働く人と働くことのマネジメント

「働く人」と「働くこと」のマネジメントに関しては、かつてアメとムチによるマネジメントが主流でした。人は怠惰で仕事を嫌い、責任を負うことができないため、アメとムチによって仕事を強制しなければならないと考えられていました。

その後、ドラッカーらの考え方、すなわち人は働く欲求をもち、仕事を通じて自己実現と責任を欲するという考え方が主流になってきました。

しかし、マズローは、強い者さえ、命令と指揮を必要とし、弱い者はなおのこと、責任という重荷に対して保護を必要とすると指摘しました。それを受けて、ドラッカーは考え方を修正します。

精力的な人もいれば、怠惰な人もいます。それどころか、同じ人が、違う状況のもとで違う反応を示すことさえあります。

つまり、人は本性として怠惰であるとか、自己実現と責任を欲するということではありません。人の動機や衝動の元になるのは、常に人の外にあります。人がいかに動くかを決め、いかなるマネジメントを必要とするかを決めるものは、人の本性ではなく仕事そのものです。

X理論とY理論

人と労働のマネジメントに関する文献のうち、もっとも読まれ、利用されているのが、ダグラス・マグレガーのX理論とY理論です。

X理論とは、人は怠惰で仕事を嫌うとします。強制しなければならなず、自ら責任を負うことのできない存在とします。

Y理論とは、人は欲求を持ち、仕事を通じて自己実現と責任を欲するとします。

マグレガーは、どちらが正しいかを明言しませんでしたが、Y理論が正しいと考えていることは自明ととらえられ、その方向が支配的になっていきました。

これに対し、Y理論を実践しようとしていた企業を調査したマズローから批判を受けます。強い者さえ命令と指揮を必要とし、弱い者はなおのこと責任という重荷に対して保護を必要とすると指摘しました。

結局のところ、精力的な人もいれば、怠惰な人もいます。それどころか、同じ人が、違う状況のもとで違う反応を示すことさえあります。

つまり、人はX理論やY理論のようには動いていません。人がいかに動くかを決め、いかなるマネジメントを必要とするかを決めるものは、人の本性ではなく仕事そのものです。

少なくとも先進国においては、X理論、すなわちアメとムチによるマネジメントはもはや有効でないことは明らかです。

ムチとは飢えと恐怖でした。今やそれらで働くことを強制することは不可能です。

アメとしての物質的な報酬は、力を失ってはいません。その力があまりに強いため、安易には使えなくなりました。物質的に豊かになったため、さらに多くの報酬を期待するようになってしまっているからです。アメを使った動機づけは、生産性の向上を優に帳消しにしてしまいます。

一方、Y理論に基づく代表的なものに産業心理学があります。しかし、ドラッカーの批判は手厳しいです。産業心理学はY理論への忠誠を称するが、中身は心理操作による支配であり、心理学の濫用であるとします。仕事のうえでの人間関係は、尊敬に基礎を置かなければならないが、心理的支配は根本において人を馬鹿にしているとさえ指摘します。

有効な方法

過去の歴史を紐解けば、「働く人」と「働くこと」のマネジメントが有効に機能した時期や組織があったことが分かります。働くことが成果と自己実現を意味した時期や組織がありました。その典型は、国家存亡のときでした。

危機的な状況であったがゆえに、働く人は、自らが大義に貢献していることを自覚していました。

重要なことは、国家存亡の有無ではなく、

働く者が、自ら大義に貢献していることを自覚できること

であり、そのような状況を起こすことができるかどうかです。

幸い、外部から刺激を受けなくても、そのような状況を起こすことはできます。現に、過去において、そのような例が存在しているからです。

日本企業での成功

日本では、終身雇用と年功序列による昇進が行われ、福利厚生が賃金と同程度に重視されました。

日本でも、インダストリアル・エンジニアは活躍しています。しかし、彼らの役割は、仕事の研究や分析を行い、仕事の内容を明らかにするまでです。職務の設計は行わず、職場に任せます。

インダストリアル・エンジニアの仕事自体は欧米と同じですが、現場と一体となって仕事をする点が異なっています。仕事を総合的にまとめるのは現場の職場グループであり、エンジニアはそれを助けるだけです。

機械の設計はエンジニアが行いますが、最終調整や使用方法は現場の責任です。現場が機械の設計に関与することさえあります。ツールの改善も現場で行います。

トップマネジメントを含めたあらゆる人間が、退職するまで研鑽を日常の課題としています。仕事とツールへの現場の関与自体が継続訓練の一環です。継続学習へのコミットが、変化とイノベーションを進んで受け入れる土壌を作ります。

サークル活動は特定のスキルについてではなく、職場のあらゆるスキルを取り上げます。現場のあらゆる係が参加し、職場全体の仕事に焦点が合わされています。経理の人間も参加する事務サークル活動さえあります。

継続学習によって、人は自らの仕事ぶり、基準、同僚の仕事も知ることができ、所属と専門を超えて全体を見ることができるようになります。全体を見ながら、そこで行われている一つひとつの仕事に関心を持つことが期待されるため、自らの位置と貢献を知ることができます。

年功序列による終身雇用により、マネジメントの第一の責任は、若い者の面倒を見ながら育てることになります。

組織のあらゆる階層で、意思決定が何を意味するかを考え、責任を分担することが期待されます。組織全体のために責任を果たす観点から考えることが期待されます。それは、権限に基づいて意思決定のプロセスに参加することではありません。責任による参加であり、意思決定を考えることへの参加です。

ドイツのツァイス方式

ツァイスは、レンズの製作メーカーでした。

科学的管理法と同等の方法で、仕事の分析、統合を行いましたが、働くことを組織するところまでは行いませんでした。日本の場合と同様、職務を編成する責任を実際に仕事をする人たちに負わせたのです。理論と技能は説明しましたが、彼ら自身で行わせました。

現場の技能者に、大学出の科学者や技術者の助けを得ながら、新しい機械とツールを開発させました。

技能者への継続訓練も導入しました。徒弟訓練と学校での訓練を組み合わせたほか、体系的な訓練講座を開いて、在職中は継続して参加させました。

研究集会も開かせ、技能者、技術者、科学者、設計者が協力して、作業方法の改善、新製品の開発、プロセスと技術の改良を研究するように仕向けました。

働く者自身による仕事の管理も要求しました。働く者に対して、管理に必要となる製品や仕事についての情報のフィードバックを与えました。

日本のような制度的な雇用の保障はありませんでしたが、業績をあげることを学び、意欲のあることを示しさえすれば、景気変動にかかわりなく雇用を保障していました。

IBMの試行錯誤

職務の拡大が製品の質と量において予期せぬ改善をもたらしたことから、体系的な取組みに発展させました。

  • 個々の作業を可能な限り単純に設計し、誰でもこなせるように訓練しました。
  • それらの作業のうち、少なくとも1つは、熟練技能や判断力を必要とするものにしました。
  • 複数の作業を行わせることによって、仕事のリズムに変化をもたせました。
  • 働く人が自分で仕事の進め方を変えられるようにしました。

その結果、生産性の大幅な向上が図られただけでなく、働く者が職務に誇りを持つようになりました。

監督を置く代わりに、現場アシスタント(インストラクター)を配置するようにしました。上司は補助者になったのです。働く者が、次のようなことができるようサポートをしました。

  • 仕事を理解すること
  • 高い技能を身につけること
  • 経験や判断が必要な問題を解決できるようにすること
  • そのためのツールを使えるようにすること

この仕事は、マネジメント育成のためのポストとしても優れた成果を出しました。

エンジニアリングによる改善も成果を出しました。生産現場で、技術者と技能者が協力した結果、安く、速く生産できるようになり、その後の生産段階でも生産性の高い優れた仕事ぶりを示しました。その成果は、次のような形で引き続き生かされました。

  • 設計の途中で職長(アシスタント)の一人が担当管理者に任命される。
  • その職長が、設計の最終段階について、技術者や、直接生産に当たるべき従業員と協力して仕事をする。
  • 職長とその部下の従業員が、あらゆる種類の専門技術者の協力のもとに、生産工程とレイアウトを決め、個々の仕事を決めていく。

給与は固定給であり、ノルマはありませんが、働く者一人ひとりが、アシスタントの助けを借りて、単位時間当たりの生産量を設定します。

その結果、アシスタントと働く者がともに、訓練と人員配置を重視するようになりました。アシスタントは部下を最も適した仕事に就けようとし、働く者自身もスキルを獲得すべく努力し、最もよくできる仕事を探そうとします。

マネジメントは、雇用の維持こそ自らの責務であると考えており、大恐慌の時期にも雇用を安定させて生産性を高めました。雇用を維持するために新市場の開拓さえ行いました。

責任の組織化

これまでの理論は、家族的マネジメント、参加型マネジメント、民主的マネジメントを含め、「権限の組織化」に焦点を合わせてきました。権限を分散することによって、いわば「自由」を与え、意思決定に参画させようとしました。

一方、上記の成功例が焦点を合わせていたのは「責任の組織化」でした。

トップマネジメントは権限を放棄して、自由なマネジメントをさせたわけではありません。意思決定に参加する責任を義務づけ、そのために必要なツールや情報を与え、訓練を行い、雇用の保障を与えたのです。