キュロスは、アッシリアとの最初の戦闘において、敵陣の入口を突破したものの、戦力の差を考慮して、深追いすることなく撤退しました。
それでもキュロス軍の戦闘力は凄まじく、その陣営にいたアッシリア王や軍の司令官、最も勇敢な兵士のほとんどが戦死したため、結局、全員が陣営を捨てて立ち去ってしまい、キュロス軍がその敵陣を占領することができました。
深追いしなかったために軍の戦力を温存し、結果的に占領に成功したわけです。戦況が優位な状況で撤退の指示を出すことは決して簡単ではありませんが、その命令に速やかに対応できる軍の士気も優れた教育の成果でした。
しかし、キュロスは、ここでペルシア軍の弱みに直面しました。ペルシアは山の多い地域であったため、騎兵が発達しておらず、逃げる敵軍を追撃する能力がなかったのです。
そこで、メディアに騎兵の援軍を頼むことにしました。その際、幸いなことに、アッシリアの属国として冷遇されていたヒュルカニアが、キュロスに寝返る意思を示しました。ヒュルカニアは騎兵が発達していたため、ペルシア軍にとっては朗報でした。
ヒュルカニア騎兵は、敗走したアッシリア軍の追撃に大きな働きをしましたが、そのことでますますペルシア軍の騎兵力のなさが際立つようになり、ついにキュロスはペルシア騎兵の養成を決めました。
メディアへの騎兵の援軍の要請
退却後、キュロスは兵士たちを集め、勝利と安全を確保したことに対して、神々を讃え、兵士たちすべてを讃えました。特に、戦いの際、キュロスのもっとも近くにいたクリュサンタスを表彰し、大隊長に任命することを宣言しました。彼の功績は、退却命令に速やかに対応したことでした。
クリュサンタスは、敵を倒すために剣を振り上げていたところで退却命令が出され、即座にそれ止め、命令されたことを成し遂げました。その行動はとても機敏で、命令が速やかに伝達されたので、敵が退却を知って攻撃を仕掛ける前に、戦列を射程距離外に置くことができたのでした。
キュロスは、逃亡よりも勇気が生命を救うこと、戦おうとしないことより戦おうとすることのほうが容易に退却し得ること、勝利が喜びをもたらすことを、絶えず心に留めるように言いました。
アッシリア軍では、司令官と最も勇敢な兵士のほとんどが戦死したため、兵士のすべてが意気阻喪し、多くの兵士が夜の間に脱走しました。軍の指導的な種族が分別をすっかり失ってしまったので、全体に大きな不安が広がりました。
結局、彼らは全員陣営を捨てて立ち去ってしまったので、翌朝、キュロスはすぐさま兵を敵陣営に移しました。
有利な状況のうちに敵を追跡すべきであると進言する兵士もいましたが、敵の騎兵隊が強力であり、自軍には騎兵隊が不足していることを理由に、キュロスはそれを受け入れませんでした。実際、接近戦で騎兵隊を敗走させることはできても、捉えることはできませんでした。
それなら騎兵隊を分け与えてもらえるようキュアクサレスに申し出るべきであると、兵士たちは進言し、キュロスもそれに同意しました。
キュアクサレスは、キュロスらに嫉妬を感じながらも、次のように言いました。
危険を冒さないほうがよい。
今はまだ僅かな敵と戦っただけであり、戦っていない残りの敵兵たちに戦いを強いることがなければ、無知と無気力から去っていくだろう。
快適な気分でいるメディア兵たちを無理に前進させ、危険な目に合わせたくない。
それならばと、キュロスは次のように求めました。
誰にも無理強いされずに自分に従って来たいと言う兵士たちを与えて欲しい。
敵の主力を追跡するのではなく、敵軍から離れたり、取り残されたりした部隊を捕捉し、キュアクサレスのもとに連れて戻ることを約束する。
ペルシア軍はキュアクサレスに懇願されてここに来ているのだから、何がしかの物を持って祖国に帰れるようにすることによって、自分たちの恩に報いてほしい。
キュアクサレスはキュロスの要求を承諾したので、以前からキュロスを慕っていた者を連れて行くことにし、その者が他の者を熱心に説得して回りました。
ヒュルカニア騎兵の獲得
アッシリアの属国の一つに、ヒュルカニアという馬術に秀でた国がありました。アッシリアは容赦なくヒュルカニアに労苦を課し、危険を冒させていました。今回の戦いでは後衛を務めさせ、危険を食い止めさせようとしていました。
ところが、今回の戦争でアッシリア王が戦死し、同盟軍も離れようとしていたので、反逆するチャンスととらえ、キュロスに使者を送りました。ヒュルカニアは自分たちの正当性を主張し、キュロスがアッシリア軍を攻撃するなら、自分たちがペルシア軍を先導すると提案しました。その提案が真実であることの証明として、すぐに出発して夜には人質を連れてくると約束しました。キュロスは、ヒュルカニアが約束を果たせば、彼らを信頼できる友軍として扱うことを約束しました。
その間、キュロスに従うメディアの兵士たちが続々と集まりました。少年時代にキュロスの友人だった者、キュロスを敬慕していた狩猟仲間、キュロスに恩を感じていた者、キュロスが優れた人間であると期待していた者などを含め、ほとんどのメディア兵がキュロスに従軍することになりました。
キュロスは、まずメディア兵の所へ言って彼らを称え、神々に恵み深く導いていただけるよう、そして彼らの熱意に感謝の念を示せるよう祈りました。
キュロスは、ヒュルカニアが約束を果たすのを待つことなく、彼らの使者たちに先導を命じ、出撃することにしました。自分たちがヒュルカニアに好意を示せる状況にあり、ヒュルカニアが自分たちを欺くとしても、ヒュルカニアは自分たちの手中にあると信じていたからです。
アッシリア軍の後衛にはヒュルカニア軍がいるはずなので、間違って彼らを攻撃しないよう合図で知らせるよう指示しました。ヒュルカニアの使者たちはキュロスの精神力の強さにあまりに感嘆したため、ヒュルカニアの援軍が必要ないのではないかと心配するほどでした。
キュロス軍が進軍し、アッシリア軍の後衛であるヒュルカニア軍を確認したので、キュロスは使者を送り、彼らを歓迎して迎え入れ、自分たちを信頼するよう元気づけました。
ヒュルカニア軍から敵の主力と司令部の場所について説明を受けた後、勝利を得ても略奪に向かわないよう注意したうえで、ヒュルカニア軍を前方に展開させながら、キュロス軍の姿は敵の目につかないようして進撃しました。
キュロス軍がやってくることを知った敵軍は狼狽し、多くの者たちは戦わずして逃げ、陣営に残った者たちはキュロス軍に捕らえられました。敵の武器は押収され、焼き払われました。
キュロスは飲食物を持たずに来たため、捕らえた敵の兵站責任者を集め、自分たちのために食事を用意するよう命じました。そうすれば災厄を免れ、優しく扱われると約束したので、彼らは熱心に命じられたことを実行しました。
陣営に残っていたのはペルシア軍のみで、同盟軍は敵を追って不在でしたから、キュロスは中隊長たちを集め、同盟軍に配慮するため、彼らが戻ってから共に食事をすることにし、陣営に残されている財貨は、同盟軍が戻った後、彼らに配分を委ねたいと述べました。こうすることで、彼らは一層喜んで自分たちのもとに留まり、役立ってくれると考えたからです。
ペルシア騎兵の必要性
同盟軍の騎兵たちが敵軍の捕虜や物資をキュロスのもとに持ち帰り、再び敵軍を追って出ていくのを見て、キュロスは、自分たちが何もしないでいることに苛立ちを感じました。
ペルシア軍は接近戦に優れていましたが、ペルシアは山が多く、乗馬に向いていなかったことから、騎兵が発達していませんでした。そのため、ペルシア軍は敗走する敵を捕捉することができず、その役割を同盟軍に頼るほかありませんでした。このことによって、同盟軍たちが、手に入れてきた財物を自分たちの所要物とみなし、持ち去っていくのではないかと心配しました。
そこで、中隊長たちを再び召集し、ペルシア軍も独自の騎兵隊を持つべきであるという考えを述べました。陣営には多くの馬と騎兵に必要な装備が揃っていましたから、ペルシア兵に馬術を学ばせ騎兵に育てることが可能であり、ペルシア兵たちもそれを望みました。
捕虜の解放
同盟軍の騎兵たちは、捕らえた馬と兵士たちを引き連れて戻ってきました。武器を引き渡した敵兵は殺さずに捕虜にしていました。キュロスは同盟軍の兵士たちの無事を確認し、彼らの成果に喜んで耳を傾け、称賛しました。
キュロスは、土地に住民がおり、家畜や産物が溢れていることを知りましたので、自分たちがその住民たちの支配者となり、住民たちがそこに留まれるようにしなければならないと述べました。
キュロスは、捕虜にした敵兵たちを自由にすると言いました。それによって、彼らに対する警戒、監視、食糧が必要なくなり、彼らが生きて自由にしているのを見ることで、他の者たちも土地に留まり、戦うよりも服従することを選ぶと考えたからです。
キュロスは以上のように意見を述べ、同盟軍の兵士たちにも意見を求めたところ、皆これに賛成しました。
キュロスは捕虜たちを呼び、これからも服従し、すべての武器を差し出して誰とも戦わないなら、これまでと何ら変わりなく生活ができること、もし誰かが彼らに不正を働くならば自分たちが代わりに戦うこと、もしペルシア軍のもとに来て行動と助言により好意を示す者があれば、功労者や友人として処遇することを約束しました。
ペルシアへの援軍要請と戦利品の分配
キュロスは、戻ってきた同盟軍の兵士たちに食事をとらせました。ペルシア兵たちには食事を取らせた後、暗くなると陣営を取り巻いて身を潜めさせました。陣営の外から入っていくる者がいないかを見張ると同時に、陣営から財貨を持って逃げる者を捉えるためでした。
実際に、陣営から逃げる者たちが捕らえられました。キュロスは、逃亡者たちを捕らえた兵士には財貨の所有を許したため、その後は逃亡者を容易に見出すことはなくなりました。
ペルシア兵たちがこのように任務を果たす間、メディア兵たちはご馳走を食べ、酒を飲み、あらゆる楽しみに満たされていました。メディア王キュアクサレスは、キュロスが陣営の外にいた夜、戦果を祝って酩酊していました。
夜が明けると、陣営にはキュロスもメディア兵たちもいなかったため、自分一人を残して行ったと怒り、側にいた部下に対し、キュロスのところへ行き、直ちに戻るように、あるいはメディア兵だけでも戻るように伝えるよう指示しました。
キュロスはすでに別の陣営を占領していましたが、ペルシア軍にはそこで確保した財貨を守るための兵士が不足していたため、ペルシアに使者を派遣して、援軍を送ってもらうことにしました。
その後、メディア兵たちを呼び集めたところにキュアクサレスの使者が現れ、命令を伝えました。キュロスは、次のように言いました。
キュアクサレスが以前多くの敵を見ているために不安を感じているのだろうが、すでに敵のすべてが駆逐されたことを知れば不安を感じなくなり、孤立していないことを知るだろう。
自分はキュアクサレスの許可を得てメディア兵たちを率いてきたのだから、戦いの成功によってキュアクサレスの怒りは和らげられ、恐怖が終われば治まるだろう。
キュロスは使者に休むように言い、兵士たちには完全武装するよう命じました。ヒュルカニア王には、兵士たちに完全武装を命じたら自分のもとに戻るよう指示しました。ヒュルカニア王が戻ると、キュロスは彼の友誼を称え、今やアッシリア軍が共通の敵になっていることを確認し、メディア兵が呼び戻されないために、キュアクサレスの使者を留まらせるための協力を求めました。
ヒュルカニア王がキュアクサレスの使者を天幕に連れて行くと、ペルシアへ行く使者が準備を整えてきました。キュロスは、その使者に、ペルシアに行く途中でキュアクサレスに手紙を渡すよう命じました。手紙には次のように書かれていました。
キュアクサレスを見捨て孤立させたのではなく、敵を最も遠くに追い払おうとすることこそキュアクサレスに安全をもたらすだろう。
自分の説得によってこそ多くの同盟軍を得たのである。
キュアクサレスがメディア領土内で軍を与えてくれたのに、敵の領土内にいる今それを呼び戻そうとしている。ペルシアから援軍を求めるので必要ならキュアクサレスの意向に従うように指示しているので、兵士を奪い返さないようにして欲しい。
キュロスは同盟軍およびペルシア軍が武装を完了していることを確認し、再びメディア軍とヒュルカニア軍の指揮官たちを呼んで戦利品を分けるように指示しました。受け取った財貨については、各自の部下たちにも分け与え、一部は必要な物の購入資金として確保しておくように指示しました。
陣営にはアッシリアの商人たちが市場を出していましたので、それを誰にも妨害させることなく、必要な物を売りに出して陣営内で不自由させないようにすることを告知させました。
指揮官たちは戦利品を分ける方法が分からないと訴えてきたので、キュロスは次のように答えました。
これまでも互いに必要なことを十分になしてきた。自分は同盟軍のために戦利品を保管してきたし、同盟軍もそのことを信頼しているはずである。
だから、自分も同盟軍がそれらを立派に分けおおせることを信頼している。
ただし、戦利品としての馬については、ペルシア兵が騎兵として乗り、同盟軍たちについていくことができ、共に戦うことができるよう、ペルシア軍に与えて欲しい。
メディア軍は、戦利品の中からキュアクサレスの気に入るものを選んだら、ヒュルカニア軍に敬意を表し、彼らが仲間になってよかった思えるような対応をして欲しい。
キュアクサレスの使者たちにも取り分を与え、しばらくここに留まって状況をもっとよく知ったうえで事実の報告をすることを勧めました。
ペルシア兵たちには、残った戦利品を分けることにしました。
キュロスは、アッシリア、シリア、アラビアの軍隊で奴隷として働かされている種族がいれば名乗り出るように告知する命令を発したところ、多くの者が名乗り出たので、キュロスは彼らに武器を与え、直属の中隊長たちに引き合わせ、馬について行かせるように指示しました。
アッシリアの有力者ゴブリュアスの寝返り
ゴブリュアスというアッシリアの老人が、騎兵隊を護衛にし、馬に乗ってキュロスのもとにやってきました。彼は強固な城砦を持ち、広大な土地を支配するとともに、1000騎の騎兵を所有し、アッシリア王に提供していました。
キュロス軍はアッシリア王を倒したたため、その息子が王を継いでいました。ゴブリュアスにとって、前のアッシリア王は緊密な間柄でしたが、新たな王は憎むべき者でした。前王の時代、王の息子(現・王)がゴブリュアスの息子を狩猟に誘った際、王の息子が仕留め損じた獲物を、ゴブリュアスの息子が見事に仕留めたため、王の息子は怒りに駆られ、ゴブリュアスの息子を槍で突き刺して殺してしまいました。
前王が生きているうちは恩もあったのですが、今では王も亡くなり息子が権力を持ったため、ゴブリュアスはキュロスの家臣となり、キュロスに復讐者となってほしいと願い出ました。キュロスはそれを受け入れました。ゴブリュアスの城砦、領地、武器および権力の所有は今までどおりとしました。
ゴブリュアスは、城砦を住居として提供すること、領地の貢税を納めること、進軍には自分も兵力を率いて参加すること、自分の娘を差し出すことをキュロスに約束しました。