IMFが抱える直接の問題は、そのイデオロギーであるグローバリズムを頑なに信奉し、その政策を発展途上国に押し付けることを条件に、融資などの支援をするところです。
そのイデオロギーの元にあるのはワシントン・コンセンサスです。
相手国の状況や政策の悪影響などは考えません。ですから、相手国の意見も聞き入れるつもりがありません。それでいて、結果的な失敗の責任を相手国に押し付けるのです。
このようなやり方が通用する原因は、ガバナンスに問題があるからです。人事、議論や政策決定の過程、説明責任が不透明であり、明らかに特定の利害関係者の影響を強く受けています。
イデオロギー政策
IMFの政策の基本には、ワシントン・コンセンサスがあります。これは、IMF、世界銀行、米国財務省の間で確認された、発展途上国に対する”正しい”政策に関する合意のことで、緊縮財政、民営化、市場の自由化を三本柱とします。
IMFではこれがイデオロギーと化しています。
重要なことはイデオロギーではなく、証拠を踏まえて最善と思われる行動を決定することであるにもかかわらず、イデオロギーや政治によって決定が下される場面が多すぎました。
イデオロギーに沿った形で証拠が捻じ曲げられ、その政策が貧困に与える影響の予測はほとんどなく、代案を検討せず、オープンでフランクな討議が行われる余地は最初からありませんでした。
IMFにとっては、自分たちの政策がその国に及ぼすかもしれない短期的な影響など無視してもよかったのです。長期的に見れば、その国の経済は良くなるはずだという信念に満足していたからです。
短期的にどんな逆風が生じたとしても、それは改革に伴う必要な痛みだとされました。
しかし、痛み自体が善であることはありません。痛みを避けるために政策を考えることが必要です。痛みは、暴動や社会構造の崩壊などにつながることがあるのです。
また、IMFは特にインフレを危惧します。このこだわりもイデオロギー的です。
支援を必要とする発展途上国の政府は、大抵の場合、税金と対外援助で得る収入よりも高い支出をしています。そのような国は、しばしばインフレに直面します。赤字分を紙幣の増発でまかなっている場合は、特にインフレになりやすくなります。
そもそも、マクロ経済政策にはインフレ率以外の側面があります。マクロとは、成長率、失業率、物価上昇率などを巨視的に捉えるということであり、物価上昇率が低くても成長がなく、失業率が高いという国もあり得ます。
多くのエコノミストにとって、インフレそれ自体は結果ではなく、結果に至る要因です。過度に高いインフレ率はしばしば低成長率につながり、低成長率は高い失業率につながります。しかし、IMFはしばしば要因と結果を混同しているように見えます。
IMFの不透明性
IMFのやり方は、民主主義に反する姿勢でした。IMFとその背後にいる米国財務省は、東アジアにおける透明性を強く主張していたにもかかわらず、当の両機関は、スティグリッツが知る限り、最も不透明な機関であったといいます。
情報が内部から外部へほとんど伝わらないばかりか、外部からの情報はそれ以上に組織内に入ってこないようになっていました。
彼らの決定のほとんどは閉ざされた扉の背後でなされているため、彼らの行動には常に疑念がつきまといます。政治権力や特定の利害、その他IMF本来の目的とは関係のない隠れた理由が、この機関の政策や指導に影響を及ぼしているのではないかと疑われるのです。
そのような不透明な議論によって決定された政策が、巨額な資金援助を背景に発展途上国に押し付けられ、当事国の政府による望ましい市場介入が妨げられました。その結果、途上国は、たとえ一時期の成長を実現できたとしても、著しい富の不均衡をもたらしました。
IMFのやり方では、市民は協定に関する討議から外されてきただけでなく、それがどんな協定なのかさえ教えられませんでした。
実際、IMFに浸透している秘密主義の文化はきわめて強力で、交渉のほとんど、およびいくつかの協定の内容さえ、共同で視察する世界銀行のメンバに秘密にしていたほどでした。
IMFの無謬性
IMFのイデオロギーは絶対なので、政策に何ら疑問を持たず、それがうまく行かなくても、それを実行した途上国に問題があるとされ続けました。
IMFは自らを唯一の健全な助言の提供者だと考えているので、外部の人間に意見を求めることをしたがりません。
途上国の人々は、IMFの資金援助を失うことを恐れるため、疑念の表明すら困難でした。そんなことをすれば、IMFは援助を削減するだけでなく、その権威を使って、民間市場からの投資を阻止することもできるからです。
IMFはその国の経済に疑念があると、民間部門の金融機関に伝えるだけでそうできるのです。あるいは、IMFがよく使う表現として、その国は「道を踏み外してしまった」というのもあります。
「正しい道」はIMFが指し示すただ一つのみであり、IMFに対する疑問は、神聖な正統性に対する反乱のしるしなのです。
交渉の決裂だけでなく、ただの延期であっても、IMFに正式発表されれば、市場はこれを危険な兆候ととらえ、金利は上がり、最悪の場合、民間からの資金が全面的に断ち切られます。IMFの動き方次第で他の資金提供者が資金を引き上げかねません。
IMFがその国の経済政策を承認しない限り、債務の救済は行われないというコンセンサスができあがってしまっているのです。
IMFとクライアント国との力の不均衡によって、協定の条件をIMFが勝手に定め、クライアント政府との討議は実質的に封印され、別の経済政策の検討が不可能になるのです。
がんじがらめの融資条件
協定の内容はがんじがらめです。期限を定めた厳密な達成目標が課せられます。
IMFの要求や目標を叶えるために、どのような法律をいつまでに成立させなければならないということまで明記されることもあります。
融資を分割して行うように条件づけ、その条件が達成される度に融資を小出しに実行します。
危険なのは、たとえ善意からのものであったとしても、無数の条件をつけられた国は、自国を圧迫している最大の問題に注意を集中できなくなってしまうことです。
それらの条件は経済の範疇を超え、政治の範疇に属する分野にまで広がりました。たとえば、特定の国への市場開放を条件にすることもありました。中央銀行の位置づけを変更し、銀行を政治的なプロセスからもっと独立させることが条件に含まれることもありました。
中央銀行の独立性が高いほどその国の成長が早いとか、景気変動が小さいとかいう証拠はほとんどありません。2001年のヨーロッパの景気後退を悪化させたのは、ヨーロッパの独立した中央銀行だという見方が全般的に広まっているくらいです。中央銀行は、自らの独立性を示すためだけに金利を下げるのを拒んだといいます。
IMFの影響力
IMFから融資を受けていない国であっても、IMFの見解に影響を受けることがあります。IMFが世界中に自らの考えを押しつけるのに使う手段は、融資条件ばかりではないからです。
年に一回、IMFは世界中の国と審議会を開きます。この審議会は、その権限を認めたIMF協定の条項にちなんで「四条協議」と呼ばれ、IMFを発足させた協定条項を各国が忠実に守っていることを確認するものです。
貿易に際して通貨交換が可能なように為替相場が維持されていることを確認するのですが、協議の報告書は、事実上、IMFによる各国経済の格付けにほかなりません。