好意による信頼の獲得 − キュロスのリーダーシップ⑮

キュロスは、優れた者と信頼関係によって結ばれることが、リーダーにとって最も重要であると考えました。

人は自分を憎んでいる相手を愛することはできません。自分に悪意を抱いている相手に好意を示すこともできません。

ならば、その逆の関係をつくろうと考えました。自分が真っ先に相手に愛を抱き好意を持っていることを分かってもらうことができれば、その相手から憎まれることはあり得ないと確信し、まず自分の親切心をできるだけ相手によく示そうとしました。

自分の好意から相互信頼が生まれる

騎兵隊や歩兵隊の指揮官たちの中に、キュロスがきわめて優れていると感じている者たちがいました。彼らの多くが、自分たちに統治の能力があるという誇りを持っていることにも、キュロスは気づいていました。

これらの者は、キュロスの護衛兵たちに特によく近づき、しばしばキュロス自身にも接触しました。それはやむを得ないことでしたから、キュロスは特にこれらの者から危害を受ける危険がありました。

彼らから危険が及ばないようにするために、彼らから武器を取り上げて戦闘能力をなくすことはできませんでした。それは自分の支配を破滅に導くことと同じだからです。しかし、彼らを近づけず、信用していないことをあからさまにするのも戦争の始まりだと思いました。

キュロスは、これらの非常に優れた者に、相互信頼によって自分への信頼を持たせることができるなら、それこそ彼自身の安全にとって最も優れた素晴らしい方法であると考えました。

人は、通常、相手が自分を憎んでいることが分かっていながら、その人を愛することはできません。相手が自分に悪意を持っていることが分かっていながら、その人に好意的であることも容易ではありません。

そうであれば、自分が相手に愛を抱き好意を持っていることを分かってもらえれば、その相手から憎まれることはあり得ないと、キュロスは確信していましたから、常に自分の親切心をできるだけよく示そうとしました。

財貨で行為を示すことがまだ十分にできなかった間は、味方の者たちへの配慮を示し、自ら率先して労苦を買って出ました。さらに、よい成果には一緒に喜び、災厄には共に苦しむことを示して、味方の者たちからの友誼を得ようと努力しました。

食事を通した好意の示し方

財貨で行為を示せるようになると、彼はまず同じ出費をするなら人間相互にとって飲食を分かち合うことより喜ばしい行為はないと考えました。そこで、彼は自分の食卓に彼自身が食べるのと同じ料理を、非常に多くの人にも十分であるように、いつも載せておくように命じました。

彼および彼と食事を共にする者たちが味わった料理の残りすべてを、自分の好意を示したいと思っている友人たちに分け与えました。

また、護衛、奉仕、その他の行動において称賛する者たちにも料理を届けさせました。彼らはキュロスに気に入られたいと願っているだろうから、その気持ちに自分は気づいているということを知らせたいと思ったのでした。

部下を食事に招待するときは、各人の好むままに席に着かせず、彼の最も尊重している者を自分の左手側に、2番目の者を自分の右手側に、3番目の者を再び左手側に、4番目の者を右手側に、というやり方で席をとらせました。なぜなら、策略による攻撃に晒され易いのは右手側より左手側のほうであったからです。

彼は、各人をどのように評価しているのかが明確にされるのをよいことであると思っていました。最も優れている者でも公に称賛されることも賞を受けることもないとの考えを人々が持つようになると、人々が競い合わなくなると考えたからです。

最も優れた者が最も多くの利益を得ると思われる場合は、すべての者が熱意をもって競争するのは、明らかです。

ただし、彼は指示した席を永久のものとせず、立派な行為によって昇進し、より栄誉のある席に着くこともあるが、無思慮な行動をとれば尊敬の少ない席に下がることを慣行にしました。

王の目、王の耳

キュロスは広い国土を支配しましたが、いわゆる王の目、王の耳と呼ばれる者たちを得ていました。王にとって重要なことを知って欲しいと願い、知らせてくれた者たちに大いに報いたからです。

特定の者だけを王の目や耳にしたわけではありませんでした。そうしてしまうと、他の者は注意を払わなくてよいと命令されているようなものだからです。

何か注意する価値のあることを知った者すべての言うことに、王は耳を傾けたのです。このようにしているからこそ、王は多くの目と耳を持っていると信じられていました。

だから、人々はどこにいても王が聞いているかのように王に不都合なことを言ったり、王が側にいるかのように王に不都合なことをするのを恐れたのでした。

キュロスが小さな功績にも大きく報いる気持ちを持っていたことが、最も大きな理由であるとクセノフォンは評価しています。

よい牧者の喩え

キュロスは、よい牧者とよい王の仕事は似ているとよく言いました。

牧者は家畜の幸せの範囲において彼らを幸せにして彼らを用いなければならないし、王も同じように諸都城や人間たちを幸せにして彼らを用いなければならないと言いました。

この考えのもとで、キュロスは、支配下の者たちへの配慮において、すべての人間を凌駕しようと競いました。

与えるために獲得し、守るために与える

キュロスは、最も多くの収入を得ていることで他の人々より格段に勝っていましたが、最も多く分け与えることでなお一層人々より抜きん出ていました。受け取るよりも与えることを喜んだからです。

あるとき、クロイソスがキュロスに対し、自分一人の家に黄金の財宝をこのうえもなく多く貯えることができても、多く贈与すると貧しくなると忠告しました。

キュロスは、支配者になって以来クロイソスの助言どおりに黄金を集めていたとすると、どれほど多くの財宝をすでに所有していると思うかとクロイソスに尋ねました。クロイソスは、ある大きな額を答えました。

キュロスは、クロイソスが最も信頼する者をヒュスタスパスに同行させ、キュロスの友人たちの所を回らせようと言いました。ヒュスタスパスには、キュロスがある軍事行動をするために黄金を必要としているから、キュロスに渡せるだけの額を手紙に記して、クロイソスの従者に渡すように要請せよ、と言いました。その結果、クロイソスが答えた額の何倍もの額に積み上がったといいます。

クロイソスは、宝物を自分のところに集めることで嫉妬され、憎まれるから、警備兵を配置して守らせるように助言しました。

キュロスは、友人たちを裕福にすることによって、これらの友人たちがキュロスの宝庫になると共に宝物の警備兵となり、キュロスが自分で雇う警備兵よりも信頼できると、キュロスは答えました。

キュロスは、自分の財産を部下たちに明らかにし、それらすべては自分の物でありながら皆の物でもあると言っていました。なぜなら、それらを自分自身の消費や浪費のために集めたのではなく、優れた功績をあげた者にいつも与えることができるように、何かが必要だと思う者に与えることができるように集めていたからです。

富による幸福とは、所有ではなく、使用である

多くの者は十分な量以上の財貨を手に入れると、それらの管理や警備に苦労します。家の中にそれほど多くの物を所有しても、腹に受け入れられる以上には食べられません。身につけられる以上に多く着ることはできません。

キュロスもまた、神々のご意向に従い、常により多くの財貨を求めますが、それらを手に入れた場合、自分にとって十分な量以上にあるのが分かると、それらの財貨で友人たちの窮乏を補い、人々を富ませ、恩恵を施して彼らの好意と友誼を獲得し、その結果、安全と名声が報われます。

名声は広く行き渡れば渡るほど偉大で、正しく、軽く荷われるようになります。しかも、名声はしばしばそれを荷う者の心を楽しませます。

最も多くの物を所有し、それを警備する者たちが最も幸福なのではなく、最も多くの物を正しい方法で獲得し、最も多くの物を立派な意図のもとに使用できる者こそ、最も幸福だと、キュロスは信じていました。

病気への備え

キュロスは、多くの人間が健康に生活している場合には食糧を保有し、健康な者たちの生計に必要な物を貯えるように準備していましたが、病気になった場合に役立つ物を手元に置いておく配慮を全くしていないのに気づいていました。

そこで、必要経費の支出を用意し、最も優れた医者たちを自分のところに集め、医者の誰かが有用であると言った物(道具、薬、食糧、飲料)のうちで、手に入れて自分のところに貯蔵しなかった物はありませんでした。

病気になり、治療を必要とする者が出ると、彼はいつもその者を見舞い、必要な者をすべて与えました。医者が彼から薬を受け取り、誰かを治した場合、彼は医者たちに感謝しました。

競争心が起こす成果と不和

キュロスは、素晴らしい成果を得たいという競争心を起こす意図から、種々の競技を告示し、賞品を提示しました。それは、彼らの勇気が鍛えられるようにとキュロスが配慮したからでした。

このことは、一方でキュロスに称賛をもたらしたものの、他方で貴族たち相互不和と嫉妬を引き起こしました。

裁判であれ、競技であれ、判定や決定を必要とする事柄に関して、判定や決定を求める者たちは、裁定者の決定に同意する、という法をキュロスは制定しました。

しかし、裁定で勝てなかった者は、裁定で勝った者たちを嫉妬し、自分を勝者と判定しなかった者たちを憎みました。これに反し、勝者は勝ったのは当然との態度をとり、誰にも感謝しなくてよいとの考えでした。

キュロスから最も好意を受ける者でありたいと願う者たちも、民主国家にいる他の人々のように、互いに嫉妬心を抱きました。その結果、大抵の者は、互いに協力して利益になることを何か仕上げるより、互いに相手を除去したいと願いました。

このような点から、キュロスは、最も有力な者たちと相互に好意を持つより、キュロスに好意を抱かせるように計らったのは明らかでした。つまり、キュロスと互いに好意を交換し合うことを喜びとするのではなく、キュロスに対して好意を抱くことそのものを喜びとするように計らうということです。

しかし、トップである王に好意を集中させるためには、人並み外れた自己研鑽による高徳が求められます。それだけの徳をキュロスが有していたとすれば、それ以降の王の時代にペルシアが支配力を失っていったのは宜なるかなというべきでしょう。