軍備の反生産性 ー 多元化の時代 ー 断絶の時代③

第二次世界大戦が終結した1945年以降、大国間の戦争は起こっていません。人類史上、もっとも不戦の期間が長い時代です。

しかしながら、平和な時代とは呼べませんでした。戦争自体はむしろ頻発し、内戦も数多く起こりました。国内でのジェノサイド、他国への侵略も起こりました。

テロも頻発しています。テロは、背景に特定国家の支援があるとしても、実体は私兵です。私兵に対して国防で対応することはきわめて困難です。彼らには、自分の命も含めて守るべきものもないことが多く、交渉は困難です。

この時代には、世界的規模で軍備拡大競争が起こり、軍需産業が最大の成長産業でした。それに伴って軍事技術は進歩し、兵器の破壊力も増大しました。

その結果、軍事と政治は主従が逆転するようになり、むしろ経済にとっては阻害要因となってきました。

軍備は、軍事的にさえ無能さを示しています。大国が小国に敗れ、テロの撹乱を抑えられず、他国への軍事援助も内戦を助長させています。内戦で一方に支援をすれば、支援された側が力を得て、支援者に対して牙を剥くことさえあります。

軍備に関して重要なことは、単に増やすか減らすかではなく、国際政治における国防の役割と重要度を再点検することです。改めて、国防と軍備は、政治の主人公ではなく、政治の手段であることを認識しなければなりません。

軍備と経済

古くから、経済と社会にとって、軍備は負担になっており、科学や技術の進歩にもほとんど寄与していませんでした。

農民は負担させられるだけでした。領主は、農民を守るためではなく、自分たちのために戦うことがほとんどだったからです。

民需用技術が軍需用に移転されることもありませんでした。

17世紀に入ると状況は一変し、民間経済と軍事経済は相互に発展することになりました。戦争特需とも言われたように、生産施設が軍需と民需の双方で転用され、戦争が経済活動を刺激しました。

ところが、現代では、軍事支出や軍事技術は、民間経済を枯渇させるようになってきました。

日本は、軍事予算を少なくして経済発展に力を入れたため、軍事をアメリカに依存して、自分たちは経済発展の恩恵を受けているという批判さえありました。

軍事技術は極秘であることが多いため、民間技術に簡単に転用されるものではありませんでした。軍需産業自体は別として、軍事技術者が民間部門で働くこともほとんどありませんでした。

結局、軍事経済と民間経済はトレードオフになっており、軍事に予算を割けば、その分、民間経済を縮小させることにつながっているのです。発展途上国では、さらに顕著です。

軍事経済と民間経済の相互発展は、社会主義・共産主義国家などの全体主義国家でしかあり得なくなっています。

全体主義国家では、国(政党)の軍事技術者が民間企業で働いていると言われています。民間企業は事実上国のための企業であり、国に技術供与することが義務づけられています。

民主国家では、相互発展ではなくバランスを取るしかありません。

軍事の失敗

軍事力が成果をあげられなくなっている原因の一つは、いかに強大な国といえども、一種類の軍事行動に対してしか、計画し、準備し、訓練できないことです。

現代の技術進歩のもとで、無数にあり得る軍事作戦に対応することはできません。あらゆる状況に対応できる包括戦略は成立しません。

このことが、軍備を膨大なものに、かつ、軍備が政治の手段とはなり得なくなった原因であると言えます。軍備の量を確保することによって、軍事的な能力(質)に変えようとして、うまく行っていないとも言えます。

現在、大国間の戦争を抑止しているのは、核兵器による相互確証破壊(一方の国が核攻撃をしても、他方の国は破壊を免れた核戦力で確実に報復攻撃を行うことが分かっているため、核戦争は双方にとって破壊しかもたらない)の考えです。

戦争を起こさないために、互いに核兵器をもってバランスを取るのです。

このような方法で均衡を保とうとすると、軍備を維持しようとするだけでも、兵器を製造し、更新し続ける必要があるため、テロリストに兵器が渡る可能性はなくなりません。すべての国が、兵器そのものを減らさない限り、テロを減らすことができません。

しかし、均衡を保ちながらの軍縮は、どこかの国が抜け駆けをしたり、約束を守らないことが分かった時点で、あるいはその疑いが生じた時点で不可能になります。

ですから、共通の利益を明確にし、すべての国がそれに同意しなければなりません。ドラッカーは、共通の利益として、経済上の理由とテロの根絶をあげています。

加えて、ドラッカーは、軍縮以上に重要で基本的なこととして、国防と軍備の機能を再点検することをあげています。

現代は、あらゆる攻撃を想定した国防(守るための体制)は不可能です。実効ある現実的な手段としては、先制攻撃か、特定の攻撃に対する報復しかありません。

軍備が再び意味のあるものとなるように、軍とはそもそも何であり、いかに行動しなければならないのかを考えなければなりません。