教育訓練の管理 − 「人事管理」とは何か?⑤

人事管理の課題は、事業活動を円滑に遂行するうえで必要とされる質の労働サービスを、必要とされるときに必要とされる量だけ適正な価格で確保することです。

人事管理はいくつかの異なる機能で構成され、一つは、人材を確保し、仕事に配置する機能です。これは「雇用管理」と呼ばれ、さらに「採用管理」、「配置・異動の管理」、「教育訓練の管理」、「雇用調整・退職の管理」に分けられます。

この記事では、「教育訓練の管理」について説明します。

日本企業にとって、経営の高付加価値化は戦略の基本です。付加価値の高い製品・サービスは、人の知恵と工夫の集積ですから、その成功は、社員をいかに有能な人材集団に作り上げるかにかかっています。

ところが、不況になると真っ先に削減される費用の一つが教育訓練費です。教育訓練がすぐに効果をあげるものではないうえに、効果の確認が難しいからです。

市場や技術が変わるという状況の中では、有能な人材を育成することが一層難しくなるという問題もあります。環境が不確実であれば、育成すべき人材像も不確実にならざるを得ません。

そもそも「有能」とは、明確に定義された特定の目的を追求する組織やグループ(ここでは「場」と呼びます。)の中で、「場の目的にどの程度貢献しているか、あるいは貢献できるか」という基準をもって人を評価する表現です。

現実には「場」自体が常に変化するので、人材育成にとって、「場」の変化、更には「場」が認める「優秀な人材」の変化を理解することが重要です。

「場」の変化のトレンドが不透明な状況では、個人としては、「場」の変化に合わせて能力の再開発に努めつつ、「有能な人材になる」確率を高めるか、「有能でない人材になる」リスクを最小にすることが合理的な対応になります。

そのためには、第一に、不透明なトレンドをできる限り正確に予測し、事前に対応していくという努力が必要です。現在起こりつつある、あるいは将来起こるであろう多様な変化の可能性の中で、自分がどの位置にあるのかを認識し、進むべき方向を模索するという営みが大切です。

不透明なトレンドへの対応として、異質人材あるいは外部人材との接触の重要性が、教育訓練の方法として強調されています。

第二に、不透明なトレンドを織り込んで、将来の多様な事態に対応できるように準備をしておくことも重要です。

変化に柔軟に対応できる人材であること、一つの深い専門分野に加えて周辺分野の能力を広く持った人材であることも、人材育成の目標として強調されます。問題解決能力やリーダーシップ能力などが、それに該当します。

人材育成と教育訓練

企業は、複数の人が意識的に協力して、共通の目的を達成する組織の一形態です。個々の社員は、組織の目標を踏まえて自分の課題を設定し、その達成のために他者と協力しながら専門的な能力を発揮し、その過程で発生する問題に対応します。

この過程で必要とされる能力は、課題設定能力、専門的な職務遂行能力、対人能力、問題解決能力です。

企業は、経営戦略とそれに基づく組織と仕事の特性に応じた「人材需要(必要能力)」を持ちます。これに対して、企業の「既存人材の現有能力」があり、両者のギャップが人材ニーズになります。

このニーズを充足するためには、ニーズが生じた業務を外部に任せるか、ニーズに見合った能力を持つ人材を社内あるいは社外から調達するか、社内の既存人材の能力構成を調整するか、の3つの方法があります。この最後の方法が「人材育成」です。

人材育成は、企業が求める能力と社員が持っている能力との乖離を埋めることを目的とした経営活動であり、課題設定能力、専門的な職務遂行能力、対人能力、問題解決能力のいずれかを対象とします。

人材育成の方法には、知識やスキルを教える「教育訓練」と、一連の仕事を経験させていくことによる「キャリア開発」の2つの方法があります。

教育訓練においては、まず「目標」が重要です。企業が必要としている「使える能力」であり、かつ採算がとれる「儲かる能力」を開発することでます。その目標を実現するために、対象分野、各分野への資源の配分を決めた基本計画(教育訓練の戦略)を作成します。

この戦略に沿って教育訓練が計画され、実施され、評価されます。これが「教育訓練の管理」です。「誰が」、「誰に」、「何を」、「いかに」教えるのかが主な内容になります。

同時に、教育訓練成果に対する報奨など、社員の教育訓練意欲を高めるためのインセンティブ制度を用意すること、社員の能力特性や教育訓練経歴を記録し、活用するための人材情報システムを構築することなども重要です。

教育訓練の戦略

教育訓練の分野は、ニーズの時間軸(短期・長期)と不確実性(想定した能力ニーズが変化する可能性)の観点から類型化することができます。

時間軸の観点からは、まず「短期需要充足型」、すなわち社員の現有能力と現在の仕事が求めるニーズとの間に生じているギャップを埋めるための教育訓練があります。もう一つは「長期先行投資型」、すなわち将来のニーズ予測に基づいて事前に行う教育訓練があります。

ニーズが不確実であるためにリスクが問題になるのは、「長期先行投資型」です。リスクが大きい場合を「戦略投資型」、リスクが小さい場合を「人材ストック保全型」と呼びます。

「人材ストック保全型」は、教育訓練の目標が将来にわたって明確で変化しない場合を想定しますので、長期的な教育訓練計画が策定され、体系的な教育プログラムが整備されます。

「戦略投資型」は、将来のニーズが不確定であることを前提に、いかなる場合にも対応できる能力、すなわち、広い分野にわたり普遍的に活用できる高度な基礎能力を教育することを基本とします。

教育訓練の方法

教育訓練には、OJT(On-the-Job Training)、Off-JT(Off-the-Job Training)、自己啓発の3つの方法があります。

OJTは、上司や先輩の指導のもとで、職場で働きながら行われる訓練です。Off-JTは、仕事から離れて、教室などで行われる就業研修などの訓練です。自己啓発は、本を読む、通信教育を受けるなど、自分で勉強する方法です。

日本企業はOJTを重視するのに対し、欧米企業はOff-JTを重視する、ととらえる傾向がありますが、日本も欧米も、企業が行う教育訓練の中心はOJTであり、Off-JTはそれを補完するものです。

日本、アメリカ、ドイツにおいて、現在の仕事を行ううえで効果的な教育訓練機会を調査した結果によると、現在の職能内でいろいろな仕事を経験すること、特定の仕事を長く経験することが、3カ国のいずれにおいても特に有効とされています。

OJTの進め方と特徴

OJTでは、上司は、部下が業務上どのような能力を必要とし、どのような特性と関心を持っているのかを把握し、それに基づいて育成目標を立てます。この育成目標と現状の能力とのギャップから、訓練目標を設定します。

次に、訓練目標を達成するための手段やスケジュールからなる訓練計画を作成し、OJTを実施します。最後に、実施結果を評価し、次の目標や計画の設定に役立てます。

OJTを効果的に行うためには、育成の観点から、より難しい仕事、より多様な仕事、より権限の大きい仕事を部下に与えること、日常業務の中で気がついたときにその都度指導することが重要です。

OJTの利点は、次のようなことです。

  • 仕事を通じて訓練が行われるため、時間的にもコスト的にも効率的であること。
  • 仕事に直接役立つ実践的な知識や技能を習得できるため、上司も部下も張り合いが出ること。
  • 文書などで客観的に表現できない知識・技能を教育できること。
  • 能力・特性や仕事の必要性に合わせて個別的に教育できること。

OJTの欠点は、訓練効果が、上司の能力や熱心さ、部下の態度や意欲に左右されることです。また、上司が日常業務に負われると、部下を育成する余裕をなくすこともあります。

自己啓発の進め方と特徴

自己啓発は、社員自身が最終目標を決めることから始まります。その際、「この部門のこの仕事をしてみたいが、そのたに必要な能力は何か」といった長期的な視点を持つことが大切です。

目標が決まると、そのために必要な能力と自分の能力とのギャップを明確にしたうえで、自己啓発の目標を設定します。さらに、目標を達成するための方法、スケジュールを計画し、実行します。

自己啓発は個人の自主性によるものですが、企業はそれを促進するために様々な支援を行います。指導パンフレットの作成、資金的支援、時間的支援、情報提供、自己啓発向け研修機会の援助などです。

Off-JTの教育訓練体系

Off-JTは、自己啓発とOJTを側面から支援する役割を担っており、研修対象者の特性と研修内容の2つの側面から構成されます。

第一の分野は、組織の階層別研修です。職種や部門を越えて、同じ階層に属する社員に共通して求められる知識・スキルが訓練されます。

第二の分野は、各職能に必要な専門的な知識・スキルを教育する専門別研修です。

第三の分野は、企業にとって重要な特定の課題に関連した知識・スキルを訓練するための、組織横断的な課題別研修です。

Off-JTの利点には、次のようなことがあります。

  • 異なる階層、職種、部門に共通する知識や技能を、多くの人に同時に教育できること。
  • 社内外の専門家から、日常業務の中では習得できない知識や情報を得られること。
  • 部門を越えて社員が集まり、情報や経験を交換し、交流を深める機会が得られ、そこで形成された人間関係が仕事に役立ち得ること。

企業内教育の有効性

企業が熱心に社員を教育する理由の一つは、訓練を受けた社員が同じ企業に長く定着するという現実があるからです。

この背景には、OJTがOff-JTより効果的な訓練方法であるという点があります。この点こそ、社員が、同じ企業に定着するほうが有利であると考える理由です。

社員の能力には、その企業でのみ使える企業特殊能力と、他社でも広く使える一般能力から構成され、今の会社では、両者を合わせた能力全体に対して給与が支払われていると考えることができます。

社員が転職すると、初任給は、転職先で使える一般能力に対してのみ支払われるため、その額は低下するでしょう。そのため、給与の面では、今の会社で働き続けるほうが有利です。

企業特殊能力が形成される理由は、同種の仕事をしていても、会社によって機械のクセや仕事の進め方などが異なること、さらには、キャリア形成が企業間で違うことです。

OJTは仕事をしながらの訓練ですから、その有効性は、社員にどのように仕事を配分するかに規定されます。効率的に訓練するために、社員は相互に関連の深い一群の仕事を経験しながら育成され、経験した仕事群がキャリアになります。

同じ製品を生産する場合であっても、会社によって品目や生産量が違うために生産システムが異なり、社員の経験できる仕事の構成(キャリア)は異なり、それが企業特殊能力を生むことになります。