発展途上国の問題 ー グローバル化の時代 ー 断絶の時代②

グローバル化の時代には、先進国と発展途上国との経済格差は深刻です。情報によって世界が一つになったからこそ、格差が認識され、問題とされます。

格差は克服される必要があります。貧しい人びとが豊かにならなければ、豊かな者が豊かでありつづけることもできなくなるからです。

トルーマン大統領の「ポイントフォア計画」(1950年)、その10年後のケネディ大統領の「進歩のための同盟」といった、発展途上国に対する経済開発援助は、世界で歓迎されたものの、うまく行かなかったと評価されました。

一方、ドラッカーは、「ポイントフォア計画」に続く40年間ほど、広範囲かつ大規模に経済開発が成功した時代はないと指摘します。

しかし、かつてもっとも人気があり、成功していた経済開発政策が機能しなくなったといいます。低賃金労働を活用した生産と産業保護政策です。

経済援助は、単なる富の再分配を行ってもうまくいきません。発展途上国自身が富を生み出す力を獲得するための触媒となる経済援助が求められます。明確な目的とビジョンのもとに、新技術の導入、IE、教育など、生産性の向上に寄与する援助が有効です。

ただし、経済開発は容易ではなく、時間もかかります。結局のところ、外国からの援助に頼るのではなく、自国の努力、厳しい労働によって実現しなければなりません。教育や能力が基礎として必要だからです。

経済開発の成功と失敗

発展途上国が経済開発を実現するためには、まず、現在の先進国をはじめとする他国での成功と失敗を知る必要があります。そのうえで、先進国として、どのような支援ができるかを考えなければなりません。

成功と限界

19世紀における成功は、革新と技術によって実現されました。

イギリスでは、蒸気機関、鉄道、国際金融などが経済大国になるための要因でした。アメリカでは、鉄鋼、電力、事務機器などのほか、自動車や航空機の分野で地位を得ました。ドイツでは、アメリカを競争相手として同分野で台頭し、化学、自動車、金融などで革新を行いました。

経済開発の成功は白人国家だけではありません。あらゆる人種、あらゆる文明にわたっています。

成功例の最たるものは、東アジアです。もっとも期待されていなかったところが、もっとも早く成功しました。代表は日本であり、次いで韓国です。さらに、香港、台湾、シンガポールです。

さらに、アメリカの南部、中南米、インド、中国です。

日本は主導的な分野をもたなかったものの、科学や技術を輸入し、改良することによって発展しました。

第二次世界大戦後の当初に成功した経済開発政策は、低賃金労働による工業製品の生産・輸出と幼稚産業の保護でした。19世紀には知られており、すでに失敗していた政策でした。

輸出政策

前者の輸出政策については、テイラーの科学的管理法の発明によって、教育訓練による低賃金労働者の生産性向上が可能になっていたため、これを日本が利用し、他の東アジア各国でも導入されました(参考:「科学的管理法」とは何か?)。

この政策は、労働集約的な産業がなくなれば、使うことができません。ドラッカーによると、直接労務費が総コストの15%以下になると、輸送コストなどの距離に伴うコストの負担の方が大きくなります。直接労務費が15%以上の産業は、すでに衰退産業に入っています。

産業保護政策

幼稚産業保護は、外国製品輸入に対して門戸を閉ざす方法です。建前は、幼稚産業が競争力をつけるまでの政策ですが、現実は、保護によって成長して競争力をつける間に、保護に対する依存体質になってしまいます。

さらに、ドラッカーによると、幼稚産業が成長すればするほど、必要とする部品や機械設備を先進国からの輸入に依存するようになります。成長するためには輸入を増やす必要があり、一層の外貨を必要とします。しかし、幼稚産業が十分な外貨を稼げるだけの競争力を得ることは、保護の下では不可能です。

日本の限界

日本は、これら2つの政策を組み合わせることによって経済成長を延命させましたが、結果的に敵対的貿易を生みました。日本製品の輸入国は、自分たちが輸出できない国から輸入し続けることを拒否するようになりました。保護産業が競争力をつけることもありませんでした。

このような政策でコストを支払わされるのは、日本の消費者です。輸出産業で低価格を維持するために、国内市場では高価格を支払わされることになります。世界的には、対日本政策としての経済ブロックを生むことになったり、BIS規制のような日本狙い撃ちの政策を採用させたりしました。

特効薬の失敗

成功した経済開発は、当時の経済学者や政治家が想定していたものとは違っていました。彼らが期待し、約束していたものは、すべて失敗しました。

彼らが期待した経済開発は、広範かつ一律に、しかも直ちに実現され、あらゆる貧困を絶滅させるはずでした。しかし、実際は、まったく不均等で選択的に行われました。共産圏ではむしろ経済後退がありました。

経済開発がまずもたらしたのは中流階級の出現でした。中流階級の出現は、不平等と貧困が極に達したかのように見られがちである点が問題になります。

しかし、歴史的に見ても、順番としては必ずそうなっています。まず、中流階級が生まれ、一見、貧富の差が広がったように見え、最後に貧困が撲滅されていく、という順番を辿ります。

ドラッカーによると、貧困は、経済的な状況ではなく、社会的な状況です。先進国においても貧困層は存在します。その国のなかでの比較論で生じるもので、発展途上国の貧困とは違います。

計画経済

当時、経済開発のための特効薬は、4つあったといいます。

まず、ソ連流の計画でした。もっとも喧伝され、もっとも大きく失敗しました。必ず経済後退が起こりました。計画は、必ず資源を誤って配分し、組み合わせてしまいます。

非共産圏における社会民主主義的計画も同様です。1930年代から40年代にかけて、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを中心に考えられたものですが、民間においてさえ、官僚主義が蔓延し、汚職が横行したといいます。つまるところ、インフレの発生です。

経済開発援助

ソ連流計画に対抗して、トルーマン大統領が打ち出したのが、経済開発援助でした。「ポイントフォア計画」では、技術援助を重点に、農業技術や疫病治癒法の普及のほか、道路、学校、病院などの社会基盤整備のための援助が含まれていました。

西ヨーロッパの戦後復興援助として行われたマーシャルプランを真似たものでしたが、大きく違っていたのは、援助対象国の能力でした。西ヨーロッパには、教育を受け、規律を知る労働者がいました。教育制度、輸送、金融、有能な政府といった経済基盤がありました。

しかし、経済開発援助の対象となった発展途上国には、それらがありませんでした。

マーシャルプランは企業や産業を相手にしていました。しかし、経済開発援助は政府を相手にしたため、ほとんどが軍事援助と化し、経済開発を阻害することになりました。

仮に経済的な分野に使われたとしても、対象国政府が恣意的に決めた効果の少ない大規模プロジェクトに浪費されました。多くの人たちの雇用を生み出す効果はありませんでした。

国民の間に雇用を生み出すのは、見栄えのよい大規模プロジェクトではありません。流通、販売、建築、道路建設、自動車修理、ガソリンスタンド、地方の小さな製造業など、国民の生活の必要を満たすための小さな企業によってつくり出されるものです。

誘導的計画

フランスのドゴール大統領が行ったもので、いわゆる「日本株式会社」に当たるものです。

政府が企業のために計画を立てるわけではありませんが、政府が企業と緊密に連携し、経済の進むべき方向について示唆を与えます。この示唆に従う産業や企業に投資を傾斜させることによって、企業を支援します。

誘導的計画は、うまく行ったかに見えて、本質的にはうまく行っていません。

プランスでは、事実上無計画であったドイツよりも遅れました。フランスの企業は、技術革新、機会や新技術の利用、輸出のための努力をやめてしまいました。実質的な経済成長が始まったのは、1970年頃に誘導的計画が終了した後でした。

日本の場合、著しく成功したかに見えましたが、実際のところ、計画の対象であった産業はことごとく失敗しました。発展した産業、すなわち自動車、民生用電子機器、カメラなどは、政府の計画外どころか、政府によって邪魔されてきたものでした。

日本政府が目的を達成したと言えるのは半導体産業だけでしたが、結局政府は手放してしまい、台湾や韓国に技術を奪われ、今、半導体不足が危機的な状況です。かろうじて国内に残っている半導体技術についても、政府は支援する意思がなく、台湾企業の誘致にお金を使おうとしています。

結局のところ、誘導的政策が機能するのは、政府と企業がともに優れて高度に有能な場合です。発展途上国にそのような条件は整っていません。もちろん、先進国にも整っているとは言えません。

経済開発の教訓

経済開発の最大の機会は、これまで失敗してきた政策、とくにソ連流計画や社会民主主義的計画を採用しないことです。

経済開発に必要なのは、市場経済です。政府が経済活動自体をコントロールしようとすることをやめ、企業に自由を与えなければなりません。

自由を与えるからには、一時的なインフレや失業を覚悟しなければなりません。

インフレが起こると、それを抑えようとして、どうしても価格統制を行いたくなります。それをやってしまうと、生産意欲が失われ、配給制を導入せざるを得ない状態になります。

しかし、発展途上国の場合、価格統制なしでは政権がもたない可能性もあります。かといって、失業を抑えようとすれば、生産者の自由を奪うことになります。

先にも述べたとおり、経済開発がはじめにもたらすものは中流階級の成長であり、貧困を一層際立たせ、受け入れがたいように見せることも知っておく必要があります。

結局、経済開発は、自国の努力、厳しい労働によってのみ実現されるということを前提として理解しておかなければなりません。その基礎には、教育や能力が絶対的に必要です。外国からの経済援助を自国の努力の代わりにしようとすれば、成功は望めません。

困難と時間を伴いますが、歴史上の数々の成功は、それが可能であることを証明しています。

発展途上国に望まれる技術

発展途上国において適正といえる技術は、派生的に職場と購買力とをつくりだす技術です。すなわち、乗数効果が高い技術です。

ですから、お金をつぎ込んだり、投資を奨励したりするだけではなく、どこにお金をつぎ込むのかをよく考えなければなりません。

生産性と波及効果

例えば、インドで食料生産が飛躍的に発展したのは、水をくみ上げるためのガソリン・ポンプ、不毛の土地に設けられた灌漑用水路でした。

適正な技術とは、その国の経済資源をもっとも有効に利用すること可能にするものでなければなりません。その技術によって、生産的な仕事の数を増やしていけるものです。

ドラッカーが、さらにインドの例をあげて示す効果的な技術は、自転車、トランジスター・ラジオ、ガソリン・ポンプ、自動車、スクーター、トラック、トラクターなどです。いずれも、職場と購買力とをつくりだすといいます。

道路の建設や補修、交通整理、自動車等の販売、サービス・ステーション、修理などの副次的な雇用が創出されます。特に、トランジスター・ラジオや自動車は、大規模な生産基地と販売店網が伴います。

農業に関わるものでは、肥料、薬品、殺虫剤などの製造・販売も同様です。その他、化粧品も比較的大きな波及効果があるといいます。

「生産性」とは、時に「労働力を最大限に使うこと」という意味で使われることもあるようですが、正しくありません。あくまで、投入に対する算出の比が大きくなることでなければなりません。

資本、労働、物的資源および時間を使って、全体としてもっとも高い産出物を生み出すことが、「生産性」です。

これはまた、もっとも多くの職場と最大の購買力を与えることによって、効果が波及していくものであるべきです。そうであってこそ、発展段階において拡がりやすい経済格差をできるかぎり小さくすることにつながります。

「大きいもの」と「小さいもの」の共存

経済の波及効果を考えるときに忘れてはならない視点は、大企業がよいか小企業がよいかではないということです。どちらも必要だからです。両者は依存関係にあります。

小規模の製造業の製品が市場に行き渡るには、大規模な卸売業または小売業が必要です。あるいは、大規模製造業が生産する製品の部品として組み込まれることが必要です。

逆に、大規模な製造業には、小規模の自立して創意工夫しながら競争する多くの部品メーカーのほか、販売や修理などのアフターサービスに関わる数多くの小規模企業群が必要です。

大規模な卸売業や小売業にとっても、少数の大規模製造業だけでなく、多様な独自性をもつ小規模製造業の存在があることによって、多様な商品を販売し、消費者の多様なニーズを満たすことができます。

経済開発援助のあり方

従来の経済援助

19世紀の経済援助は、先進国の人口が増加したので、途上国からの農産物を輸入することによって食料を調達する方法でした。途上国は、農産物の輸出によって資金を得て、工業製品を手に入れることができました。

先進国が途上国に行った直接投資は、このモデルに基づいていました。先進国は、自国で必要な食料や原材料の生産を途上国に行ってもらい、それを買い取りました。

低価格で輸入できたため、投資先の途上国から投資資金を返済してもらうまでもなく、十分に投資資金が回収できたのです。

ところが、先進国で農業技術が著しく進歩したため、自給自足が可能になっただけでなく、輸出さえできるようになりました。途上国の安価な人件費で生産してもらうよりも、さらに安価に生産できるようになったのです。

先に成功例としてあげましたが、低賃金労働によって工業製品を生産してもらい、それを輸入する方法もありました。ただし、現状では、労働集約的な産業がなくなっていますので、利用できません。

今日の海外投資の多くは、投資先国の国内市場向けの生産能力を増強するために行われます。つまり、投資先の途上国で生産された財を、投資元の先進国で買い取ることがなくなってきたのです。

そうなると、国内または近隣国で財を販売した収入で、先進国に投資資金を返済しなければなりません。支払いが遅れたら信用は落ち、投資を呼び込めなくなります。投資が止まれば資金不足で成長は止まり、国民は再び貧しくなり、需要も縮小します。

途上国への経済援助は難しくなっています。先進国の富を途上国に再分配するだけでは貧困の解決になりません。援助した後の浪費をやめさせることもできません。かといって、先進国の政策を押し付けて、外部の力で途上国の経済を発展させることもできません。

あるべき経済援助

経済発展は途上国自身の力によらなければならず、経済援助はそのための触媒とならなければなりません。援助は常に、自助を促進し、意欲を生み出すところに行い、しかも応急措置でなければなりません。

明確な目的、ビジョンが、人びとの活力を生みます。新技術の導入、インダストリアル・エンジニアリング(科学的管理法)、教育など、生産性の向上に寄与する援助が有効です。

飢えを防ぐための食料援助は時に必要ですが、やり過ぎは農民の意欲を損ないます。農民の現金収入の増加につながる援助がもっとも農民の意欲を高める方法です。例えば、収穫と所得を増やす新品種の導入が成功しています。

援助は広くばらまかれる傾向がありますから、意識的な集中が必要です。援助すべき途上国を選別する必要があり、経済発展の能力を実証した国を優先すべきです。

資金と人材の重要性

途上国の経済発展には、19世紀の日本が模範になると、ドラッカーは言います。

明治維新の経済政策

当時の日本は、多くの途上国に比べても貧しい国でした。国土は狭い割に人口は多く、資源はなく、輸出できるほどの食料も生産できませんでした。生糸を輸出して、かろうじて工業製品と原材料を輸入できている状態でした。

当時の日本が置かれていた状況、すなわち、人口が多い、一次産品の輸出に頼れない、国内市場や周辺国市場向けの産業にしか資金を使えない、という状況において経済発展を図らなければならないという課題こそが、現在の途上国が抱える課題と一致します。

当時の日本の経済発展を支えた2人の人材として、ドラッカーは、岩崎弥太郎と渋沢栄一をあげています。この2人には論争がありましたが、いずれも不可欠な人材であり、2人の取り組みが共に課題の解決に役立ちました。

岩崎弥太郎は資金の重要性を説きました。利用可能な資金を可能性のある分野に動員し、資金の生産性を高めることです。

渋沢栄一は人材の重要性を説きました。人間のエネルギーを可能性のある分野に動員し、人間の生産性を高めることです。

2人が共に重視したことは、日本を豊かにすることではなく、日本を創造的にすることでした。経済発展の本質は、貧しい人びとに富を与えることではなく、貧しい人びとに富を得る力を与えること、すなわち生産性を高めることであると知っていました。そのためには、資金を生産的に投入しつつ、人の生産性を高める必要がありました。

経済発展は、資本形成と人材開発の二本柱を必要とするのです。

資本形成

資金の生産性を高めるには、多くの資金を集めて、生産性の高い分野へ移すことが重要です。その手段として、投資銀行が有効です。

投資銀行の仕事は、富をつくり出すことです。知識と想像力を駆使して投資の機会とニーズを生み出し、自己資金の何倍もの資本参加を獲得します。海外からの資金はより小さく、国内からの資金をより大きくすることが望ましいと言えます。

投資銀行にとっては、利益の最大化が堂々たる目的となります。利益は、その国の経済発展に貢献し、富を創造した結果だからです。その収益性の高さが、さらなる投資を呼び込む尺度になります。

ドラッカーは、資金の不足ということはないと言います。資金が十分でない社会はなく、資金の活用法に間違いがあるために資金が集まらないことが問題です。

人材開発

人材についても、その開発・育成と機会への登用が必要です。優れたリーダーと、そのビジョンを具体化できるフォロワーが必要です。

特に重要なのはマネジメント教育です。マネジメントは単なる管理職ではありません。組織全体の成果に貢献できる人であり、自らの仕事を組織全体の成果に結びつけることができる人です。その意味で、マネジメントに過剰ということはありません。組織には一人でも多くのマネジメントが必要です。理想は「誰もがマネジメント」です。

人材育成、特にマネジメント育成にとって最高の機関がグローバル企業です。国や民族、文化の違いを超えて、経営資源を動員し、事業の成果をあげる経験はきわめて貴重です。

政府の支援

新たな技術の導入や産業の育成にはリスクが伴いますから、一定の期間は、国家による保障も必要です。国民の意欲やチャレンジに対する保障です。

マルクス主義的な計画経済や国家による統制も、経済発展の初期の段階では、過渡的なものとして必要な場合もあると、ドラッカーは言います。政府や軍隊にしか、高度な人材、高度な組織が存在しない場合もあるからです。

ただし、経済発展が進むにつれて、企業のマネジメントは独立し、市場による管理に移行していかなければなりません。競争させなければなりません。

社会や文化への配慮

経済発展は、経済にとどまらず、社会や文化にも影響を与えます。

伝統的な社会を壊さなければ経済発展できないという考えは間違いです。あくまで、現存の文化的、社会的な制度や価値観に基礎を置いた経済発展が重要です。伝統的な社会や文化を再認識し、経済発展の原動力とすることです。

その結果として、社会や文化を変えていく面が出てくることはありますから、変化が大きな混乱とならないようにすることが課題になります。

経済発展に成功した結果、リーダーたちが新しい現実に適応できず、旧態依然とした社会や文化を前提に行動してしまうと、今度は、それ以上の発展を阻害することになりかねません。