グローバル経済が拡がりつつある今日、アメリカ企業および産業が、外国の企業および産業と競争するという状況はほとんど現実でありません。
アメリカとは、単に仕事が行われる場所、付加価値が生み出される場所を意味するに過ぎず、グローバル・ウェブが実態です。グローバル企業の組織形態は地球大に広がっています。
グローバルな拡がりを持つ企業同士の競争には、国境はもはや意味がありません。
問題は、アメリカが、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、西欧、さらに東欧、ソ連を含む世界的な労働市場の一部になりつつあるという点です。
この面から見て、アメリカの競争力を左右するのはアメリカ企業やアメリカ産業の将来ではなく、グローバル経済の中でアメリカ人が果たす役割、すなわち彼らが生み出す付加価値です。
それは他の国々も同様であり、基本的には国境を越えて拡がる潮流に逆らうことは不可能です。数年もしないうちに、各国の経済を区別する方法は事実上、為替レートだけになるでしょう。あるいは、この区別さえ怪しくなるかもしれません。
グローバル経済に応じた職業分類の必要性
新しい経済、すなわち潜在的な問題点と未知の解決策を結びつける手段を必要とする経済の時代には、古い知識体型を習得したとしても、決して高い所得は保証されません。
本質的な観点から見て、競争的な立場の異なる職業に対応した、3つの大まかな職種区分が生まれつつあります。「ルーティン生産サービス」、「対人サービス」、「シンボリック・アナリティック(シンボル分析的)・サービス」です。
ルーティン生産サービス
「ルーティン生産サービス」とは、繰り返しの単純作業職種で、主として大量生産企業でのブルー・カラーの仕事です。
中間ないし下位の管理者、すなわち職長、生産管理者、事務監督者、現場主任による規制的な監督の仕事も含まれます。監督の仕事には、部下への度重なる点検や標準作業手順の徹底も含まれます。
多くの情報処理の仕事も含まれます。
ルーティン生産労働者の典型的な作業は、同じ仕事をする多数の仲間と一緒に、広い場所で行われます。彼らの仕事は、標準的な手順や定められた規則に拘束されます。
管理者も上から監視されており、ときにはコンピュータの助けを借りて、その仕事量と正確さが評価されます。賃金は、労働時間や仕事量によって決定されます。
ルーティン生産労働者は、読み書きと簡単な計算ができなければなりません。最も基本的な徳目は、信頼性、忠誠心、対応能力です。そこでは、より高度で衰えることのない熟練が得られます。
対人サービス
「対人サービス」も単純な繰り返し作業です。給与は労働時間や仕事量によって決まります。監督者によって常時監視されており(同じく監督者も上から監視されています。)、教育もそれほど必要としません。
ルーティン生産サービスが金属や繊維、データなどを取り扱うのに対して、対人サービスは人間に対して直接的に供給され、国際的には取引できません。
対人サービス業は顧客と直接契約を結び、特定の顧客を相手にします。この職種の労働者は、一人または少人数のチームで仕事をします。
対人サービス従事者は、ルーティン生産従事者同様、時間に正確で、人から信頼され、素直でなければなりません。多くの場合、相手に好感を与える振る舞いをしなければなりません。
シンボル分析的サービス
「シンボル分析的サービス」は、問題解決者、問題発見者、戦略的媒介者の活動がすべて含まれます。
ルーティン生産サービスと同様、国際的に取引できますので、アメリカ市場においても外国人と競争しなければなりません。
ただし、それらは標準化された製品として世界で取引されるわけではありません。その代わりに取引されるのがシンボル、すなわちデータ、言語、音声、そして映像表現の操作です。
シンボル分析の専門家である「シンボリック・アナリスト」は、シンボル操作によって問題点を発見し、解決し、あるいは媒介します。
シンボリック・アナリストの地位や影響力や所得は、形式上の地位や肩書とはほとんど関係なく、彼らの実際の機能を知らない企業組織網の外部の人間にとっては不可解な存在に映ります。
シンボル分析という仕事は、思考やコミュニケーションといった過程が多く、目に見える製品にはなりにくいからです。
彼らは、現実を一旦抽象イメージに単純化し、それを組み替え、巧みに表現、実験を繰り返し、他分野の専門家と意見交換をしたりして、最後には再びそれを現実に変換します。
ルーティン生産従事者と同様、シンボリック・アナリストはサービスの最終の受け手と接触することはめったにありません。上司や監督者とではなく、パートナーと仕事をする場合がほとんどです。
収入は多いときも少ないときもあり安定しませんが、労働時間や仕事量によって測られることはなく、仕事の質や独創性、頭の良さ、場合によっては問題解決の速さによって決まります。
シンボリック・アナリストは、多くは一個人または少人数のチームで仕事をしますが、世界的な組織網を持つ大きな機関と結びつく場合があります。
チームワークが重要な役割を演じます。解決方法はおろか、問題自身も事前に分かっているわけではないので、何気ない私的な語らいの中から有効な発見や洞察が生じ、それが最高に活用され、即座に決定的評価に結びつくことがあります。
チーム仲間と会話をしていないときには、彼らはコンピューターの前に座っています。言葉や数字を確かめたり、動かしたり、取り替えたり、また別のデータで試してみたり、公式化したり、仮設を検証してみたり、設計や戦略を考案したりします。
必要となれば、コンピューターのキーを叩くだけで、すでに確立された知識体系を引き出すことができます。事実、データ、文書、公式、そして規則は容易に手に入ります。価値があるのは、その知識をいかに有効かつ創造的に活かすかの能力です。
会議や電話に長い時間を費やし、ジェット機やホテルでさらに長い時間を過ごすこともあります。助言、提案、説明、取引のためです。
定期的に、報告書、企画、設計、原案、覚書、配置図、翻訳、脚本、あるいは事業計画などを発表します。その提案を説明し、内容について合意を得るために、会議は一層頻繁になります。
大量の時間とコストが(結果的には実際の費用も)、問題点をまとめあげ、解決方法を撚り出し、実行に移す計画を作ることに費やされます。
シンボリック・アナリストの社会的有用性
シンボリック・アナリストは、利益を生み出す新しい機会の発生を見逃しません。問題解決、問題発見、そして戦略的媒介の活動を通して、個々の消費者にとって重要な価値を生み出しますが、必ずしも社会全体を改善するとは限りません。
ある顧客のニーズと国民全体のニーズが一致することもあります。しかし、一部の人々の富を増やし、その分だけ他の人々の富を減らし、あるいは社会全体として見た場合には、大多数の人々の幸福を損なう結果になることもあります。
かつての大量生産経済における技術革新も、直接関わった集団以外の人々に広くその影響を及ぼしました。その影響には、良いものも悪いものありました。
大量生産から高付加価値生産に移行するにつれて、技術革新がより多くの人々の幸福に役立つ可能性が高まる一方で、全体に生活の質が低下する可能性も高まっています。
地球が狭くなり、経済の変化が早いため、技術革新のもたらす影響の度合いは、有益な場合にも有害な場合にも、より大きくなっています。
シンボリック・アナリストの持つ才能を解放し、人類全体に役立つ手立ての発見に向かわせると同時に、その弊害を最小限に抑制するため、政府は重要な役割を担う必要があります。
政府の役割とは、健全で公正な市場を作り上げ、その発展のためにあらゆる決定を下す責任を負うことです。