国境を超えた資本の移動が自由でなかった時代には、国内投資の資源は国内貯蓄でした。
しかし、今や、多くの国の貯蓄は、最大のリターンを求め、国境を越えて自由に動き回っています。その結果、一国内の国民貯蓄の水準と資本コストの水準との関連は小さくなっています。
そうなると、グローバル経済において、ある国が世界から資本を集められるかどうかは、公共部門が行う投資の内容によって決まることになります。
資本も企業も無国籍に展開する中で、その国独自の特質を決定するものは、国民の技能と社会資本の質ということになります。世界的な生産における、こうした比較的変動のない要素への投資が、国と国との主要な差になります。
国力に関する時代錯誤の論理
金持ちには減税、公共支出は削減、政府の財政赤字は縮小、という主張は、一般的に正義の論理のように言われます。その根拠は、国が将来豊かになるためには国内資本が不可欠だという考えです。
民間部門は収益をあげ、それを投資します。民間投資家が研究開発や工場、設備などに資金を提供し、国民はそこから生活水準の向上という成果をあげます。それ以外の支出は、公共支出を含め、すべて消費とみなされます。
公共支出は民間投資を締め出すことがないように抑制されるべきであり、支出分以上の収益をあげる国家的能力を低下させてはならない、と言われます。
しかも、民間投資は、主に金持ちの領域とみなされます。金持ちは、消費の上にさらに投資を行う選択ができるからです。そう考えると、金持ちに対して投資を選択させる動機づけをすべきで、そのために、その税負担を軽くすべきであるという考え方になります。
新たな経済ナショナリズムの論理
国境を超えた資本の移動が自由でなかった時代には、ある国における資本コストは国内貯蓄水準次第でした。
国民が所得から貯蓄をしなかったり、政府が重税をかけ、その歳入のほとんどを支出してしまえば、国内には研究開発や工場・設備への民間投資のための国内資本のプールはわずかしか残りません。
資本の供給は限られている一方、需要は大きいので、借り手は資金利用の際に高い利息を払わざるを得ません。その結果、多くの有益な民間投資が延期されることになり、国の経済成長は阻害されます。
しかし、今や、多くの国の貯蓄は、最大のリターンを求めて国境を越えて動き回る巨大なプールを形成しています。その結果、一つの国の貯蓄が別の国に簡単に投資されます。
世界的な資本移動の障害がますます少なくなるにつれ、一国内の国民貯蓄の水準と資本コストの水準との関連が小さくなっています。公共支出の削減や金持ちのアメリカ人投資家に対する減税が、もはや我が国の民間投資の水準にほとんど直接の影響を与えないということです。
しかし、公共部門が行う投資額およびその種類と、国が世界から資本を集められる能力との関連は強まっています。ここに、新たな経済ナショナリズムの論理が生まれます。
労働者の技能と社会資本の質こそが、世界経済におけるその国独自の特質であり、他の国とは違った魅力を形成します。世界的な生産における、こうした比較的変動のない要素への投資が、国と国との主要な差なのです。
熟練労働者と整った社会資本は、投資を行い、労働者に比較的良質の仕事を提供するグローバル・ウェブを持つ企業を惹きつけます。
適切な技能と社会資本の整備がなければ、外国からの投資は、国際比較で見て低い賃金と低い税率に引き寄せられる、という悪循環になる可能性が高くなります。
誤った公共支出の典型
グローバル経済の一地域としての国民経済という観点から、投資と消費の違いは、前者が将来の富を作り出すために使われる金、後者が現在の需要や必要を満たすために使われる金です。
外国への借金は、工場や学校、道路、その他将来の生産力強化の手段に投資される限りにおいて、誤っていません。強化された生産力で借金を返済し、尚も高い収益が得られます。
借金が問題となるのは、その金を消費のためにばら撒き、その後何も残らない場合です。
投資に関しても、国民が行う仕事の価値を高める投資と、単に収益を生む資産を世界中で作り出すだけの投資とを区別すべきです。その国にしかない生産要素、特にその国の国民、そして国民を一つにつなぎ、世界ともつなぐ輸送・通信システムへの投資が、将来にとって重要です。
人的資源からの収益のほうが、資本や資産からの収益に比べて大きくなります。また、こうした公共投資によって国民が世界経済に価値をもたらす手助けをすることができます。
アメリカ人の将来の生活水準は、消費の総量(公共部門と民間部門双方の)を抑制できるかどうか、アメリカにしかない資源である国民と社会資本に投資して、世界の投資家を呼び寄せ、対米投資を促すことができるかどうかにかかっています。
政治家も企業の指導者も、ことあるごとに国家の経済力の強さこそ最重要だと言いますが、その力の基盤を理解しようとしません。彼らは、社会資本や教育、職業訓練、関連公共事業などへの支出抑制とキャピタル・ゲイン税率の引き下げを唱えたのです。