L・J・ヘンダーソンによると、人間的状況を診断する技能の発達には、3つの条件が必要不可欠であるといいます。それは医学におけるヒポクラテスの方法とされるものです。
- 研究室においてではなく病室において、勤勉に、ねばり強く、知的に、責任感をもって、不断に働くこと
- 精通と経験によって生まれた判断力による事象の鋭い観察、顕著な反復的現象の選択と分類、およびその組織的活用
- 正しい理論を作り上げ、それを使うこと。その理論は、道を歩く際に役立つステッキのようなごく平凡なものであること。
要約すると、1.事象に精通し、2.事象に対する体系的知識を持ち、3.事象に関する効果的な思考方法を会得することが必要であるということです。
経営組織における人間問題処理の技能に当てはめて考えると、次のようになります。
- 現場で一般従業員たちと一緒になって、勤勉にねばり強く、知的に責任感をもって、不断に働くことによって、ありのままの従業員の行動様式について完全に精通すること。
- 収集され、かつ分類される諸事実の中から、いくつかのシンプルな原理を発見すること。
- 経営組織の中における個々人とその相互間関係について、シンプルな思考方法を打ち立てること。この思考方法は、さらに多くの事実を獲得し、より効果的な実践に役立たせ得るようなものであること。
個人に関する思考方法
人間問題を取り扱う理論を発達させるためには、第一に、経営組織内の個人についてのシンプルな思考方法が必要です。
個々の人間はそれぞれ独自の存在です。一定の技術的、社会的、論理的な才能とともに、一定の態度、信念、生活様式をもった人間としてその職場状況の中に置かれており、それまでに得られた人生経験に基づいて、職務に対して特有の希望と期待とを抱くに至っています。
昇進、賃金の額、友人や知人から立派な人として容認されることなど、様々な形によって友人たちから自分が重要な人間であるということのはっきりした証拠を掴みたいと願っています。そのために、社会的に有用と認められる技能を身につけたいと欲します。
ただし、個々人の人間の相違をあまりに誇張し過ぎると、協働のために個々人を結びつける社会的絆の存在を見失わせる危険性があります。人は、ある集団に属しているということから得られる安定感も欲しますが、その安定感は、集団内の共通性に基づく同胞意識として理解することができます。そのような共通の感情なくして、効果的な人間協力はあり得ません。
人はまた現在の組織において、ある特定の人々と共に、ある特定の条件のもとで働いています。そこには、一定の相互に規定された人間関係が作られ、個人が従うべき一定の信念や基準が存在し、それに従わせようとする圧力が加わります。この圧力に従うことによって初めて容認されるような人間関係が存在しています。
さらに、個々人の現在の状況には、家族、地域社会といった職場外の人々との関係もあります。一人の人間には、よき従業員であるだけでなく、よき配偶者であり、よき親であり、よき市民でもあることが要請されています。
以上から明らかなように、ある人間の満足や不満足は、その人が現在の状況に対して抱いている諸々の要求と、その状況がその人に対して課している諸々の要求との2つに関係します。この2つの圧力を調和させることによって均衡が保たれます。
不均衡が生じた場合、何らかの助力を必要とします。不均衡の是正は、その人が現在の状況に対して抱いている要求を修正させること、その人の要求が達成されるように状況そのものを変革すること、これらを共に達成すること、のいずれかによって試みられます。
人間関係に関する思考方法
経営組織内では、個人間の相互作用についても、一定のシンプルな思考方法を確立することが必要です。
経営組織は、個人が集まることによって、個人の総和を超えるものを生み出すことに意味があります。個人の総和を超えさせるものが、相互作用です。
個人は、一つの経営組織の中で、異なったいくつかの関係の中で相互作用を行っています。その結果、人間関係の複雑な網の目とも言うべき社会的構造が生じ、そのうちのいくつかは、個々人の出入りとは無関係に存続し続けます。
その関係のうちの一つは、組織図に示されたフォーマルな関係です。経済目的に関連した一定の機能を中心としていくつかの集団に区分されています。各人は、直接に属する小集団の技術的目的に奉仕しています。経済目的を能率的に達成する上で誰が誰に対して服命すべきかという点に関して、コミュニケーションの伝達と権限移譲のフォーマルな通路が規定されています。
さらに、個人は相互に親密な人間関係も結んでいます。それはインフォーマルな社会的集団です。フォーマルな集団が持つ経済目的に関係なく、一定の信念の体系、思考方法、態度、行動規範、慣例、常規などがあります。それらによって、人は集団の一員であることを意識し、同時に外部に対しては、その集団が単一体のような形を取るようになります。
インフォーマル組織は、成員である人々に、安定感、帰属感、一体感といったものを起こさせているという意味で、健全かつ正常な役割を担っています。人々の効果的な協働は、大部分インフォーマルな行動規範および常規に依存しています。
一つの経営組織において、フォーマルな組織によって設定される基準と、インフォーマルな組織によって規定される行動規範が存在することになります。前者は後者に比べて、論理的により明確であると言えますが、より強い影響力を持つとは言えません。後者における評価の母体になっている人間感情は、人々の行動を決定するうえで有力な要因となり得ます。
経営組織における均衡の問題を診断するうえでは、次のの3つの変数を考慮する必要があります。
- フォーマルな行動型
- インフォーマルな行動型
- フォーマルおよびインフォーマルの両組織における評価体系
3つの変数には相互依存関係があるため、例えば、技術的変化の導入、ある人の異動や昇進などのフォーマルな行動型の変化が、インフォーマルな行動型や評価体系に変化を起こすことを考慮に入れるべきことを教えてくれます。
問題のある者への助力
最終的には、問題のある従業員や監督者を処分しなければならない場合もあります。しかし、その人を解雇したり、害にならないポストに配置換えしても、しばしば何の解決策にもなりません。
彼らが必要としているのは、状況を理解するための僅かな助力であることが少なくありません。彼らは、自分をその職場状況に対して正しく位置づけることができていないだけかもしれないからです。
彼は自分自身、あるいは彼がその一部をなす職場の状況を正しく評価していないかもしれません。彼は仲間や監督者に対して誤った評価を下しているかもしれません。
誤った評価は、誤った意思決定や行為へ導きます。評価の適否は、個々人の作業における満足・不満足に影響するだけでなく、組織における昇進の判断、さらには、組織活動に関わるすべての人々の意思決定にも関係してきます。
このような状況は、最上層から流される書類によってではなく、現場においてのみ処理することが可能です。必要なものは、診断の技能です。具体的な人間の全体的な状況を理解し、複雑な人間的現象をいくつかの基本的要素に分解する技能です。
それはちょうど、病気の兆候からその奥にある病因までをも突き止め得る医学的診断の技能に匹敵するものです。現実の特定の個人を具体的に取り上げる技能であって、一般論による対処ではありません。
人は職務上特定の位置を占め、特定の人々や集団との相互関係を結んでいます。特定の要求を持つ特定の社会的環境の中にあって、特定の要求を課されています。その課された要求の一方で、その人自身も仕事に対して抱いている要求があります。この両者の間に、均衡ないしは不均衡の状態が生じ得るのです。