは、何となく「教育の一環」と位置付けられてきたような厳しめの対応が、若い人には「いじめ・嫌がらせ」に感じられるということではないかと思います(参考:「警告:これって社員いじめになりますよ!」)。

「若い者は弱くなった」と言い捨てるのは簡単ですが、改めて考えてみると、「教育」と称して、部下たちに対して、十分に仕組み化せずに安易な方法で強いてきたことの付けが、今頃になって回ってきたとも言えるのではないでしょうか。

そもそも、若い人たちは、どのようなことを「いじめ・嫌がらせ」ととらえているのでしょうか?

労働相談の内容から、典型的な例をいくつかあげてみたいと思います。

意見を聞いてくれない

「顧客第一」「お客様本位」

といったフレーズは、いろいろな会社で使われています。

私が関わった経験では、これを心から正しいと思って本気で実践している会社は多くありません。

「クレームは宝の山だ」という言葉は、顧客対応を取り上げた書籍にも度々出てくるので、この言葉を使う社長もよくいらっしゃるようです。

経営者が率先して実践し、自ら積極的に顧客のクレームに対応されるのであれば、それは素晴らしいことです。社員に対する啓発力は大きく、組織文化としてしっかりと根づいていくことでしょう。

でも、そうでない場合も多く、社員にクレーム処理を押し付けるための口実(お題目)として使っている場合も少なくないようです。

そういう会社の社員は、「顧客からのクレームは宝の山だというくせに、社員の意見には全然耳を貸さない」と言います。

経営者の中には、「顧客はお金を払ってくれるのだから言うことを聞かざるを得ないが、社員にはお金を払ってやっているのだから言うことを聞く必要はない」と明言される方もいます。

お金で人の感情を買えると思っている人たちです。

「社員にお金を払ってやっている」のは紛れもない事実ですが、「だから、社員に何を求めるのか?」については、考え方が分かれるようです。

「だから、社員は黙って言うことを聞けばいいんだ」というのは、まともでない会社、いわゆる「ブラック企業」です。

まともな会社はこう言います。

「だから、会社を良くするためにどんどん意見を言って欲しい。」

これを、きれい事だと言うなら、それまでです。

でも、これを実践している会社はちゃんとあります。

社長は会社で一番偉いですから、部下から意見されるのは気持ち良いものではありません。生意気で腹が立つことも、当然あるでしょう。

それは当たり前の感情です。それが分かっているからこそ、感情に流されないよう「そうしなければならない」と思って実践しているのです。

そうしないと、会社は生き残っていけないからです。

だから、意見を聞くのは、道徳的な意味があるからではありません。親切心でやることでもありません。

社員の意見を聞くことは、社長の「仕事」であり「役割」です。それは社長という「職務に付随する機能」です。そのように思っておくことで、感情を乗り越えることが大切です。

ここで一つ大切なことは、

「意見を言いたい奴は言いに来ればいい」

という高圧的な態度は逆効果です。それで意見を言いに来る部下は、よほど勇気があります。そんな部下なら、「意見を言え」と言わなくても言いに来ます。

やはり、意見を聞く姿勢を示し、時間を取らなければなりません。

特に若い人に対してはそうです。若い人たちを傍から見ていると、ちっともやる気がないように見えることがあります。頼りなく、仕事もできなさそうに見えます。

でも、実際に仕事を丁寧に教え、任せてみると、見違えるようにしっかりやれる、ということがよくあります。意見を聞く姿勢を見せると、前向きな意見を滔々と述べる、ということもよくあります。

でも、上司が黙っていて何も言わないと、いつまでも何もしないし、何も聞いてこない、ということが結構あります。そんな状態で「自分は放っておかれている、いじめられている」と考えてしまう若い人たちがいるわけです。

このあたりのところが、世代の違いを感じるところです。こんなものだと思って割り切って、若い人には積極的にアプローチした方がよさそうです。

結果責任ばかりを問われる

「結果責任を問われる」という問題は、かなり多いです。

結果で教育する。失敗から学ぶ。

と言えば、何となく聞こえはいいですが、はっきり言って上司の怠慢です。

事前の説明や指示が全くないわけではありませんが、あっても曖昧で不十分です。指示する側は分かっているのでしょうが、指示される側は分かっていないのです。指示する側が、そのギャップを理解していません。

曖昧な説明や指示がなされる理由は、

マニュアルがない

からです。

マニュアルがないと、

人によって言うことが違う

という問題も起きます。仕事がよく分からない状態で違うことを言われると、余計に混乱して、本当にどうしたらいいか分からなくなります。

さらには、言われたとおりにやったのに、その結果を見て、

事前に説明や指示をされていないことで怒られる

ことさえあります。

分からない仕事、慣れていない仕事で、このようなことが続くと、「いじめられているのではないか」という感情が湧いてくるのは仕方がないと思います。

こういうことに対して、

マニュアルなんていらない。マニュアルがあると画一的になって、創意工夫や改善ができない。

と言う人たちがいます。自分たちはそうやって学んできたということでしょう。

マニュアルは、最低限の質、標準的な質を確保するために必要なものです。マニュアルによって、何も分からない社員を一定レベルまで引き上げる必要があります。

そこから先が、創意工夫や改善です。

マニュアルがあるから創意工夫や改善ができないのではありません。

マニュアルによって一定レベルの実力が付いたからこそ、創意工夫や改善の提案ができるようになるのです。

そうやって、マニュアル自体もどんどん良い内容に改善されていきます。

マニュアルなしの創意工夫や改善は、単なる「好き勝手」にしかすぎません。

厳しすぎるノルマ

「結果責任を問われる」ことと同類です。

ノルマの未達成や失敗を、激しく叱り飛ばします。場合によっては、違法性のある大幅な減給の制裁もあります。

「具体的に何がいけなかったのか」、「どうすればよかったのか」、「今後どうすればノルマを達成できるようになるのか」は、一切教えてくれません。

「自分で考えろ」としか言いません。

要するに、上司も説明ができないし、達成できないようなノルマなのです。自分もできないから、説明できないのです。

これは、完全ないじめです。

そもそも、「ノルマ」自体が悪いわけではありません。ノルマは目標であり、仕事には目標が不可欠です。目標のない仕事は仕事ではなく、ただの趣味です。

大事なことは、

ノルマを達成するためのプロセスが明確になっていること

です。

プロセスが明確になっていないノルマは、最初から達成できないような無茶なノルマの可能性があります。

ノルマを設けるときは、同時にプロセスもあらかじめ明確にしておくことが前提です。

ですから、ノルマが達成できなかったときは、プロセスに問題がなかったかどうかをまず検証しなければなりません。上司と部下が一緒になって検証する必要があります。

問題が見つかったら、その点を改善するよう指導しなければなりません。

プロセスに問題が認められないようであれば、プロセス自体の改善を一緒に検討する必要があります。

そんなの常識

上司が部下を叱るときの言葉で、よく使われます。

「そんなの常識だろ! そんなことも知らないのか?」

これは、若い人に限らず、人格を傷つける言葉です。

「社会人として失格」の烙印を押されているかのように感じます。

使っている側は軽い気持ちかもしれませんが、はっきり言って「いじめ」です。とても無責任で非論理的です。

そもそも、「常識」とは何でしょうか。

「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別」

といった意味があるようです。

「共通」とか「普通」という説明が使われていますが、そもそも「共通」とか「普通」をどのように知るのでしょうか? マスコミでしょうか? マスコミはいつも正しいのでしょうか?

上司から叱られたときに、「なぜ、それをしてはいけないのですか?」と質問して、「そんなの常識だろ」としか答えられないとすれば、その上司は無能です。

論理的に説明ができないことを証明しているからです。

そういう場合に使われる「常識」という言葉は、要するに「上司の自分勝手な考え」というくらいの意味しかありません。説明ができない以上、そうとしか解釈できません。

決して使うべきではない言葉です。別の論理的な言葉に置き換えるべきです。

それができないなら、「単なる思い込みであって、本当は正しくないかもしれない」と疑った方がよいです。

本当は部下の方が正しいかもしれないのですから。

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