職場における態度の変容 − 「人間関係論」とは何か?㉑

労働者個人の態度をどこまで変容させることができるかを考える上では、その態度がどの程度に根深いものかをまず明らかにしなければなりません。

その態度が、パーソナリティの中核的な特性、すなわち気質的な特性や幼児期に起源を持つ特性に基づくのであれば、職場においてそれを変容するのは困難です。

しかし、産業界で扱う集団の態度は、成員の周辺的パーソナリティの一部に基づくものであり、起源において社会的または状況的なものですから、決して変容が困難なものではないはずです。

集団と成員個人との関係は一様ではありません。集団と完全に一体化した成員もいれば、集団の一部として吸収されず、いつも集団への帰属に困難を感じる成員もいます。現状では集団に迎え入れられているとしても、ある点では集団を変容させることに勢力を注いでいるかもしれません。

ある集団の成員でありながら、別の集団から自己の基準を持って来ている人もいるかもしれません。個人が所属する集団を「成員集団」(membership group)、自己の基準を依拠している集団を「準拠集団」(reference group)といいます。

集団規範の実験

ムザファー・シェリフは、「自働運動効果」という方法を用いた実験によって、集団効果に関わる重要な示唆を与えました。

この方法は、物的な準拠点の見えない暗室で、実際はまったく静止している光の一点が、観察者には動いて見えるという事実が利用されています。

まず、一人でこの状況に置かれると、個人は、見かけの運動の幅や基準を設けるようになります。これはその人特有のものですが、かなり持続し、安定します。

その後、他の人々(すでにそれぞれが同じ状況で特有の基準を持っている)と同室に入れられると、各人の基準と幅の差異は収斂に向かうことが分かりました。

集団は、特有の幅や基準を集団として設定します。影響力のある人やリーダーの基準に従うのではなく、あくまで集団効果です。各成員の基準は、集団基準を中心としてばらつきます。

集団基準が支配的人物の基準に片寄ることがないわけではありませんが、それでもその人物の思いのままに変更することのできない一定の範囲があるようです。

集団基準が決まった後に、支配的人物が自分個人の基準を変更しても、集団基準がそれに合わせて変更されることはないようです。その人は途端に集団から外れてしまいます。

集団基準が設定された後、成員が一人で同じ状況に置かれると、集団基準の立場から状況を知覚するようになります。それでも、被験者の大部分は、自分の判断が集団基準の影響なしに行われたと必ず強く主張しました。

この研究によるシェリフの結論は、次のとおりです。

  1. 成員間に相互作用の行われている間は、集団成員にとって相対的役割が現れる。
  2. 集団に特有の態度が生じる。
  3. 集団基準や集団態度は、成員が実際もはや集団の中にいないときでも、個々の成員の反応を拘束する。
  4. 集団基準は、集団内の相互作用の影響を受けるが、成員個人に応じて定めるのではない。

産業における態度の変容

産業における態度の変容に関して、これまでの議論で分かったことは次のとおりです。

  1. 基本的パーソナリティ(パーソナリティ特性、気質的特性)に由来する態度は、どんな普通の方法でも変容されない。しかし、集団態度(周辺的パーソナリティに関わる態度)は、ある情勢では変容される可能性がある。
  2. 集団成員の態度を、個々人について変容させようとしても、一般に役に立たない。集団は一つの全体として扱われなければならない。態度は、集団とその状況に影響を受けるからである。集団態度について個々人を非難しても無駄である。
  3. 説得や論理的議論で態度を変容させようとすることは、ほとんど無駄である。
  4. ある態度を他の何らかの態度に変容させることはできない。できることは、現実からずっと浮き上がっている態度を、現実の上にもっと密接に基礎づけられた態度に変容することである。
  5. 状況が構造化されていなければいないほど、すなわち、状況について利用できる情報が事実から離れていればいるほど、態度は感情に基礎づけられ、現実から遠ざかる見込みがますます大きくなる。
  6. 個々の成員が集団の態度を受け入れないときは、次の理由のいずれかであろう。
    • 平均知能以上であり、かつ集団態度と衝突する事実の情報を握っているため
    • 神経症的で、他人と満足な関係を保つことができないため
    • 準拠集団が成員集団と異なっているため

2.と3.から、個人別に論理的な説得をするなどして、集団の態度を変容させようとしても、功を奏しないことになります。

4.から、きわめて非現実的な態度を変容させることは可能であっても、現実に即した態度を変容させることはできないことになります。現実に即した態度を変容させるためには、現実を変えるしかありません。

例えば、従業員が不用意で横柄な仕方で取り扱われ、洗面所が汚く、設備が不十分であるという現実によって、従業員の士気が下がっているのであれば、そのような現実を変えない限り、どんなに多くの福利によって償おうとしても、従業員の士気を高めることはできません。

集団の態度を、現実の圧倒的な圧力と抗して、より好ましいものにしていくことはできません。

5.から、曖昧な情報や事実に関する情報の不足によって、現状がよく理解できない状態にあると、態度が感情に支配され、デマや噂話を信じるようになります。現実から乖離した態度が一度出来上がってしまうと、事実についての情報によっても変容することが難しくなります。

なお、ここで議論されているのは集団の態度を変える問題です。個々人で見れば、理詰めの説明によって納得して見解を変更する人は確かにいますが、集団の大多数の人々は、合理的理由だけでは見解を変更したがらないということです。その理由は、概ね次のとおりです。

  1. ある人の見解を、集団の見解と鋭く対立する見解に変えようとすることは、その人に集団と対立することを求めることであるが、ほとんどの人々にとって、集団を尊敬するほうが、ある意見を指示するよりも遥かに大切であるから、成功することは少ない。
  2. 集団の見解は、集団が直面する状況の影響を受けているため、変えられた個人の見解よりもむしろ客観的に妥当性があるかもしれない。
  3. 説得は言葉による一種の攻撃であり、人々は心の中で苦々しく感じる。ある人の見解を変更させようと努めるとき、その人自身の一部を攻撃しているのであって、「あなたは間違っているが、われわれは正しい」と主張していることになる。
  4. 理性は、社会でいかに重要な役割を演じようとも、大抵の人々の生活では感情ほど大きな役割を果たしていない。

態度変容の方法

説得、論理的な議論、個人別の解決は、集団態度を変容させるのに役立つとは思えません。集団態度の変容に最も効果的な方法は、集団討議であることが分かっています。

多くの実験において、コスト削減、作業効率化、目標設定などを集団で討議させることによって、生産性の向上、離職率の低下が確認されています。

労働者集団に要求したり、通告したり、命令したり、説得したりしても、生産性の向上には効果がなかったということです。集団決定がなされたときしか、効果が認められませんでした。

人は自動機械のように命令されることは好みません。共同の仕事に参与することを好みます。「われわれ」のために働くことを好みます。

他人によって設けられた目標は、集団にとって僅かしか感情的に訴えませんが、目標が集団自身によって定められるときは、目標の達成は名誉に関わる必須事になります。

成員相互の討議と共同一致によって、定められた目標が集団自身と同一視されるようになり、集団の全精力は、目標の達成に集中されます。

産業分野以外でも、同様の結論を示しています。何かをするように人々を説得するのは、集団討議の方法に比べると、格段に効果が少ないことが分かっています。

レヴィンによれば、再教育の過程は文化の変容と本質的に同等の仕事です。集団は、集団として変容されなければならず、個々の成員は、その集団への帰属を受け入れることによって、新しい信念の体系を受け入れます。

人々は、脅しから解放され、あからさまに論じる自由があると思うと、自分たちで事実を発見する見込みがあるようです。自分たちで発見した事実であれば、集団はその事実に基づいて行動するようになります。