報酬管理 − 「人事管理」とは何か?⑧

人事管理の課題は、事業活動を円滑に遂行するうえで必要とされる質の労働サービスを、必要とされるときに必要とされる量だけ適正な価格で確保することです。

人事管理はいくつかの異なる機能で構成されますが、その一つは、働きに対する報酬を決め、労働意欲の維持・向上を図る機能です。この管理は「報酬管理」と呼ばれます。

進みつつある賃金改革には、2つの面があります。第一は、企業が支払う賃金総額の決め方をめぐる動きです。第二は、賃金総額を個人にどのように配分するかをめぐる動きです。

第一の動きについては、企業を越えて賃上げ率の標準化を図るというこれまでの横並び主義を改め、個々の企業の経営業績に合わせて賃上げ率を決めるべきであるという経営側の主張が目立っています。

第二の動きについては、年功賃金を仕事や成果を重視する賃金に改めることが改革の基本コンセプトになっています。

これまでの賃金決定の基本構造は、高度成長期の中で形成されてきましたが、経済の長期的な成長率は確実に変化し、日本経済は1980年代以降、安定成長の時代を経て低成長の時代を迎えています。

加えて、少子高齢化や高学歴化などといった労働市場の変化が確実なテンポで進んできました。

賃金決定の仕組みも、このような変化に合わせて転換すべきでしたが、日本企業は問題の解決を先延ばしにしてきました。

労働費用の管理

労働費用は、現金で支払われる現金給与総額と、退職金・福利厚生費などからなる現金給与以外の労働費用に分かれます。現金給与総額は総労働費用の8割強を占めます。

現金給与総額は、毎月決まって支給する給与と、賞与・期末手当に分かれます。前者は、所定内給与(所定の勤務時間に対応して支払われる給与)と所定外給与(残業手当)に分かれます。所定内給与は、更に、本給と諸手当に分かれます。

所定内給与は労働費用の約6割を占めます。「社員の人件費は、会社が毎月決まって支払う給与の2倍近くかかっている」とよく言われるのは、このようなところから来ています。

賃金の決定は、長期・短期の経営計画などに基づき労働費用全体を決めることから始まります。労働費用全体を、企業の支払い能力に見合った適正な水準に決定し、管理する活動を「労働費用管理」あるいは「総額人件費管理」と呼びます。

労働費用が、現金給与の部分(総額賃金)と、福利厚生費などの現金給与以外の部分に配分されます。

個々の社員に対しては、賃金制度を介して総額賃金が配分され、個別の賃金が決定されます。主として総額賃金の配分を扱う管理活動のことを「賃金管理」と呼びます。

労働費用管理のための代表的な管理指標には、「労働分配率」(付加価値に占める労働費用の比率)と「売上高人件費比率」(売上高に対する労働費用の比率)があります。

「付加価値」とは経営活動が生み出す価値であり、企業が外部に販売する製品・サービスの価格から、仕入れなどによって外部から調達したものの費用を差し引いた額です。つまり、企業内部で行われる仕事によって付加された価値です。

付加価値は、企業内部の様々な必要経費に使われ、社員・役員(報酬)、株主(配当)、債権者(利息・元本返済)に分配され、将来の投資のために内部留保されます。

それらのうち社員に分配される部分が労働費用であり、付加価値に対する労働費用の割合が労働分配率です。

労働分配率は、社員から見れば高いほうがよいですが、企業の将来的な持続・発展のためには、株主や債権者への分配や、継続的な投資も大切です。

労働費用を考えるうえでは、企業内部のバランス(企業性)、賃金相場や法律に基づく法定福利費(社会性)などを考慮します。社員の生活の安定を考えれば、景気や業績の変動に応じて短期的に大きく変動させるわけにはいきません。

総合的な観点から、労働分配率を適正な水準に維持するように労働費用を決める必要があります。それが労働費用管理の役割です。

日本企業における労働費用管理は、社会性を重視してきました。春闘によって賃金相場が決まると、それに合わせて賃金を世間並みに上げるので、それに連動して退職金や法定福利費も増えます。それは、やむを得ないコスト増であると受け止められてきました。

ところが、厳しい国際競争にさらされ、労働コストが厳しく問われる時代になると、戦略的な労働費用管理が求められるようになります。労働費用ありきで商品価格を決めることはできません。

企業が持続的に発展するための利益を確保しつつ、競争に勝つための価格を設定し、そのために確保すべき労働費用はどの程度かを決めなければなりません。

わが国の労働費用の内部構成を見ると、現金給与以外の労働費用、具体的には退職金や法定福利費が増加しており、企業の大きな負担になってきています。

賃金の総額管理と春闘

労働費用の中の現金給与に関わる管理が「賃金管理」です。目的は、賃金コストを適正に維持しつつ、必要な社員の確保、社員の労働意欲の向上と有効活用、労使関係の安定を実現することです。

賃金管理は、賃金総額を管理する「総額管理」と、個々の社員の賃金を管理する「個別賃金管理」に分かれます。個別賃金は、賃金総額を個人に配分するルール(「賃金制度」)によって決まるので、個別賃金管理の中でも最も重要な分野が「賃金制度管理」です。

日本では、毎年、鉄鋼、電機、自動車など中核的な産業の代表企業の労使が交渉する春闘によって賃上げ率が決まり、社会的な相場として、他産業、中小企業、公務員にまで波及していきます。

相場を決める中核産業・代表企業の労使は、企業の競争力、労働市場の需給関係、インフレなどの状況を配慮して交渉してきました。

個々の企業は、企業業績で決まる支払い能力(企業性)を重視しつつも、この相場を参考にして、社内での社員や労働組合との関係、労働市場の状況、物価の動向などを加味して、賃上げ率を決めます。

1960年代の賃上げ率は、高度成長に伴う企業の高収益、労働力不足、物価の上昇を反映して、平均10%を超える高い水準を維持してきました。1970年代に入ると石油危機が起き、不況に突入したものの、狂乱的な物価上昇により、賃上げ率は30%を超える水準にまで上がりました。

1980年代には物価も落ち着き、賃上げ率5%前後で安定しました。1990年代には、バブル経済の崩壊、円高の進行、国際競争の激化の中で、企業の収益力低下、労働市場の需給関係悪化、物価の安定により、賃上げ率は3%を下回りました。21世紀に入ると、2%前後の低い水準で定着しています。

賃金管理はプラス・サム型からゼロ・サム型への転換を迫られ、賃金制度は、厳しくなると予想される賃金配分に関わる個人間・集団間の利害対立を調整できる仕組みとして設計される必要があります。

個別賃金と賃金制度の管理

賃金総額が決まると、個々の社員への配分が賃金制度によって決まります。

賃金制度の管理には2つの役割があります。一つは、基本給と手当の種類や組み合わせなど、賃金要素の構成を決めることです。もう一つは、個々の構成要素ごとに適正な決定ルールを決めることです。

日本の給与は、基本給、賞与・一時金、手当、所定外給与から構成されますが、賃金管理で問題になるのは、法律によって算定基準が規制されている所定外給与を除く要素です。

最も大きな比率を占め、社員の生活の基礎になる安定的な部分が「基本給」です。社員に対する企業の評価・格付けの金額的指標であり、賞与・一時金、退職金、手当等の算定基礎でもあります。

賃金には、長期の安定的な「長期給」、短期の変動的な「短期給」があります。賃金制度の設計の際には、この両者をどのように決め、組み合わせるかが重要です。日本の一般的な賃金制度では、基本給が長期給に、賞与・一時金が短期給に当たります。

基本給の決定基準

基本給の決定基準には、2つの原則が適用されます。

第一は「内部公平性」の原則です。企業にとっての価値に基づき社員を序列化し、高く位置づけられた人に高い給与を払うという原則です。社員の序列化とは、社員格付け制度のことです。

第二は「外部競争性」の原則です。社員の給与序列に対応する給与額は、社会的相場に対応できる水準に設定される必要があるという原則です。

基本給のタイプ

日本の賃金制度における基本給の決め方には、社員格付け制度に基づいて、①職務給、②職能給、③属人給の3つのタイプがあります。

「職務給」は職務の重要度・困難度・責任度などによって決まる職務の価値に基づき、「職能給」は職務遂行能力に基づき、「属人給」は年齢・学歴、勤続年数などの属人的要素に基づき決定されます。

ただし、これらのいずれかによるのではなく、これらを組み合わせて基本給が決定されます。大企業では、職能資格制度を基に、生活給(年齢給、勤続給)+職能給の2階建て構成が一般的です。

昇給の構成

昇給は、定期昇給とベースアップの2つで構成されます。「定期昇給」は、所定の賃金制度に基づき制度的に保障されている昇給ですあり、賃金表に規定された上位の賃金へのに格上げです。「ベースアップ」は、賃金表そのものが改定され、同じ格付けにおいて賃金が上がることです。

なお、基本給が生活給と職能給の2階建てになっていることから、定期昇給に関しても、両方の昇給で構成されます。生活給の昇給はほぼ一律ですが、職能給の昇給には査定があります。

職能給の昇給は、さらに2種類あります。一つは同一等級内での昇給(「習熟昇給」)です。この昇給は、同一等級内にとどまる限り上限があり、それ以上の昇給には等級の上昇が必要です。等級が上がることによる昇給は「昇格昇給」と呼ばれます。

「春闘賃上げ率」は、一般に、定期昇給とベースアップの両方を含んでいます。

手当と賞与・一時金

基本給以外の重要な賃金要素は、手当と賞与・一時金です。

手当には、基本給では対応できない、社員の生活上のニーズに応えるための構成要素(生活関連手当)と、労働に応えるための構成要素(職務関連手当)とがあります。

賞与・一時金の支給額は、通常、所定内給与の月数で表されます。先進国の中で、日本のように賞与・一時金が大きい比率を占める国は珍しく、日本の賃金制度の特徴の一つです。

賞与・一時金は短期給としての機能を持ち、賃金管理の面からは成果配分・利益配分としての性格を持つことから、経営状況に合わせて原資を決めることができます。また、個人に対する短期的な報酬という性格から、成果に合わせた個人別配分ができます。

このことは、総労働費用を節約する効果につながります。長期給の性格を持つ基本給は、一旦上げると、経営状況の悪化に応じて引き下げることが難しく、所定外給与(残業手当、休日手当)、退職金などが連動して上がるため、労働費用が膨らみます。

ただし、労働組合などは、 賞与・一時金を賃金の別払いであると主張してきました。現に、賞与・一時金の原資を、業績に関わらず過去の支給実績を考慮して安定的に決定している企業も少なくありません。個人配分方法も、考課査定による部分の割合が必ずしも高くありません。

しかし、最近、賞与・一時金の変動費化機能が強まっているといいます。原資は業績連動方式で決め、個人配分は考課査定によって決める割合が高まっているということです。

外部競争性の基準

賃金の水準を決める外部競争性の基準には、政府などの賃金統計が活用できます。生活給には、学歴、年齢、勤続年数別の賃金統計が参照できます。職務給には、職種別などの賃金統計が参照できます。

職能給の場合、単純にはいきません。日本では、実態上、学歴、年齢、勤続年数の年功的要素を能力の代理指標として用いてきました。最近では、各社が採用している職能資格制度が似通っていることもあり、資格等級別の賃金統計も出始めています。

年功賃金の実際と理論

日本は年功賃金であると言われ、定期昇給などによって賃金が毎年累積的に増加します。ただし、上昇する賃金曲線の形は学歴によって異なり、30代半ばを節目に、高卒者と大卒者の格差が広がります。

賃金の継続的な増加は昇格昇給の頻度に依存し、30代半ば以降、高卒者に比べて大卒者の昇進機会が目立って増えてくることが、格差の拡大を生む理由です。

このような右上がりの賃金曲線は、長期的には確実に変化しており、年齢(勤続年数)間の格差は縮小しています。この背景には、年齢や勤続年数を重視する生活給型の賃金制度から、能力や実績を重視する賃金制度への変化があります。

日本で年功賃金が採用されてきた理由としては、いくつかの説明がなされています。

第一は、企業が社員の生活の安定を図ることを人事管理の基本理念として重視しているので、年齢と共に増加する生計費に合わせて賃金を決めているというものです。

社員は安心して働くことができるので、会社に対する忠誠心と労働意欲の向上につながると考えられています。組合員の生活安定を重視する労働組合も、そうした政策を評価するので、安定的かつ協調的な労使関係が形成されます。

この説明に対しては、生計費の保障が企業への忠誠心や労働意欲の向上につながる理由、生計費を重視していながら賃金曲線が学歴間で異なる理由などが明らかでないなど、疑問が出されています。

第二は、終身雇用慣行のもとで、社員は長期的に仕事と教育訓練を経験し、能力が高まるので、その能力に応じて賃金が高くなっていくというものです。ここには、高い能力は高い成果を実現するという前提があります。

この説明についても、社員を社内で教育するよりも、高い能力を獲得した社員を採用するほうがよいのでないか、という疑問があります。この疑問に応える代表的な理論が「人的資本論」です。

企業内教育訓練の中心はOJTです。現在担当している仕事に直結する知識や技能を、個々の社員のニーズに合わせて個別的に訓練できるので、効率的で効果的な訓練法であると考えられています。

職場では文書などで客観的に表現することが難しい技能が必要とされ、客観化された知識や技能を教えるOff-JTでは習得が難しいと考えられます。

OJTでは、社員が今の仕事に必要とされる能力を習得すると、より難しい仕事に配置し、より高い能力を訓練するという方法がとられるので、長く勤続するほど社員のキャリアは広がり、能力は向上することになります。

特に、大卒中心のホワイトカラーでは、高卒中心のブルーカラーに比べて多様な仕事を経験できるので、それだけ高い能力を得ることができ、それに従って高い賃金が支払われます。このことが、学歴による賃金曲線の違いになって現れていると考えられます。

しかし、これに対する更なる疑問があります。社員は、高まった能力に対して、より高い賃金を提示してくれる他社に転職するほうが有利になるので、年功賃金の合理性を説明するOJT中心の社内教育が成立しないのではないか、というものです。

この疑問に対して、OJTには社員の転職を躊躇させる要素があると説明されます。OJTで養成される社員の能力には、どの会社でも通用する一般能力と、その会社でのみ通用する企業特殊能力の2つがある、というものです。

企業特殊能力は、企業によって、機械のクセ、仕事の進め方、キャリアの作り方などが異なるために形成されると言われます。

これによれば、社員は、今の会社で、一般能力と企業特殊能力を合わせた能力全体に対して賃金が支払われています。しかし、転職すると、一般能力による賃金のみが支払われるので、賃金水準が低下することになります。