本書は、1946年、ドラッカーが36歳のときの3作目の書籍です。産業社会のあり方について取り上げていますが、答えを得ようとするものではなく、問いを提起しているものです。
1943年の秋にゼネラルモーターズ(GM)から申し出があり、ドラッカーは、アウトサイダーとしてGMの経営と組織を調べました。約一年半にわたり、GMの内部文書を読み、工場の現場を見、経営幹部に会ったといいます。
しかし、ドラッカーは、あくまでGMを「組織」の一つとして扱い、GMの抱える問題をあらゆる種類の「組織」に共通する問題として扱いました。
本書が出版された当時、企業とマネジメントについての本は僅かしかありませんでした。ましてや、マネジメントを一つの体系として取り上げているものは一つもありませんでした。
本書は唯一、社会的な課題の担い手としての組織を調べたものです。しかも、「組織」を一つの種としてとらえ、その研究を一つの体系として確立したものです。GMを通じて近代組織の構造、経営政策、社会的人間的側面を組織的に研究し、マネジメントという体系を生み出しました。
さらに、あらゆる組織は、社会における社会のための「組織」として機能する必要があることを初めて明らかにしました。すなわち、組織の社会的責任の問題です。
産業社会は成立するか
産業社会が成立するためには、その社会の基盤でありリーダーである企業が存続しつつ安定的に機能することが不可欠です。企業の本来的機能は経済的機能ですが、それだけでなく、社会的、政治的な機能をも果たすことが求められます。
ドラッカーは、企業が産業社会の基盤となる体制を「自由企業体制」と呼びます。自由企業とは、政治的な支配を受けない企業、すなわち私企業です。
私企業が事業体として存続し、かつ、社会に貢献するためには、市場において決定される価格によって財やサービスが取引される必要があります。企業活動を動機づけるものは利益です。政府の役割は、企業活動のルールを定めることです。
企業が基盤となる産業社会について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。
事業体としての企業
企業は、社会において成立し、事業体として存続することができなければなりません。しかし、産業社会の中核である企業には、人間によって構成される組織として、人間の道具となることが求められます。
GMは、分権制により、この両方を成功させました。厳格化されたルールとしての分権制ではなく、方位磁石のような行動指針としての原理として利用しました。
分権制のメリットは、経済効率においてもっとも優れているということではなく、市場によるテストを受けているということです。さらに、リーダーの育成においても有効です。
継続する事業体としての企業組織のあり方について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。
社会の代表的組織としての企業
社会の役割は、人間に機会の平等と尊厳を与えることです。産業社会においては、その代表的組織が企業ですから、人は従業員として、仕事を通じて、尊厳を得ることができなければなりません。
職長には経営管理者への昇進の機会が平等に確保されていることが重要です。一般の工員についても同様ですが、現在の仕事において誇りをもたせることが一層重要です。仕事に意味づけを与え、製品の意義を知らせ、仕事の組み立てや改善に参画を促すことです。
企業における機会の平等と尊厳の付与について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。
産業社会の存在としての企業
企業の存続は、社会にとっても必要です。企業は独占を志向すると考えるのは間違いであり、大量生産が可能になった現代においては、市場における競争こそが経済効率を高めます。
企業にとって独占はむしろ有害ですが、規模の大きさには、分権制の活用によるメリットがあります。
また、社会と企業の利害を一致させるためには、価格によって調整される市場の存在が重要であり、利益が重要な評価尺度になります。また、利潤動機が、自由企業社会を機能させるうえで有効です。
しかし、社会にとっての重要な試金石は、何よりも雇用です。産業社会においては、代表的組織である企業が雇用を確保し、失業を防ぐ責務を果たす必要があります。
産業社会における企業の役割について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。