人は、2つの目的で働くことを望みます。一つは生活するためであり、もう一つは自己を役立つ人間であると感じ、社会的地位と役割を得るためです。
通常、人は自分の仕事が嫌いではありません。仕事に人の好まない側面があることは事実ですが、金銭的報酬を度外視しても、仕事がなくて不幸である人に比べて、仕事があって不幸である人はほとんどいません。
金銭的には働く必要がないときにでも、働こうとする人は少なくありません。以前よりも高い賃金で新しい職務を与えられた労働者が、より低い賃金の以前の職務に戻されるよう頼み込む場合も少なくありません。
仕事は人に地位を与え、社会に結びつけるという生活の側面をもつため、人の生活の本質的な部分です。仕事は一つの社会的活動でもあります。
労働に対するかつての考え方
仕事の性質は、かつての正統派の見解によると、旧約聖書の信仰に基づき、肉体労働は原罪に対する罰として人類に課せられた呪いであると考えられました。
分別のある人は、自分や家族の生活を維持するために働きました。財産家であれば、本当に好きなことをするための十分な余裕を残すためにのみ、働くものであるという考えでした。
仕事の条件を改善することによって、仕事に対する労働者の生まれながらの嫌悪を多少なりとも和らげ、肉体を健康に、つまり機械的な意味でより能率的にするであろうと考えられました。
仕事の動機については、アメとムチの仮説に基づき、主要な積極的刺戟は金銭であり、主要な消極的刺戟は失業の恐怖であると主張されてきました。
現代の研究による見解
現代の研究は、上記の見解が正しくないことを示しています。
仕事は、人に地位を与え、社会に結びつけるという生活の側面をもつため、人の生活の本質的な部分です。仕事は一つの社会的活動です。
通常、人は自分の仕事が好きであり、有史以来多くの場合そうでした。仕事に人の好まない側面があるのは自明のことですが、金銭的報酬を度外視しても、仕事がなくて不幸である人に比べて、仕事があって不幸である人はほとんどいません。
金銭的には働く必要がないときにでも、働こうとする人は多いからです。以前よりも高い賃金で新しい職務を与えられた労働者が、より低い賃金の以前の職務に戻されるよう頼み込む場合も少なくありません。
仕事を好まない原因は、働く人ではなく、仕事の心理的・社会的条件にあります。
働く人の志気(喜んで働くかどうか)は、物的諸条件とは関係ありません。温度、照明、時間・動作研究、騒音、湿度は、肉体的健康と快適さには関係があるかもしれませんが、それ自体が志気に関係ありません。
働くうえでは多くの刺戟があり、通常の条件下では、金銭は、重要でない刺戟の一つです。失業は、人を社会から切り離してしまうからこそ恐れられます。
仕事は、①社会の必要とする商品を生産すること、②社会を構成する相互関係の中に個人を組み入れること、の2つの主要な機能をもった社会的活動です。
地位と役割は個人の心理的安定にとって根本的に重要であり、地位と役割がその個人に付与されるのは、多くの場合、労働環境においてです。
したがって、産業は、その能率を維持し、生産を高めることと同等に重要な、第二の課題をもっていることになります。現代文明において人が占めるべき社会的地位と役割を定める制度を管理することです。
労働者が人間として扱われるならば、それに応えて行動します。自動機械か、気の進まない奴隷のように扱われるならば、やはりそれに応えて行動するでしょう。
人々は、2つの目的で働くことが認められなければなりません。一つは生活するためであり、もう一つは自己を役立つ人間であると感じ、社会的地位と役割を得るためです。
労働の物的環境
仕事には、作業環境、つまり、仕事がその下に遂行される物的・心的条件の側面もあります。
すでに述べたとおり、物的条件がどれほど望ましく良好であっても、高い志気とはほとんど関係ありません。
このことは、悪い物的条件をそのままにしておいてよいということではありません。物的環境は重要であり、悪い条件が健康と幸福に悪影響を及ぼすことを否定するものではありません。
しかし、良い条件が低い志気と、悪い条件が高い志気と併存し得ることは、現実に確認されています。良い物的条件が高い志気をさらに高くすることはありますが、良い物的条件自体が高い志気を創造することはありません。
現代の研究はすべて、人間は、個人としても集団としても、物的環境の通常の変化に対してよりも、心理的雰囲気の変化、つまり意図、意味、暗示に対してより敏感に反応することを実証しています。
労働者が作業条件に不服を言うときは、その状況の下で必要とされるものよりも悪いからです。汚いとか不快であるとかが、職務の性質上やむを得ないものであれば、その不服は僅かです。
除去しようとすれば除去できるにもかかわらず、それらが放置されているのであれば、その状態からうかがわれる経営者の善意の欠如に対して、労働者が不服を言うのは正当です。
知る必要があるものは、なぜ人は働きたがるのか、または働きたがらないのか、その感情は一体どんなものか、そして、なぜそうなのかです。
刺戟の心理的性質
刺戟とは、一般的に、 生体に作用してその状態を変化(興奮)させ、何らかの反応を起こさせること、あるいは、それを起こさせるものです。
人が欲求、動因、または欲望として主観的に気づいているものを満足させることができるものが、刺戟として働きます。
人間には、生来の欲求もありますが、大部分の欲求は、日常の経験や社会的相互作用の過程から獲得されます。
ただし、ある文化において獲得された欲求であるとしても、その文化に特有のものではなく、あらゆる文化に普遍的である性質から由来するものも少なくありません。
地位、評価、感情的安定などを求める欲求は、このカテゴリーに入ります。ただし、それがどのような形で表現される欲求であるかは、文化によって異なる可能性があります。
例えば、子供が自転車を欲しがる場合、その本質は、友達の間で地位を獲得したいという欲求かもしれません。地位を求める欲求は普遍的ですが、それが自転車を欲するという形で表現される欲求は、特定の社会におけるその子供の個人的な経験によって獲得されたものであると言えます。
獲得された欲求もまた、その欲求を体験している人にとっては、生来の動因と同程度に現実的です。それは経験に由来するので、自らの住む時間的・空間的な立場から明確にされることになります。
なお、欲求の表現が文化の影響を受けるのは、生来の欲求であっても同様です。例えば、飢えという欲求でさえ、その人が所属する文化において一般的に定められた食事の時間に、通常食される種類の料理を求めるという、文化的に是認された形で表現されます。
人がある目標に向かって動機づけられているにもかかわらず、何かによってその目標に至るのを妨げられている状態のことを「欲求阻止(frustration)」と言います。
労働者の欲求阻止を解消するために、経営者は、労働者に「福利」を施します。福利の多くは、無償の贈物です。文字どおりの物であったり、レクレーションであったりします。
しかし、無償の贈物が同等の満足を与え続けることはできません。初めて受け取ったときには喜びの源であった物が、間もなく受け取って当然の必要物になり、いずれ役立たずの不要物になります。物質的贈物で人々を満足させようと努力するのは、底のない穴を埋めようとするのに似ています。
肉体的に快適な物的職場環境を与える場合も同じです。快適な魅力ある新しい職場に置かれる労働者は、最初は職場を好ましく思っても、間もなく、その環境を当然に感じ、環境基準の僅かな低下でさえ、その環境に置かれる前よりも一層不平に感じるようになります。
そもそも、労働者が欲求阻止される目標というのは、個人の客観的状況と全面的に関連しているというよりも、自分に相応しいと主観的に感じるものです。
福利や物的環境は、経営者が客観的に判断して、労働者にそれらを与えれば欲求阻止を解消し得ると考えるものですが、実際は、効果が持続しないどころか、逆効果になる場合もあるわけです。
ところが、ある種の心理的欲求が満足されるときは、一時的でない喜びを感じます。感情的安定、その保有者に自尊心を与えるような地位、職場や家庭での満足な関係、熟練者としての誇り、上長からの理解等はすべて、この性質をもつ満足です。
これらこそ、労働者が欲求阻止されている当の目標であり、自分に相応しいと主観的に感じている本当の目標であるわけです。
もちろん、唯一の理想的刺戟というものはありません。文化、会社、個人により異なります。はっきりしていることは、物的刺戟には収穫低減の法則が働き、報酬が与えられるにつれて喜びは低減し、次の報酬に対する欲望は減り、ついには消失するということです。
金銭的刺戟の本質
刺戟に関して、すべての産業心理学者の意見が一致していることがあります。金銭的刺戟はかつて考えられていたよりも遥かに意味のないものであるということです。
賃金が非常に低い場合またはインフレなどの特別な場合を除いて、金銭は最も力の弱い刺戟の一つであることが分かっています。
ところが、労働者の動機が金銭に転化される傾向にあることは事実です。金銭こそ満足の鍵であると、労働者自身が教え込まれてきたからです。仕事や生活がどこか悪いと感じると、より多くの金銭を求めます。
経営者が「労働者が求めるものは金銭だけである」と考え、金銭のみを刺戟にしてきたとすれば、労働者が手に入れることができるものは金銭だけになりますから、できる限りの金銭を手に入れるために、あらゆる手段に訴えることになります。
志気の低い会社では、その地位の多くの会社よりもずっと賃率が高いときでさえ、労働者はより多くの金銭を求めて止まないといいます。労働条件に不満足なときは、それを相殺するために特別刺戟給を受ける資格があると感じています。
労働者が金銭を求めるとき、確かに何かを欲しているのですが、それが本当は金銭ではないことが多いということです。