キリスト教の失敗 - 「経済人」の終わり④

大衆が、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の基本である「経済人」の概念の崩壊を経験した後、多くの人たちが教会の復活に期待しました。

教会の側も「経済人」の概念に抵抗し、その崩壊を正しく予告することによって、新たな社会の実体を用意していました。現に、労働法制や社会保険など、「経済人」という概念によって構築されることが困難であった多くの制度が、宗教の側からの働きかけによって生まれました。

ドラッカーによると、特に教育の分野における教会の貢献は大きく、子どもたちに唯物主義的でない人間観や経済中心でない人間観を示すことによって、自由な個性と理性を維持しようとしました。

ところが、その国で大勢を握っていた教会で主導権を握っていた少数の者たちは、全体主義の本質に目を閉じ、唯物論に反対していることを理由に、親ファシズムでした。

結局、多数派は、キリスト教が価値とし、神聖とするあらゆるものを否定するファシズム全体主義の本質を認識していたものの、ファシズム全体主義を生み出した戦争と恐慌を退治することができず、ファシズム全体主義の代わりとすべきものをもっていなかったため、無力でした。

結局、キリスト教は、革新的であろうとしながら、無気力な反動的大衆の帰依を維持しようとしたため、無力でした。古い社会における地位を保持しながら、新しい社会をつくることを許す解決策はありませんでした。

キリスト教の戦果

教会は、あらゆる階層の人たちが参加し、しかもそこにおける褒賞、地位、名誉が経済的な条件に基づかない唯一の社会的機関です。

したがって、大衆が、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の基本である「経済人」の概念の崩壊を経験した後では、教会がその真空を埋めるべきでした。現に、多くの人たちが教会の復活に期待していたといいます。教会の側も「経済人」の概念に抵抗し、その崩壊を正しく予告することによって、新たな社会の実体を用意していたといいます。

第一次世界大戦に到る100年の歴史は、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の成長発展の歴史であったと理解されています。背景には、唯物論の頂点に立つマルクス、ダーウィン、スペンサーの理論がありました。このような唯物的、経済的概念に対し、教会は認識を深め、批判を強めていました。その批判のなかには、より多くの創造性が見られたといいます。

キリスト教の思想家は、ブルジョア資本主義が階級闘争を生み出し、やがて自壊することを指摘していました。さらに、マルクス社会主義の説く階級闘争さえ無意味に終わり、一層の不平等と絶望がもたらされ、無意味な戦争と恐慌によって文明の自壊が始まることも指摘していました。

そのような思想を背景に、唯物論の行く末を予見し、その流れを逆転させるべき使命感をもったキリスト教政党さえ生まれていました。

しかし、19世紀のリベラルを自称する社会主義者たちは、宗教が「進歩の道を塞いでいる」と吹聴しました。社会を単純に二分化し、対立を煽って分断を図ろうとするのが、社会主義者の常套手段です。封建制や王政が、反唯物論、反資本主義、反社会主義であったため、教会をそちらの側に位置づけ、結果的に封建制や王政の擁護者に仕立て上げました。

それでも、宗教を基盤とする新しい勢力が、社会の実体が崩壊した後、社会の構造に新たな基盤と意味付けが必要になったときのために備えていました。宗教は無力ではありませんでした。

大衆の生活を耐えやすいものにするための今日の制度の多くは、「経済人」という概念によって構築されることが困難であったため、宗教の側からの働きかけによって生まれました。例えば、労働力が商品として扱われることに対する反撃、婦女子の労働時間を制限する工場法、社会保険、労働条件の改善、最低賃金の保障、労働災害の防止などです。さらに、産業民主主義の概念、協同組合、信用組合なども生まれました。

社会保険は、使用者側だけでなくマルクス社会主義からも、資本主義の必然的な崩壊を遅らせるという理由で避難されたものです。

ブルジョア資本主義やマルクス社会主義が闘うに値しないとしていた土地制度や小作制度、エンクロージャー運動にも取り組みました。さらに、独立職人層の経済的、社会的地位、および知的、精神的独立性を維持するための運動も行いました。

特に、教育の分野における教会の取組みが成功を収めたといいます。子どもたちに唯物主義的でない人間観や経済中心でない人間観を示すことによって、自由な個性と理性を維持しようとしました。キリスト教によるこの取り組みが、ヨーロッパの教育制度を形成したといいます。

知的エリートとキリスト教

教育や社会福祉のために働いていたキリスト教徒たちは、知的エリートを引きつけようとし、事実、それに成功しつつありました。

一流の社会思想家と政治思想家の多くが、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の秩序は崩壊せざるを得ないとの認識から、社会の基盤となるべきものを探すべくキリスト教に戻ってきていたといいます。

しかしながら、キリスト教のエリートがもっとも大きな力を発揮したのが、イギリスのカトリックやオーストリアのプロテスタントなど、それぞれの国において少数派に属するほうの教会でした。スペインやイタリアのカトリックやプロシアのプロテスタントは何も起こさなかったといいます。

無力な教会

多数派の教会は何もしなかったため、キリスト教はいまだかつてないほど無力であるとの印象を一般にはもたれていました。キリスト教が行った政治、社会活動のほとんどが、大衆にとっては単なる反動あるいは意味のないものにしか見えませんでした。

唯物的な社会を容認できない教会としては、ブルジョア資本主義やマルクス社会主義には反対せざるを得なかったものの、社会のあり方について建設的な新しい信条を構築していたわけではありませんでした。

そのため、教会は、しばしばファシズム全体主義の側に立っていました。ファシズム全体主義が、唯物論のマルクス社会主義を否定していたからです。しかし、ファシズム全体主義のほうがさらに反宗教的であり、かつ、キリスト教の信条に反することを知っていながら、そうしていました。

教会は社会に関わる問題を解決できずにいました。一人ひとりの人間に対し、私的な宗教として私的な避難所を提供しているに過ぎず、新しい社会、新しいコミュニティをもたらすことはできませんでした。

カトリック教会が多数派である国では、教会内の多数派は、親ファシズム的な動きに対し、常に抵抗していました。その他の国でも、プロテスタント、カトリックを問わず、教会に多少なりとも親ファシズム的な傾向が現れるや、教会内の多数派は抵抗しました。

ところが、教会内で主導権を握っている少数派は、親ファシズムでした。彼らは、全体主義の本質に目を閉じ、昔ながらの思い込みを主張しました。ヒトラーやムッソリーニは基本的に唯物論に反対だから心配なく、世界をボリシェビキから救おうとしていると信じ込もうとしました。

多数派は、キリスト教が価値とし、神聖とするあらゆるものを否定するファシズム全体主義の本質を認識していたものの、ファシズム全体主義を生み出した魔物(戦争と恐慌)を退治することができないため、無力でした。

教会は、ファシズム全体主義の代わりとすべきものをもっていませんでした。

ファシズム全体主義への対峙

キリスト教は、ファシズム全体主義の世界においても、言葉や概念が自分たちのものと同じ意味をもつと思い込んでいました。しかし、実際にはまったく異なる意味と実体をもつにいたっていました。

例えば、「権威」とは、キリスト教においては、支配される者の利益のために力を抑制すること、従う者から正当化される力を意味します。しかし、ファシズム全体主義においては、完全に恣意的な力でした。ヒトラーとムッソリーニが権威の再建に着手した意図は、あらゆる種類の自由と自主を粉砕し、力が正義であることを証明することにありました。

教会は、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義が、権威を「正義による力の抑制」ではなく「力による正義の抑制」であると曲解していると攻撃していたものの、ファシズム社会主義が、一方で、自由主義や社会主義における権威の捉え方を否定しているため、教会はその点だけを見ていました。他方で、キリスト教の価値観の基盤そのものを否定していることを理解しませんでした。

さらに、「財産」の意味も違っていました。本来、一人ひとりの人間が、それぞれの社会的責務と役割を果たすうえで必要とする奪うべからざる社会的権利を意味しました。ところが、ファシズム全体主義においては、財産に伴うのは特権だけであり、いかなる責務も伴わないものでした。

このような概念のもとでは、やがて財産と管理と分離され、財産は貨幣経済に従属化し、ついには大衆の貧困化と少数の恵まれた者の富裕化をもたらすだけでした。責任が伴わないがゆえに、単なる搾取でしかありませんでした。

しかし、教会は、そのように財産の意味が違っていることを理解せず、若干意味が乱用されているに過ぎないとしか考えませんでした。このため、財産権に関してファシズム全体主義を批判するに当たっても、自らが土地所有者であった教会は、ブルジョア階級の側に立っていると見なされただけでした。

教会は、ブルジョア資本主義が経済的地位を唯一の社会的基準とする唯物的な「経済人」の概念を基盤としていたため、財産の堕落をもたらすことを認識していたにもかかわらず、自らがブルジョア階級の側に立っているという見解に抵抗できませんでした。

ドラッカーによれば、キリスト教が無力であった理由は、革新的であろうとしながら、無気力な反動的大衆の帰依を維持しようとしたことです。教会を新しい世界の新しい勢力にしようとしながら、古い秩序の機関、すなわち、コミュニティ、学校、政治、社会における教会の地位を諦めることができなかったことです。

古い社会における地位を保持しながら、新しい社会をつくることを許す解決策はありませんでした。キリスト教による新しい社会の創造は、教会の日常の形式が破壊されたとき、革命や迫害によって現在の秩序の維持が不可能になったときに、初めて成功の可能性をもつものでした。

つまり、ファシズム全体主義のもとでキリスト教が迫害を受けるとき、教会内の真に革新的な勢力が力を発揮する可能性がありました。新しい社会の建設と古い地位の保全という二面性が引き裂かれたとき、初めて社会的に建設的な役割を果たすことができるはずでした。