企業の国籍に関する無意味な議論 − 「シンボリック・アナリスト」とは何か?⑫

アメリカ経済の成功はアメリカ企業の成功に等しく、外国経済の成功は外国企業の成功に等しいという習慣的な考えのために、アメリカ人がすでに大量の対外資産を所有しているにもかかわらず、外国人がアメリカの資産を次々に所有していくように映ると、アメリカ人は不安に陥ります。

どの国の企業もグローバル・ウェブに移行しつつありますから、国富という観点から重要なことは、どの国の国民が何を所有するかではなく、どの国の国民が何をする方法を学んだかです。

その方法を身につけることによって、人々は世界経済にもっと多くの価値を付け加えることができ、したがって、自らの潜在的価値を高めることもまたできるのです。

株式投資もグローバル市場

アメリカ人が外国証券に投資する割合は上昇しています。国民の投資資金は何種類もの複雑な投資信託を経由して、国境を超えています。

24時間の電子取引のネットワークがニューヨーク、ロンドン、東京を結んだことによって、証券取引所にとっても国境は意味がありません。ニュースは世界の金融市場を即座に伝わり、即座に反応が現れます。

平均的なアメリカ人投資家は、貯蓄を投資信託、保険基金、年金プランに預け、これらの機関投資家を通じて外国企業の株式を保有しています。

アメリカ人投資家の収益と関係があるのは、アメリカ人の投資総額と、その世界的投資ポートフォリオの組まれ方であって、支配的な株主がアメリカ人である会社の成功とは関係がありません。

資本主義の古びた暗黙のルール

企業を支配するのが誰なのかということが問題にされる背景には、アメリカ人所有企業は、外国人所有企業とは対照的に、アメリカにとって良いことを重視するだろうとの前提があります。

しかし、グローバルな競争市場は、愛国心ではなく利益に基づいて動いています。収益性の点から見て、外国へ生産を移すことが必要とあれば、経営者は躊躇しません。

経営者がアメリカ経済の行方を心配するのは、アメリカ市場がその企業の利益源泉になっている限りにおいてです。これはアメリカ市場で製品を販売している企業に共通の観点であり、その所有者の国籍とは無関係です。

もし経営者が、海外で製造し、調達したほうが品質がよく、価格面でも有利であることが分かっていながら、国益を優先し、収益を犠牲にして、アメリカ国内で生産し、調達し続けるなら、株主により高い投資収益を約束する金融企業家の乗っ取りに晒されます。そうでなくとも、この経営者は、株主に対する背信の罪に問われかねません。

アメリカ国内における企業運営を規制する法規は、株主の国籍にかかわらず、アメリカで事業を行うすべての企業に適用されます。アメリカの制度が、アメリカ人所有企業のトップ経営者だけを公共目的の存在に変えたり、その追求を命じたりすることはできません。

コスモポリタン企業のイメージ

アメリカ人所有企業が急速にグローバルな展開をしたからといって、アメリカ企業の最高経営者が、アメリカ国内で良い企業市民としての評価を得ていることを宣伝したり、公共の利益に深くかつ持続的に関与する決意を表明したりすることが禁じられるわけではありません。

アメリカで事業を展開する外国人所有企業も同じように、アメリカ国内で公共的イメージを高めたいと望んでいます。

海外で活動しているアメリカ人所有企業も、進出先で良い市民として振る舞うことに、同じような義務感を覚えます。アメリカ人経営者の真の動機がどうであれ、進出先でアメリカの利益に適うように行動していると見られたいとは思いません。

外国人所有企業が、外交政策への配慮から撤退するのではないかという議論がよく起こります。仮に撤退したとしても、工場や設備などの多くは国内に残されるでしょう。蓄積された学習効果を、そこで働いていた国内従業員から持ち去ることもできません。このような環境の下では、これらの魅力的な資産を活用するため、新たな資金源からの資本が殺到するでしょう。


このことは、ロシアとウクライナの戦争に関連して実際に起こりました。


西側諸国の制裁によって、ロシアから多くの西欧企業が撤退しましたが、国内に残されたハードと、従業員に残されたノウハウを、ロシア国内の起業家が引き継いだため、ロシアは自給自足体制を強化し、経済成長が促されました。

アメリカ政府は国内に立地する資産に対して支配権を保つことができます。アメリカ人所有企業が所有する在外資産は、外国政府の支配を受け、しばしば没収されることがありますが、米国内にある外国人所有の資産は、外国政府の政策が突然変わったとしても安全です。

外国企業がアメリカに進出する理由

外国企業が、所有権と支配権に影響を及ぼせないにもかかわらずアメリカの資産を購入する理由は、アメリカ企業よりもその資産(アメリカ人労働者を含む。)をうまく利用できると考えるからです。

外国からアメリカへの投資は、為替レートにかかわらず、また、アメリカの債権・債務にかかわらず、増加しました。投資分野は、その製品が保護されているかどうか、あるいは、将来的に保護されそうであるかどうかとも、ほとんど関係がありません。

外国企業は、すでにアメリカで操業しているアメリカ人所有企業に比べて、海外操業に伴う余分なコストを支払ってもなお余りある利益が得られる場合にのみ、アメリカに進出します。

日本の自動車メーカーがアメリカ市場で優勢になったのは、アメリカの自動車メーカーよりも、アメリカ人労働者をうまく活用して、より高品質の車をより短時間で製造できたからです。

外国企業がアメリカの富を収奪しているという言い方もありますが、アメリカ人労働者はその企業から十分な収入を得ています。例えば、日本企業は、労働者の訓練に対して、同じ産業でアメリカ人雇用者が支出するよりも多くを支出しました。

戦略的媒介を行う技能がアメリカ人よりも優れている外国人は、アメリカ企業を買収したり、自分たちの工場をアメリカに新設する必要すらないかもしれません。アメリカ企業が、自分たちの工場と研究所を経営するのに外国企業を雇い、最終利益の一部を支払う方法も考えられます。

このような考え方からは、外国企業は、アメリカの資産を乗っ取る存在ではなく、アメリカ人の生産性を高めてくれる存在として認識されます。

高付加価値型企業における所有権と支配力の影響は、事実上、消え去ります。なぜなら、企業の収益基盤が組織網内の技能のある人々の持つ洞察力にあるため、収益や影響力の源も彼らにあるからです。

主要な問題解決者、問題発見者、戦略的媒介者が、アメリカに住んでいるアメリカ人である限り、どの国の人間が形式上企業を所有し、またトップの座にいようが、ほとんど重要ではありません。

同じ理由から、これらの企業にとって主要な人々がアメリカ人でない場合、その企業の形式上の所有者と最高経営者がアメリカ人であっても、アメリカにはほとんど助けにはなりません。

国家安全保障会議の冒した誤り

ワシントンの政策決定者は、アメリカの軍事兵器システムをはじめとして、自動車、テレビ、その他想像できる限りの電子機器の心臓部に使われるマイクロエレクトロニクスの生産を、外国企業に依存することを懸念します。

アメリカ企業が、日本の先進的なチップとその関連技術に依存するようになった際、国家安全保障会議(NSC)は、日本のハイテク企業がそれらを供給しなくなれば、ほとんどの分野でアメリカ製造業の競争力が削がれることになると指摘しました。

実態は、アメリカ人所有企業が、最も先端的なハイテクノロジーの研究、設計、組み立てを日本で行っている一方、日本人所有企業は、極度に複雑な作業を米国で行っていました。

アメリカが戦時に不可欠な重要技術へのアクセスをどうするかという点に関して言えば、アメリカ人所有企業の外国人が外国で重要な研究をしている場合よりも、外国人所有企業のアメリカ人がアメリカで重要な研究をしている場合のほうが、ずっと安全であることは確かです。

もしアメリカが国家安全保障の目的から、アメリカ国内に重要な技術を所有することが保証されるよう望むなら、外国企業や投資家をアメリカに進出させないようにするのではなく、アメリカ国内でそれを設計し、開発する、グローバル・ウェブを奨励する方向に踏み出さなければなりません。

国内に本社を持ち、グローバルな展開をしている企業を、自国企業として支配しようとする政府は、その悪影響に気を配りながら行動する必要があることが、歴史的に明らかです。その企業の海外子会社は、本国政府の指示に従うことによって、海外で信用を失ってしまうからです。


以上は、著者であるライシュの意見ですが、たとえアメリカに所在するといっても、外国企業であることによって、国防上の機密情報が外国に漏れやすいということは当然あり得ると考えられます。


特に、その外国が全体主義国家であり、国防動員法などで国家が事実上企業を統制できるようになっている場合があるという現実を踏まえれば、ライシュの考えは性善説過ぎるように見えます。

アメリカは技術を失ってはいない

外国からの資金と戦略的媒介能力が、アメリカ人の問題解決能力と問題発見能力に付け加わったならば、その結果はアメリカ人にとって以前より有益でしょう。

表面上、外国人がアメリカの先端技術を買い占めるように見えても、アメリカはこれらの技術を失ってはいません。科学者、発明家、技術者、マーケティング専門家など、アメリカ人の問題解決者、問題発見者、戦略的媒介者がそこにおり、彼らは価値ある洞察力を潜在的に持ち続けています。

彼らを買収したからといって、外国人所有の企業はこの経験として蓄積された能力を破壊することはありません。そんなことをすれば、投資した意味がなくなるからです。

外国企業はまた、これらのアメリカ人を奴隷のように自国に連れて帰ったり、彼らの持つ資料を没収したり、彼らを解雇したりもしません。彼らの能力の潜在的な価値は資料にあるのではなく、彼らの頭脳にあります。これらの人々がアメリカにとどまりたい限り、アメリカで仕事を続けます。

それでも、アメリカの技術が流出すると考えるかもしれません。しかし、企業を誰が所有しようが、新しい発明は絶えず青写真、コード、設計書、指示書の形で、アメリカから世界に広まっています。

戦略的媒介者は、最低の値段で最高の品質のものを生産し、販売してくれる人がいれば、世界の誰が相手であってもその発明を売るでしょう。

アメリカにそのまま残るのは、結局のところ、発明を続けるのに必要とされる技能と洞察力です。これこそが国家にとって重要な技術上の資産であり、国民経済的な利益の源泉です。

その資産は、国民の能力が十分に開発され、利用されることがない場合に価値を失います。

国家の役割

各国は自分たちの国民経済的な利益を認識し、国民の暮し向きと安全を高めようと努力しています。そのためには、グローバルな企業組織網に対する自国民の貢献の度合いとその潜在的な価値を高めなければなりません。このような各国の努力が、世界全体の富を高めるということにもつながります。

問題は、企業の収益性と国民の生活水準との関係が稀薄になっていることであり、国家が直接に自国の企業の収益性を高めることが難しくなっていることです。

国家の本当の技術資産は、将来の複雑な問題を解決する国民の能力であり、それが過去と現在の問題を解決した経験から生まれるものです。

そのような技術的経験の価値は、国民が働く企業の所有者が誰であろうが直接の関係はありません。

政府の政策決定者は、自国民所有企業が新技術から巨大な利益をあげることができるような政策よりも、その企業で働く自国民が技術的に洗練されることを手助けする政策に関心を払うべきです。