人間問題を取り扱う人々 – 「人間関係論」とは何か?⑧

大企業の経営者は、特定の経済目的達成のために運営されている組織に対して、従業員層の人間的状況に関する必要な情報の供給を期待することは困難です。

緊密な協力態勢を維持するために必要な社会的条件が、技術者や監督者によって立案された作業制度によって達成されることも期待できません。さらに、職務に対する適応に困難を感じている従業員の状態を常に正しく認識することも、ほとんど不可能です。

ですから、このような問題に対して十分な関心が払われていないのが実態です。

ところが、関心が払われないことをもって問題がないかのように錯覚することがあります。能率的生産のための技術的条件さえ確立すれば、人間問題などはひとりでに解決されると考えられています。

あるいは、熟練した経営者の直感的な洞察に委ねておけばそれで十分だという考え方もあります。

人間問題が適切に処理されるためには、この問題に対して不断の注意を払うと同時に、解決のために必要かつ明確な技能を磨き得るような人々が経営組織の中に置かれるべきです。

様々な社会的事象は相互に依存し合っており、常にひとつの全体として考察される必要があるという「全体関連的な思考」によって対応できる人々が独自に必要です。

経営管理の専門家たち

人間のあらゆる組織活動の中には、次の二重の機能が現存しています。

  1. 組織の共同目的を達成する機能
  2. この共同目的を遂行する上で各人の衷心からの参加を得る機能

この2つは相互関係にあり、共に遂行される必要がありますが、明確に区別する必要があります。

前者の機能は、技術的かつ合理的に問題を追求することによって遂行可能です。後者の機能の遂行は、共同目的に奉仕することから得る満足感によって、人々が進んで組織活動に協力することを前提としています。

様々な分野の専門家は、主に前者において重要な貢献をしてきました。しかし、後者における貢献は十分であるとは言えませんでした。

前者の専門家は事実と論理に対して強い関心をもっているため、時と場合によって、人間関係における彼らの立場を困難なものとします。彼らが管理的地位に就くと、好むと否とにかかわらず、以前の専門とは何の関連もないような人間問題に関係を持たざるを得なくなるからです。

それを認識し、自らを順応させていく人たちもいますが、そうでない人たちは、あたかも機械を取り扱っていたときの感覚で人間協力の問題を取り扱い、惨憺たる結果を生み出してしまうことがあります。

人間協力の問題を専門領域とする専門家たち

人間協力の問題を取り扱う専門家もいますが、多くの専門領域は、その一部にしか関わっていません。しかも、その一部を明確に規定し得ない専門家が少なくありません。

人間協力の問題は人間の相互作用であり、全体として機能しているため、専門分野によって一部に限定したものがうまく機能することは困難です。

従業員の能率を増進することを目的とする諸技術や専門業種の多くは、この範疇に入ります。

例えば、動作経済は、経済目的の達成、その目的達成のための各個人の協力を得ることに関係していますが、従業員の協力の獲得自体にどの程度貢献できるかは不明確です。最も経済的な作業方法を実施することと、従業員の態度や信念や感情といったものとが相容れない場合、作業方法の経済効果自体が損なわれます。

人間問題への恒常的取り組み

人間的状況の診断および処置に関する業務は恒常的に実行されなければなりません。一度の試みで、経営組織の中に永続的な協力の態勢が実現され、その後は全然手を下す必要もなく維持され続けることはありません。

ところが、一般に人間関係の専門家に期待されているものは、永久的かつ決定的に人間問題を解決するための万能薬、完全無欠の方策です。解決したと思われたら、経営者にとってもはや無用のものとなります。

従業員がストライキを起こしていないからといって、人間関係が満足すべき状態にあると結論するのは単純過ぎる論理です。不均衡は経営者の目の届かないところで静かに進行し、目に見える現象になったときには、もはや取り返しがつかないという状態にならないとも限りません。それほど経営者と従業員の間は遠く、隔たりは大きいと言えます。

いかなる経営組織の中にも緊張や対立があることは予想でき、人間的な不安定を助長するような種々の条件は絶えず起こり得るので、緊張や対立およびそれらによってもたらされる不安定は、時期を失せず探知され、診断され、処置されなければなりません。

また、コミュニケーションの仕組みも常に完璧ではありません。いくら教育しても局所的な不安定は起こり続け、コミュニケーションの通路が塞がれることもあり得ます。