魔物たちの再来 - 「経済人」の終わり③

ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の崩壊は、第一次世界大戦と大恐慌を通じて、人間一人ひとりの実体験になりました。大衆は、人間の生活と命の破壊を目の当たりにし、徹底的な絶望を味わいました。

ヨーロッパの人びとは戦争の追放を望み続けましたが、国際連盟による集団安全保障なども機能しませんでした。結局、国際社会においても、民主主義は対立する利害を調和させることができませんでした。

国際的な平和維持も、もてる国がもたざる国から搾取するという国際的な階級の固定化であり、階級闘争を激化させるだけでした。国際的な階級闘争が自ずと自由の実現を促進するものではないことが明らかになり、国際的階級闘争の解決においても、マルクス社会主義は失敗したことになります。

経済発展に対する反抗も現れました。安定こそが不変かつ最高の目標になり、経済的自由を放棄してでも、失業の脅威、恐慌の危険、経済的犠牲を遠ざけ、平等をもたらしてくれるほうを歓迎するようになりました。

経済的自由の放棄によって、経済的な領域外の自由さえ、安定や平等の妨げとなるならば放棄され得ることになります。自由の放棄は「新しい自由」をもたらします。それは、個々の人間に対する多数派の権利です。しかし、それは本来の自由ではなく、特権に過ぎません。多数派による少数派への横暴です。

ここにファシズム全体主義への道が通じます。本質的な自由や主権在民は放棄され、圧政による形式的な平等は実現しました。

ファシズム全体主義は、ヨーロッパ伝統のあらゆる信条、概念、信仰を否定しましたが、代わるべき新たな信条や秩序はありませんから、そこにある信条は「否定」だけでした。

否定によって残るものは、実現できない「約束」だけです。絶望し、理性を失った人びとにとっては、明らかに実現できそうにない約束だからこそ希望でした。それを実現するのは奇跡や魔法しかありませんから、ヒトラーやムッソリーニという魔法使いに頼ったのでした。

世界大戦と大恐慌が明らかにしたもの

戦争も恐慌も、唯物的合理を究極まで追究した結果の産物でした。唯物的で合目的的な合理社会は独自の自律した力をもち、人間を没個性の分子とし、歯車のように従属的な地位に置きました。

合理を究極的に追求した結果、人間の自由や平等が脅かされるのであれば、人間は社会を制御することも理解することもできなくなり、人間にとって社会は完全に不条理の存在となってしまいます。その結果、人間は自由かつ平等であって、その運命は主として自らの価値と努力によって定まるとする社会の概念は、幻想であったということになってしまいました。

戦争に大義はありませんでした。「民主主義を守るため」の戦いではなく、帝国主義的覇権をめぐっての戦いであり、自由と平等の社会へと続くべきあらゆる信条に反した形で終結せざるを得ませんでした。産業社会においては不平等が現実であり、戦争はむしろそれを助長させました。大戦が明らかにした現実は、「経済人」の概念が約束しているものとは明らかに乖離していたので、人びとの民主主義への信仰を破壊することになりました。

また、恐慌は、従来、「経済人」の自由と平等の社会を実現するための代償と考えられており、完全に合理的であるだけでなく、望ましいもの、少なくとも必要なものとされていました。しかし、そのような見方は、恐慌によって日常が破壊されたとき、ほとんど一夜にして消えました。大衆はもはや経済発展のために犠牲を払いたくないし、経済発展にそれだけの価値があるとは考えなくなりました。

戦争や失業の恐怖は自然のものではなく、人間がつくったものでありながら、人間の手に負えなくなります。だからこそ、おそるべき脅威でした。人間が完全に分子化、非現実化、無意味化され、秩序が破壊されたことに、人間は耐えることができませんでした。

戦争と恐慌の追放

ヨーロッパの大衆は、戦争の追放を望み続けました。

しかし、国際連盟、集団安全保障、集団軍縮による戦争の追放は失敗しました。対立する利害に調和をもたらすという民主主義の信条は、国際社会においても裏切られたことになります。

平和の維持は、結局、特定の国に力を維持させるための隠れ蓑に過ぎないことが明らかになりました。これは、国内における特権階級の固定化と同じです。「もてる国」と「もたざる国」の違いは、国内におけるブルジョアとプロレタリアの階級闘争と同様、国際的な階級闘争を激化させました。

ドラッカーによると、レーニンはこのような問題を理解していました。一方ではブルジョア資本主義の道具としての戦争を非難しつつ、他方で集団安全保障を非難するという、一見矛盾した態度がそれを示していました。

しかし、結局、レーニンは集団安全保障のもっとも熱心な主唱者になりました。つまり、国際的な階級闘争は、自ずと自由の実現を促進するものではないことを認めたことになります。これを国内問題に適用すれば、ブルジョア資本主義による階級闘争が必然的に平等なプロレタリア社会につながるとしたマルクス社会主義の失敗を認めたことと同じです。

ここにおいて、マルクス社会主義は、国際的にも未来の革命的秩序の座から身を引くことになりました。

取締によってのみ社会を維持しようとする体制は、やがてその社会の崩壊を劇的に招来するしかありません。同じく、戦争の抑制のみによって平和を維持しようとする体制は、あらゆる地域紛争を世界的な大火災の引き金とし、大戦勃発の可能性を高めるだけです。なぜなら、戦争の脅威をちらつかせることによって現実の戦争を防止できると言っているからです。

経済においても、恐慌を絶滅することによって現在の経済体制を救おうとする試みがなされています。一瞬にして混沌を秩序に変えてくれる公式、呪文、仕掛けを必死に探しています。そのような奇跡への信仰が、恐慌の必然性と有益生を否定するケインズの貨幣理論などに向かいました。

これらの理論が「経済人」の概念を前提にしている以上、うまくいくことはありません。その前提を維持しながら、それが必然的に生み出す問題をなくすことはできません。その前提を捨てるか、問題の解決を諦めるしかありません。

経済的自由の放棄

ヨーロッパにおいては、経済発展に対する反抗が現れました。大戦後、バルカンの工業化と資本主義化の流れは妨げられ、経済発展が遅れました。あらゆる階級が経済発展に抵抗しました。その動きは、大戦前に経済発展と民主主義的秩序を最高の善としていた諸国にも広がっていきました。

これらの動きと同じように、農業革命に対する抵抗が現れました。各国政府は、農業の発展が起きないよう、農業を保護しようとしました。農業の発展は、自由と平等をもたらさず、産業と同じ不平等をもたらすと考えたからです。

自由ではなく、安定こそが不変かつ最高の目標になりました。経済発展が安定を脅かすのであれば、経済発展のほうを捨てるようになりました。少数派の保護、自由な議論、対等な者としての妥協など、民主主義が目的とし、手段としてきたものも、安定のために役に立たないのであれば、従属的な地位に落とすことを辞さないということになりました。

失業の脅威、恐慌の危険、経済的犠牲を遠ざけ、平等をもたらしてくれるのであれば、経済的自由の放棄を受け入れ、さらには歓迎さえするようになりました。

しかし、最高の価値をもつべきもの、それを通じて自由と平等を求めるべき新しい領域については、何も見つけることができませんでした。その結果、経済的な領域の外にある自由さえ、安定や平等の妨げとなるならば、経済的自由と同様、放棄されても仕方がないと思うようになります。

歴史的な「自由」は、常に個人の自由であり、個人および少数派の権利でした。他と異なる行動をとることを禁じられることのない権利でした。ところが、ヨーロッパにおいては、その歴史的な自由が失われるほど、「新しい自由」が現れてきました。それは、個々の人間に対する多数派の権利です。

多数派による無制限の自由の行使は、本来の自由ではなく、特権に過ぎません。それは、多数派による少数派への横暴です。ここに、全体主義への道があります。

ファシズム全体主義の登場

かくして、ヨーロッパでは、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の実体が放棄されることになりました。

ところが、それらに代わる新たな信条や秩序は現れていないため、形式や外形だけが残る形になりました。この矛盾こそが、ファシズム全体主義を生み出した本質でした。

つまり、恐慌をもたらす企業や利潤や経済発展を放棄しますが、工場管理や財務、価格政策、会計、生産、流通などの外形は維持しなければなりません。これらを「真正資本主義」または「真正社会主義」と呼びました。

政治の領域でも、自由、少数派の権利、世論、主権在民、選挙などに関わる原則は放棄しますが、選挙による負託や国民投票、形式的平等といった民主主義の外形は維持しました。

そのような形でヒトラーとムッソリーニは国民の負託を得ました。実に国民の意思の99%を代表していると豪語するようになりましたが、その裏では、反対投票は犯罪と規定されるようになってしまいました。形式的な投票の自由の行使によって、本質的な自由や主権在民は放棄されましたが、形式的な平等は実現したと言えるのかもしれません。

ファシズム全体主義は、ヨーロッパ伝統のあらゆる信条、概念、信仰を否定しました。それらのものはすべて、失敗した自由の概念の上に構築されていたからです。しかし、代わるべき新たな信条や秩序はありませんから、そこにある信条は「否定」だけでした。理性に反して伝統を否定すること自体が、ファシズム全体主義の信条であり、綱領でした。

本質を否定しつつ外形だけが残るということは、実現できないことの「約束」という形だけが残るということにつながります。それは奇跡や魔法に頼ることと同じです。大衆は絶望し、理性も真理も信じられなくなっていましたから、虚言が真理、明らかに実現できそうにない約束はむしろ希望になりました。

ナチスは、「農民は穀物の値上げ、労働者はパンの値下げ、パン屋と食品店はより大きな利益を獲得する」と言いました。別のところでは、「われわれは、パンの値下げも、値上げも、固定化も要求していない。われわれは、ナチズムによるパンの価格を要求する。」と言いました。

「安くもあり、高くもあるパンの値段」、あるいは、「安くもなく、高くもなく、一定でもないパンの値段」の約束を大衆は受け入れました。明らかに合理的でないパンの値段の実現に対する希望とは、奇跡や魔法への期待でしかありませんでした。大衆は、ヒトラーやムッソリーニという魔法使いにすがったのです。