本書は1939年に出版されたドラッカーの処女作で、ドラッカーは当時29歳でした。執筆を開始したのは、ナチス政権が誕生した1933年、若干23歳のときです。
本書では「何がファシズム全体主義を発生させ、蔓延させたか」という問いを取り上げます。この問いに答えるなかでドラッカーが明らかにしたことは、ファシズム全体主義が当時のドイツやイタリアという特殊事情において生じたのではないということです。むしろ、西ヨーロッパの民主主義国のどこにおいても起こり得たことを示唆します。
このような論点は、当時の学者から無視されたと言います。第二次世界大戦後、政治的に認知されていた二つの説に反していたからです。一つは、ナチズムはドイツ人の歴史や国民性など諸々のドイツ的特質に起因する「特殊ドイツ的」現象であったとする説でした。もう一つはマルクス社会主義者の説で、ナチズムは「資本主義最後のあがき」であるとするものでした。
ドラッカーは、これらも含め、反ファシズム陣営には、ファシズム全体主義に対する誤謬があったと指摘します。詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。
モダンの政治信条の崩壊
ファシズム全体主義を招いた原因としてドラッカーが指摘したことは、ヨーロッパの政治信条が失われ、大衆の政治疎外が生じたことです。これによってヨーロッパの社会構造と政治構造が崩壊し、人びとはファシズム全体主義に殺到しました。
その失われた政治信条とは、300年前に始まった「モダン(近代)」の政治信条であり、その最後のものがマルクス社会主義です。マルクス社会主義が政治と社会の理解に失敗し、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて社会に蔓延した二匹の魔物(「恐慌」と「戦争」)を払いのけることも制御することもできなかったことが、人びとを絶望させました。これが決定的かつ究極の原因であったとドラッカーは指摘します。
当時は「革命」について多くのことが論じられ、革命によって資本家を打倒し、プロレタリア独裁に至るとされていましたが、ドラッカーが初めて本書で明らかにしたことは、「資本家のボス」が「プロレタリア独裁」に代わるだけだということでした。新たな統治者も既存の権力と機構を維持せざるを得ず、単なる椅子取りに過ぎなかったということです。ソ連でもそうでしたし、現在の中国や北朝鮮でもそうです。むしろ革命によって、選挙で選ばれない残忍な独裁者が椅子を取り、人びとは一層貧しく、虐げられました。
本書の出版は1939年ですが、ジョージ・オーウェルが『1984年』を出版したのは10年後の1949年ですから、ドラッカーの見解は、当時としては画期的でした。
ドラッカーは、マルクス社会主義のいう「不可避の革命」は起こらないと言いました。逆に、当時のファシズム全体主義、特にドイツのナチズムが、単なる経済体制の革命を超えたはるかに根源的な革命であると言いました。価値観、信仰、道徳の転覆さえ目指す本当の革命でした。
モダンの政治信条の失敗からファシズム全体主義の台頭について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。
社会現象に対する三つの分析アプローチ
社会現象をいかに扱うかについては、いくつかの方法があると言います。
一つは、政治や経済の事件、例えば、戦闘、軍事力、条約、政治家、選挙、国民所得統計などとして扱う方法です。いわゆる歴史の視点です。
もう一つは、思想体系としての「イズム」との関係において扱います。ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』(1951年)が典型です。
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』は思想史であり、専らドイツ古典哲学の形而上的体系の衰退と崩壊を中心に論じています。特にドイツ知識人の最大の弱みとして、現実の社会および政府に対する軽侮の念と、権力および政治プロセスに対する無関心を指摘しました。
『全体主義の起源』と『「経済人」の終わり』のみが、「何がファシズム全体主義を発生させ、蔓延させたか」という問いを取り上げていると言います。
そして、第三の方法が、ドラッカーの方法です。社会現象を社会の動きそのものとして扱い、社会そのものを分析する方法です。社会における緊張、圧力、潮流、転換、変動の分析です。これは社会学的アプローチに相当します。
この分析によって見えるものは、全体像の半面に過ぎないと断っています。ただ、社会は人間が住む環境であり、人間環境の生態ですから、その社会を直接に分析の対象とすることは本質的です。一方、学者たちが扱う歴史は、人間環境の表層で生起する個々の事件に過ぎません。さらに、哲学大系としてのイズムは、人間環境を包む大気に当たるといいます。
ドラッカーは、人間は動物の王国に属するとともに神の王国に属する存在であると表現します。人間の成長とその変化は、社会活動や事業活動において現れると同時に、精神活動や芸術活動においても現れるため、革命の分析には、精神的側面と物質的側面の両面の分析が必要であると指摘します。
ドラッカーの分析は、完成に近づきつつある自由世界において、ヒトラーが現れる前の時代、イタリアのファシストがまだ無視し得る雑音に過ぎなかった平穏な時代のヨーロッパに遡ります。しかし、当時でさえ、人びとの心の安寧がもはや現実のものではなく、いつ破局が訪れるかもしれないという切迫感があり、ドイツでナチスが政権を奪取した時点で、本書の分析は事実上完了したといいます。
現にドラッカーは、ナチス政権誕生後、直ちに本書の執筆に入りました。果たして、その後の現実の動きは、ドラッカーの分析の正しさを証明していきました。
ファシズム全体主義政権がなぜドイツとイタリアで誕生し、どのように展開していったのかについて詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。
ファシズム全体主義は終わらない
ドラッカーは本書の1969年版のまえがきで、1969年当時の状況が、ヨーロッパをファシズム全体主義と大戦に放り込むことになった「大衆の絶望」に不吉なほど似ていると言いました。
例えば、人種差別主義者や左翼学生運動家などは、発言の自由を含むあらゆる権利を人に与えないという点、さらにテロと破壊への傾斜という点で、ヒトラーの突撃隊に似ていると指摘しました。その修辞法や虚無主義もヒトラーのそれに似ていると言いました。すべてに対して「ノー」ということが積極的な行動である信じ、権力を手にするために理想主義を弄んでいるが、「憎悪は絶望への答えとはなりえない」ことを知らないとも言いました。
さらに、本書の1995年版のまえがきでは、ファシズム全体主義を生み出した頃のヨーロッパの状況と同じものが、なおも存在していると言いました。
しかし、この記事を執筆している現代(2022年)は、ますます全体主義に近づいているように見えます。コロナ禍を利用して、政府によるあらゆる活動の統制(強制や禁止)、ビッグテックと共謀した言論の統制と排除、分配による有権者の買収と政府の肥大化などが当たり前のように行われています。
さらには、それに乗じてマルクス社会主義勢力が台頭し、人権や環境の問題を手段に利用して、社会の分断と階級闘争を誘発しています。
ドラッカーは本書で、虚無主義への逃避が専制の偏執に結びつくことを指摘します。
社会の分断と階級闘争が、人びとを社会に対して絶望させ、虚無主義を蔓延させます。ファシズム全体主義の引き金を引いたマルクス社会主義が、再び同じ過ちを犯そうとしています。
一人ひとりの成熟した行動が自由を守る
「社会が成熟する」とは、世界をそのまま合理化することでもなければ、世界の不合理を打破することでもありません。
つまり、問題の原因を世界に求めるのではなく、「一人ひとりが自らの行動を合理的なものにすることが成熟である」とドラッカーは指摘します。これのみが、まともで意味があり、かつ生きがいのある社会と人生を可能にするといいます。
世界が成熟していないとか、正気でないとか言って虚無主義に走るのではなく、一人ひとりの成熟した合理的な行動が必要です。
ファシズム全体主義の未来について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。
本書の目的は、自由を脅かす専制に対抗し、自由を守る意思を固めることです。