職場を健康にするための社会的条件 − 「人間関係論」とは何か?㉙

人がある目標に向かって動機づけられているにもかかわらず、何かによってその目標に至るのを妨げられているとき、「欲求阻止されている」と言われます。

欲求阻止は職場においても頻繁に起こっており、生産性に悪影響を与えるだけでなく、災害や疾病といった深刻な事態の原因となります。

労働者の欲求阻止(フラストレーション)を防ぎ、健康で幸福な職場生活を維持するに当たって、次の3つの重要な結論を理解する必要があります。

  1. 肉体的および精神的な健康と規律および幸福を維持するに当たって、第一次集団が重要である。
  2. 産業界における精神身体病が重大な意味を含んでいる。なぜなら、これらの疾病は、特に経営者や監督者の間に最も多く起こりがちだからである。
  3. 産業保健は、以前に考えられていたよりも、はるかに広い概念である。

健康の鍵を握るリーダーの存在

低い社会的能率は不良な肉体的・精神的健康を意味し、不良な指導性や非能率な組織が、窮乏とともに疾病をもたらしています。

L・G・ブラウンは、社会には精神的不健康の伝搬者が実に多くいて、しかも社会の中で重要な位置と有利な場所とを占めているために、部下の自尊心をもてあそぶことができると言いました。

神経症的な監督者や経営者は、あたかも病原菌をもつかのように同僚の間に疾病を撒き散らすのかもしれません。発症する疾病は、受け取る人のパーソナリティの型に応じて変わってきます。

だからこそ、リーダーの選択は、今日の社会での最も重要な問題の一つです。

第一次集団の重要性

さらに、健康を、肉体的疾病の見地からだけでなく、犯罪、非行、不満足、精神身体病、神経症などのような社会的疾病の見地からも考える必要があります。

L・K・フランクは、社会問題について、それぞれに異なる注意と治療を必要とする多様なものとして考えるのではなく、同一の疾病のそれぞれ異なる徴候として眺めることができると指摘しました。それを文化的崩壊への人間的反動とみなすことによって、さらに一歩前進するだろうと言いました。

文化的崩壊が個人に及ぼす影響については、現代社会の次の特色によって見出すことができます。

  1. 現代社会は人々の欲望を刺激するが、満足させることができない。
  2. 現代社会は互いに衝突する理想に基づいており、人々はそれらを調和させることができない。
  3. 現代社会は、群衆または大衆の社会である。かつての第一次集団(家族、労働集団、村会)は解体され、巨大な匿名の諸団体にとって代わられ、地位、職能および個人的意義が失われた。

第一次集団は、社会的管理または倫理的規範の基本的道具ですから、これらの集団が解体し始めた大衆社会は、道徳基準に欠けている社会です。

個人間競争の問題

大衆社会となった産業社会における競争は、協力する成員からなる集団間の競争よりは、むしろバラバラな個人間の競争です。その結果は、個人間の敵意の増大であり、失敗への恐怖です。失敗する機会は成功する機会よりもずっと多いため、恐怖は著しくなります。

しかも、失敗の恐怖は誤ったイデオロギーによって強められます。すなわち、失敗の原因はその人自身の欠点から起こったものであり、その人の不完全さの印であるとみなされることです。

地域社会の崩壊

失敗したという思いは自尊心を低め、取り残されたという痛々しさを招きます。競争精神を伴った資本主義の勃興は、科学と産業との両分野に大きな進歩をもたらしたものの、中途で倒れた人たちの精神的崩壊も増大させました。

ロバート・E・ファリスとH・ウォーレンス・ダンハムは、シカゴにおいて精神的疾病の分布を研究し、精神的崩壊が社会的崩壊と結びついていることを発見しました。ただし、崩壊は、貧困と不良な環境条件自体によって引き起こされるわけではありません。

クリフォード・ショオーによると、都市の増大に伴い住宅地が商工業により蚕食されていくことが、社会管理の一単位としての地域社会の崩壊の原因となります。

この崩壊は、外来の国民的・民族的集団の殺到によって強められますが、これらの外来集団の古い文化的・社会的管理もまた、その都市の新しい文化的民族的状況の中で崩壊します。

個人の安定、心理的満足および道徳基準は、主にその人が属する第一次集団から来ます。これが崩壊すると、不安、無名、群集心理、個人的な偏屈と精神病の潜在的犠牲などのままに取り残されます。

マンデル・シャーマンとR・ヘンリーがヴァージニア州の移住村で行った調査によると、文明地に近づくにつれて神経症が増加しました。

各移住村ににおいて、子どもたちに何が欲しいかを聞いて事物一覧表(希望しているが所有していない事物の一覧表)を作成したところ、文明地に近づくに従って事物の数が増加し、同時に精神的煩悶も増加していきました。

ある一つの要因だけが神経症や精神身体病の高出現度に対して責任があると考えることはできません。遺伝、養育、および患者の生活史における現在の因子も同等の役割を果たすと思われます。

明らかなことは、現存する遺伝因子は、他の遺伝因子がなければその効果を示すのは稀であること、遺伝に養育上の結果を加えても、その時の圧力がなければ必ずしも崩壊には至らないことなどです。

工業地域社会は、原始的または農業地域社会よりもずっと高い神経症や精神身体病の出現度数を示し、かつ度数は増加しています。

神経症的心性は、社会の圧力を誇張した形で著した縮図であることも確かです。神経症になりやすい人は、文化的に決定された困難を強調した形で経験してきた人であるようです。

神経症や精神身体病は、不安や恐怖といった一つの感情によってではなく、衝突する諸感情間の闘争によって引き起こされることが多いようです。例えば、競争や成功と同胞愛との間、欲求の刺戟と欲求を満足させるに当たっての現実の欲求阻止との間、個人の認められた自由とその人のすべての現実の制約との間などです。

崩壊の過程、または新しい社会への急速な変化の過程にある伝統的文化は、旧価値体系の分解が進行しており、精神的疾病の原因となり得ます。

現代世界の難問題の大部分は、適当な人生哲学を欠いていることから生じるという見解があります。人類は、合理的な疑惑はまったくないほどに人生の十全な哲学を欲します。この哲学の枠の中でこそ、人類は、個々人の行動が意味をなすようになります。