仕事を動機づける社会的要因 − 「人間関係論」とは何か?㉓

産業内において、積極的または消極的な刺戟として働く社会的因子には、様々なものがあります。

E・W・バッキの分類に従うと、職務の明細と要件、意思伝達制度、座位制度、賞罰制度、組織チャーターが代表的です。

職務の明細と要件

職務自体と職務環境に関わる因子です。

職務と労働者の適合

職務は労働者の能力に適合していなければなりません。これを実現するためには、上司が常にそのことに気を配るとともに、人事評価制度の仕組みや適性検査技術の整備が必要です。

労働者に、独自の工夫とイニシアチブを発揮する余地を与えることができれば、一定程度、職務と労働者との間の不適合を調整することができます。

安定感

労働者は、職務を通して安定感を得ることも必要です。「安定感」とは、自分の職務が失われないこと、肉体的に無理のある仕事でないこと、経済的な安定、地位や名誉を侵されないこと、集団の後援を得ていること、集団内の成員や事柄についてよく知っていることなどです。

会社の成功は、多くの場合、機械設備の技術的な更新、組織の変更などの変化に基づきます。しかし、このような「変化」は、労働者の安定に脅威を与えることがあります。

経営者にとって変化は不可避であり当然であるとしても、労働者に十分な説明がないまま、機械が変わり、仕事の手順は変わり、仲間や自分が異動し、賃金も変わると、たとえその変化が労働者の利益になるときでさえ不満の原因となります。

理由も分からないままに安定が損なわれるとなれば、労働者は保守的になります。生産が多過ぎたり少な過ぎたりすると経営者が何かするかもしれないと恐れ、生産を一定にし続けようとし、変化に抵抗しようとします。

能率的な機械や生産過剰が失業を生み、一定額以上稼ぐと賃率が切り下げられることを、労働者自身が過去に経験しているため、変化に不安を感じるのもやむを得ません。

現に、生産制限慣行の理由として、労働者は、賃率切り下げ、失業の恐怖、過度の作業速度、経営者への憤りなどをあげます。労働組合の公式見解としても、そのようなことが表明されます。

ですから、変更を加えるときは、関係者たちの集団生活の安定に配慮し、着手前に関係者たちと徹底的に議論しなければなりません。

職人精神の発揮

大抵の人々にとって仕事から得られる最も基本的な満足は、何かを成し遂げたいという誇り、成功の感情、職人精神という本能です。

手先の巧みな仕事は、社会によって許される範囲内で地位と評判とを求める欲求と密接に関連していると考えられています。一つの仕事を立派に行い、何か独特のものを作ったときは、自尊心が増します。

仕事は何らかの実用目的のために行われるとはいえ、ある程度は仕事自体のためになされるというのが、職人精神の特徴です。

しかしながら、現代の産業において、仕事自体を目的として行ったり、仕事そのものを好むように仕向けたりするのは、容易ではありません。

ただ、歴史的・客観的に見ると、人間の仕事の多くは楽しみよりは嫌なものであったようです。それでも、社会的文脈の中で仕事を見ることができたことで、嫌なこととはみなされませんでした。

例えば、川で洗濯する仕事自体は面白くないかもしれませんが、その必要性は理解できます。他の人達と共に和気藹々と話をしながらできるので、社会的交流による情報交換や楽しみといった好ましい意義もあったかもしれません。

退屈の原因

「退屈」というのは、仕事自体に付随するものではなく、仕事を巡る状況と、仕事の社会的文脈とから来ることが分かっています。労働者にとって耐え難い仕事は、その仕事自体が無意味であると感じられること、労働者同士がコミュニケーションできない状況のもとに行われることです。

M・ヴァイテレスによると、注意がまったく仕事に奪われるか、または機械化の結果として注意がまったく不要になるかすれば、人は仕事の退屈感から解放されるといいます。

つまり、一定の技能を要するために注意を集中する必要がある仕事は、退屈を感じません。熟練職としての満足感もあります。

また、ほとんど自動化された仕事に従事する場合も、その仕事の意義が理解され、同僚との会話による気晴らしなどが許されれば、退屈は生じません。

要するに、仕事自体が労働者の欲求阻止になるのは、次のいずれかの場合です。

  1. 無意味あるいは意義の分からない仕事を、他の労働者から騒音や空間によって隔てられて行わなければならない場合
  2. 同僚と話ができるほどには注意が散漫であってはならず、かといって面白いと感じるほどではない半自動的な仕事を行う場合

現代社会では、技能と職人精神を発揮できる大きな余地があり、多数の人々がこのような技能を用いる立場になり得るため、本来、欲求阻止を防ぎ得る状況にあるはずです。

労働者に求められる技能の変化

M・M・ルイスによると、職務に関しての労働者の社会的組織は、3段階の発展を経て変化してきたといいます。

第一段階は、労働の分化と専門化の段階です。労働の分化は原始的な社会においても見られましたが、機械文明の発達に伴う労働の分化の特徴は、専門化の増大と一つの仕事の過程の分解が進み、かつ、その仕事をする人間に代わり得る機械を導入します。

これによって、第二段階である自動化の段階が始まります。熟練職人が不要になるばかりか、積極的な邪魔者とみなされるようになります。労働者は、技能がないほど産業技術に適合するとみなされます。必要なのは注意と規律だけになります。

ところが、工程が複雑になってくると、自働機械のように行動する労働者では、その状況を処理することができなくなり、第三段階に至ります。

産業に従事するすべての労働者に技術教育を施し、その人の仕事がたとえ範囲の狭い自動的なものであったとしても、その仕事以上の広い分野にわたって理解させることが必要になります。

産業の中に集団技術を組み入れる必要があり、その集団の課業を集団自ら知ることが必要になります。その集団技術の範囲や複雑性とに釣り合う意思伝達の技術が、その集団内に存在しなければならなくなります。

現代の技術は微妙で複雑ですから、労働者は誰でもよいというわけにはいきません。教育があり、同僚と協調できなければなりません。生起する問題について完全に情報を与えられ、自らの職務を単に受け取るだけでなく、進んでそれを行う労働者でなければなりません。

意思伝達制度

意思伝達制度には、いくつかの欠陥が起こり得ます。

ヒエラルキーに基づく意思伝達の問題

監督者は技術的な面を重視するため、労働者の提案や苦情、日々の出来事についての感情が無視されがちになります。これによって、労働者が不満を感じ、結果的に技術的能率にも悪影響を与えます。

ヒエラルキーに基づく意思伝達経路が長いと、情報は、行動を起こす位置にある人々に達する前に歪められることがあります。

経営者の不正直

労働者の志気が低い場合、または経営者が信頼されていない場合、意思伝達は信用されません。

実際、従業員に対して非常に不正直である経営者は少なくありません。

例えば、会社が監督者や下級経営者を雇おうとするときに、経営者が「当社では、よい人には昇進の制限はありません」という意味合いのことを言う場合がよくあります。多くの場合これは嘘で、優秀な人はこういう仕方で誘惑されるものだと、経営者が信じているに過ぎません。

現代産業社会の深刻な欠点の一つは、このような欲望の強い刺戟で人を誘惑しながら、実態はそれらを満足させるのに制限を加えているということです。

人々が実際にもっているもの、または、もつと期待して無理からぬものと、人々への刺戟として見せられるものとの間の開きを故意に広げようとすると、人々を動機づけるどころか、人々の不満と神経のいらだたしさをますます増大させることになりかねません。

更に悪い不正直な例は、どんな犠牲を払っても平穏を保とうと望む型の経営者に見られます。このような経営者は、有用な業績をあげた部下、または取り扱いにくい部下に対して、実行する意思が少しもないのに昇進を軽々しく示唆することによってその場しのぎができれば、文句を言わせないようにできると考えています。

特に大会社に、どんな犠牲を払っても平和を願うという態度が染み込んでいるように見えます。この態度を「心理学的方法」であると間違って理解している者がいます。

従業員は、客観的な状況の見地よりも、むしろ問題を引き起こすか否かの見地から、眺められがちです。監督者や経営者は、すべてを犠牲にしても、その場の外見上の平穏と勤勉とを維持しなければならないと感じています。

従業員の成績をを明らかにしないことの問題

多くの会社で見られるような、欠陥の多い意思伝達と関連する欲求阻止のもう一つの源は、従業員が、自分の職務が全体の中でどこに位置するかを知らされていないことです。

心理学者たちは、人がある仕事をしているとき、仕事が進むにつれ、成績を教えれば刺戟となることを明らかにしてきました。

結果についての情報は能率を高めます。能率の高さは、結果についての情報が、成績の細目についてどれほど完全であるか、正確であるか、明瞭であるかの度合いに依存します。

この重要な刺戟は、多くの職場で抑止されているといいます。失敗は通知されますが、どれだけよかったかは知らされないのです。

経営者の言い分としては、「もし従業員が、自分が一番だと分かれば、向上することをやめるだろう。もし何番目か分からなければ、絶えず向上することに努めるだろう。」ということのようです。

ところが、このような方針のもとでは、優秀な従業員ほど辞めていき、従業員間に猜疑心を深めるだけです。

各労働者には、会社においてどの位置にあるか、成績はどうか、将来性はどうか、などを正確に知る権利が与えられるべきです。

万が一、トラブルなどの紛争に巻き込まれたときは、紛争が公正に判断され、その決定を教えられる権利が与えられるべきです。もしその決定に不同意のときは、後になって害を受ける危険なしに、より高い権威に紛争を提訴することができなければなりません。

座位制度

「座位」についての定義が明確ではありませんが、いわゆる「ポジション」すなわち職務や権限を伴った組織上の地位を意味すると考えられます。

座位制度は、各労働者が誰に指導と公式の承認とを求めるべきかが分かるように、明瞭でなければなりません。また、公式にも非公式にも労働者に受け入れられるよう公正でなければなりません。

たとえトップマネジメントであっても、下位にある人が自己の重要性を感じないほどに、専制的な権力を持ってはいけません。

職務、権限および責任の明確化

人は、自己にとって最善と思う仕方、あるいは筋の通った範囲内で、自分の職務と取り組みたいという欲求を持っています。

自分で決定したいという欲求は、集団の成員として受け入れられたいという欲求と対立するものではありません。人は、自分に能力があると感じることであればすべて自分で決定したいと願う一方、不安を感じる状況のもとでは指導や指揮を望むからです。

ウィリアム・フート・ホワイトは、部下が厳重に監督され過ぎているような事態に対する解決法の一つとして、「各監督者に、たやすく監督し得る以上の数の労働者を委ねること」を提案しました。

その場合、労働者は誤りを犯すかもしれませんが、より高い責任感と、仕事を物にしたときの満足感を感じるようになります。

「従業員は責任感をもたない」と不平を言う経営者は、責任を前もって与えられていなければ責任感を示すことができないということを忘れています。

部下の出来が悪いと信じている経営者は、仮にその信念が正しいとすれば、自分が不適当な部下を選抜し、適切に訓練していないという自らの無能力こそが、本質的な問題です。

部下は職務を適切に果たすことができるにもかかわらず、経営者にそう見えていないとすれば、経営者が組織の各階層において干渉し過ぎ、皆の邪魔をしている可能性があります。

会社は、本来、一人のパーソナリティから独立しているべきです。部下は、その職務において有能であるという理由から選抜され、一度選ばれたならば、仕事を任され、責任を追うべきです。

さらに、各人の座位と機能、ライン組織内での彼の位置は明確にされ、曖昧さや不明確さのままにしておかれてはなりません。

ところが、従業員に対し、その責任と権限の範囲を曖昧にする上司がいます。その意図は、上司の強い権勢欲である可能性があります。曖昧にしておけば、うまくことが運んだときは自分の手柄にし、うまくいかなかったときは部下の責任にすることができるからです。

組織における権限は、不要の人材がいないようにあまねく移譲され、各人の責任範囲が明確にされ、その範囲内では十分な理由なしに干渉されないように配慮されるべきです。

自分の仕事を筋を通してうまく果たすならば、その人の位置は安泰でなければなりません。自らの仕事を最もよく果たすために自己の判断を働かすのに、他からの不要な干渉を受けないことについて安心できなければなりません。

仕事に費やされる時間は、通常は、合理的な時間に限定され、出世するために無用に長時間働く振りをするといった誤魔化しを用いる必要があってはなりません。

賞罰制度

賞罰制度は、公平であるだけでなく、制度として明示され、十分理解されなければなりません。

集団の協力を犠牲にして労働者間の競争による葛藤を引き起こすような仕事に、報賞が与えられてはなりません。

自尊心や社会的に認められたいという労働者の欲望を犠牲にして、純粋に経済的な報賞のみを強調してはいけません。多額の金銭が、人間として尊重されなかったことに対する償いとはなりません。

産業においてもっともなおざりにされている刺戟の一つは、同僚や上長から認められることです。仕事の結果を改善するうえで、賞讃は叱責より何倍も効果的であることが証明されています。

叱責について多少なりとも益があると考えられているのは、他人の前ではなく個人的に叱責することです。ただし、叱責は、なすべきことより、なすべきでないことを教えてしまうことを知っておかなければなりません。

一般に、罰と自由の制限が一度始められると、状況は良くなるどころか悪くなり、さらに制限を強くしていかざるを得ないという悪循環に陥るようです。

組織チャーター

「チャーター」には「憲章」あるいは「設立趣意書(組織の目的や信念などを定めたもの)」などの意味があり、「組織チャーター」とは従業員が会社全体について描く像を指すものです。

従業員に、会社は何をしているか、その人の職務は会社全体とどう適合するか、会社は国民経済とどう適合するかなど、会社の全体像と各人の職務との関係をよく知らせることが効果的です。