ドラッカー流マネジメント

最近では、科学的経営が重視されているようで、ドラッカーのマネジメント論など古いという意見もあるようです。

しかし、組織が置かれている社会、そして組織の中も、すべて人によって動いています。人が科学的合理的に行動する存在でないことは、自分自身の日頃の行動から見ても分かるはずです。ですから、科学的経営などという言葉は、少々眉唾で聞いたほうがよいでしょう。

もちろん、科学を無視してよいわけではありません。経営科学あるいは経営工学は、当然、経営に役立てる必要があります。しかし、それらはあくまで道具にしか過ぎません。

経営は、人のために人が行うものですから、科学的に答えが決まるものではなく、マネジメントが決めるものです。それが「意思決定」です。意思決定は創造的な活動であり、ある種の芸術でもあります。ですから、マネジメントが健全であることが、組織が健全であることであり、社会を健全に保つことにもなります。

マネジメントが健全であるためには、マネジメントを権力や階級とみなすことをやめなければなりません。マルクスが搾取階級と批判したブルジョアであってはいけません。マネジメントは組織の機能ですから、それは果たすべき義務としての仕事でなければなりません。

さらに、マネジメントは組織の機能ではありますが、組織の中でのみ働く機能ではなく、組織を超える機能です。むしろマネジメントの機能の具体的道具が組織であり、組織間の関係においても、マネジメントは重要な役割を果たさなければなりません。

マネジメントは純粋科学ではなく創造的活動である

マネジメントは、コンセプト、原則、手法を含む体系的知識です。この点を具体的に明らかにしたドラッカーの功績は、きわめて大きなものがあります。

マネジメントの仕事は体系的に分析し分類することができるものです。その意味で、特有の科学的かつ専門的な側面を持つことを意味します。直感や勘、才能で行うものではなく、学習し、改善することができる仕事です。

ただし、マネジメントの仕事は事業上の成果によって評価されます。つまり、マネジメントに知識は必要ですが、あくまで実践が重要です。リスクや経済の好不況、競争、消費者の不合理な選択など、あらゆる不測の事態を考慮した判断が必要になります。

一定のルールや計算によって一つに答えが決まるのではなく、人間の判断が求められるという点で、純粋な科学とは違います。マネジメントを科学として位置づけようとする試みは、あらゆる不測の要因を除去しようとする試みにつながり、経済の自由や発展能力を阻害することにつながると、ドラッカーは警告するのです。

科学では、要因や条件が同じであれば結果は同じです。しかし、マネジメントにおいては、誰がどのようにマネジメントするかによって成果が変わります。それこそが自由なマネジメントの成果であり、創造的な成果です。

ですから、マネジメントは受動的、適応的な行動ではなく、望ましい結果をもたらすための主体的行動です。経済の変化に適応するだけではなく、経済に対して実質的な影響を与えることを目指します。自分たちが経済環境の主人公になって、自ら経済をつくろうとする意気込みが大切です。

それは意識的で合目的的な行動ですから、目標によるマネジメントが必要です。必要に応じて妥協しなければならないからこそ、望ましい目標を掲げることが大切です。

マネジメントの使命、目的、役割から入る

一般的な経営書では、確立した組織があって、その中でどのように管理を行うか、という観点でマネジメントを説明します。マネジメントの具体的な仕事を説明しようとするわけです。

一方、ドラッカーは、マネジメントの「使命、目的、役割」から入ります。マネジメントを「外から見る」ことから始めるのです。なぜなら「成果は組織の外にしかない」からです。

「外」とは、組織が存在している社会のことです。組織はそれ自体のために存在するわけではなく、社会のために存在します。ですから、社会に対して有益なものを生み出して初めて存在する意味があります。

社会に対する「使命、目的、役割」が明らかにされて初めて、それらを果たすための組織、仕事、トップマネジメント、戦略を明らかにすることができます。大枠の順番は次のとおりです。

  1. 目的
  2. 戦略
  3. 基本活動
  4. 組織の基本単位

この後、順次、仕事の細目や組織の詳細な部門・階層分けなどを明らかにしていきます。

つまり、組織がまずあって、その中でマネジメントが定義されるのではなく、マネジメントの使命、目的、役割があって、それに相応しい組織が定義されます。

マネジメントの役割

ドラッカーは、組織が社会に貢献するため、マネジメントに3つの役割があると言います。

  1. 自らの組織に特有の目的と使命を果たす。
  2. 仕事を生産的なものとし、働く人たちに成果をあげさせる。
  3. 自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会的な貢献を行う。

この3つの役割は「異質ではあるが同じように重要である」と言っています。異質ですから、因果関係もありません。どれかを軽視すれば、必ず組織に害をなします。互いに制約条件になったり、阻害要因になることさえあります。逆に、互いが互いの向上要因となり、相乗効果を発揮することもあります。3つの役割のバランスをとり、互いに阻害することなく、相乗効果を生む方向に仕向けることがマネジメントの力です。

さらに、ドラッカーは、第4の次元として、

  1. 時間

をあげています。3つの役割すべてに関わる点で違いがあります。常に現在と未来、短期と長期の双方の観点で、3つの役割を果たしていくことが必要であるという意味です。

マネジメントの役割について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

マネジメントの範囲は組織を超える

マネジメントの使命、目的、役割から入るということは、組織の外にある成果に焦点を合わせるということです。

つまり、マネジメントは、法的に規定されるような法人の内部を管理するための機能ではないということです。これは、次のような環境の変化において、致命的に重要になります。

  1. 組織で働く人たちの中心は正社員ではなく、非正規社員、派遣社員、業務委託などが増加している。
  2. 産業の垣根に意味はなく、全く異なる産業から競合が出現するようになっている。
  3. 自社に必要な技術や知識のすべてを、自社内で賄うことは不可能になっている。
  4. 内製化の進んだメーカーであっても、顧客が支払う対価の僅か(ドラッカーによると、通常は10%程度)しか自社の取り分はなく、多くは自社外(流通等)に流れている。

1.に関しては、自社が雇用する者のみをマネジメントすれば済む時代ではなく、指揮命令が及ばない人たちをもマネジメントしなければならなくなっているということです。

2.と3.に関しては、常に圧倒的多数を占める非顧客に着目し、幅広い視点で柔軟な業務提携関係をマネジメントしなければならなくなっているということです。

4.に関しては、2.と3.にも関わりますが、サプライチェーン全体のマネジメントに関与しなければならなくなっているということです。自社の外で発生しているコストや利益を含めた全体が、顧客が支払う対価であり、顧客の選択を決めているからです。

要するに、マネジメントは、組織の仕事ぶりと成果に関わりのあるものすべてを対象とし、すべてに責任を負わなければならないということです。

マネジメントは、所有権、階級、権力から独立した存在である

一般的に考えると、マネジメントの根拠(由来)には、何らかの権力があると考えがちです。例えば、100%株主である経営者だから、役職者だから、組織の中で権力を持ってマネジメントできると考えます。

しかし、ドラッカーは、「地位や権力はマネジメントと関係ない」と言っています。

マネジメントは、成果に対する責任に由来する客観的な機能である

マネジメントの根拠(由来)は「成果に対する責任」です。つまり、組織が目的を果たすことに貢献する義務を負っているということです。それは客観的で明確に定められる仕事です。ここにマネジメントの正統性が求められます。

上司が部下に命令するといったことだけがマネジメントではなく、

  • 上司が部下の目標達成に貢献すること
  • 部下が上司の目標達成に貢献すること
  • 同僚の目標達成に貢献すること

などもマネジメントの範疇になってくるわけです。いずれも権力ではなく「責任」の問題です。ですから、「自己のマネジメント」、「上司のマネジメント」、「同僚のマネジメント」も必要になるのです。いずれも、自分が成果をあげるために必要な責任であり仕事であるということです。

更に「客観的な機能」ですので、特定の人が自主的にやればよいといったものではありません。組織に普遍的に要求される機能であり、明文化されるべき機能であると考えるべきです。

社会と経済の健全さはマネジメントの健全さによって左右される

社会は急激に組織社会になりました。財やサービスのほとんどは、個人や家族ではなく、組織によって供給されています。個人のほとんどは、組織を通じて社会に貢献し、自己実現を果たすようになっています。

ですから、一人ひとりの才能や能力は組織を通して社会に発揮され、一人ひとりの期待は組織を通して実現していきます。

個人の限定された力が、最終的に社会に貢献し得る適正な財やサービスに結実し、適時に適量で供給されるためには、マネジメントが健全に機能しなければなりません。ですから、マネジメントの健全さが、社会と経済の健全さを左右すると言っても過言ではありません。

マネジメントが健全であるためには、その権限に正統性を求め、自らの権限の行使を戒めなければなりません。マネジメントの正統性について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

発展途上国なる国は存在せず、マネジメントが発展途上段階にある国が存在する

通常、発展途上国は、技術や教育が遅れているがゆえに優れた財やサービスが供給できず、発展途上にあると考えるのではないでしょうか。

先進国の人々は、発展途上国の人々を支援するとき、「彼らを教えてやろう」という姿勢で臨むことが多いでしょう。雇用を生み出すにしても、低レベルの単純労働者としか見ていないことが多いでしょう。

しかし、それは正しくありません。

『7つの習慣』で有名なスティーブン・R・コヴィー氏の書籍に、『第3の案』というものがあります。発展途上国の貧しい人々の中にある数多くの優れたアイデアや発明について触れており、彼らの生活の中には、実に多彩で素晴らしい発明や工夫が数多く見出されると言います。

つまり、個人の能力や才能という点で比較したときに、途上国の人々が先進国の人々に比べて全体として劣っているわけではありません。違いは「マネジメント」にあります。マネジメントが発展途上であるために、優れた発明や工夫が体系的に生み出され、集められ、運ばれ、共有され、組み合わされることなく、人知れず点在したままになっているのです。

ですから、「マネジメント」の発見(発明)は実に偉大であり、その最大の貢献者がドラッカーです。