戦略策定において直面する問題 − ルメルトの戦略論㉕

リチャード・ルメルト(Richard P. Rumelt)は、戦略論と経営理論の世界的権威で、ストラテジストの中のストラテジストと評されています。

この記事では、『良い戦略、悪い戦略』(GOOD STRATEGY, BAD STRATEGY)および『戦略の要諦』(The Crux: How Leaders Become Strategists)を基に、ルメルトの戦略論を概説します。

ルメルトは、企業の戦略策定を手伝う中で、うまくいかなかった案件もあったといいます。失敗したのは、分析が不十分だったとか、助言が却下されたといったことが原因ではないといいます。

失敗する企業では、状況分析と行動の助言は興味深く重要であるものの、ウォーミングアップに過ぎず、結局すぐに忘れられ、毎年恒例の年間「戦略プラン」に戻ってしまうといいます。

問題は、多くの社員が気づいている重要課題を経営幹部に共有されていないことです。良い戦略を生み出すことができるのは、決定的に重要な課題をわが事として考えられる経営幹部だけです。

ルメルトが様々な組織と仕事をしてみて確信するようになったことは、重大な課題に取り組み、解決可能かどうかを探るという厳しい作業を多くの企業が棚上げしているということでした。

大事なことを棚上げしてしまう理由は、困難だから、破壊的な結果になりかねないから、というだけでなく、課題に取り組む方法論やシステムを持ち合わせていないことにあります。

重大な影響を伴うような事柄は、会社の内情も市場の状況もよく知っているはずの経営幹部が対応すべきです。情報を共有し、熟慮を重ねて議論することで重要な議題を炙り出し、戦略を考えるなら、よい結果を出せるはずです。

にもかかわらず、優秀な経営幹部たちが戦略課題に取り組んで立ち往生し、機能不全に陥るケースを、ルメルトは何度も見てきたといいます。

集団思考

業績データや競争状況に注意を払い、現状をしっかり把握している賢明な経営幹部もいますが、大局観をもって絡まり合った複雑な問題を俯瞰し、解決の糸口を見つけて前へ進むことができる例は僅かです。

こうした症状を説明する理論として知られているのが、社会心理学者アーヴィング・ジャニスの「集団思考(groupthink)」です。

集団が孤立していたり、外部から強いストレスを受けていたりといった先行要因が揃うと、メンバーは同調行動をとりやすく、不十分な情報やリスク評価に基づいて不十分な選択肢の中から判断を下してしまいます。

集団のメンバーは現実主義から乖離して楽観主義に染まりやすく、現実的な反対意見を排除しようとします。重要な情報が十分に吟味されないまま、早い段階でコンセンサスが醸成されてその場の空気を支配し、他の選択肢を検討する余地がなくなっていきます。

仲間意識が強く凝集性が高くなっているだけに、無敵幻想や満場一致幻想にとらわれがちです。自分の意見に対する自己批判能力も低下してしまいます。

ジャニスの理論では、戦略の策定を担当する集団は合理的な選択を目指すとしています。しかし「合理的」な選択ができるのは、選択肢があらかじめ分かっており、かつ単一の価値基準が使われる場合だけです。

ところが、経営幹部が直面する課題は、ほとんどの場合きわめて複雑です。メンバーの野心や思惑は対立し、他の選択肢の可能性は分かっていないか意図的に隠され、行動計画と結果の関係も不透明です。

このような状況では、とにかく先に望ましい結果、つまり最終的な「目標」を明確にし、次にそれを実現するための行動計画を立てようということになりがちです。

このようなやり方は、結局のところ、複雑な課題への取り組みをあらかじめ用意された選択肢の中からの決定にすり替え、それに希望的観測で味付けするようなものです。このようなすり替えに基づいて戦略を立てようとすると、予定調和的に特定の計画に合意することになりがちです。

認知バイアス

あらかじめ固定された望ましい結果の実現に向けて戦略が立てられ、関係各所に周知されるようなケースでは、その結果にそぐわない情報や助言を受け入れることが困難になります。

経営・産業・経済・競争・事業戦略を分析する技術は過去半世紀で大きく進歩しました。しかし、費用対効果や競争状況をどれほど精密に分析したところで、それ自体がよい戦略を生み出せるわけではありません。

収集した膨大な情報や知識を戦略策定に結びつける方法はほとんど分かっていないのです。

「意思決定」と言うときは、いくつかの行動の選択肢の中から選ぶことが前提になっています。しかし、多くの困難な問題に関しては、選択肢が用意されているなどということはありません。

人間の認知バイアスに関しては多くのことが分かってきており、それが意思決定に影響を与えることも理解されてきました。経営幹部にとって特に重要なバイアスは、楽観バイアス、確証バイアス、経験バイアスの3つです。

楽観バイアスは、計画や行動のプラス面を過大評価し、マイナス面を過小評価するという具合に、都合のいい解釈をする傾向を指します。

確証バイアスは、元から持っている意見や信念を裏付けてくれるような情報や材料ばかりに注意が向き、そうでない情報は無視したり軽視したりする傾向のことです。

経験バイアスは、自分自身の経験を過大に重んじる傾向を指します。他社も自社と同じような試みをしていることを見落としたり、競争相手の強みや行動を無視したりしやすくなります。

バイアスにとらわれていると、課題の選択を誤ったり、診断を怠ったりして、主観で戦略を立てることになります。課題をよく理解しないままに数字合わせに終止したり、既存の選択肢から選んだり、自分の野心や価値観を揺るがすような困難な判断を避ける姿勢にもつながります。

バイアスの存在は、集団での戦略策定において事態を一段と紛糾させます。社会心理学者は長い間、集団は個人に優ると考えてきましたが、数十年におよぶ調査研究の結果、ごく一般的な問題に関する限り、能力の高い個人はしばしば集団に優ることが確かめられています。

要するに、集団でよい戦略を策定するプロセスがどのようなものかは分かっていません。特定の結果や行動があらかじめ決まっているような状況では、健全な戦略策定は不可能です。

ではどうすればよいか?

ルメルトによれば、戦略策定がうまくいかない問題の最重要ポイントは、戦略とはあらかじめ定められた目標、とくに業績目標を実現する方法のことだ、という経営陣の思い込みにあります。

決定権を持つ幹部たちは、望ましい結果についてすでに自分の意見を決めて戦略策定に臨んでいます。このような出発点に立っているため、幹部集団のやることと言えば、すでに決まっていた選択を見栄えよく整え、第三者にうまく説明できるようにすること、その作業を通じてメンバー同士の信頼と団結を強めることだけです。

あらかじめ決まっている目標こそが、再考や熟考を不可能にしてしまうのです。

ですから、そうした思い込みを打破することが必要です。

戦略策定を専任の副社長に任せきりにするとか、行動計画を書く部門のリーダーに丸投げすると言ったやり方も改めなければなりません。

戦略立案の議論が権力や地位の影響を受けないようにすること、状況分析が終わるまで本格的な議論は先送りすること、最も効果的なところにエネルギーを集中することも重要です。