管理技法としての学問的知識の習得 − 「X理論」と「Y理論」⑯

管理者に必要な知識は幅広く、また変化に富んでいるため、広範かつ頻繁な学習が不可欠です。

しかし、知識の習得は、各人が新しい知識を求めていなかったり、それが必要であることを知らないならば、非常に困難です。

そのため、企業においては、本人に学ぼうという意欲を起こさせるような仕組みを組み込んでいることが少なくありません。

例えば、新しい知識が必要であると感じさせるために、昇給が有利になる、仕事がやりやすくなる、上司が歓迎する、問題を起こさなくなる、などとといった報酬を強調します。逆に、何らかの罰則をほのめかす場合もあります。

しかし、そのような方法で、本人の意欲を刺激することはできません。あくまで自発性を強調することが大切であり、そのためには、本人の参加を確保する必要があります。

統合の原則の適用

この種の教育があまり成果を生まないのは、統合の原則を無視しているからです。

上級管理者やスタッフ部門が、管理者に必要な知識を決定し、教育コースや計画を準備し、実施するので、本人の意欲を刺激しないのです。

誰を、いつ、どの教育コースに派遣すべきかを検討する際には、個々の管理者の欲求や勉強の心構えおよび過去の体験と、会社としての必要の両者を合致(統合)させるように配慮しなければなりません。

ところが、従業員を教育コースに派遣する際の経営者の意図を、本人が全く誤解している場合が少なくありません。

自分が派遣された理由を本人が理解しておらず、何かの罰として派遣されていると思い悩む場合が少なくありません。会社側が一方的に決定し、本人に十分な説明をしないまま派遣しているからです。

この種の教育を、真に自発的なものとして取り扱う風土をつくり出すには、特定の教育によって満たすことのできる欲求がある管理者を、教育コースの計画に参画させることです。

勉強意欲が十分あり、教育の機会を挑戦であると認める管理者は数多くいますから、そのような管理者と協同で目標を設定することが効果的です。

管理者は、欠点を補いたいという欲求だけでなく、長所を活用して自己実現したいという欲求を持っていますので、本人も会社も利益を受けるような教育計画を用意できるはずです。

なお、教育コースを会社側が準備するとしても、その中から、各人が希望するものを自由に選ぶことができるなら、大きな問題は起こりません。

特定の教育コースを受講させるとしても、個人別に一定の調整を可能にできる場合もあります。

知識を習得させるには、生徒に意欲を起こさせることが不可欠です。機械に油を差すようなやり方で知識を人間に注入することはできません。教え込まれるのではなく、本人が習得するのです。

習得すべき知識

習得すべき知識は、特定の専門的知識に限りません。有能な管理者になるためには、社会的・政治的および経済的な趨勢を認識していなければならないからです。

様々な専門分野に関する幅広い知識を持っていることも必要です。そうでないと、自分の職責を把握し、経済的および政治的環境における自社の役割を理解し、ここから先は専門家の力を借りなければならないという限界が分からないからです。

この種の教育は、管理者に革新への刺激を与えるだけでなく、急激に変化しつつある世界に順応していくためにも必要です。その意味で、管理者への教育は定期的に行う必要があります。

大学の活用

大学は、会社内では得られない広い見方を教えることができる機関です。

大学では、現状を批判しても問題はなく、遠慮しなければならないお偉方もいません。赴くままにアイデアを広げることができ、上司の偏見に気を遣って順応する必要もありません。

大学では、他の参加者と体験やアイデアを交換して、産業間や会社間の差異と同時に類似点について発見する機会を得ることができます。

このような交流は、大学によって提起された問題の状況と理論を背景として初めて行われることを認識する必要があります。大学の環境を離れて自由討議をしても、得ることは多くありません。

教育効果測定の問題

多くの会社は、教育資金に多額の費用を費やしているため、その評価が問題になっています。

この場合に危険なことは、測定を重視するあまり、この種の教育の真の価値を見損なってしまうことです。

一般的な教育コースの目的の大部分は、習得したことを仕事に直接適用することではありません。問題に対する回答や法則、取引の手法など教えることではありません。

管理者が自分の仕事に対する理解を深め、その偏見を改め、帰社したときには従来よりももっと経験から悟れるようにすることです。