この記事では、かつてアメリカの組織論における独特な一角を占めたアルヴィン・ブラウン(Alvin Brown)の『経営組織』(Organization of Industry, Prentice-Hall Inc., 1947)を紹介します。
企業の経営活動は組織によって行われます。組織においては、それを構成する各成員に仕事が割り当てられますが、それぞれの割当部分を、その成員の「責任(responsibility)」と呼びます。
責任の割当は、組織の上位者から下位者に向かって、その担当責任の一部が順次委譲されていくことによって行われます。
委譲者が自らの責任を分割し、その一部を自らに留保しつつ、残りの部分を別の者(受任者)に委譲するとき、受任者の責任が明確にされ、割り当てられることになります。
このようにして、分割された責任が割り当てられることをもって、その受任者の責任が規定されることになります。委譲者から見た「責任の分割」は、受任者から見た「責任の規定」と同義です。
委譲が繰り返されることによって、経営活動の全体が次々と細分化された責任となり、最終的にすべての成員に分担されることになります。
責任の明瞭性と正確性
組織は、複数の異なった個人の集まりですから、各人に配分される責任が曖昧であっては、経営活動を効果的に遂行することはできません。
- 責任の規定は、明瞭かつ正確でなければならない。
規定が明確であるとは、成員が自己の作業が何であるかを知ることができるということです。規定が正確であるとは、成員が自己の作業の限界を知悉しているということです。
この原則は、当該成員の作業が何であるかを他の成員たちに知らせるためにも重要です。
ただし、あらゆる不測の事態を考慮した完全な規定をあらかじめ定めることは不可能ですから、規定の完全性が要求されるわけではありません。完全性を無理に追求すると、組織が硬直的になり、逆に経営活動を損なうおそれがあります。
まずは、他の諸原則に準じるよう努力を尽くし、責任の境界を明らかにすることです。境界内部の詳細は、受任者の自由裁量と委譲者の監督に委ねることがむしろ効果的です。
諸責任の分化
経営活動は、委譲した責任と留保した責任の和にほかなりません。全経営活動のうちのどの部分も、一回以上重複して割り当ててはいけません。
- 委譲した責任と、留保した責任とは、相互に他を排斥しなければならない。
一人の委譲者から複数の受任者に責任が委譲される場合、受任者間においても、責任は相互排他的でなければなりません。
相互に排他的な責任を構成することに失敗すると、各成員の努力が輻輳し、混乱し、浪費されるので、最少の努力で一切の任務を遂行するという組織の根本目的を達成できなくなります。
努力の倍増
ある成員が一人の補助者を置くことによって、一人で行っていた仕事を二人で行うことができれば、努力を倍増することができます。
努力の倍増は、責任の重複とは違います。一人で行っていた仕事を二人に分割する場合、その二人の責任の内容は同じようであっても、責任そのものは各人に個別です。
責任の重複とは、例えば、一人に割り振られるべき仕事を二人に割り振るような場合です。明らかに二人の責任の境界は曖昧であり、努力の浪費です。
努力の倍増は、例えば、同じような仕事を二人に割り振ることによって、成果を倍増させようとするものですから、成果はそれぞれに帰属し、それぞれの責任は全く別です。
併存責任
併存責任とは、特定の経営活動について、その忠実性を確保するために、同じ仕事に対して何重かの責任を課すことです。いわゆる監査がこれに相当します。
特に現金を扱うような仕事の場合は、日常的にダブルチェックの機能として用いられます。
これも責任の重複とは違います。例えば、一人分の仕事を二人に割り振り、どちらが遂行しても構わないとするのが、責任の重複に当たります。
併存責任では、一人がある仕事を遂行し、別の一人がその結果を確認することによって初めて、その仕事が完了したことになります。確認する対象は同じであっても、責任としては全く別です。全く別の責任として遂行されるからこそ、真実性が担保されます。
同質性
責任の規定において、知識、経験または熟練の諸要件を限定するとき、その責任は「専門化」されることになります。類似するものはこれを一つに含め、異なるものは排除すべきことを要求します。
成員の役割を専門的に分化させることは、経営活動を効果的にするための主要な手段の一つです。
- 各責任は、なるだけ同質的でなければならない。
この原則によれば、関連する諸要素は、できる限り同一責任に含ませることが望ましいことになります。似通った知識、経験または熟練を集中させることは、人員や監督の節減をもたらします。
同質性の原則は、責任が相互に排他的であるべきとする要件と同じではありません。
同じ製品を2つのラインに分けて2人で製造する場合、責任は同質的であっても排他的です。これは努力の倍増の例です。
責任の排他性は絶対原則ですが、同質的なものを一つの責任にすべて含ませるというのは必ずしも絶対ではありません。責任の同質性の厳守が、常に経営活動を効果的にするとは限らないからです。
人間的要素
組織は人間によって構成されますから、人間の性質を考慮しなければなりません。責任は、これを遂行する人の力量に適合しなければなりません。
しかし、一つの目的に向かって経営活動を行う以上、一定の秩序や方式によって勝手気儘な行動が制限されることは当然のことです。
人間を無視した組織は成り立ちませんが、組織を無視した個々人の活動は、目的に向けて効果を発揮しません。
組織における唯一の関心事は、経営活動を効果的にすることです。組織は経営活動の諸要件に関心を向けつつ、そのために必要である限りにおいて諸個人に関心を向けることになります。
- 組織が人事を決定すべきであって、人事によって組織の性質を左右してはならない。
企業の目的を果たすための経営活動があり、それを構成する課業が諸責任として分担され、それぞれの責任に相応しい人材が配置されます。
配置される個人の長所や短所などの特質は、配置において最大限に考慮されるべきです。配置された後に、その個人に合わせて責任の内容を変更するのは本末転倒です。
その人の個性は、責任に付随する自由裁量の範囲内で発揮されるべきものです。
個人一般
責任の規定は、個人の特殊な力量を当てにするのではなく、普通一般の人々の力量を知ることによって導かれなければなりません。
普通一般とは、単純に平均的な人物という想定ではありません。規定される責任には、特定の専門性や最低限の能力レベルを前提とせざるを得ないものもありますから、それらの要件に該当する人材において想定される普通一般という意味になります。
- 各責任は、なるべくその遂行に当たる人が容易に得られるように規定されなければならない。
できるだけ多くの人が遂行できるようにするためには、人間本来の特性をできるだけ重視した規定にしなければなりません。
- 各責任は人間本来の能力を顧慮して規定しなければならない。
この原則は、高度で過重過ぎる責任だけでなく、単純過ぎる責任をも戒めます。単純反復的な仕事は効率的に見えて、人間にとっては退屈過ぎて集中力を欠き、むしろ努力の浪費になります。
- 責任はすべて、これを遂行する人の力量を超えてはならない。
- 各責任は、これを遂行する人の全力量を用いるものでなければならない。
これらの原則は、組織によって規定された責任に相応しい人事を行うということです。人事は、組織ではなく経営の役割です。
当初相応しい人事が行われたとしても、人の能力は変化します。その場合になすべきことは、変化した能力に対応して責任の規定を変更するのではなく、人事を変更することです。
力量の規定
責任の性質に基づいて、成員に要求される力量を決定するとすれば、その力量は、質的および量的に考えられなければなりません。
質的とは「何をなし得なければならないか」であり、量的とは「どの程度なし得なければならないか」です。
- 責任の規定は、力量をば質的にも量的にも取り扱わなければならない。
監督もまた力量の決定因子です。監督の要件は、受任者たちの能力に左右されます。監督と受任者の能力という2つの要因は、相互に補完的です。
受任者の能力要件は、委譲者の与えるべき監督の量に依存します。委譲者の留保責任とのバランスで、監督に十分力量を割けないなら、より大きい能力を持つ受任者を必要とします。
養成中の成員
人間の能力は正確に秤量できるものではないので、責任の要件に合致した個々人を選定するということは、せいぜいのところ近似的に行い得るに過ぎません。
責任の遂行に当たる力量のかなりの部分は経験から生じるものですが、通常、新規に専任された人がそのような経験をもっているとは期待できません。
一般に、ある責任に配置されたばかりの人は、それから時間が経過したときに当然持っていなければならない力量よりも、少ない力量しか持っていないのが普通です。
そのため、受任者が不慣れな間は、やがて受任者に期待されるに至る事柄を、委譲者が代わって行う必要があるでしょう。
組織の諸原則を的確に適用する限り、責任の規定は、当初には力量が相対的に欠けていることに対応し、経験によって力量を獲得していくのに応じて漸次に広くなるようにしなければなりません。
明文化された規定は、通常、受任者の義務と権限に関する最終的な表現として存在するでしょう。受任者が、これらを引き受ける資格ができるにつれて、委譲者は、一時的に留保した事項を前進的に委譲することになります。
特定の個人
組織によって規定された責任に基づいて人事が決定されるべきであり、人事によって組織の性質を左右してはいけない、というのが原則です。
しかし、現実問題として、組織の規定した責任にちょうど当てはまる個人がどうしても見つからないということはあり得ます。
そうなると、どんな個人がいるのかを検討し、規定に合う個人を得られるようにするには、どれほど責任の規定を修正すればよいかを検討しなければならなくなります。
特に小規模の企業において、人選の制約によって組織上の譲歩が行われることは少なくないでしょう。新規に採用するよりも、既存の成員を最大限に活用することを優先するほうが、コストや時間を節約でき、かつ成員の志気を高めることにもつながることはあるでしょう。
部分的にしか適合できない人たちの中から人選しなければならないときは、力量を持つ人を人選するのに必要な限りにおいて、責任の規定を部分的に修正せざるを得ません。
ここで言っているのは、組織に合った個人を探し出すことに失敗した場合に、組織を現状の個人に合わせることは、最低限に慎むべきであるということです。
これとは別な話として、ある人が特殊な才能を持ち、その人を活用すれば利益を享受できることが分かっていながら、組織の適正を損なうという理由で活用しないという判断は、あってはなりません。
組織の目的は経営活動を効果的にすることであり、端的に言えば、企業の利益を高めることであるからです。
組織に合わせるために利益を犠牲にするのは本末転倒です。個人を優先したほうが利益が大きいときには組織を修正すべきです。本来、そのように重要な人材は、組織を規定する段階で考慮すべきです。
なお、企業の規模が大きくなり、多数の努力がますます必要になるにつれて、個人の重要性は相対的に小さくなっていきます。
- 企業が大規模になればなるほど、組織が人事によって左右される余地は少なくなる。
企業の目的に従って組織が作られ、目的が継続する以上、組織も継続することを考慮すれば、一般論として、個性の尊重に偏するのは限度があるべきです。
組織において最初に問題にされるべきは、「この人が何をなし得るか」ではなく、「ここでは何がなされるべきか」です。特定の個人を顧みずに吟味され、計画された後、個性の及ぼす影響を考えに入れるべきです。