ドラッカーは、GMの組織と経営を調べた結果、分権制に問題解決の糸口を見出します。
当時のGMは、約30の事業部を有し、約25万人の労働者と約500人の事業部経営幹部を抱えていました。事業部の規模や製品の種類は多様でしたが、全体としては自動車という同一市場を中心にしているという共通性を維持しなければなりませんでした。
GMは分権制を採用することによって、集権と分権のバランスに成功しました。全体の統一を保ちつつ、権限と責任を明確化し、意思決定を迅速化しました。さらに、トップ経営陣の候補者を次々と生み出すことができました。
それを支えるのが、事業部長の仕事ぶりについての客観的尺度であり、GM全体と事業部の現況についての情報の共有化でした。経営政策と事業をコスト、シェア、資本収益率によって客観的に評価することで、前向きかつインフォーマルな人間関係、チームワークと自由闊達な議論を可能にしました。
また、事業部長が独立した組織の長でありつつ、チームの一員であることを可能にするために、ボーナス制度が有効に活用されました。
分権に成功したGMの組織
ドラッカーは、GMの組織と経営を調べることによって、これまでに取り上げた問題の答えを探ります。
当時のGMの国内生産部門は、大きく3つのグループに分けられました。自動車の車種別事業部、各種部品事業部、ディーゼル・エンジン事業部です。その他には航空機事業部もあり、全体で約30の事業部があったといいます。
事業部のトップは事業部長であり、その下に、生産部長、技術部長、会計部長、人事部長などがいました。全事業部が独立した事業体でした。
事業部のうち、シボレー事業部、ビュイック事業部、車体事業部の各事業部長は、GM副社長として本社経営陣の一員でした。他の事業部は製品別にグループ化され、グループ担当役員がGM副社長として本社経営陣の一員でした。
本社には、生産、技術、販売、研究、人事、財務、広報、法務など、それぞれ担当副社長に率いられるスタッフ部門がありました。それらは本社経営陣と事業部長に対する補佐役であり、経営政策の策定と事業部間の調整に携わりました。
トップマネジメント・チームを構成するのは、社長、2名の執行副社長、CEO兼会長、副会長の5名でした。その5名が分担して、社長と2名の執行副社長が事業部からなるライン部門を率い、CEO兼会長と副会長がスタッフ部門を率いました。
トップマネジメント・チームは、2つの委員会の主要メンバーとしてGM全体の経営に当たりました。2つの委員会とは、政策委員会および業務委員会であり、ライン部門とスタッフ部門の経営幹部、元経営幹部の現取締役、大株主代表も構成メンバーでした。
2つの委員会は定期的に開催され、審議、決定を行いました。ただし、具体的な問題については、技術、物流、労務、財務、広報など専門別の部会が検討しました。部会長は、該当する本社サービス部門の担当副社長が務めました。部会は月1回開催され、委員会での検討が必要なものについて素案を作成しました。
以上のようなGMの構成から、ドラッカーは、次のような問題が起きやすいことを指摘しました。
まず、平時においても25万人という労働者を抱えていることに関わる規模の問題です。多様性に関わる問題もあります。製品の多様性であり、工場の規模の多様性です。
さらに、事業部の自立性と一体性に関わる問題です。本社が、約500人にのぼる事業部の経営幹部を管理することは不可能です。しかし、全体として自動車という同一市場を中心にしていることから、共通の理念と政策が必要です。
各事業部は自立しつつも方向づけされなければなりません。本社経営陣は、全体の一体性を目指してリーダーシップを発揮しつつも、事業部に対し枠組みと助言以上のものを押しつけることのないように自制しなければなりません。
GMは分権制を採用し、集権と分権のバランスに成功しました。GMの分権制は、本社経営陣と事業部経営陣の関係にとどまらず、職長を含むあらゆるマネジメント上の階層に適用され、さらにあらゆる取引先、特にディーラーとの関係にまで適用されました。
なぜ分権制を採用するのか
GMにおける分権制のメリットは、次のようなものでした。
- 意思決定のスピードが速いこと。誰が決定すべきかについて混乱がなく、決定の方針も明らかであること。
- 全体と事業部の利害対立が生じないこと。
- 公正であり、優れた仕事が評価されること。
- 民主的な実力主義であること。権力の所在が明確であること。発言、批判、提案の自由があり、決定後は皆が従うこと。
- 差別がないこと。社長が特別の権限をもとうとしないこと。
- マネジメントの責任を担う人が多いため、トップ候補たり得る人材が随所に育っていること。
- 事業部の業績や事業部長の能力が明確に現れること。
- 何のために何を行っているかが分からないという一方的な命令によるマネジメントは行われないこと。誰でも経営政策について説明を受け、反対できること。
本社経営陣と事業部経営陣の関係
本社経営陣には2つの役割がありました。助手の役割とボスの役割です。前者は、事業部経営陣が独立して事業を行い、業績をあげることを助けることです。後者は、各事業部の幹部を一つの大きなチームにまとめることです。
本社経営陣の具体的な仕事は、次のとおりでした。
- 全社および事業部の目標の設定
- 事業部長の権限範囲の決定と事業部長の任命
- 事業部の業績と問題のチェック
- 生産と販売以外の活動
- スタッフ部門による助言と助力
本社経営陣が行う目標の設定は、次のとおりでした。
- 特に車種別事業部の生産計画の決定
- 車種ごとの価格帯の設定
- 全社の目標設定と事業部への割当
- 投資資金の事業部への割当 など
GM全体の将来を見て、事業部の方向性を決めるのは、本社経営陣の役割でした。全事業部に適用すべき経営政策を決め、新事業への参入、買収、新事業部の設立を決めました。
本社経営陣による事業部長のコントロールは、日常の接触において、長年の信頼関係を基盤とする意見交換と助言を通して行われました。一定額以上の投資や経営幹部の任命については、本社経営陣に拒否権がありましたが、事業部長が事前の根回しを行っていたため、拒否権が行使されることは希でした。むしろ、拒否権があることによって、重要な案件についての事前相談が機能していたと言えます。
本社経営陣の重要な役割は、事業部長を最大限支援することでした。事業部の資金繰りは本社経営陣の仕事であり、法務や会計システムについても本社が一括して行っていました。
本社スタッフ部門は、求めに応じて事業部長を助け、事業部間の連絡、次のような新製品や新工程についての情報センターの役割を担いました。
- ある事業部の新工程開発の情報を他の事業部に伝えること
- 最新の技術があらゆる事業部で使えるよう手配すること
- どこかの事業部で生じた問題と解決策を共有すること
- 社会情報の収集・伝達
本社スタッフ部門は、事業部長に助言し、提案するだけであり、いかなる種類の権限もありませんでした。事業部の情報は、本社スタッフ部門を通じて本社経営陣に伝えられました。本社スタッフ部門は経営政策を立案しますが、決定権はありませんでした。
事業部長は、本社の経営政策の枠内にある限り、まったくの自由であり、生産と販売を一任されていました。人の雇用、解雇、昇進も独自に行うことができました。本社経営陣は、事業部長に対し、一部拒否権をもち、何を行うべきかを示しましたが、いかに行うべきかについて指図しませんでした。決定の95%は事業部長が行っていたといいます。
これを可能にしていたのが、事業部長の仕事ぶりについての客観的尺度であり、GM全体と事業部の現況についての情報でした。
事業部長が独立した組織の長でありつつ、チームの一員であることを可能にするために、ボーナス制度の運用があったといいます。利益の一定割合が経営幹部のボーナスに充てられ、自社株によって支給されました。事業部長のボーナスと、それ以外のボーナスの事業部ごとの総額および支給対象者は、本社経営陣が決定しました。事業部内での配分は、事業部長が決定できました。
双方向の情報の流れ
GMの分権制の目的は、機能と権限の分業を通じた一体性の確保にありました。
経営の一体性は、命令に対する服従では確保できません。本社経営陣と事業部長の間に、問題、政策、方法について相互理解が必要でした。組織内の全員が、自分に求められていることと、隣の者が行っていることを知る必要がありました。
重要なことは、経営幹部の全員が、GM全体および各事業部の経営政策と問題を熟知し、あらゆる決定と情報が、本社経営陣と事業部経営陣との間を双方向に流れていることでした。そのための手立てとして、事業部担当副社長が各事業部の経営政策とその実施について、本社経営陣とのパイプ役を果たしました。専門的な問題については、本社スタッフ部門がパイプ役を果たしました。2つの委員会の下にある部会には、事業部の代表も入っていました。
さらに、本社経営陣と事業部経営陣の共通の理解を図るために、年2回、スローン会長が議長を務める大会議(スローン会議)がありました。必ず参加すべき者は100人を超え、交替で参加する者がほぼ同数いました。各事業部の業績、成功と失敗の経験が議題となり、本社経営陣の事業部経営陣の双方から提案が行われ、会議外での接触もありました。
ただ、参加人数が多すぎるため、本社経営陣が各地へ出かけ、その地の事業部経営陣と数日間の会議を開いていました。これと時期を合わせ、ディーラー協議会も開かれました。
経営幹部はすべて、間違いだと思う本社経営陣の決定に意義を唱える権利と義務をもっていました。反対することが本人の不利益になることはなく、主体性と積極性の現れとして高く評価されました。異議は必ず取り上げられ、真剣に検討されました。意見を却下する際には、理由が明らかにされました。
自由と秩序を共存させる仕掛け
GMでは、300~500人の経営幹部が、ほとんど望むだけの責任をもつことができ、肩書、地位、手続きは問題にされませんでした。幹部間の関係はインフォーマルかつ柔軟であったといいます。
GMが、いかにして縄張り意識、権謀術数、権力闘争を避けていたかが重要です。
GMには、これを制度ではなく気働きによるとする向きがあったといいます。スローンの人柄によって構築されたシステムであったことは間違いないとドラッカーも指摘します。
しかし、人柄や気質を理由とするなら、その人がいなくなれば終わりです。他の企業が範とすべきものもありません。GM自身も、経営幹部を業績によってではなく人柄によって評価することになります。
ドラッカーは、あくまで客観的な仕掛けの存在を追求しました。その結果、見出したのが、業績の尺度としての「コスト」と「シェア」でした。「コスト」とは、生産者としてのGMと各事業部の生産面での生産性を測定するための概念です。「シェア」とは、販売者としてのGMと各事業部の販売面での生産性を測定するための概念です。
コスト分析の目的は、景気変動などの外的要因を差し引いて生産性を測定することです。全コスト要因が徹底的に分析されたため、事業部や事業部内各部門の生産性の工程、およびその原因が一目瞭然でした。結果的に、利益が外的要因によるものかどうかも明らかになりました。
コスト分析は、特定の経営政策の実施前と後を比較することにより、経営政策の評価尺度ともなりました。
コスト分析の過程では、投入資金の収益率、収益率の要因としての稼働率や耐用年数が明らかにされました。これから行う投資については、意思決定の前提とすべきものが示され、投資に関わる提案が評価されました。投資後は、投資の前提とされたものが現実と比較されました。
コストの算出は事業部が行い、工場長や職長が参画しました。全事業部が同一の会計システムを採用していたため、事業部をまたがって比較することができました。
もう一つの尺度が「シェア」でした。消費者の意思こそ製品の客観的な尺度です。車種別事業部の場合、販売台数ではなく、それぞれの価格帯におけるシェアによって評価されました。ここでも、外的要因は除かれました。
部品事業部の製品については、GM以外の部品メーカーとの価格比較によって評価されました。GMの車種別事業部では、GMの部品事業部からの調達を義務づけられておらず、同一品質であれば、価格の安い外部部品メーカーから調達できたからです。
GMの生産計画は、コストとシェアの2つの尺度を中心に立てられました。景気の良い場合、普通の場合、悪い場合のそれぞれについて売上、コスト、必要投資額が明らかにされ、景気や中古車市場の動きを参考に、もっとも可能性が高いと判断される数字が明らかにされました。
本社経営陣は、事業部から上がってくるそれらの数字に、ユーザー調査部門と経済動向調査部門の分析を加味し、産業と市場についての信頼度の高い綜合的な全体像を描き、全社で共有する思考の枠組みとしました。
経営政策と事業をコスト、シェア、資本収益率によって評価することで、上司と部下、本社経営陣と事業部経営陣の関係から主観的な要素を排除しました。その結果は、評価の必要さえないほど直接的かつ客観的に明らかにされたため、社長が事業部長の仕事ぶりについてあれこれ言う必要もありませんでした。
ドラッカーは、これらの客観的な尺度が、前向きかつインフォーマルな人間関係を可能とし、チームワークと自由闊達な議論を可能にしていると評価しました。地位や身分による言動は不可能であり、分権制というチームによる経営が当然かつ必然になっていました。